安楽な終わり

創(x @start_tsukuru)

全ては終わる。

M博士には三分以内にやらなければならないことがあった。

 自分の生涯の最後を記録するのだ。

 



 サバンナの大地から意気揚々と飛び出し、波濤を割り砕いて来たるバッファローの大群に対し、人類は叡智を持って立ち向かった。

 各地の人々、自警団、国家は、持つ魚雷をぶつけ、ミサイルを雨あられの如く降らせ、艦船レールガンをぶつけた。核爆弾も投下した。

 

 だが足止めにもならなかった。

 それらは、バッファローの雄々しい角に粉砕され、文字通りチリと化し、プランクトンとして海に還っていったのだから。


 黒い体毛に覆われた二本角の軍勢は、音速以下のくせに、文字通り全てを破壊してくる。彼らの周囲では、酸素や炭素が破壊され、大気が虹色に変色していたりする。それだけならばド迷惑な常識破壊動物なのだが、問題は他にもある。


 半年前、経営する農園をバッファローに踏み荒らされたA国在住のSさんはこう言った。


「バッファローが通った後はねぇ、土の質がまるっきり変わってしまうんですよねぇ。レタスを育ててきましたが今は第一農園で米、第二でオリーブ、第三でキャッサバ。それぞれで育て方が違いすぎましてぇ、もうお手上げですぅ」


 数ヶ月前、破壊された邸宅を眺めながら、大統領さんはこう嘆いた。


「つまりねぇバッファローとは……恐るべき大自然なのだから……私は、我々の文明の傲慢さを思い知ったのだから……」


 大統領さんは翌日に環境を守る協定に再批准し、その翌日にバッファローと友好条約を結ぼうとして腕を擦ったらしい。


 ちなみにこの擦り傷はまだ治っていない。

 というか死んでも治ることはない。

 死ぬまで水が染みる腕となってしまった。


 そう、バッファローがぶつかったものは二度と治らない。車はへこんだまま。骨は折れたまま。建物に空いた穴はいくらやっても塞がらない。空飛ぶ魚は死んでも水に戻らない。ゆえに破壊である。


 ところで恐るべき破壊者にぶち転がされなかった幸運なコミュニティではバッファロー達を崇める動きがあった。バッファロー教の誕生である。彼らを地球化身と見なし、慎ましく農村生活を送るというガイアのアレである。


 バッファロー教の主導者は言う。


「バッファローは秩序なのです。我々が築いた文明を完膚なきまでに破壊することで、世界を正常に保つ存在……人間の時代は終わったのですよ……」


 真偽はわからない。

 だが───おお、偉大なるバッファローよ、お前達はどこからやってきてどこへ行くのか?人間に恨みがあるのだろうか?

 それは誰にもわからない。分からないのだ。どこからともなく現れ、地球をぐるりと回り去っていくのだろう悪夢。


 人間はそれを宿敵とし、打ち倒さねばならない。

 

 日本の最南端が沖縄の波照間島へ移動し、排他的経済水域が40平方キロメートルほど失われたその日、本州全域に対バッファロー体制が敷かれることとなった。


 矛矛作戦の決行日である。



 夕焼けの黄金を拒否するような黒の大群を海岸から目視して、M博士は無線機の電源を入れる。作戦のためだ。

 作戦というにはあまりに心許ないが。


「M博士。作戦の準備は?」

「できています。……私たちが手塩にかけて増殖させたバッファロー、約1000体。これを群れとして、彼らにぶつける。その手筈でよかったですか?」


 作戦とは、バッファローが通り道に残した体毛や爪などから採取した生体情報をもとに作ったクローンバッファローの群れを、バッファローの群れにぶつけようという国連主導のプロジェクトである。


 「そのような大量破壊兵器を持てば国連によるディストピアが生まれる!一国が保有する方がまだマシだ」「我が国が持とう!」「それにこれは生物兵器ではないか?「倫理的問題がある!」という大国の抗議から、場末の掲示板や配信者の間でも議論が起き、動物園のバッファローにトマトを投げつけられたりもした。


 だが国連本部が突撃される三日前になってやっと全会一致した。というかそれ以外に手がないのも、「クローン生物を兵器に使う」という手を使えるのも、今はもう国連くらいのものだった。だから最後にはみんな従ったのだ。国連はすごいのである。


 ところで問題は「どこで作戦を決行するか」だった。軌道上、面積の狭い小国ではできない。バッファローの軌道に対して「面」で対処できるという条件をクリアし、なおかつ、生態が謎なバッファローのクローンを育てるための設備がなければならない。そして、アメリカ大陸からユーラシア方面へと移動するバッファローに対応できる位置となれば、日本しかない。


 もちろん国民の間でも連夜議論が起こった。SNSのトレンドの国内第三位に「バッファロー」がランクインした。一位は「漫画の最終回」だった。まあそんなこともどうでも良い。

 

 博士にとって重要なのはこの作戦だ。

 

「この博打に、世界の命運がかかっている……」

「博打とは。国連超弩級理事長ともあろうものがそんなことを言っていいんですか?」

「国連臨時超弩級科学者として、成功率は?」

「これ以上の被害を食い止められるという0か、これ以上被害が大きくなっていくマイナス100か、そのどちらかです」

「ギャンブルより酷いではないか」

「どちらに賭けます?」

「0に。そして0をマイナスにしない努力をしよう」

「では私も0に。バッファロー同士の対消滅が起きてその余波で私たちも消滅するって確率が一番高いんですから」


 冗談ではなく事実だった。

 

「うむ。会議で聞いていたことではあったが。苦しむことはない、地球人類の安楽死……そう君は言っていたな」


 はい、と頷くM博士。

 博士は人間であるから、そうであれば良いなと思っていた。人口が大減少した世界で生きたくない。文明レベルやらなんやらを考えると余計にそう思う。正直なところ、国連超弩級理事長の立場の方が理解できなかった。

 だが作戦に比べればどうでもいい。


「博士。そろそろ作戦の時刻であるが、実のところ、バッファローはなぜこんなことをしていると思うかね?」


 理事長が聞いてくる。

 正解はM博士にもわからない。

 が、否定できる仮説と、挙げられる仮説はあった。


「やはり、地球の、我々の文明への怒り……」

「それはないでしょう」

「なぜだね」

「それならば、地上が熱や放射能で汚染されたときに、バッファローが通り去っていなければ筋が通りません」

「……そうか。地球は、寛容なのだな」

「いえ、そういうわけでは」

「ところで、君の仮説は?」

「そもそも、地球に意志があるという話自体、人間に都合よく作られたオカルトですし、地球の意志がバッファローを走らせているとは考えづらいです。しかし……あえてその理論に乗って言うならば、気まぐれでしょうか」

「気まぐれ?我々が滅びるのが気まぐれなのか」

「あくまで仮説です。というか、地球を怒らせないよう慎ましやかに生きましょう、というのは、あまりに人間のしょうもなさの本質を突きすぎていてロマンがありませんからね」


 などと持論を述べている間に、別の無線機が鳴った。


「どうしましたか」

「作戦開始時刻です。バッファローの群れを」


 見れば、たしかに。足音と目視の概算で、あと3分で到達する距離にバッファローの群が迫っていた。海はゲーミング色に輝き、オゾンの匂いがこちらまで届いていた。


「切りますね」

「作戦の成功を祈る。地球を救おう」

「ええ、地球を」


 通話が切れた。


「やるか」


 博士は、胸元に忍ばせてあるスイッチを触り、電源を入れた。すると、博士の背後からドローンが飛び出した。彼が手ずから作った、特製である。作戦の記録を残すのだ。


「矛矛作戦、開始。行け、バッファロー達よ!」


 彼の声を合図としてクローンバッファローが飛び出す。砂浜を砕き、テトラポッドを突き破り、高波を貫いて、ぐんぐんと、まるで黒い竜巻のように、障害物をくり抜いて進む。

 彼はポケットにしまってあった手帳とペンを持って記録する。こちらはドローンが不具合で撮影できてなかった場合の予備であった。だが必要な予備だ。接触まであと三分。それまでに、記録を書かねばならない。


 だがその必要はなかった。


「なに?」


 光景を目視していた博士は声を上げる。バッファローは衝突しなかったのだ。

 海に沈んでいった。

 勝負にすらならなかった。


「……なに?」


 クローンバッファローの群れも同じだった。海へと、ざぶざぶと沈んでいった。というよりは潜るように、角を海底へと向けていた。

 博士の眼前で海が割れる。海に穴が空く。それはさながら神話の再現のようであった。

 博士はその場にぺたんと座り込んだ。

 残念だった、とため息をつく。

 まさか、最後がこんな終わりだとは。


「博士!作戦は?」


 国連超弩級理事長から連絡が来る。

 全て終わりました、と返した。


 









 一年後。

 バッファローの群れの沈下を大衆が話題にしなくなり、日常生活を行っているころ、国連超弩級理事長と、抜け殻のようなM博士は、公園のベンチに座っていた。


 抜け殻のように気力を失っているM博士だっが、実は三分以内にやらなければならないことがあった。こっそりと、胸元のボイスレコーダーをオンにした。


「博士。バッファローは、力尽きたのだろうか」

「いいえ、そうではありません。であれば、あの海は、彼らの通り過ぎたところが、元に戻っているのと同じく、穴が塞がれていなければな

「りません」

「では、まだ生きていると」

「おそらくは。……よくよく考えれば、私も傲慢でした」

「傲慢?」

「私の仮説は、気まぐれでした。地球に意志があっても、それは、人間を相手にするものではないと」

「そうだったのか」

「文明生活を自己反省できない人類の傲慢さ、と思っていましたが、それは私も同じだったようです」

「ふむ、人間など、地球からすればちっぽけにもほどがある、歯牙にかける存在ですらないということか

「はい。こんなもの、誰もが分かっていることなのに、気づけなかった。……クローン作りで、私は私のことを神とでも思っていたのかもしれませんね」

「そうか。私も、こんなバカみたいな肩書きをつけて、気が大きくなっていたかもしれない。地球の命運を左右など、できなかったのだな」

「そうかもしれせんね。

 ……博士、まもなく3分です」


 地響きが公園に響き渡った。

 バッファローが地球の核を貫いたのだ。

 世界の終わる前触れだった。

 遊んでいる親子連れは、そこで遊ぶのをやめて、「最後に写真を撮ろう」と言い出した。


「……ああ、もうこんな時間か」

「ここからはもう、世界の終わりですね」

「探査機「タイムカプセル」は飛ばしてあるが、誰が受け取るのだろうか」

「案外、それもバッファローに壊されるかもしれませんね」

「はははは。それはそれで面白い」

「理事長、酒飲んでますか?」

「いや、今から飲もうと思っていたところだよ」


 理事長は胸元から缶ビールを取り出した。

 二つ。


「どうかね、君も一缶」

「では、お言葉に甘えます」


 かしゅっ、と、炭酸の放出される音が鳴る。

 それは地響きの中でもよく聞こえた。


「乾杯」


 と二人は言って、飲もうとする。

 このビールの尽きるまでは、もう少し猶予があると思っていた。

 しかしそれは都合の良い思い込みだった。

 二人が飲み口に口をつけた瞬間に、地球はあっけなく崩壊した。

 あとに残るのは、太陽系の全てを破壊して、別の銀河へ進むバッファローだけだった。

 

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