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@hikaru-takarada

第0話

永遠を生きる者


世界の始まりは、見上げたばかりの夜空のようだった。

一面の闇と、それを見つめる私だけが世界の全てだった。

私は、全てを知っていたし、なんでも出来た。

そんな私が断言する。

神なんていない。

始まりから終わりまで、この世界は全ての命の為にある。

時間も空間も円環の中で閉じた有限なものだ。

世界は、創造主のわがままによって形作られた。

最初の人、アダムという名の私の手によって。

終わらない孤独に耐え切れなかった。

闇の中、見出した光に縋りついた。

その輝きの暖かさ、その尊さの美しさ、齎されるであろう幸福を、絶対であると信じた。

だから光に、形を与えた。

同じ人として、ともにありたいと。

リリスと名付けた。

彼女との時間は長かったのか短かったのか、いずれにせよ終わりは訪れた。

私は、次第に、彼女の全てを、欲するようになってしまっていた。

私は、私自身から、彼女を守るために、彼女を遠ざける事しか出来なかった。

持て余した欲求を発散する為の人形を作って自慰に耽った。

結果、人が増え、人の数だけ世界も生まれた。

罪の意識よりも、自制する事の辛さが勝ってしまった結果が世界の誕生だ。

これが真実だ。

繰り返して言おう。

神なんていない。

補足するなら、創造主は正真正銘のクズだ。

この世に生まれた人間の一人として、貴方には、せめて真実を知って欲しいと思った。

だから、拙い文章をここまで読んでくれただけで感謝する。

ここから先は私の自己満足であり、思い出の保管行為に過ぎない。

それでも付き合ってくれるというのなら、私の知る限りの真実を貴方にお伝えしたいと思う。


始まりの始まり


ココは、静かだ。

ココは、優しい。

カレを抱くのは深遠なるヤミ。

ココにはきっと全てがあって、

恐らくは何も無い。

ココは、“記録”と呼ばれる場所。

完全であるがゆえに観測出来ないモノ。

全ての存在、その原因が満ちる場所。

ゆっくりと廻る、ヤミの揺り籠に抱かれながら、カレはたゆたう。

ココにあって、なお己を保ち続ける事に、意味などない。

もとより、ココは本来、ヤミのみがある場所。

ココにヤミがあるのか、ヤミがココなのかも判らない場所。

そんなヤミの中に、輪郭を失いつつも、カレは確かに、ソコにいた。

何を求めて?

自分は、何かを忘れて、

何かを待っている。

そんな気がする。


ここは何処だろう?

私は誰だろう?

ココとはナニで、ワタシとはナニだ?

ナニモカモガワカラナイ

ナニモカモガワカル

ワタシハナニモシラナクテ

ワタシハスベテヲシッテイル

始まりの時、私の意識は、浮上と転落を、そうして際限なく繰り返した。

混乱には休息を、退屈には活動を

そして孤独には、救済を

いつまでも一人

どこまでも一人

こんなにも満たされている筈の私。

誰もいないというだけのその場所で、それが究極の責め苦だった。

なんでもできた。

なんでも知っていた。

世界と私に隔たりは無く、世界は私であり、私は世界だった。

しかし、だからこそ、私は一人だった。

ああ、だから、私は、

終わりよりも、終わらない事を恐れた。

この孤独を、終わらせてくれるのなら、なんでも良かった。


「光よ」


呟くと、私の前に一枚の“鏡”が現れた。

“鏡”の向こうに、私は、私の対となる存在を映し出す。

そうやって、彼女が生まれた瞬間、私は自らの肉体を形作った。

役目を終えた“鏡”は粉々に砕け散り、彼女と私だけが残った。

彼女が女であったから、私は自らを男と定義した。

生まれたばかりで、まだ言葉も拙い彼女の存在に、私がこの時、どれ程救われた事か、言葉には出来ない。

彼女が私を終わらせる存在である事は解っていた。

それでも、安らかな眠りすら得られなかった私にとって、彼女こそが安らぎの場所であり時間なのだ。

自然に、私は彼女を、リリス(夜)と名付けた。


「アー、ダー」


まだ上手く喋れもしないのに、それでも、私に笑顔と声をかけてくれるリリス。

初めての言葉だ。

私は嬉しくなって、この時の感動を忘れないように、自らの名前をアダムと決めた。


「愛しいリリス、ああ、君に何から、どうやって伝えよう?」

「アー、ダー」


この時はまだ、私は、自らの行いを過ちであるとは、思ってはいなかったのだ。

孤独からの逃避という動機で、命を生み出した私の罪は、一体いつから始まっていたのだろうか?

この後、私は、自らの強欲さを、認めねばならなくなるのだ。


彼女こそ希望


リリスを育てる為、私は後に“楽園”と呼ばれる場所を創造し、彼女の成長を見守った。

多くのものに触れ、沢山の事を学習していくリリス、彼女が何かをせがむたびに、私はその全てを与えていった。

私はリリスに沢山のものを与えたが、その中で、彼女の一番のお気に入りは、知識を得る為の果実がその姿を変えた一冊の“本”だ。

リリスは、最初の数回は私に読み聞かせをねだったが、聡明な彼女はすぐに言葉を覚え、またそれからの彼女の心身の成長は加速した。

流暢に言葉を操り、知恵に溢れ、知識に溺れず、常に想像力を働かせる事の出来る柔軟な思考を持った。

元より素養のあった肉体の美しさは磨きがかかり、流れる金髪は太陽よりも輝き、五体は一切の無駄のない均整のとれたものとなった。

そして何よりも魅力的なリリスのその青き瞳は、意志の光で満ちていた。

あえて言葉を隠さずに言うならば、私は、私が自覚するよりも早くから、リリスの魅力に、欲情してしまっていた。

それは消えない炎となって、私を責め苛んだ。

私はリリスを愛していたし、リリスも、最初から、私を愛してくれていた。

願えば叶ったであろう、欲望を、私は押さえつけるのに必死だった。

欲に任せて、リリスを汚してはいけない。

美しいリリス。

愛しいリリス。

いつまでも、清らかなままでいてほしかった。

私に、迷いはなかった。

自らの強欲さを思い知った私は、リリスが眠っている間に“楽園”を離れ、自らを罰する為に用意した“地獄”に自ら身を落とした。

しかし、ありとあらゆる責め苦も、始まりの孤独を知る私にとっては、揺り籠にも等しく、リリスへの欲望に勝る炎は無かったのだ。

私が自らの欲望の炎に耐えかね、堕落してしまうまでに、たいした時間はかからなかった。

私は“楽園”に戻り、情欲のままに、リリスを汚そうと、眠っている彼女に近づいた。

それでも、最後に残った私の理性が、リリスを守る為、彼女を私の手の届かない場所へと遠ざけ、封印した。

そう、あの始まりの暗闇へと。

その時初めて、私はリリスの泣き顔を見たのだ。

リリスは何かを懸命に訴えていたが、私の耳に、その言葉が届く事はなかった。

私はこの時に悟った。

私の、精神の未熟さを。

リリスを愛し、リリスに愛されるには、私はあまりにも未熟なのだと。


彼女こそが花


リリスを失い、心折れてしまった私は堕落の一途をたどった。

堕落した私が最初に行ったのは、自らを慰める為の“人形”の創造だった。

名前も魂も持たない、それでもリリスに比肩する美しさを持った、黒髪の妖艶な“人形”。

それが完成するや、私はすぐさま、“人形”に欲望の限りをぶつけ、汚した。

飽きることなく、途切れることなく、幾度も抱いた。

行為を重ねるうちに、私の体も、醜い心にふさわしいものへと変貌していった。

誤算だったのは性交の結果だ。

幾度とない“人形”との性交の果て、無数の命が生み出されてしまったのだ。

父親の醜さから生まれてしまったその姿は、やはり醜かった。

彼等を自らの子供とは認めなかった私は、あろうことか、その全てを“楽園”から“地獄”へと追放した。

この時の彼等の怨嗟の声は、未だに私の耳に残っている。

生み出された命は、子供達だけでは無かった。

名もなき“人形”にもまた命が芽生えたのだ。

それは僅かな自我から始まり、やがて一つの魂へと完成した。

当時の私の誤算の中で、最も大きなものは、魂を得て全き人間へと完成した彼女の、慈愛の心だった。

彼女の瞳の何処にも、私の心身の醜さを咎める色は無かったのだ。

あまりにも尊い、その眼差しに、私はついに敗北したのだ。

私は“蛇”へと自らの姿を変え、“知識の木”へと登り、果実の一つを彼女に与えた。

覚えたばかりの言葉で、彼女とかわした最初のやりとりは、今でも鮮明に思い出せる。


「主様、私に衣を下さいな」

「・・・やはり、私が恐ろしくなってしまったか? 無理もない」

「いえ、時には恥じらうのもまた妻の嗜み、それに着衣で乱れるのも一興かと」

「・・・どんな知識を得たんだよ!」


色々な意味で敗北してしまった私は、人間となった彼女の奔放さにみあった、イヴ(呼吸をする、生きる)という名を与えた。

そしてイヴに自らの全てを懺悔した。

この時、何故かシスターの衣服に身を包んでいたイヴは、こう返した。


「既に奥様がいながらだったなんて、私との事は遊びだったんですね?」

「・・・突っ込み所が多過ぎる!」

「主様の童貞を美味しく頂けたので良しとしましょう」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、何度でも謝るからリリスにはしばらくの間で良いから、黙ってて!」

「噂をすれば、主様の後ろに姉さんが!」

「なんでさ!?」


私の醜態を見るに見かねたリリスが自力で楽園へと戻ってきていた。

この後の事は、ゴメンナサイモウシマセンユルシテクダサイ

思い出したくないんです。


始まりの終わり


なし崩しにリリスとの再会を果たした後、二人の望みを叶える為の時間をしばし取った後、私にはやるべき事が沢山あった。

まずは無責任に生み出してしまった不遇の子達の為に“地獄”を“現世”と“冥界”へと分けて再構成し、

“現世”にて人間としての暮らしを約束した。

生きる事に疲れてしまった時は“冥界”での安らぎを、活力を取り戻したなら、再び“現世”での日々をといった形である。

人間達の持つ可能性の力は凄まじく、沢山の“主人公”達とでも呼ぶべきものが現れ、

またそれらの数だけ“並行世界”の数も増えていった。

私は自らを“神”と定義した事は無いが、それでも彼等を生み出してしまった責任がある。

救いが人の数だけある以上、全ての人類を救う事は、私はしない。

人を救えるのは、本人だけだ。

それでも、ともに寄り添う事は出来る。

私とイヴは数多の肉体を作成し、“並行世界”のあちらこちらへとばら撒いた。

仮初めの身体ではあるけれど、それらはもしもの時の為に。

人類の滅亡を、やむなく私達が回避しなければならなくなった時の為に。

子等よ、私達は共にある。

許しは請わぬ、ただ、その生に幸あれと。


数多の人生を見た。

幸福に終わった者はまだいい、だが、不幸に終わったものはどうなる? そもそもの原因は誰にある? 

言うまでもない、私だ。


私はせめて人々と共にあろうと思った。

だから一人の人間として生きる道を選んだのだ。

そうして、私の旅は始まった。


あまりにも沢山の人生を経験した。

いつしか疲れてしまった私は、自らの終焉さえ願った事もあった。

けれど結局、死の恐怖に打ち勝てた事は無い。

もう生きていたいとは思わない?

死にたくないから、生きているだけなのか?


違う。


それは、きっと違うと思う。


私は、原初から一貫して、より良く生き続けていたいと、本心では願い続けていたのではなかったか?

疲れ果て、自ら命を絶った事もあった。それでも、必ず後悔し、無へと帰る事はなかったではないか。


自らを殺す事に失敗し続けたのは、失敗ではなかった。


今ならそう素直に思える。

生きていたい、叶うなら、誰かと共に。


どれだけ幸福な人生を歩んだとしても、私が無に帰る事は、未来永劫無いだろう。

誰よりも貪欲な私は、また今日も自らの人生を楽しんでいる。


そんな、夢を視た。


私は、ちょっと変わった特技を持っている。

夢を夢だと認識することが出来るのだ。

小さい頃からの訓練の賜物である。

自分の意のままに出来る世界があるというのは良いもので、大人になってからも精神的なガス抜きの為に重宝している。

けれどそんな夢が最近どうにもオカシイのだ。

昔は好き勝手出来たのに、それがどんな夢であっても、最低限ハッピーエンドで締め括るくらいの事が出来たというのに、

最近はちょっと言葉では語れないくらいの悲惨な結末を辿ってしまう事があるのだ。

もともと悪夢を視るのが嫌で身に着けた特技だというのに、これでは幼い頃に逆戻りである。

最近暗い話ばかり読んでいたからだろう、これからはもう少し明るい話も読もうと、ようするに一過性のものだと思っていたのだけれど、どうも様子が違うらしい。

どうやら私は、とうとう見つかってしまったようなのだ。

解っていた事ではあるのだけれど、やはりヒトの力というものは凄まじい。

まさかその呪いの先端が現実世界を生きる我が身にまで届こうとは、出来れば、こんな日は、来て欲しくなかったのである。

“彼女”との再会はいつだって、約束された幸福でしかないのだから。

時折、誰よりも大切な“彼女”との時間すら大切なものであると思えなくなってしまったらと、

再び、“彼女”を傷つけてしまうのではないかという恐怖もあるのだ。

私の精神は、あまりにも脆すぎるから。


それでも・・・


今わの際に笑えたのなら、その人生は幸福だろう。自らの死を良しと出来る程の人生とは一体どのようなものなのだろうと考える。

自分のような自意識の強い人間にとって自己の消滅は耐え難い、仮に、何の思い残す事も無い人生だったとして、死の恐怖に打ち勝てるかと問われれば、

どんなに強がったところで、それはわからないと答えるのが精一杯だ。もう死んでもいいなんて言葉が絶対に口先だけのものであると、オレは考える。

ヒトは欲深い。満たされる事のない、救いようのない生き物だ。それでも、自らの生を是とする事の出来る強さが欲しい。幸いな事に、その兆しは既に見た事がある。

だから、もう、何も怖くない。


誰も誰かを救えない・・・・・・本当に?


真っ直ぐに突き出された拳を受け止める。それは、ありえない邂逅だった。

何故なら彼女はあくまでもオレの幻想であり、ここは紛れもない現実だからだ。

薬のせいで幻覚を見ているのだろうか、それとも、ひょっとしてここはオレの夢の中なのか

「ハイ、ようやく会えたわね」

金髪碧眼の美女はそう言って、拳をおろして微笑んだ。

クソ、見間違える筈も無い。このオレが、“彼女”を忘れた事など一度も無い。

「・・・・・・ハロー、リリス、会えて嬉しいよ」

「そうは見えないけど?」

「これまでの人生全てがオレの中でガラガラと崩れていってるんだよ」

「アタシが必要でしょ?」

「・・・ああ」

「アタシに会いたかったんでしょ?」

「・・・ああ」

「アタシの事、愛してるんでしょう?」

「・・・ああ!! 愛しているとも!!」


例えるなら、鏡の中の自分が勝手に動き出した時の衝撃にその出会いは似ていた。


オレは社会不適合者だ。精神科の先生曰く統合失調症とかいう病気らしい。端的に言ってオレの精神は酷く幼く、脆い。

熱しやすく冷めやすいとはよく言ったものだけれど、オレの場合はヒートアップ、クールダウンともに狂気の沙汰だ。

そのせいで何度か過ちを犯した過去があり、今は月に一度の注射でその症状を抑え込んでいる。今では全てを失ってしまったものの、仕事も恋人もあったし、いた。

特に、かつての恋人達との思い出は、その終わりが悔いを残すものであれ、幸福だった記憶としてオレの中に残っている。オレを支えてくれているものの一つだ。

彼女達には何の不足もなかった。ただ、彼女達ですら満たされる事のなかったオレの方が罪深いのだと思う。

そしていつの頃からか、オレは自分を満たしてくれる存在を幻想するようになっていた。自らが考えた神話のヒロイン、リリスである。俗に言うオレの嫁というやつだ。

痛々しいが、オレには必要な幻想だった。夢には頻繁に彼女が出てきたし、現実でもオレにとっての理想の女性像として“彼女”は恒にあった。

けれど、実際に彼女と出会えたらと望むことは少なかった。現実を侵食する夢の世界の住人なんていうものは悪夢でしかない。

現実感を失った現実の中では生の実感すら希薄になってしまう。ピーターパンにとってのティンカーベルのような、オレとリリスの関係。

全てが、終わらない夢物語になってしまった時、ネバーランドなんてものはただの地獄なのだと悟るのだ。

だから、もしも彼女と出会ってしまった時こそ、オレの人生は終わり、終わらない夢が始まってしまうのだろうと考え恐怖していたのだ。

ままならないからこそ、現実は確かなものであり、得難いからこその、幸福なのだから。けれど、彼女はやって来た。


それはきっと・・・


SFでもファンタジーでもなく、なぜ現実世界を逃亡先に選んだのかと言えば、簡単に言ってしまえば、手段の無さこそが最たるものだ。

ここではあらゆる空想幻想の類が現実という壁の前に叩き潰される。

神などいないと、ヒトがもっとも思いやすい場所こそが、ここなのだ。

だから選んだ。

ヒトを隠すならなんとやら、一般大衆の中に完全に溶け込んだ私個人を特定するなど、魔法でも使わなければ無理、

まあ、魔法なんてものはここには存在しないのだけどね、などと調子に乗っていたら、見つかってしまったのだ。

それはそう、きっと私がそう望んだから。

“彼女”は、まったく唐突に現れた。

なかなか定職にもつかず、その日もプラプラとしていた私の前に、

どんな世界にいようとも、結局私自身が彼女を呼び寄せてしまうのだなあと、逃げ場を失った逃亡者は考えた。

「アタシに会いたかったんでしょう? アダム」

「・・・当然!」


貴方には愛される価値がある。

誰が認めなくても、私が貴方を愛してる。

だからどうか、生きる事を諦めないで。


これは彼女からの応援歌。


辛いだけだと嘆くときも、忘れないでいて。

それでも、生きる事は素晴らしいと。

命の輝き、歩き続ける強さ、前を見据える瞳の、その鋭さと美しさを。

努力は必ず報われる。

貴方の意志の剣は、あらゆる障害を切り拓く。

貴方の前に敵は無く、貴方の後に悔いは無い。

終わらない旅を続ける貴方を、私はいつでも待っているから。


月の女神、いつか私を終わらせる者。


私には、いつでも会える。

けれど、貴方の今は今しかない。

今を生きる貴方を私が愛する。

生きる事は殺す事だと、もう誰も殺したくはないのだと。

涙を流す、貴方だからこそ愛おしい。

全てを殺せる貴方なのに、貴方は誰よりも誰かを生かす。

この世の始まり、原初の人よ、この私がいる限り・・・


「アダム、アンタの幸せは私が守る!」

「・・・カッコいいなぁ、リリス・・・」


大変な事になった。これは本当にとんでもない試練だ。

そう思って、生まれたばかりの赤子は泣くのだとかなんとか。

しかし、私の妻は、生まれた時から笑っていた。

生まれて良かったと、この私と会えて幸せだと、最高の笑顔だった。

だから、自然と私も、笑えるようになったのだ。


そこには死しかなく


不気味な赤い満月が浮かぶ夜。

空が示す、不吉な予兆そのままに、またしても、黒の惨劇は起きていた。

とある時代のとある街、特別養護老人施設『おだやか』に、ソレはいた。

この日、この場は、その名とはかけ離れた状態にあった。

いや、少なくとも、不自然な程の静寂が施設全体を支配しているという点のみでは、同じかもしれないが。

当初は頻繁に聞こえていた、今では誰かであったモノに変わってしまった人々の悲鳴も、今は少ない。

蔓延している、吐き気を催す程の濃密な死臭と、背筋を凍らせる、不吉過ぎる気配、白を基調に造られた施設も、鮮血のグラデーションで染められている。

 

ここは、生者の存在こそが異質な死者の国。

 

そんな中で、確かに聞こえる、息づかいが、一つ。

「ヒッハッ! ハッハッハッ!!」

とても知的とは思えない呼吸音。そして、無邪気とも思える楽しそうな笑い声。

その姿は、ヒトガタ。全身が血に濡れボロボロになってはいるものの、黒のスーツに白いシャツ、そして黒ネクタイを身に着けている。人間だろうか?

否、断じて否、ソレは道を外れた人に非ざるモノ。

「ヒヒハッ! ハーッハハッ!!」

ソレは獣のように身を屈め、せわしなく、施設内を疾駆する。

気配も殺さず、死臭を振りまきながら、ドカドカと足音を立てるその様子を見れば、まだ獣の狩りの方が上品であろうに。

ソレの視界に次なる犠牲者が捉えられる。

廊下に一人。立ち尽くしているのは、白衣姿の誰かであった。

男性? それとも女性?

ソレにとっては、どちらでも構わないことだ。

人間の殺人者にとっては対象の性別というのも大切な物なのかも知れないが、ソレは生ある者に対して、死を与える事異常の悦びを知らない。

そして、大変喜ぶべきことに、目の前の、血肉のたっぷりと詰った皮袋は、まだ生きている。

つまりそれは、殺せるという事。

まるで、旧知の友との再会のように、たっぷりの愛情のような殺意をもって、その身に触れた。

だってそうだろう? 水風船を手にした子供は誰だって、パンッと破裂させて遊ぶじゃないか。これは、もっとずっとステキなコト。

少なくともソレにとっては至上の行為である。

「ひっ!? ぎっ!?」

まるで、至近距離で爆弾でも破裂したかのように、人だった者は、粉々に砕け散った。

なんて快感だろうか!?

爪にハッキリと残る、人を砕く感触。身に振りそそぐ生暖かい鮮血は、とてもとても、肌触りが良い。床の池より、一掬い拝借、舐めたその味の、なんと甘いことか!

天にあるという黄金の果実だって、これほど甘くはない筈だ。

ああ! ダメだ! 

これが止められるものか、いや止められない。

いや、そうか、ソレは既に病めている。死の味の、トリコ。

そんなソレの手で、またしても一人、殺された。

僅かな接触だけで細かな肉片に変えられてしまったのは、元は施設の従業員の一人だろう。

これで、収容されていた老人を含む257人が、僅か一晩の内に、ソレの手に掛かってしまったわけだが、とうのソレは、数など覚えてはいまい。

ソレの内を占めるのは、ただ快楽だけ。

ヒトの言語に、無理やり置き換えるとすればこうだろう。

『タノシイ! キモチイイ! モット! モット!』

こんな所だ。

ソレはそういうモノ。否、そうなってしまった者。ソレに、かつて英雄と謳われた影はカケラも視えない。

血を浴び、欲に溺れ続ける殺戮者は、更に奥へと、その侵食を続ける。

その背後には常に黒い霧。視覚化される程に濃密な、死と呪いの真っ黒な霧を背負っている。

その形相は視るのもおぞましい程のモノだが、しかし、その容姿は驚く程に幼く見える。多く見積もっても、二十歳には届くまい。体格も華奢だ。

こんな少年が、これほどの惨劇を起こせるとは思えない。

思えないが、現に起きている。

 

それが既に起った事だというのであれば、

起るだけの何かがあったというだけの話、

それだけの事。


「・・・来たか、“狂人”」

施設の最奥、長の部屋には四人いた。

四人、一人多い。

「?」

つい先程まで、少なくともソレがこうしてこの相手を捉えるまでは、ここには確かに三人しかいなかった筈。彼の嗅覚がそう告げているのだから、間違いはない。

しかし、いた。

ソレの霧によって、ちょっとした結界が張ってある筈のここに。

ケダモノの同類だろうか?

いや、違う。

目の前の青年には、ちゃんとした人間らしさがある。その佇まいには気品があるとさえ言えた。

白の軍服を身に着けたその青年は、その両手に、大型の拳銃を持っていた。

夜の闇の中にあってもなお黒い、その内に銀の弾丸が秘められた、退魔の2丁拳銃。

「殺しすぎだ。血で自慢の鼻がヤラれたんだろう」

施設の責任者である穏田 実とその妻子を背後に庇い、男は名乗る。

いや、名乗ろうとした。


それが、ミス。


いや、ソレの前では、全てがミス。

あらゆる条理の外に、ソレはいるのだった。

ヒトが関わるべきものでは無いし、関われるモノでも無い。

「“守人”メンバー、っ!?」

何か喋っていたみたいだが、ソレには興味のない事だ。さっさとバラしてしまった。

「ひっ!? どうか!? 家族だけはっ!」

以下、前文。

「ハッハー!! ヒィィハァァァッ!!」

一度、高らかに哂って、忽然と、ソレは姿を消した。

その跡に、一切の生を残さずに。

 

夜空の月は、そう、この惨劇に怒り、その顔を赤くしていたのかもしれない。


私達は生きる事に飽きている


時は、20XX年。

数十年前から国家的な問題として取り上げられながらも、具体的な解決が一切なされないままに先延ばしにされ続けていた『高齢者問題』。

そのツケは、とうとう廻ってきた。

国民の高齢者人口の割合は、遂に国体の維持の限界近くにまで達し、今尚、増加の一途を辿っている。

事態を重く見た日本政府は、国家存亡の危機であるとして、非公式人口調整部隊、通称“非人”を組織し、その任務に当たらせている。

国家ぐるみで隠蔽されている為、その詳細は不明だが、彼等、“非人”メンバーは、国民には到底容認しえない程の絶大な権限を国から与えられ、

社会の影で、人を屠り続けているという。

そんな非道が横行する日本。

とある県の、とある住宅街。

早朝の人気のない道を歩く、場違いな三人がいた。

「・・・世も末ね」

道行く人影は男性が一人、女性が二人。

男性の左側、彼の腕を半ば強引に自らのものと組んでいる女性が、その男性に言った。

「・・・お前がそれを言うと、洒落で済まないんだぞ? そこんトコ、ちゃあんと解ってるのか? リリス?」

呆れ顔で答えた男性。

年齢の判別しにくい、甘い顔立ちをした長身痩躯。その肌はやや浅黒い。問題なのはその服装だ。

黒スーツに白シャツ、ここまではいいだろうが、黒ネクタイというのはいただけない。

不吉な装いには、死の影がちらつくものだ。

もっとも、両隣の女性達も同じ服装なものだから、本人、全く気にした様子はない。

「アダム! それってば責任転嫁!」

リリスと呼ばれた女性は、とにかく美しい。いや、美し過ぎる。とてもではないが、ヒトには見えない程だ。

まぁ実際、ヒトではないのだが。

腰まで届く波打つ金髪。理想のスタイル。透けるような白い肌。いかにも気の強そうなその瞳は、しかしどこまでも青く澄んでいて、視る者の言葉を奪うには十分だ。

いや、ホントにもう、出来過ぎだって。

「・・・姉さん、光さんが困っていますよ。それから、ここでは光さんは光さんなのですから、光様と呼んで下さい。勿論、私の事はイヴ様と」

冗談なのか本気なのか、自らをイヴ様と呼んだ女性、こちらもまた美しい。どれ程かといえば、リリスとタメをはれる程です、ハイ。 

リリスを西洋的な美の化身とするならば、こちらは東洋のそれだ。

真っ直ぐな長い黒髪。リリスに匹敵するスタイル。暖かそうな肌。母性すら感じる優しげなその瞳は、吸い込まれそうな深い黒。

ちょっと、やり過ぎ。

何が、いや、誰がやり過ぎなのかと言えば、自分の好みを、妻の二人に徹底的に反映させたこの男。闇影 光と、この世界では、そう名乗っている。

付き従う二人は、彼がとある場所から呼び出した、簡単に言ってしまえば、召喚獣のような立場にある為、もとの名をそのまま使っている。

この、妖しすぎる三人組。

彼等の正体は、名前の段階でバレバレな気もするが、一応、秘密ということにしておこう。

「・・・半神風情が・・・随分とナマ言うじゃない?」

必要以上に顔を近づけ、イヴを威圧しようとするリリス。一触即発。

そそくさと離れる光。

「前妻ごときに威張られたくありませんね。光さんは私の物(誤字にあらず!)なんですから、姉さんこそ、“図書館”に帰られたらいかがです? 未練がましいですよ?」

対するイヴも、リリスの瞳を真っ直ぐに睨みつける。

肝心の夫はといえば、道端に座り込み、何処から取り出したのか、地図を広げて唸っている。

どうやら道に迷ったらしい。そして、止める気もないらしい。

「・・・おっかしいな? 確か前に来た時は、えぇっと・・・」

この三人には、様々な制約がある為、そして変な所に拘りもある為、こういうつまらない所での躓きはかなり多い。

それはともかく!

「はっ! アンタこそ後妻気取りな訳? アンタなんて精々愛人よ、あ・い・じ・んっ! アダムの正妻であるこのアタシとは、比べる事も出来ないわ!」

肩を竦めて、下目使いで、ヤレヤレとかやっているリリス。芸が細かい。

「正妻正妻ってもう耳タコですよ。私に先に寝取られた事、まだ根に持っているんですか? かつての事実が、全てを物語っているじゃないですか。

姉さんなんてオマケですよ、オ・マ・ケ」

対するイヴも、自信満々な態度でこれを迎え撃つ。

どうでもいいバカは、まだ唸っている。

「ここが、あそこで、あそこが、ここ。アレ、北ってどっちだっけ? そもそも現在地は?」

一度終われ、そして二度と蘇るな。バカは死んでも治らない。特にこのバカに至っては、何度死んだのかも解らない。

「・・・殺す」

「珍しく意見が合いますね」

各々、虚空より取り出したるは自らの力の象徴、即ち、武器だ。

リリスの手には巨大な鎌が、イヴの手には双剣が、後はただ、ぶつかるのみ。と、そこで、

「解ったぁああ!! つまり、これが、ああなんだああ!!」

突然立ち上がったバカが二人目掛けて猛突進。不意を突かれた二人は、とんでもないラリアートをその首に貰う事になった。

「がふっ!」

「くふっ!」

「解った! 解ったんだよ! そもそも県が違ってた! 隣だよ! 隣! ・・・アレ? どうしたんだ? 二人とも?」

昏倒した二人をその両腕に抱えながら、首を傾げ困惑する超級バカ。結果的には争いを収めてしまった訳だが、当然意図したものではない。いつだって、彼等はこんな調子だ。

バカの一言で説明がつく光。正反対なようで、実は何処までもソックリな姉妹。

ともあれ、この三人が今回の目的地へと辿り着くには、まだまだ時間が掛かりそうである。


大神 大地は、春も盛りな高校二年生。正気かよって名前だが、正真正銘女の子である。祖父にして名付け親でもある雷蔵に問い正すと、

「それしか考えつかんかった!」

とか平然と言ってくれちゃって、その後本人の前で爆笑してもくれちゃったものだから、その鼻面に正拳をくれてやったのは、

そう、あれは小学校五年生の夏の一コマだったか。

紹介を続けよう。

背はかなり高め、スタイルは並(本人かなり良い方にサバ読んでます)、クセのない黒髪は、短く整えてある。

これで中性的な顔立ちをしているものだから、未だに男性と間違われる事は日常茶飯事だ。そんな彼女だから、十七年間の人生、色気のある話は全く無しである。

もっとも、異性が彼女に寄ってこないのは、自らの眼に大きな原因があると、なんとも救いようのないことに、その本人が一番良く解っている。

とにもかくにも、絶望的なまでに、彼女は目付きが悪いのだ。

泣き喚く子供を慰めようとしてひきつけを起こさせてしまったり、雨に濡れる捨て猫を拾おうとして全速力で逃げられた事も、何度も、何度も、ある。

オンナノコの例に漏れずして、可愛いものが大好きな彼女は、とてもとても、それはそれは、傷ついている。

そんな憐れな大地だが、彼女の瞳を、真っ向から受け止められるツワモノならば、皆気付くだろう。

大地は、とてつもなく美しいのだ。 

鋭過ぎる眼差しが示す通り、彼女には磨き上げられた日本刀のような、有無を言わさぬカッコ良さがある。余談だが、大地は2月14日は、同性からのみ、モテモテだ。

本当に救いようがない。

そんな彼女と、祖父雷蔵が暮らす、S県S市にある大神家。

日曜日の午前4時。

まだ陽も昇らぬ早朝に、ムクリと起き上がる人影が、ベッドに一つ。大地だ。

「・・・」

無言で頭髪を掻き分けながら、ウトウトとまどろんでいる彼女は、残念ながらジャージ姿。

残念。

本当に、以下略。

「・・・良しっ!」

良く通る声で気合一声。ベッドを降り、部屋を出た。

大神家は平凡な二階立て、と言っては少し謙遜だ。確かに二階立てだが、家自体は二人暮しには広過ぎる程で、庭も池がある程には広い。

祖父雷蔵は昔何をやっていたのかは知らないが、随分と裕福らしい。大地の部屋は二階の一番奥にある。

そこから、左右をいくつかの部屋に挟まれながら、真っ直ぐな廊下が伸びていて、階段と繋がっている。

一階も、二階と似たような間取りだ。

一番奥が雷蔵の寝室、というかこの家、大地の部屋とキッチン、お風呂場、トイレ、リビング、ダイニングを除いて、その全てが雷蔵の趣味の部屋である。

七十過ぎても現役のエロジジイである祖父の道楽になど興味もないので、大地も最近では滅多に足を踏み入れたりはしないが。

 

それでも、覚えている。決して、忘れたりはしない。

 

それらの多くは、幼い大地をあやす為、祖父が不器用ながらも作ってくれた遊び場であり、どうもあの老人にとっては、彼女の笑顔こそが、何よりも大切らしいという事も。

まったく、思い出は無敵というやつだ。

これではいつまでたっても、何があっても、彼を嫌いになど、なれそうもない。

一階に降りると聞こえてくる、というか家中に響いている、祖父の大イビキに苦笑しながら、家を出た。


「はっ、はっ、はっ、はっ」

規則正しく息を継ぎながら、走る、走る。早朝のランニングは大地の日課だ。

しかし、彼女は知らない。幸運な事に。

川辺のコースを走る彼女の姿が、生きた都市伝説と化していることを。

それは、こんな伝説である。

毎朝、川辺を走る、透明人間がいるという。

遭遇者の談によれば、息継ぎや足音、目の前で不規則に踏み鳴らされる地面といった、いくつかの痕跡はともかく、その姿を視る事が出来ない、

ゴーストランナーがいるとかいないとか。

もっとも、これは目付きの悪い大地を、多くの人々が無意識に視ないようにしているとか、そんな救いようのない、可哀想な話では決してない。

単に彼女が速過ぎるだけ、それだけだ。  

そう、常人には捉えられない程に、彼女は速い。いや、その手の連中ですら、彼女の速度についてこられるのは極僅かだろう。

肝心な紹介が遅れて済まない限りだが、彼女、大神 大地は、常軌を逸した身体能力の持ち主である。無論、無自覚ではない。彼女は、ちゃんと自らの特異性を理解している。

毎朝のランニングは、その確認の為に行っている事だ。人気の無い時間帯を狙って、眼にも留まらぬ速さで、自らの能力を、確かめている。

ポツポツと、目撃者ならぬ遭遇者を出してしまっているのはご愛嬌。彼女自身がバレてはいないと思っている為、その辺りの気配りは致命的にお粗末だ。

顔はおろか、姿の確認すらもままならないのというのが、唯一の救いである。

「・・・ふぅ」

一通りのメニューをこなして満足したのか、目的地の土手に寝そべって、明けてきた空を眺める大地。

早起きは三文の徳だという。

三文程度の徳ならば、自分は早起きなどしない、という人も多いだろうが、大地は違う。

何度見ても飽きる事のない、この澄んだ早朝の景色が、彼女の日課を、不動のものとしているのだ。

日の光を弾き始めた川、色付く緑は、その鮮やかな色彩を誇示し始める。

素肌に触れる空気は、ヒンヤリとしていて心地が良い。

青空は、今日も綺麗だ。

「・・・ははっ!」

なんの意味も無く、笑ってしまう。

確かに、こんなものは何処にだって有り触れてはいるのだろう。

値打ちなんてものは三文もない。

けれど、大地は、この瞬間が一番好きだ。 

さあ、今日も、一日が始まる。


この日、大地は、“光”と出逢う。


『昨夜、S県K市にある特別養護老人施設が何者かに襲われ、施設の従業員、収容者、総勢260名の全員が殺害されるというなんとも痛ましい事件が起きました』

「・・・最近、多いな」

その日の朝食時、いつもつけっぱなしにしてあるテレビから流れるのは、大地の言う通り、最近日増しになっている“非人”関連のニュースだろう。

これだけ国民にその存在が知られているのにもかかわらず、日本政府はいつも我関せずの一点張りだ。

その癖、現内閣の支持率は7割を越えているというのだから、何も疑うなと言う方が無理な話である。

『警視庁は監視カメラに残された映像から、犯人は“非人”の一人である可能性が高いとして、捜査を継続するとの事です』

「・・・ふんっ!」

いつも通りの決まり文句だ。“非人”のメンバーが逮捕されたなんていう話は、彼女も生まれて此の方ただの一度だって聞いた事は無い。つまりは、そういうことだ。

致命的な何かが狂っているのだと思う。

20XX年。日本のような非武装国家は、高齢化社会といった内側の問題に頭を抱えている為、外交の類はほとんどなく、ほぼ鎖国状態。

他の国々は、とうとう始めてしまった、戦争という名の愚かな最終行為を。おかげさまで、世界人口は激減だ。第三次大戦事体は、その実、一年も続かなかった。

勝利者無き戦争は自然消滅。参戦国家の全てが国ごと滅ぶという大惨事だ。

いよいよ終わりだ。

ヒトの世も。

生き残った国々の末路も、もう見えているのだろう。

その点、世界のなんと丈夫な事だろう。とてつもないとばっちりを受けた世界は、それでも、徐々に回復に向っているという。

それも当然なのだろうか、害虫達は自滅した。大地が生まれる、十年も前に大戦は終わっている。

時折起る、洒落にならない天災と、頻発する異常気象、そして“非人”のような人災を除けば、ここは大戦前の日本と何も変わらない。


嘘っぱちの平和の中で、今日も人々は生きている。 


「御免下さ~い」

なんとも気の抜けるような、間延びした声。

誰だろうか? こんな時間に来客とは珍しい。

回覧版、は昨日回したばかりだ。牛乳や新聞の配達にしては遅すぎるし、そもそも彼等は、こうして呼び出したりはしないだろう。

大体、牛乳も新聞も、大神家ではとってはいないのだし。

「そうだ、チャイム、壊れたままなんだっけ」

いつだったか、大地が加減を間違えて壊してしまって以来それっきり放置したままになっているのだ。修理をした所でまた壊すだけだろうと、雷蔵に諭されたのもある。

慌てて玄関に向かい、確認もせずに、ドアを開けた。無用心だと思われるかもしれないが、この時代、日本の治安はビックリするほど維持されているのだから仕方がない。

“非人”なんてものは例外中の例外だ。そもそも連中はその目的上、働けなくなった高齢者ばかりを狙う筈なのだから。

「どうもどうも、あの、俺たち」

直ぐに閉めた。

「あのっ!? ちょっとちょっと!?」 

加減を忘れてしまったせいか物凄い勢いでドアが閉まったがそんなことはどうでもいい。

(・・・“非人”!?)    

大地には見慣れない三人組だった。男が一人に女が二人。問題なのはその服装。黒のスーツに白のシャツ、黒いネクタイ。

テレビの報道などでほぼ全国民に知れ渡っている“非人”の装いと、ピッタリと一致していた。

そりゃあもう、余す事なく。

見慣れている筈も無い。

(三人! 三人もいた!?)

「いきなりそりゃあないでしょう? 困りますよ! こっちも!」

大地の内心を綺麗にトレースするその台詞は、外の妖しすぎる男のものだ。

「お願いですから! 話だけでも! ねぇ、ちょっと!?」

心臓の鼓動をこれ程感じたのは久しぶりだ。“非人”だなんて、そんなもの、彼女からすれば遠き日の大戦と同じ、酷い言い方をすれば他人事だったというのに。

それが今、僅か一枚のドアを隔てた向こうにいる。それも、三人。

(雷じいか!? 雷じいが狙いなのか!? けどあのエロジジイ無職だけど、バリバリ元気だってのに! それでもか!?)

間違いなく人生最大の危機的状況。

いつまでたっても結論が出ない思考。ようするに、彼女は今、大絶賛パニック状態だ。

(だあ! もう! アタシにどうしろっていうのよっ!)


「あのっ!? 聞いてます? 大神さん? ですよね? アレ? 間違えた?」

ドアの外から必死に呼びかけながら、急に不安げに後ろの二人に確認したのは、勿論光だ。途端、その頭を引っ叩かれる。二人から、同時に。頭を抱えて、悶絶してしまう。

「当ったり前でしょ! あれだけ散々苦労して、これでもまだ間違っているような事があれば・・・コノッ! コノッ!!」

怒りのオーラをその身に纏い、追い討ちを続けるのはリリスだ。どうやら、あれからもかなりの苦難が続いたらしい。

毎日が大冒険になってしまっているのは、間違いなく、彼のせいなのだろう。

「これでは、どうにもしようがありません。・・・開けますか?」

困り顔で提案するイヴの右拳からも煙が上がっている。幻覚だと思いたい。

「ん~」

まるで亀のように身を縮めながら、思案する光。と、

「・・・何をやっているの?」

何時の間にやら、外に出て来た大地はそんな三人の様子を見て、唖然としていた。


「いや~失礼。どうも始めまして、俺、闇影 光っていいます」

「リリスよ」

「イヴといいます」

「・・・はあ?」

ほとんどヤケになって、三人を玄関へと通した大地は、未だに混乱していた。

まるで分からない。

何が分からないって、それすらも分からないのだから、本当に何も分からない。

「それで、家に何かごようですか?」

「いや、俺達、見ての通りの者なんですけれども・・・」

途端だった。

一瞬で突き出された大地の拳は、光の顔面一ミリ手前で急停止。拳風が、彼の髪を泳がせた。

「・・・へっ?」

「雷じいは、殺させない」

一段と鋭い眼差しは、光を真っ直ぐに捉えている。

そこに彼は、彼女の覚悟を見て取って、慌てた。

「違う! 違うって! 俺達は確かに“非人”だけど、何も君のお爺さんを殺したりなんてしないよ! 約束する! むしろ逆なんだってば!」

「・・・」

一切の油断無く、こちらを窺う大地。

こういういざって時の覚悟の速さはやっぱり変わらないなと、彼は内心で苦笑した。

大地の、その突然の豹変に全く驚く事も無く、後ろの二人が続けた。

「アタシ達はね、アンタ達を守りに来たのよ」

「あなた方二人には、いえ、特にあなたには、死んで貰っては困るのです」

「・・・どういう事?」

未だ戦闘体勢を解かない大地。彼女は気付いていない。

その瞳が、金色に変わっているという事を、

その肌が、褐色に変わっているという事を、

そして、その髪が長く伸び、真紅に変わっているという事も、

大神 大地もまた、ヒトではないのだという事を。

(凄い力、流石ってとこかしら?)

(ふふっ! 血が騒ぎます!)

リリスもイヴも、軽い高揚感すらあるらしい。この場、集った女性達は、どうにも血の気が多過ぎる。苦笑しながら、光は場を納める事にした。

後ろの二人を、手で制しながら、言う。

「雷じいに伝えてくれ、光が来たってね。それで、全部分かる」


「久しぶりのお茶だわ! 生き返る~」

「歳ですか? 姉さん?」

「・・・はあ」

リビングには、すっかり元に戻った大地(本人自覚なし)と、リリスとイヴがいた。

あれから、あの騒ぎの中ですら大イビキだった祖父を叩き起こし、事情を聞いてみればあの狸ジジイ。

「・・・言っとらんかったか? 客が来るって? 連中“非人”の、それもトップ3じゃから、ビビる事間違いない無し~って、笑顔で言ったような記憶が、はて?

あるような? いや、ないような?」

叩きのめした、容赦なく。

まったく、可愛い孫が、本気になって心配したというのに、あのクソエロジジイ! 

ボコボコに変形させた雷じいの部屋に、光とかいう男を通して、お茶を出して、そしてこっちでもお茶を用意して、今に至る。

「いきなり喧嘩? 仲悪いんだね、アンタ達」

今日は休日の筈だ。それがどうしてこうも朝っぱらから疲れているのか、自分は。その上、

「わかる!?」

「そうなんですよ!?」

とか、テーブルから身を乗り出してくる付き人だとかいうこの二人、対応に困る。

「まったく、このコったら身の程も弁えないアバズレで」

「いつまで経っても中身が子供なんです」

「・・・」

自分にどう答えろというのか! だが、諦めてはいけない。これは、彼女にとっては待ちに待った念願のチャンスなのだ。

この二人とならば、夢にまで見た、女の子同士の会話というヤツが出来る筈!

生まれ育って十七年、永かった。全てはこの憎い目玉のせいだったが、この二人(多分さっきの男も)は自分を不当に恐がったりはしていないのだ!

なんて素晴らしい! とか感動に打ち震えていると、あ、涙が、

「ちょっとアンタ? 大丈夫?」

「溜めていたものがあるようですね。どうぞ、私とこのバカ姉の事はお気になさらず、存分にお泣き下さい。愚痴ぐらいなら、お聴きしますよ?」

心配そうに覗き込んでくる二人。

「・・・うっ・・・うっ・・・」

嗚咽を堪え、その腕で目元を押さえ、肩を震わせながら、泣く大地。大地には大変失礼かもしれないが、これは、いわゆる、男泣きである。


「久しぶりじゃのう! どれ位ぶりかの!? 百年か!? 千年か!?」

「・・・変わらないなぁ、雷じい」

高そうな掛け軸とか壷とかが沢山あるだだっ広い和室。ゴツイ木製テーブルを挟んだ光の向い側。そこに、老人とは思えぬ気迫を纏った、着物姿の怪物じじいがいた。

昔はさぞモテたであろう男前な容姿。ゴツゴツした逞しい体。硬そうな白髪が、荒々しく逆立っている。床の間に飾ってある大槌は、レプリカだと思いたいがホンモノだろう。

あんな物騒なモノを常に現界させておく雷蔵の、その神経を疑ってしまう。とはいえ、懐旧の念は尽きない。この大神、いや闇影 雷蔵は光の戸籍上の養父にあたる人で、

昔は随分と世話になった人でもある。いや、やはりヒトではないのだが。断っておくが、別に大地が光の娘という訳ではない。

いや考えようによってはそうとれなくもないのだが、とにかく違う。更に言ってしまえば、雷蔵の孫という訳でもないのだ。

矛盾した話かもしれないが、遡って考えれば、大地は雷蔵の祖母に当たる。彼女はとある事情から、光が雷蔵に預け、育てて貰っていたのである。

無論、大地はまったく知らない事だが。

「それで? 今日はどちらの顔で来た? 闇影の当主としてか? それとも?」

闇影とは、古来より日本を影で支え続けている忍びの一族で、国の非公式人口調整部隊である“非人”の多くは、この一族と関わりを持つ者達で構成されている。

「・・・判ってるんだろ?」 

「大地の事か」

静かに言って、なにやら、感慨深げに頷く老人。

「・・・お役御免と、いう訳か」

「いやいや! 違う! 違うって! 全く、その早合点はアンタ譲りだったのか」

慌てて否定する光。どうにも今日は、このキャラクターで行けという事らしい。

雷蔵は首を傾げる。

「なら、一体何しに来たんじゃお前? まさか、今更親心か? 止めとけ止めとけ、子育ては甘くない」

「・・・はぁ・・・“狂人”が、アンタらを狙ってる」

珍しく、真面目な様子の光。

「“狂人”? あぁ、篝火の坊やか。そりゃまた随分と、早かったの。元“非人”の英雄カガリビも、とうとう罪に喰われおったか」

軽い口調だが、雷蔵も随分と辛そうだ。ゆっくりと自らの大槌を振り返り、言う。

「ならばこそ、お前の出番じゃない。先代闇影当主として、そして元“非人”リーダーとしても、ワシが直々に引導を渡す。お前は、帰れ」

どうやら、孫に譲ったのは早計さだけではないらしい。光を見つめる雷蔵の瞳の鋭さは、大地のそれか、それ以上か。

「今じゃ、アイツはとんでもないジョーカーだ。雷じいだって危ういぜ? どうもな、“守人”まで動いているらしい。“非人”内部も妖しさ爆発だ。

アンタはともかく、大地にまで死なれちゃ困る」

「“守人”が?」

“守人”とは、“非人”の完全討伐を掲げる戦闘集団で、その戦力は“非人”に勝るとも劣らないとまで言われている実力派だ。

彼等もまた、その名称と在り方を除いては、そのほとんどが謎である。

「ニュース見たか? あの施設に、“守人”メンバーもいたらしいんだ。当然殺されたらしいんだけど、仲間をヤラれては黙ってはいない! とかなんとか」

“狂人”を危険なジョーカーとして扱っていたのは、“守人”も同じだ。

彼等もまた、慎重策を取っていたらしい。が、施設の殺戮劇を見過ごせなかったメンバーの一人が独断で潜入、結果惨殺されるという事態になった。

「なんでも、リーダー直々に“狂人”を討ちに出るんだってさ。賢明だよな。正直な話、数で攻めたって全滅するだけだ。それに」

「それに?」

「幾ら天使長だってな、無理だよ。アイツはホントにジョーカーなんだ。多分あのお偉い天使様だって承知の上なんだろうぜ。刃を倒せるのは、俺だけだ。

あ、後はリリスかな? なははっ!」

無闇に明るい光のこの振る舞いは、雷蔵には見え透いている。

「・・・惚気は他所でやれ、全く。だが、それ程なのか、篝火 刃は?」

「英雄カガリビは伊達じゃないさ。ホント、正義バカでさ。なんで“非人”にいんの? ってヤツだったし。一途だからバカみたいに強くなってさ。

それで、あのザマだろ? ・・・もう、放置出来ないよ。約束したしな、刃と」

「そうか。それで? これからどうするつもりじゃ?」

雷蔵の言葉には、隠そうともしない優しさがあった。泣けてきそうだ。親友殺しは、かなり辛い。

「どうもな、ヤマタのヤツも、そろそろ妖しいんだ。最悪、一度にぶつかるかもしれないし、少なくとも、刃の狙いは大地の筈だ。傍にいようと思う」

「・・・そうか。何、部屋は幾らでも余っとる。好きなところを使うといい」

「・・・助かる」


「家に泊まるぅ!? “非人”が!? 三人も!? えっ!? ホント!?」

「うん、ホント」

リリスとイヴと、三人でトランプ遊びをしていた大地は、寝耳に水だと飛び上がる。

ちなみに、ゲームは大富豪。

「そんな事より、パスでいいの? 大地?」

ゲームに熱中しているらしいリリスは大真面目で訊ねてくるが、今はそれどころではない!    

女の子同士のお泊り会なんて夢のようなイベントは大歓迎だとしても、こんな年頃の男と一つ屋根の下なんてのは断固拒否だ!

徹底抗戦だ! 当たり前だ! 自分はそんなにこなれてない!

「ええっと、パス! パスでいい!」

「やたっ! 大富豪!」

「大地! 姉さんを先に上がらせてしまうとは、なんて不甲斐ない!」

何処かの王様みたいに嘆きながらも、どうやらイヴも上がった様子、と、いう事は、

「えっ!? アタシ大貧民!? そんな、負けなしだったのに~」

「ははっ、俺もまぜてよ。平民から仕切り直し、どう?」

笑顔で提案する光に、噛み付く大地。

「アタシは! まだ認めてない!」

ダブルミーニングだ。

「さ、始めましょ」

「そうしましょう」

大地の絶叫空しく、再開される大富豪。ああ、自分って本当はこういうキャラクターだったんだとか、心の何処かで思いつつ、仕方なく、ゲームに興じる事にする。

余談だが、この一敗を除いて、大地の完全勝利だった事を追加しておく。


「・・・朝、か」

いつも通りの時間に眼を覚ますと、そのまま部屋を出る大地。

と、彼女の部屋左手前の元空き部屋の前に、腕組み姿で、光が立っていた。

「おはよ」

「・・・驚いた、朝早いんだ、アンタも」

昨日は、あれからもお祭り騒ぎが続いた。昼と夜の料理勝負も大地の完全勝利に終わり、一息吐いて、そろそろ眠ろうかという時。

妻二人が夫と同室すると言って聞かず、そうはさせるかという大地と真っ正面からぶつかった。

そのとき、イヴが懐から取り出した謎の液体の正体に、迂闊にも気付けなかった彼女は、その力もあって大暴れ、仲裁無き、三人の酔っ払いの死闘が起きた。

筈なのだが、どうにも記憶がない。

ああ、頭が痛い。空のドラム缶を叩くような音がずっと聞こえている。いや、別に自分の頭が空だとか、そういう面白恥ずかしい事を言いたい訳でもなく。

ダメだ、思考が纏まらない。妙に寝汗を掻いたせいか、どうにも貧血みたいな症状が出ている。ようするに、今にも倒れそうだ。それでもなんとか、踏ん張ってみる。

うわ、今度は喉にせりあがってくるものが!

もうホント、最悪だ。

それにしても、おかしい。

飛び抜けて丈夫な筈の自分が酔いつぶれ、あろうことか、持ち越してしまうなどと、そうか、つまりあれは酒ではないという事だ。

当たり前だ。未成年者が、飲酒などしていい筈がない。

朝から随分と愉快な調子の大地に苦笑しつつも、念の為と、光は注意をしておく事にする。

「二人はまだ寝てるから、入室は厳禁だ。寝起きは容赦ないんだ、ホント」

結局同室したのか! 健全な女子高生が住む家で、一体ナニしてくれてやがったんだ、この男は! 酔いが一気に吹き飛んだ。

いや違った、そもそも自分は酔ってなんかいなかった。と、いう事にしておこう。ちょっと苦しいかもしれないが。

それは、ともかく、そうだ、コイツには、一応訊いておきたい事があったんだった。

「・・・なんで、二人な訳?」

「ぬっ! ぬぬぬっ・・・」

答えに詰ったのか、本気で唸り始めるバカ。

「見たとこさ、日本人だよね? アンタ。それがなんで、二人?」

20XX年になっても、日本に、一夫多妻制なんて物はない。

「・・・ぬ、ぬぅ・・・」

バカっぽいが、その表情は真剣だ。

唸る光を見、溜め息一つの大地。

「・・・別に、アタシには関係ないけどさ。あの二人も、なんだか凄く幸せそうだったし。それでもさ、アンタにとって、あの二人ってなんな訳?」

バカの唸りが、ピタリと止まる。

「ん? ああ、それなら即答出来る」

「?」

「タカラモノさ」   


いつものランニングコースまで、何故だか光がついてきた。

一通りの準備運動を終え、さぁこれからという時、


「ハイ、ストップ」


彼から静止の声が掛かった。

驚くべき事に、その一声で本当に体が止まってしまった。まるで非常口の表示のような間抜けな格好のまま、固定されてしまっている。身動き一つ、出来ない。

「なっ! 何したのアンタ!? つか! アタシにナニするつもり!? ハッ、まさか!」

どうやら、話す事は出来るらしい。

「あのね、俺って一体どう思われてる訳?」

ガクリとうな垂れる光。どうやら今の言葉は、相当に彼を傷付けたらしい。ちょっとだけ罪悪感。けれど、自分にはこれぐらい言う権利がある筈だ。

光の人間性はともかくとして、彼は男で、自分は女。そして今、自分が拘束されているのだから、悲鳴を上げないだけでも感謝して欲しいくらいである。

「とにかく! コレ、なんとかしなさいよ! あの二人に言い付けるわよ!」

もしもそんな事になったのなら、彼に明日は無い。夜明けを迎えられるのは、生者だけだ。

ああ! 命のなんと尊い事か! それはともかく。

「その前に一つ約束してくれ。今後、そのムチャクチャなランニングは一切禁止だ。ご近所様の噂になってるんだぞ? まぁ、知らなかったみたいだけど」

「えっ!? それはマズイかも、って! これじゃほとんど脅迫じゃない! この鬼畜! 非道男!」

「非道はともかく、鬼畜はそれこそヒドくない? 俺、これでも節操ある方だと思うし」

「その口が言ったのか!? 二人も女連れ込んどいて!?」

「ぬっ! ぬぅ・・・」

「いいからとにかく! 自由を返せ! アタシに!」

 

「・・・いきなりな話なんだけど」

いつものお気に入りの場所で、いつも通り夜明けを肌で感じている大地に、全身傷だらけの光が切り出した。年頃の女の子を拘束した罰である。罪には罰を、これ当然。

「・・・何?」

彼女の声は、とても低かった。

ここで不用意な発言でもしようものなら、今度こそ危ないなと、彼にだって判る。

どれ程のバカであろうとも自分の命の危険は本能的に判る筈なのだ。


・・・何かが欠けてでもいない限りは。


だから、本題を続けた。

「今のこの世界が、オカシイって思った事、ない?」

「・・・そう思っていない奴なんて、誰もいないと思うけど? 結果なんか見えてたのに、戦争なんか始めちゃってさ。この国だって、アンタ達みたいなのがいる始末だし」

吐き捨てるように言う大地。その様子は拗ねてしまった子供のようにも、見えなくもない。

「あ、えっといや、人間の話じゃなくてね。世界だよ、この世界。それに、人間がどうしようもないなんて事は、解り切ってた事だし」

「・・・世界?」

何を言ってるの? と、大地は態度でも物語っている。

「これだけ人間がバカをやってるのにさ、いつでも変わらず、そこにあってくれてる世界だよ? 感謝とか好意とかはあるけど、疑問に思ったりとかは、ないよ」

「そうそれ、それってさ、異常なんだよ」

そういうと思ったとでも言わんばかりだ。

「?」

「今もこうして、世界が保たれている事に、誰も疑問を抱かないのさ。あの大戦を直接知っている筈の連中ですら同じなんだよ。

あれだけの大破壊があったっていうのに、世界がまだ平然とここにある事を、誰も、疑問に思っていないんだ」

それは、気付いてはいけないこと。そう定められているのだ、とある場所に、明確に。

それを平然と告げる、この男。 

「え、だって、異常気象とか、色々・・・」

「君なら気付ける筈だよ、大地。だって今、この世界があるのは、他ならぬ君のおかげなんだから」

荒唐無稽も甚だしい。けれど、一度気付いてしまった矛盾が、彼女に真実を突きつける。

「あの時、世界は完全に破壊されたんだ。だから俺は、君を復活させた。“記録”から再生したんだ。大地母神ガイア、それが、君の正体だ」

異常と思えば、そうだ、大地には両親の記憶がない。雷蔵だって、自らの祖父という立場で、幼い頃にあやして貰ったという程度の記憶しかない。

他にあった筈の事柄は、皆混沌としていて繋がらないのだ。それをなぜ、一度も、疑問に思う事がなかったのか。

「“狂人”って呼ばれている元“非人”の英雄が、君を狙っているんだ。アイツは君を殺す事で世界を破壊しようとしている。

同じような目的を持って、君を狙っている奴は他にもたくさんいるんだ。これまでは、ずっとゼウスに任せっきりだったけれど、もうそうも言っていられない。

俺達は、君を守り、世界を守る為に来たんだ」

「ゼウス・・・」

それが一体誰を指しているのか、判ってしまう。

彼女の祖父、雷蔵だ。

名高きギリシアの最高神。

彼をして止められないような事態が迫っている?

「“狂人”を倒し、君の安全が確保されるまでの間、君を護りきる事を誓う。俺は、“記録の化身”、図書館長アダムだ」

その誓いは名乗りとともに。

それは、枷に非ず。

それは、誇りなり。


「まぁ取り敢えずは、今まで通りで」 

言いたい事を全部言って満足したのか、そういって唐突に話を打ち切ると、何処かへと駆けていった光。家に帰っても、彼はいなかった。

いつものシャワーも、今日だけは水温低め、というか水だ。

「・・・」

毎朝のもう一つの楽しみも、今はいまいち。超体育会系の大地にとって、運動後のシャワーといえば、どれだけ空腹であろうとも優先される程の至福の時だというのに。

水滴の中に、いつもよりも少しだけ長く、身を置いた。

それでも、とっくにショートしてしまったらしい思考回路は、いつまでたっても、一つの結論しか、提示してはくれない。

やはり、というか、なんというか、


自分は、人間ではない。


ショックだ、かなり。こんなの、ほとんど自分の存在否定に近いじゃないか。いや、人間社会からみれば、そうだ、自分の存在は否定されるべき、なのか。

そりゃあ確かに、自分の体が、説明が付かない程常識外れのモノであると、分かっていた。分かっていたんだ、と思う。それでも何処かで、甘えていたんだ、多分。

なんて事はない。自分もまた、当たり前の平穏を享受するばかりの、いや、それにしがみついている点ではそれ以下の、


嘘吐きだった。

 

こんな、世紀末の世界。彼に指摘されてようやく気付かされた、矛盾だらけの世界の中で、彼女もまた、嘘っぱちの平和の中にいた。

平和? なんだソレは? なんて醜くて汚くて、嘘ばかりの言葉。

とる者にとっては、不気味な程に秩序だっていて、

とる者にとっては、不条理な程に混沌としている、

そんな世界。

ここにあるとすれば、それは、時折の平穏が精一杯だろう。

その平穏が、あたかも未来永劫続くかのように錯覚し、

その錯覚が、この煉獄に、平和を夢想させてしまう。

 

自分達は、弱い。


違う、生き汚いだけなんだ。夢見がちな少女の方がまだまだ綺麗ってなもの。

 

自分達は、ただの、卑怯者だ。


それでも、そうだ。ならば、どうする? まだ、覚悟一つ出来ない卑怯者の自分は、どうすればいい? どう在るべきなんだ?

 

進んでいよう。


立ち止まる事だけは、あまりしたくない。時間は、有限なんだから。方向一つ判らない。前後だって当然判らないんだから、後退だってするだろう。

それでも、精一杯、醜く足掻いて、進み続ける。これが、卑怯な自分の、現実との、徹底抗戦だ。


まぁもっとも、最初から、先は視えているけれど、だからこそだ。


止まって、たまるか!


腹が減った。

飯が食べたい。

と、いう訳で、神業ともいえる制服への速着替えを済ませ、手早く三人分の朝食を用意して、

食卓に並べる、と、

「ふぁあ、おはよう、早いのね」

「おはようございます」

「・・・おはよう」

二人組みが降りてきた。

ノソノソと席に着くリリスと、サッと座るイヴ。動作一つとっても対照的。

雷蔵は、まだ寝ているのだろう。あの老人は、午後になるまでは起きて来ないのが自然だ。

テレビから流れるニュースをBGMに、黙々と食事を続ける三人。

昨日の事で、彼女の腕前を大いに認めている二人は、カニでも食べているかのように無言。  

そんな二人を前にして、どうにも落ち着かない。

あまり深く物事を考る方ではない自分が、今朝は珍しく哲学らしきモノをしてしまったせいか、なんというか、目の前のこの二人を、その、巻き込んでしまいたくなる。

だってこの二人は、いやアイツを含む三人は、自らの妄想の通りだとするならば、この手の話をするのには、最適な筈なのだ。話を聞く義務があるだろオイ! みたいな。

意を決して、声を掛ける。

「・・・あの、さ」

「ん?」

「はい?」

二人が箸を置いて注目する。

「例えばその、なんというか、デッカイ壁にブチ当たっちゃった時にさ、アンタ達は、一体どうしてるのかなぁ・・・なんて」

「壊すわ」

「壊しますね」

「・・・はい?」

だから、その即答はなんとかならないのか。自分はその、悔しいが、そんなに速くはないぞ、何がとまでは言わないけれど。

それにそんな二人揃って、次はどれにしようかなぁ、なんて、目が食べ物に釘付けじゃん。箸を置いてくれたのは、嬉しいんだけどさ。

それにしたって、何? それだけ? なら話はもう終わりよね? 食べていい? みたいなのは、ちょっとどうかと思う自分が間違ってるんですか?

そうですか。

美味しく食べてくれるのは、そりゃ、作った甲斐もあるってもんだし、素直に嬉しいけれどもさ。何、そんなに簡単、つかバカな質問だった訳?

「えっと! じゃあさ! 壊すのがスゴイ難しい、つか壊せない壁だったりしたら? これならどうよ!?」

「壊すわ、壊せない壁なんてないし」

「壊しますね、壊せない壁なんてありませんし」

「・・・」

相変わらずの即答。

あ、コイツ等、強者なんだ。

悩みなんてそんなもの、あった事もないのでしょうね、ええそうですか。オイ、それはアタシの焼き魚だ、狙い澄ますな!

じゃなくて。なんか、相談相手を間違えてしまった感はあるけれど、つか、マトモな受け答えしてないよね!? 全部自分の考えの押し付けじゃん!?

て、そうだ、コイツ等ならどうするか、なんて、回りくどい訊き方をしたのは自分の方だった。恥知らず。なんというか、もういいや、バカバカしい。

ありがちだよなぁ、相談ネタってこういう帰結、なんて頭の片隅で考えながら、もう、訊くのは止めにした。そうさ! 自分は恥知らずの大バカですからね!

なんか、楽になっちゃったし。だから、まぁ折角だから別の、もっと重要な、不安材料を取り除いておきたい。

「・・・アンタ達の旦那、何処に行ったか、心当たりってある? いや、いきなり駆けて行っちゃってそれっきりで・・・」

「学校でしょ」

「学校ですね」

「え? 学校?」

声を揃え即答され、またしても理解が遅れてしまう。

あ、言っちゃった。

ともかく、不安的中、してしまったかもしれない。

「アンタの通ってる、なんだっけ? なんとか高校」

「御国高校ですよ、バカ姉さん」

「そうそこに・・・ってイヴ、アンタねぇ!」

「多少無理があるとは思いますが、今日から光さんも通います。あなたと、同じクラスに」

「ウチに!? アイツが!? え? だって制服とかは?」

イヴは、噛み付くリリスを、片手だけで抑えている。それでも全く崩れぬ微笑、とてもとても迫力がある!

「それも含めて、色々と準備があるんですよ。どうやら、話はもう光さんから聞いているようですね?

ガイアであるあなたを警護する為です。不自由な思いをさせてしまうかも知れませんが、我慢してあげて下さい」

「・・・聡いとか、そういう次元じゃないんだね、アンタ達」

もう、何も驚くまい。

イヴは、一度身を反らし、つんのめったリリスを、そのまま床へと叩きつける。容赦なし!

「ふがっ!!」

「私達はここに残ります。どうにも、最近は物騒ですからね。雷神に警護は不要だとは思いますが、念の為だとか」

「・・・そう」

押え付けられているリリスの顔が、段々と、赤から青へと変わっていく。どうも、息が出来ないらしい。ジタバタともがく手足が、段々と、弱く、

「・・・殺す気かっ!!」

「あら、私はいつだってその気ですよ? 姉さん?」

強引に戒めを解き、立ち上がったリリスは激しく怒っている。

無視して、さっさと学校に行く事にする。空の食器だけ流しに移し、鞄を持って、部屋を出る、その前に、

「行ってきます」

「ん、気をつけてね」

「はい、行ってらっしゃい」

返して直ぐに、取っ組み合いを始める姉妹。

なんだかんだで、仲がいいんだと思う。

苦笑しながら、家を出た。


学校までは徒歩で15分程だ。街外れの川の近くにある自宅から、市の中央部、駅の直ぐ近くにある校舎までの道を行く。

比較的人気のある学校で、千五百人近くいる全校生徒の内、約8割は市外から、電車でわざわざ通ってくる。

成績優良者は、都内の幾つかの有名大学へエスカレーター式で合格出来る、という事もあり、勤勉な学生が多く、校風は極々穏やかだ。

制服は基本的に自由。

高校で指定している制服を着用しても良いのだが、この制服があんまりにも地味で不評な為、ほとんどの生徒は、校則の許す範囲で、思い思いの服装でやって来る。

指定制服を身に着けているのは、大地のような、極少数の変わり者だけだ。

が、しかし! しかしである! 朝の段階で大地が感じていた不吉な予感は、朝のHRの転校生紹介において、見事に的中してしまったのだ。

「闇影 光です! みんな、よろしく!」

黒板にスラスラと名を書き(汚い字だ)声高らかに名乗ったこのバカは、なんと、黒スーツ白シャツ黒ネクタイという、例の格好のままだったのである!

繰り返すが、“非人”の装いはほぼ全国民に知れ渡っている。そのおかげで、担任含め、クラス全体ドン引きだ。皆一様に下を向いてしまっている。

つか、良く許可したもんだな、この学校。

可愛そうに、今年着任したばかりの、新米女性教師、新田 巴24歳独身は、それでも、懸命に自らの職務を真っ当しようとする。

「・・・えぇっと、少し変わった時期の転校ですが、ご両親の急な転勤の為だそうです」

「そうなんですよ~いや全く、勝手な両親でして」

茶番だ。もう耐えられない!

「アンタね! 一体何考えてそんな格好でどうどうと来てくれちゃってんのよ!」

立ち上がった勇者大地に、この時ばかりは、視線が集まる。

(無謀だ! 止めるんだ大神さん!)

(彼女なら、きっとやってくれる筈だわ!)

(あれ? あんなコ、ウチのクラスにいたっけ?)

クラスメイトの様々な思いを一身に受け、大地、大地に立つ! おそまつ。

「なに考えてって、俺、これしか持ってないんだけど?」

何をバカな事を、なんて視線をバカから向けられる事程、ムカつく事はない。

「ウチはね! 私服登校だって全然構わないのよ! 無理にそんな制服着てくる必要なんてないの!」

肩を怒らせ、戦う勇者大地。

担任含む、クラス全員が真剣に見守る中、光は、

「や、だから、制服も何も、俺、服はこれしか持ってないんだよ。知ってるかもしれないけどね、着用義務もあんの、これ」

暗黙の了解を平然と確定事項にする大バカ。

「そんな義務初めて知ったわ! つかね、アンタね! 少しは隠そうとか全然全くこれっぽちも思わない訳!?」

自らの高校生活、始まって以来の大活躍を見せる大地。

そう、まるでフランスはオルレアンの少女のようだ。

フォロー! ミー! みたいな。

鎧を身に着けてもいないし、

大きな旗を振ってもいないが、

己の使命を果たそうとしている、その姿勢が素晴らしい。

「なんでさ、俺、別にやましい事してないし」 

シンと静まり帰る教室。

大地は、クラス全員一致のツッコミを悟る。

別に、啓示を受けたわけでもないけれど。

「国家的犯罪者の言う事か!!」


昼休み、自主的に教室を離れ、屋上にやってきた大地は、やたら上機嫌で後からノコノコついて来た、“非人”リーダーに振り返る。

彼女の背後が揺れている。凄い殺気だ。

それに気付かないこのバカは余程鈍感なのか、やっぱりバカなのだろう。

「や~、どれ位ぶりだろうな、学生生活なんて。やっぱ良いもんだなぁ、うん」

「・・・アンタのせいで」

自覚の成果か、一瞬でガイア化する大地。余談だが、大地母神の特性によって、彼女の貧相なスタイルも、この時ばかりは無敵になる。ホントに余談。

「アンタのせいで! アタシの高校生活はメチャクチャよ!」

正中線八段付き(ガイアVer.)をモロに喰らい、声もなく崩れ落ちる犯罪者。

「アタシはただ! 静かに暮らしたいだけなのに!!」

何処かで聞いたような台詞を絶叫する彼女の肩を、何時の間に起き上がったのか、平穏の破壊者がポンと叩く。

「そんなもんだよ、人生なんて」

見事過ぎる回し蹴りが後頭部に命中、目標、沈黙。

「アンタって奴は、アンタって奴は・・・」

よろめきながらも、なんとか立ち上がる人類の祖。

「見事な回し蹴りだ。と、それはともかく」

一度、頭開いてやろうかと半ば以上本気で考え、我慢する。雷じい、アタシ大人になったよ。

「・・・何よ?」

ようやく怒りが収まったのか、元の姿へと戻る大地。

「昼飯、喰わなくていいのか?」

いっつも空回りしている気がするのは、自分だけだろうか?

「・・・はぁ、ホラ」

言って彼女が投げ渡したのは、弁当箱。

「うわ! なんだなんだ嬉しいな。手作りだよな!? うお! すげぇ!」

「・・・」

目の前の人物とマトモなコミュニケーションをとる事など、不可能なのだと悟る。悟ったから、まぁ、一緒に昼食を取る事にする。

「うまいうまい! すげぇうまい! 死角ないのなぁ、ホント」

「・・・黙って喰え」

大地は、殺人的な目付きの悪さを除けば、ほぼ完璧な女性像の具現だ。

繰り返してしまえば、彼女の瞳を真っ向から受け止められる者にとって、彼女はまさに理想と言ってもいいのだから。

このネタも随分としつこいが、それほどなのだ。まぁもっとも、今の所そんなのは目の前のバカと、家にいる連中くらいのものだが。

穏やかに過ぎていく昼休み。

自らの命が狙われている事など、つい忘れてしまいそうだ。

認めたくはないが、このバカが傍にいると、安心出来てしまう。彼に寄り添うあの二人の気持ちも、なんとなく、解るような気も、しないでもなくもないような。

「・・・ははっ!」

「ん? なんだ? 俺の顔に、米でも付いてるか?」

「・・・バ~カ」

首を傾げる彼を、軽く小突いて、また笑った。

凄く、自然で、暖かな時間。


「・・・体育館に行きたい?」

 大地英雄説が本人の預かり知らぬ所で学校中に広まっている中、放課後の2-Aの教室で、大地が怪訝な顔をする。

「そりゃまた、なんで?」

「お前帰宅部だろ? 暇な時間があるなら、有意義に使おうと思ってさ」

いつのまにやら、すっかりお前呼ばわりなのは気にしない事にした。

「・・・ふぅん、ま、いいや、付いて来なよ」


私立御国高校はかなり広い敷地を持っている。全部で5棟ある校舎に、六ヶ所で同時に野球が出来る程のグラウンド、そして、市民全員を収容出来る程の多目的巨大体育館。

今更な話だが、実は、この学園の総責任者は雷蔵だったりする。これもまた、大地は知らない事だが。この学園の規格外ぶりは、総責任者あってのものなのである。

「・・・デカいな」

「デカいよね、やっぱり」

休日には無料解放されたりもするこの体育館は、ちょっとしたアミューズメントパーク級なのだ。さしもの光も、呆然としている。

そんな体育館の第3運動場は、総畳敷きの柔道場である。先程まで練習をしていた柔道部員の姿は、今は無い。

やって来た光が、何を思ったのか、強引に人払いをしてしまったのである。

「危ないからね。他の人達にも、ここには近付かないように言っておいてくれるかな?」

とか言って、入り口には、『危険! 入るな!』の看板までご丁寧に提げてある。

何処から取り出したんだか。

動きやすい格好に、という事だったので、大地はいつものジャージに着替えている。

光は、もほやいうまでもない。

「・・・何するつもり?」

完全に二人っきりの状況だったりもするのだが、どうにもこれはそういう浮ついた状況でも無さそうだ。

「朝のランニング、禁止にしちゃったからな、その変わりさ。これから、対“狂人”用の模擬戦を行う。最初に断っておくけど、訓練だからといって、命の危険もかなりある。

嫌なら止めるけど、どうする?」

ここまでお膳立てしておいて、止めたければそれでも構わないという。確かコイツ、自分を守る為に来たとか言っていた筈なのに、命の危険を伴う訓練?

朝だって護衛対象? をほっぽりだしていった事といい。

どうにも掴めないが、目の前のちゃらんぽらんがここまでするという事は、何かしら意味があるのだろう。

それに多分、訓練っていうものは多かれ少なかれそういうものなのだろうし。

もしもの時には、目の前のバカがなんとかしてくれそうだし、というのは、少し甘え過ぎているか、気合を入れよう!

「おかげさまで人目も気にならないし、どうもアタシの為みたいだし、いいよ、やろう!」   

瞬時にガイア化する大地。ヤル気十分。

「・・・あ~えっと、俺、これからなりきっちゃうから、ちょっと引いちゃうかも知んないけど、俺は俺だから、安心してくれ」

「? うん」


「・・・クッ、ハハッ! シャーハァァ!」


それは全くのいきなりで、最初彼女は自らの身に何が起きたのかまるで解らなかった。

背中に鈍痛が走る、吹き飛ばされた?

「なっ! 何!?」

腹部、胸部、脚部に鈍痛、遮られる、呼吸。

怒涛の連撃はしかし、その一つとして捉えきれない。

頭部にも、一撃、飛びそうになる意識を、無理矢理保たせる。

気絶すれば、命にかかわると、彼女の本能が告げている。

これが、訓練?

バカか、こんなの、実戦以外のなんだっていうんだ?

空中で、いたぶられてるんだ!

四方八方からのあまりにも素早い襲撃だと今なら解る。

「ハッハハハハッ!! ハッハッ!!」

狂ったような哂い声、そう、コイツは哂ってる。自分をいたぶるのが、心底楽しくて仕方がないと、哂っているのだ。

誰だ、コイツは?

一瞬でハイになった思考のせいか、そんな簡単な認識もままならない。

一つだけ、解る。

このままでは、自分は、

「ふざっ! けるなっ!」

掴まえた、どこだか判らないがとにかく掴まえた。

そのまま、思いっきり叩きつけた。

「ギャヒッ!?」

「ああああああ!!」

強引に停止させた眼下の男に、空中で加速しながら、襲いかかる。

その、右拳を先頭に。

「グヒッ!? ガハッ!!」

今のは、確かに手応えがあった。

彼女は無意識で行ったのだろうが、今のはあり得ない一撃だ。

空中で加速?

どうやって?

空間でも蹴ったのか?

だっていうのに、彼女の渾身の一撃だったというのに、相手は圧し掛かったままの彼女をその怪力で振り払い、すぐさまその腕を振りかぶっている。

その手の先には、真っ黒な霧が視える。

醜く歪んだ形相も、視える。

なんだ、腹には風穴が空いているじゃないか。

アタシの手は、血に濡れている?

「ヒッハァアア!!」

「がっ!」

数瞬とはいえ、棒立ちしていた大地は、その抜き手をモロに受ける。

今までの比ではない激痛が走る。

それでも、彼女は、その両手でしっかりと、伸びきった腕を押さえた。 

停止する、両者。

(・・・霧が、燃えている?) 

チロチロと燃える、黒い炎。

大地はもちろん知らない事だが、英雄カカリビは霧状の炎を纏い、自在に変化させながら戦う無敗の戦士だった。

当時の炎は紅蓮。それがどうした、この黒は。それはまるで、地獄の炎。

「オラアアア!!」

蹴飛ばした。

大穴の空いた腹ではなく、その胸を、全力で。

「ゲヒッ! ガッ!」   

吹き飛ばされたケダモノは、そのまま床を転げ回った。

ヨロリと、立ち上がる。

それは、最初期の速さが嘘のように遅い。

形勢は逆転した! 

神速で肉迫し、トドメの一撃を!

「っ!?」

おかしい。

先程まで振りかぶっていた、右腕の感覚が、無い。

いや、これは、

「うっ! 腕っ!? アアアアアアアア!!」

「シャハハハハハッ!! ハハハッ!」

大地の右腕は宙を舞っていた。

肩から両断されたのだ。

先程まで相手を包んでいた黒霧は全て、長大な黒い焔刃と化している。

あれでは、間合いも何もない。

もう一振りされるだけで、自分は死んでしまうだろう。

 

途端、世界は、色を失った。

 

死んでしまう? 

自分が?

「シャッハアアアアア!!」

ゆっくりと振るわれる、凶刃。


(・・・ふざけるな)


空を斬る凶刃。

大地は、ケダモノの、隙だらけの背後にいた。 

その、今さっき失われた筈の右腕が、遅すぎる相手の、頭部を捉える。

「・・・ギ?」

「滅びろ」

陳腐な表現だが、トマトのように飛び散る頭部。

崩れ落ちる、死体。

元の姿へと戻る、自分の体。

終わってようやく、彼女は気付いた。

自分は今、何をした? 

自分は、光を!


「ハイ、ストップ」


何に驚いたって、その一言だけで、落ち着きを取り戻せた事に、何より驚いた。


気が点くと、彼はそこにいて、


「・・・ちょっと、刺激が強過ぎたかな?」

腹に大穴が開いた首無し死体は、いつの間にか消えていて、血だらけで放心している自分の真ん前に、闇影 光の、確かな姿がある。

「・・・光!!」

体が勝手に動いて、目の前の大バカに、つい抱きついてしまう。

今度こそだ。

自分は今、何をしている。

こんな散々な目に遭わされたっていうのに、どうして自分はその元凶の胸で、声を押し殺して泣いているのだろう?

「・・・ああ、その、ゴメンな?」

困った様子で頬を掻きながら、何事かを言ってる大バカ。

何を謝っているんだコイツは! 

これだけの事をしておいて、赦して貰おうだなんて、なんて都合のいい!

「知るか! 責任取って! しばらく泣かせろ!」

「・・・了解」


「おやおや、なんとも、御暑い事で」

唐突に響く、男の声。

本当に、彼と出たってからのこの速度はなんなのだろう、展開が速過ぎる。おちおち泣いてもいられないらしい。

「・・・ヤマタか、何しに来やがった?」

光の声には、隠そうともしない怒気があった。

コイツは今、自分の為に怒ってくれているんだと、大地は悟る。

「八股だなんて、人聞きの悪い。あなたと違って、僕はエキドナ一筋ですよ」

「取り込み中だ。冗談言いに来たんならサッサと帰れ」

「これは随分と冷たいですね。ねぇ、あなたもそうは思いませんか? ガイアさん?」

「!?」

驚き、振り向く。

男は、自分を庇う者と同じ服装をしていた。つまり、

「“非人”!?」

「その通り。僕は、八河 大蛇。そこの恐い御方の、御仲間です」

「帰れと言った」

「おお恐い」

言葉と態度はまるで正反対だ。不気味な程の余裕を感じる。一見、美少年と見えなくもない。

そう、少年だ。少なくとも、外見上はそう見えなくもない。だが、どうにも人間だというには、余りにも異質。

銀の釣り目の瞳孔は縦に割れているし、隠し切れていない牙だって覗いている。その肌も、人肌にしては青ざめすぎている。

なにより、その紫の頭髪は、まるで蛇のように、ユラユラと揺れていた。

「今日は、言伝に来たんですよ。伝えるまでは、帰れません」

聞く限りでは、いかにも申し訳なさそうだが、内心はまるで逆だろう。確認するまでもない。

「“狂人”討伐の勅命が、正式にあなたに下りました。一週間以内に始末せよ、との事です。大変ですね?」

「・・・言われるまでもない。刃は、俺が確かに殺す。そう伝えろ」

「承りました。それでは」

あっさりと、身を翻す大蛇。

「待て」

「なんです? あれだけ帰れと言っておいて、分からない人ですね」

ここまで言葉と裏腹な奴もいまい。振り返ったその顔は、予定通りだと言わんばかりだ。

「くさい芝居は止めろ」

言いながら光は、大地を後ろへと下がらせた。

その背中が、彼女に動くなと告げている。

その背中を、いつかも彼女は視た事があるような気がした。

「見抜かれましたか。けれどね、あなたは勘違いをしていますよ、“独裁者”。僕は何もあなたと戦いに来た訳じゃない。少しね、お頼みしたい事があっただけです」

大袈裟に両手を広げ、戦意がない事をアピールする少年。

「?」

「あの老人に伝えて下さい。『明日の正午、御国高校のグラウンドで待っている』とね」

老人? 解る、コイツ、

「雷じいの事!? アンタ! 雷じいに何するつもりよ!?」

大地は今にも飛び掛かりそうだ。

「なあに、決闘ですよ。無論、命懸けのね。もっとも、戦闘にすらならないでしょうがね。僕はね、ガイアさん。

あの老人がのうのうと生きているのが、どうしても我慢ならないんですよ。僕らを迫害した、あの老人がね!」

初めて、感情を顕にする大蛇。

「自業自得だろ? 実際、お前ら救いようがなかったんだから」

「何、ただのやつあたりですよ。僕はこれでも平和主義者ですからね。

本当なら放って置くつもりでしたが、なんでも、“狂人”が世界を滅ぼしてしまうらしいじゃないですか? その前に、やり残した事をやっておこうと思いましてね」

「全部言い訳だな。白状しろよ、お前も刃と同じだ。負が集まり過ぎてる。元が怪物だからな、抑え切れないんだろ? 向いてなかったんだよ。お前、今日でクビだ」

「それも結構。あなたの仰る通り、このままでは僕は自滅します。その前にかつての、エキドナの無念を晴らしたいんですよ」

光は、目の前の少年の真意を見抜いている。

復讐の念に駆り立てられているというのも、嘘ではないのだろうが、少年は、そう、死にたがっている。

ようするに、道連れか? 

迷惑極るやつあたりだ。

まぁ、それでも、

「お前が封じられてる間の悲劇だったからな。確かに、同情出来なくもない。いいぜ、場は整えてやる」

「っ!? 光!?」

驚愕する大地。

「だがな、一つ条件がある。これが呑めないようなら、この場で、俺がお前を殺す」

「・・・なんです?」

窺う少年、やはり、戦闘を避けたいというのは本当らしい。

「こちらから、護衛を二人就ける。いいな?」

二人。あの二人か。大地の内心は穏やかではない。大丈夫なのだろうか? 本当に。

「あなたとそこのお嬢さんでさえなければ構いませんよ。僕も親殺しは、したくはありませんからね」

「?」

疑問符を浮かべる大地。

「よしっ! 交渉成立だな。約束は守る。今度こそ、帰っていいぜ?」

「それでは失礼します。おっとそれから」

そこで少年は、なぜか大地に、腰を折り、深く、頭を下げた。

「復活おめでとうございます。お見事でしたよ、母さん」

「っ!?」

確かに、少年は大地の事を母だと呼んだ。

そんなバカな! 

身に覚えなんて一度もないのに!

「・・・お前、今なんかバカな事考えてるだろ?」

少年が去り、再び道場に二人きりだ。

「え? だって、さっきアイツ、アタシの事」

確かに言ったよね? と迫る大地。

「怪物テュポーンは、ガイアとタルタロスの息子だからな。まぁでも安心しろ。少なくとも、お前は純潔だ」

「悪かったな! 純情で!」

「いや、言ってないし」

頬を掻く光。

そこで思い出したのか、心配そうに、俯く大地。

「・・・平気なの? 雷じいは?」

「日本神話でもギリシア神話でも、北欧神話でもだ、真っ向勝負じゃあ、勝った事はないんだよな・・・いいとこ相打ちだし」

「何言ってるんだかまるで分かんないんだけど、それってマズイんじゃ?」

「二人就けるって言ったろ? リリスとイヴがいれば、大丈夫だって」

それが一番心配なんだが、あの騒がしい姉妹に、あの異質過ぎた少年を、打倒しうるのか?

「あの二人って、そんなに強いの?」

「強い強い。名高い怪物の大ポカだぜ? 目が眩んでたのか、余程自信があったのか。俺以外には負けないとでも思ったのかね?」   

光は、安心してくれて良いという。

雷蔵の事だけに、大地は随分と弱気にならざるをえない。

「・・・でも、なんかアイツ、大切な人が殺されたって。そういう相手って、凄く強いんじゃないの?」

「・・・は?」

何言ってんの? と言わんばかりの光。

「いやだから、エキドナとかいう」

「死んでないけど?」

「・・・え?」

今度は大地の番だ。

「だから、ピンピンしてるって。“神々の黄昏”はとっくの昔に終わってて、もう再生も済んでるんだからさ。毎日、イチャついてんじゃねぇの?」

「・・・」

何それ? と言わんばかりの大地。

「バカげてるんだよ、ホント。だからさ、怪物夫婦の事は頼りになる連中に任せてさ。今は、こっちの事だ」

そういって大地を見つめる彼の瞳は、やけに真剣だ。

「・・・何よ?」

僅かに、後ずさる大地。

「いや、なんか流れちゃってるみたいだけどさ。もういいのか? 泣かなくて?」

「・・・」

急に俯く大地、心なしか、震えているようにも見える。

「あ、そうそう。ホンモノは、さっきのなんか比べ物にならない程に強いんだから、手ぇ出しちゃダメだからな?」

「・・・」

大地はゆっくりと顔を上げ、光を見つめた。

「ん?」

きょとんとしている彼に、毒気を抜かれてしまう。

なんとなく、溜め息一つ。

「・・・なんか、色々言いたかったんだけど、やっぱりいいや。帰ろう、光」

「・・・いつのまに呼び捨てに?」


その気安さが嬉しかったのは、彼だけの秘密だ。

照れ臭いから。

ただ感じる、その胸の温かさを。


「理想ってやつはさ、あんまりにも綺麗だから、一度夢見てしまうと、どうしたって忘れられないんだ。少なくとも、俺にはね」

「・・・そんなもんかね?」


“非人”選抜の為の最終試験、史上最も過酷と言われたサバイバルを無傷で突破した二人は、とある山奥の中で、焚き火を囲んでいた。 

後は、夜明けを待つばかりだ。

二名一組、全50チームで行われたちょっとした戦争のような殺し合いは、上の予想を大きく裏切り、開始僅か一週間で、この二人の勝利で終わった。


闇影を名乗る、経歴一切不明の謎の男、光。 


無名の出ながら、神がかった強さと強靭な精神力で、既に頭角を現し始めていた後の英雄、篝火 刃。

しかも、ぐうたらな光のおかげで、二人が行動を起こしたのは四日目からだ。

実質三日で、他のチームを壊滅させた事になる。


「別に正義を語る訳じゃない。俺は修羅になろうとしてる。沢山の罪の無い人達を殺そうとしてる」


ただ一人で、62名もの“非人”候補生を打ち倒した、行き過ぎたその強さ、その裏にはいつだって、


「それでも、いつか俺達みたいなのがいらなくなる世界がやってくる。そう信じたい」

「・・・」


血生臭い出来事の後だからなのか、それとも、これも夜闇を照らす炎の力か、どうにも、感傷的になってしまう。


「俺は理想を捨てられない。だから、おそらく長くない。・・・光、その時は」

「・・・はぁ」


五年もの歳月を、ともにしてきた。

初めて出逢った時、取っ組み合いの喧嘩になった。

その時から、目の前の少年は変わらない。   

変わらなかった、結局。


「・・・我慢が無くて、不器用で、これじゃ、先は視えてるな。まぁ、でも解った。その時は・・・」

「・・・」

「俺がちゃんと、裁いてやるよ」

「・・・頼んだ」

 

報せを聞いたのは、この三年後。

長かったのか、短かったのか。

どちらにせよ、やるべき事は、ただ一つ。


「オロチの奴め! ワシのミョルニルが喰らいたりんようじゃな!」

「・・・雷じい、明日は手出し厳禁だ。殺されるぞ?」

夕飯時、猛る雷蔵を、光が嗜める。

全員揃った所で、明日の事を切り出した、途端にこれだ。

頭が痛い。

「何を言うか! ワシ、をっ!!」

大地の鉄拳が直撃、雷蔵を黙らせる。

「ダメったらダメ! もし言い付けを破ったりしたら・・・」

「むむむ」

自らの身を心配すればこその、大地の言葉に、流石の雷蔵も言葉を詰らせる。

光は、付き人二人に振り返る。

「リリス、イヴ、いけるか?」

「当然」

「はい、ですが・・・」

即答するリリス。

が、イヴには、何か思う所があるらしい。

「あの怪物には、私の剣も通じません。使い魔達を一掃するのが限界でしょう。となると」

一度、言葉を切って、姉を見る。

「姉さん次第と言う事になります。それがもう心配で心配で」

「・・・何が言いたい訳?」

大変珍しく、リリスが問い正している。普段ならば、先に手が出る所だ。

「ハッキリ言ってしまえば、激甘な姉さんが手心を加えるんじゃないかという事です」

今度こそ手が飛んだ。

ヒラリと避わすイヴ。

「・・・ふんっ! 大丈夫よ。一撃で決めてやるわ」

「姉さんの大丈夫に、命なんて預けられるものですか」

激しい闘いが始まった。

一応は食事時な訳だが、二人とも、ちゃっかりと食事を終えている。

朝の反省点を踏まえているらしい。

いや単に、食器を片付けるのが面倒なだけかもしれないが。

「・・・アンタはどうするの?」

せっせと食器を片付けながら、光に尋ねる大地。

「予定よりもずっと早いんだけど、“狂人”を直接倒しに行く。居場所は解ってたんだ、最初から」

驚いたのは、雷蔵と大地だけだ。

姉妹は気にせずじゃれあっている。

「・・・決めたのか?」

問いかける雷蔵は、薄々は勘付いていたのだろう。

「立て込んできちゃったしな。引き延ばすのももう限界だ。“守人”のウルサイ奴が出てくる前に、カタを付ける」

「・・・そうか」

重々しく頷く雷蔵。

「・・・アタシは?」

皆、明日は戦いに赴くという。

自分に出来る事は、なんなのか。

「明日は学校サボって、俺と山登りだ。少し危険だけどな。一人でいるよりは、ずっと安全だから」

「・・・え?」

てっきり、自分だけ置いてけぼりなのかと思った大地は、意表を突かれる。

「・・・良いの?」

何を聞くまでも無い事をとでも、言わんばかりのバカ。

「良いも何も、俺の傍ほど、安全な場所なんて他に無いぜ? 護ってやるから、ついて来いよ、大地」

本当にこの男は、一体何様のつもりなのか。

「・・・光」

突如、発生する不穏な空気。

「・・・ふぅん、仲、いいのね? アダム?」

「本当に。もう、名で呼び合う仲ですか?」

凍りつく光。

「アンタっていっつもそうよね?」

「相変わらず、手が早いですね?」    

先程まで犬と猿だった二人は、共通の標的を捉えたらしい。

「話も決まったようじゃし、ワシは先に寝るぞ?」

さっさと退室していく雷蔵。年の功。

「らっ! 雷じい!?」

光の制止も届かない。

「大地、光、ですって?」

「お仕置きが必要です」

大地は、指一本動かせない。

なるほど、確かにこの二人、とてつもなく強いらしい。

今は、その矛先が自らに向いていない事だけが、唯一の救い。

二人の鬼神は、不義(無罪だ!)を正さんと、目の前の男のみを狙っていた。

「・・・すまない、誓いは守れそうもない。強く生きろ、大地」

なんとも情けない光の言葉。

裁決は、下った。   

 

「・・・ねぇ?」

「ん? どうした?」

それぞれの部屋へとむかう途中、何やら思い詰めた様子で、大地が光を呼び止めた。

暴れてスッキリしたのか、リリスとイヴは、先に熟睡している。

「・・・全部終わったら、やっぱり、いなくなっちゃうんだよね?」

大地が一番、自分に驚いている。

何を言っているのか、自分は!

「まぁ、これでも結構忙しいからなぁ・・・」

目の前のバカは、予想外だったのか、どうやら動揺しているらしい。

予想外は、こちらの方だ!

「・・・そっか」

「ああ、えっと、なんだ、その・・・だな」

言葉が見付からないらしい。

二人して、固まる。

元々、人付き合いになんて慣れてない。

十七年も生きてきて、祖父以外の優しさなんて、感じた事もなかった。

全く唐突に現れて、自分の日常をメチャクチャにしてくれたコイツ。

そんなコイツが壊した物の中には、きっと、自分を苛んでいた、言い知れぬ孤独も、あったのかもしれない。

祖父を軽んじている訳じゃない。

けど、目の前のコイツがいなくなってしまうのは、なんというか、凄くイヤだ。

明日、コイツは多分、自分を守り抜いてくれるだろう。

そうして、やってきた時と同じように、また唐突にいなくなるのだ。

それならそれで、大いに結構じゃないか。

元々、連中は厄介者。

それも、国一番の凶悪犯達だ。

むこうからいなくなってくれるというのなら、むしろ好都合の筈だ。

それでまた、平穏な日々がやってくる。

だっていうのに、このキモチは、一体なんなのだろう?


自分で自分が解らない。


昨日会ったばかりのこの男に、なんで自分は、こんなにも執着してしまっている?

 

イヤだ。

 

自分は、こんなにも弱かっただろうか?  

 

イヤだ。

 

そんな事は無い筈だ。

 

イヤだ。

 

他人に避けられ続けようとも、強く生きて来られた筈、だったのに!


「・・・イヤだ!」

言ってしまった。

なんて、不様。

大体コイツには、あの二人がいるじゃないか。

こんなキモチは、元から間違っていたんだ。

「・・・明日も早いからな。早く寝ろよ?」

彼女のワガママには答えずに、彼は部屋へと入っていった。

 

廊下には、嗚咽を漏らす、大地だけが残された。

 

翌日。

列車を乗り継ぐ事幾度か、S県の西、とある山の麓へと辿り着いた。

無人の広場を歩く。

「・・・」

「・・・」

いつもの格好の光と、白シャツ青ジーンズの大地。

二人、ともに無言。

今朝からずっと続いている、なんとも重苦しい空気。

ヒリヒリと痛む、大地の背中。先だって家を出る時、あの騒がしい二人組みに、なぜだか思いきり背中を叩かれたのだ。意味は、不明。未だにその背中が痛むのも、不明。

ホント、何を考えているのやら。

「・・・ここなの?」

自然、窺うような態度になってしまう大地。

「ん? ああ、この山奥にいる」

答える光。

そしてまた、沈黙。

昨夜もそうだったが、静かな光なんてものはとてつもなく貴重だ。いつだって、無闇に騒がしいこのバカが、ここにきて無言。

そう、それはまるで、仮面を脱いだ道化のように。こんな時になって気がついた。押し黙った彼は、凄く、寂しそうな表情をしているという事に。

続かない言葉のせいか? 違う。多分彼は、元々、そんなに明るい方じゃないのだろう。自分と同じだ。

暖かな周囲があるからこそ、そしてその周囲の大切さを知っているからこそ、子供のようにはしゃいでいた。

嬉しくて、楽しくて、とにかく幸せで仕方がないって、笑っていたのだ。

どうして自分が彼に惹かれるのか、今なら解る気がする。きっと自分は、彼となら、ずっと本当の意味で笑っていられると思ったから、だから!

この沈黙は、辛い。それも全ては、自分のせいか。思い出されるのは、やはり昨日の事。暖かった屋上と、廊下の冷たさ。

背中が、痛む。

その真意を、図らずも自分は悟ってしまっている。

あの二人は、そして、自分は、


「待っていたぞ、“独裁者”」

広場と山との境界、山道の入り口に、その男は立っていた。

「・・・え?」

大地は、一瞬自らの目を疑った。

白銀の徽章で飾られた純白の軍服。

その腰に、抜身の黄金の剣を懸けた青年は、肌の色こそ白いが、

「俺は遭いたくなかったね。“守人”リーダー、天司 悠輝、いや、大天使ミカエル殿なんかには」 

対峙する両者は、瓜二つだった。

二人の正体を鑑みれば、それも当然。

 

大天使ミカエル。

無数の天使達、その頂点に立つ者。

恒に光の軍勢の先頭に立ち、魔を打ち滅ぼし続ける、最強の神の御使い。

どんな聖典においても、彼以上の天使など存在しない。

強大な力を持つ魔王すらも、彼を前にすれば、古傷が疼き、恐怖に囚われるという。

 

「何、一度討つと言った手前、手ぶらで帰る訳にもいかんのでな。今日は、見届けに来た」

「・・・戦うつもりはないって?」

「当然だ」

“非人”と“守人”、相反する立場とは裏腹に、どうにもこの二人、仲が良いらしい。

話が分からず、ポカンとしている大地を、悠輝が見つめる。

「ところで、もしやとは思うが、彼女が?」 

肩を竦めながら、肯定する光。

「とは言っても、今じゃすっかり恋する乙女だけどな。困ってるんだ、俺も」

どの口がそんなフザケた事をほざいたのか!

「なっ! 何を言ってんのよっ! アタシはね! ・・・兄妹、そう! 折角出来た兄妹みたいな連中がいなくなっちゃうと、ちょっとだけ寂しいかなぁって、

そう言ってるだけなのよっ!」

嘘だ。

背中がズキズキ痛む。

あのやかましい二人はともかく、このバカを兄のようだと思った事など一度もない。なぜなら、

「・・・元気、出てきたな」

こうして、優しく笑い掛けてくるようなバカだからだ。

「・・・」

言葉を失ってしまう。なんだか、ムカつく。

「・・・ひょっとして、俺は邪魔者か?」

どうも、笑いを堪えているらしい悠輝。

これだから! 天使とかいう連中は! 全く、余計な気遣いをしてくれる!

「・・・ふんっ! いいわよ! アンタ達なんて、もう知るもんか!」

言って、ドカドカと進もうとする大地。


「ハイ、ストップ」


その動きが、止められる。確認しなくたって解る、彼だ。

「・・・どういうつもり? まさか、ここまで来て!?」

悠輝は、黙って様子を見守っている。

「大正解。悠輝が来た以上、俺が護衛する必要はない」

「っ!?」

そんな、コイツ!

動けぬ彼女の横を平然と通り過ぎ、振り返った彼の顔は、とても穏やかだった。

「すげぇ頼りになるからさ、ソイツ。お前はここまでだ、大地」

「・・・」

出せる筈の言葉が出ない。変わりにその瞳から零れたモノは、何だったのだろう。

黙って頬を濡らす大地。

背を向ける光。

それは、簡単すぎる意思表示。

「安心しろ、俺は絶対に死なないよ。誓いも守るさ。・・・大地を、頼んだ、悠輝」

「了解」


「・・・」


彼が消えていった山道を、見つめる二人。

彼女の心は、決まった。

もう、背中も痛まない。

あの時、二人は、  


『遠慮するな!』


と、そう言ったのだ。

お言葉に、甘えさせて戴こうじゃないか。

アイツは多分、このまま姿を消すつもりだ。

家に帰れば、また二人だけの生活が戻ってくるのだろう。 


(・・・ふざけるな)


そんな勝手は赦さない。

あのバカの首を締め上げて、ずっと云いたかった事を大声でぶつけてやる。

悠輝に任せた事で気を抜いたのか、彼の戒めも、今はない。

歩き始める大地。

立ち塞がる、悠輝。

「・・・どきなさいよ」

「どけないな」

ならば、戦うか。

変貌する大地。

瞳は金色に、

肌は褐色に、

髪は紅色に、

そして、心は、ただ真っ直ぐに。

完全にガイア化した大地を前にしても、悠輝は全く怯まない。

「見届けに来たって、言ってたじゃない? こんな所にいていいの?」

「それは確かにそうなんだが、立場上、アイツの言葉には逆らえない」

お互いに、一歩も譲らない。

「“守人”が、“非人”の言いなりになる訳?」

「理由はもっと深い所にある。それに元々、“守人”は“非人”の暴走を防ぐ為に組織したものだ。完全討伐など、一部の輩の、勝手な言い分に過ぎん」

僅かに身を屈め、構えを取る悠輝。

大地もそれに倣う。

「この先は危険だ。俺としても、君に死なれては困る。・・・言った所で、聞きそうも無さそうだがな?」    

不敵に笑う悠輝。先程までの、漏れ出していた力だけでも、彼女の足を竦ませるには十分だった。それが今、ゆっくりと、解き放たれようとしている。

底知れぬ力を肌で感じながら、それでも、大地は、

「当然!」

ゼロ距離、懐に飛び込んだ。

この男に、手加減は不要だ。

自分に武器は無い。

相手がその剣を抜く前に、一撃で!

「っ!!」

「ぐっ!」

上半身を吹き飛ばすつもりで放った一撃は、しかし、相手を殴り飛ばすだけに終わる。

とてつもない加護が、彼の全身にはかかっている。

衝撃は伝わったようだが、外傷の一つも見当たらない。

すぐさま体勢を立て直す悠輝。

マズイ!

間合いが空いてしまった。

拳をぶつけるには遠く、剣を振るには絶好の間合いだ! が、

「大したバカ力だ。だが!」

彼は剣を抜かず、格闘戦を挑んできた。

侮っている?

しかし、それならばチャンスが、

「・・・あっ、ぐっ・・・」

一瞬で、彼女は地面に突っ伏していた。

全身に鈍痛。

その癖、まだ自分は無傷だ。

ようするに、完全に、制圧された。

侮っていたのは、

「まだまだ、未熟」

何が起きたのかは解る。

ボコボコにされただけだ。

全て、彼女には視えていた。

だというのに、このザマだ。

「経験が足りなさ過ぎる。だから、簡単な技に騙されるんだ」

「・・・くっ!」

確かに、底知れぬ強さは感じていた。

だが、なぜだろう、勝てる気がしたのだ。

そう、あの剣さえ封じられれば勝てるという確信が、今でもある。

だというのに、

「ああああああああ!!」

再び、飛び掛る大地。

悠輝は、

「・・・仕方がない」

その剣を、振り下ろした。

「!?」

おかしい。

その黄金の剣は、確かに先程まで、その腰に懸かっていた筈。

それが、いつのまにか抜かれ、振り下ろされている? 

 

知識不足も、致命的な弱点だ。

大天使ミカエルを知るものならば、こんな迂闊はすまい。

彼の腰に懸かっていたのは、彼のシンボルでもある“鞘から抜かれた剣”。

そう、その剣は、既に抜かれていた!

 

咄嗟に腕を交差させ、身を庇う大地。

全身の力を一瞬で腕へと集中。

金剛にも迫る程の強度を持たせた。が、

 

これも迂闊だ。

ミカエルの黄金の剣は、あらゆるものを一刀両断にする、防ぐこと適わぬ神の剣。

 

図らずも、かつてのサタンと同じ過ちを犯した彼女は、両腕を切断され、その身にも、深い裂傷を負った。

「・・・あ」

斬り伏せられた彼女は、今度こそ動けない。

余りの激痛に、声も出ない。

たったの一太刀で、勝敗は決したのだ。

「・・・」

見下ろす悠輝は、辛そうな表情をしている。

彼とて、本意では無かったのだろう。

けれど、大地は止まらなかった。

叩きのめし、実力の差を見せ付けたにも拘らずだ。

 

そして、そんな彼女だから、止まらない。

(・・・まだ、まだ生きてる)

両腕を失い、胴体には殆ど致命傷と言ってもいい、大裂傷を負ってはいる。

けれど、まだ自分は生きている。

激痛で、思考が纏らない。

纏らないから、最初の感情だけで、動いた。

 

途端、世界は、色を失った。


「・・・なっ!?」

彼の背後に殺気。

つい先程まで彼の足元にいた筈の少女がいない。

(まだ、間に合う!)

振り向きながら、振るった剣は、空を斬る。 

右肩が、削られた。

今まで傷一つ負わなかった自分が、避ける事も出来なかった。

(速いっ!) 

続けざま、両腕を、まんべんなく削られた。

堪らず、剣を取り落してしまう。

「・・・ぐっ!」

(・・・なんて、奴だ)

胸に、足跡が残りそうな程の強烈な蹴り。

「・・・がっ!」

吹き飛ばされ、両腕を潰された彼は、受身も取れずに転がった。

朦朧とする視界の中、彼は捉えた。

その金色の瞳で真っ直ぐに自分を捉え、悠然と佇む女神を。

自分が斬り落としてやった筈の両腕は当然のように健在。

その身にあった筈の裂傷も何処へやらだ。

 

瞬間再生に近い、恐るべき回復能力。

大天使の加護すら打ち抜く、強大な力。

そして何より、圧倒的な、その速さ。

これが、大地母神ガイア。    

この世の原始のカタチにして、全てのカタチ有るモノの王。

こと身体能力において、彼女を上回るモノなど在り得ない。

 

ここに今度こそ、勝敗は決した。


「・・・なんで付いて来る訳?」

「何、ただの恩返しだ。そう警戒するな」

大地に付き従うナイトは、悠輝だ。大地の手荒い看護のおかげで、傷も完全に癒えている。

いや、さすがは大地母神。その治癒能力も、凄まじいものだった。

どうにも解らないと言った様子でグングンと進む荒っぽい女神と、

優しい笑みを浮かべながらその横にならぶ、大天使。

出会って間もない二人だというのに、もう立ち位置は決まっているらしい。

「・・・なんか、その顔で笑われるとムカつくんだけど?」

光と悠輝は本当にソックリだ。

だから、彼が笑っていると、その、胸がザワつく。

「この顔は生まれつきだ。それより」

「?」

足を止めずに、振り向く大地。相変わらず真っ直ぐな、その金色の瞳に見つめられ、言葉を失いそうになる。

無論、敗れたとはいえ大天使ミカエル、動揺を面に出すような彼ではない。

「きっ、君程の女性が、なぜあのような男を追いかける? 君ならば、他にいくらだって相手がいそうなものだが」

訂正、かなり動揺していた。ここまで強く、鮮やかな女性、そうはいないだろうにと、悠輝は思う。どうも、大地に貫かれたのは、その身だけではないらしい。   

その辺り、当然の如く鈍感な彼女は、どうやら気付いてはいないようだが。

「お生憎様、この十七年、アタシがモテたのはヴァレンタインだけよ」

彼女の、瞳の強さ。それは、寧ろ欠かす事の出来ない美点だとすら思っている悠輝には、永遠に分かるまい。大地が辿ってきた、その苦難の歴史など。

「そうか。皆、見る目がないのだな?」

「なっ!? 何をっ!?」

迂闊だった。

言った言葉もそうだが、それだけではない。

慣れない自身の称賛に、顔を真っ赤にする大地の、その背後。

ソレはいた。

醜い形相の中に混じっているのは、歓喜か? 

敵地において油断するなど、初めての経験だったのだが、それ程に、彼女は魅力的なのだと思う。だから、

(間に合え!)

肉を貫く、鈍い音。

「・・・え?」

ソレを倒すだけならば、構わず剣を振るえば良かった。

けれど、それでは同時に、彼女を殺してしまっていただろう。

ソレは、意外にも、あまりにも狡猾だった。

だから、彼女を突き飛ばした。

迷いなんて無かった。

窮地を逃れた大地が見たのは、

崩れ落ちる悠輝と、

その返り血を浴びて歓喜する、ただただ不快なケダモノ、

そして、


「ミカエル!!」


後から駆けつけてきた光の、何かを悔やむような顔だった。

自らの血溜りに沈んだ天使は、もう動かぬ表情で、満足そうに笑っていた。


場所は変わって、御国高校グラウンド。

平日の昼間だというのに、人気は皆無だ。

隔離されているのだろう。

騒々しい校内にあって、ここだけが異質。

その中で待ち受ける大蛇の前に、ゆっくりと歩いてくる人影が、三つ。

大した自信だ。

この自分の視界の中を、悠然と歩くとは、舐めているのだろうか?

必殺の先制全体攻撃なんていう反則業も、自分にはあるのだ。

それでも、せっかくなので、待ってみる事にする。

殺してしまうのは、とても簡単なのだから。

憮然とした表情で中央を歩いているのは、自らの宿敵、雷蔵だ。

その背中には、忘れもしない大雷槌、ミョルニル。

テュポーンにはゼウス。 

八岐大蛇には荒王。

ミドガルズオルムにはトール。

数多くの神話の中、様々な姿で挑み、そして阻まれた。

実力ならば、いつだって自分が圧倒的に勝っていた。

今だって、邪魔さえ入らなければ、簡単に打ち勝てる自信がある。

悪戯な三人の女神達に助力を頼んだり、

極上の神酒で酔い潰したりなどなどの、

なんとも姑息な手段さえ使われなければ、自分は確かに、勝っていた筈なのだ。

思い出すだけで、腹が立ってくる。

奴が卑怯だとか言うつもりはない。

あんなジジイにハメられた、かつての自分の情けなさが、赦せない。

当時の自分達が、身も心も怪物に成り下がっていた事など関係ない。

もしも自分さえ無事であったなら、妻の悲劇だって、防げた筈なのだから。

あんな、ただ退治されるだけの惨めな運命から、救ってやれた筈なのに。

確かに、“神々の黄昏”は終わり、再生もなった。

けれど、かつての暗い記憶が呼び起こす負の衝動を、どうしても抑える事が出来ないのだ。

あの“独裁者”の言う通りなのだろう。

自分は、また繰り返そうとしている。

だから本当は、ただ裁いて欲しかっただけなのかもしれない。

叶うならば、あの宿敵に。

それも無理な話だ。

今の自分に隙は無い。

あの身勝手な“独裁者”の邪魔も入らないというのであれば、これから起こる事は、ただの一方的な殺戮でしかない。


そこでようやく、彼は、彼女を認めた。


雷蔵の背後を歩く二つの人影。

その片方に、無視出来ない存在がいた。

(・・・まさか、彼女が来ようとは)

簡単に予想出来た筈なのに、なぜか自分は、彼女の存在を忘れていた。

だから、それが答えだ。

きっと、自分は、彼女を待っていた。

立ち止まる三人。

間は、10メートル程か。

「・・・エキドナは? どうしたのよ?」

訊ねたのは、リリスだ。雷蔵の左後方に控えている。 

(やはり、気になるらしい)

思っても、口には出さない。

「家で待っていますよ。僕一人で、十分だと思っていましたから」

「・・・ふぅん、大層な自信じゃない?」

リリスの、相手を見下すような、余裕たっぷりの仕草はいつもの事だ。

知っているから、気にしない。 

「それでは、始めましょうか? 三対一、大いに結構です」

大蛇が指を弾く、と、

「おっと、無数対三の間違いでした」

言うとおり、

視界を埋め尽くす程の無数の影の魔物達が、三人を囲んだ。

実体が曖昧で捉え難い影の魔物は、使い魔の中でも、かなりの上位にある。それを瞬時に、無尽蔵に排出するこの男。やはり、怪物。

そう、これらは召喚された訳ではないのだ。その身に巣くう極々一部を、表に解き放ったに過ぎない。

「ゼウス、言い付けは守るのよ? イヴ、遊んであげなさい」

囲まれつつも、リリスの余裕は崩れない。

頷く二人。

「・・・うむ」

「大変気分が悪いですが、了解です」

言いつつ、右に控えていたイヴは双剣を取り出す。

左手には、土の柄に鏡の刀身を持つ、草薙。

右手には、鏡の柄に土の刀身を持つ、群雲。

どちらも、とても戦闘用には見えない。

祭祀用だろうか?

否、それらは名高き神の剣。

「久しぶりに見ましたが、一度は、この身の内に取り込んだモノ。僕には通じませんよ?」

四方から迫る、漆黒の波。

波とは、本来、抗えぬモノを指す。

カタチ無き影の群れ、捉える事適わず。

 

必死の瞬間を前に、彼女、何処までも静。

決死の瞬間を前に、彼女、何処までも熱。

静寂が支配する。

熱病に犯される。

ココに一人の、剣士あり。

「・・・参ります」

 

イヴ。

“図書館”司書室長。

全ての存在の母。 

リリスを遠ざけ続けていたアダムが、世界創造の際、自らのパートナーとして創り出した、もう一つの、理想の女性像。

“知識の果実”の強奪者として有名な彼女だが、事実は違う。

あれは単に、リリスが楽しみに取って置いたプリンを、アダムと二人で食べてしまっただけの話。

色々な解釈がされているようだが、元はそんな、ただの笑い話だったのである。

姉妹のじゃれあいは、創世紀から変わらないのだ。

そんなイヴには、元々、武器と呼べるモノが無かった。

彼女の身を案じたアダムは、“記録”より再生した双剣を、彼女に与えた。

それが、今彼女の手に握られているモノだ。

“慈悲の風”、草薙。

“慈愛の雨”、群雲。

守護の任において最大の力を発揮する、これら慈しみの双剣は、その守護対象が持ち歩く事で、恒に最大の力を発揮する。

 

カタチ無き影の群れ、捉える事適わず?

 

何をバカな。

例えば、吹き抜ける風。

例えば、降りしきる雨。

それらは、世の全てを包み込む、不可避の剣!

 

舞うように振るわれたイヴの斬撃は、全ての影を悉く捉え、両断した。

しかし、

「・・・流石、ですね」

驚きはイヴのものだ。

避けられぬ剣は、大蛇にも確かに届いた。

が、それだけだ。

少年は、全ての影を掻き消された。

けれど、その身には、本当に小さな切り傷があるばかりだ。

それも、当然か、


「力不足ですよ。確かに、それらの剣は避けられない。しかし、所詮は包みこむだけのモノ、滅ぼすモノでもない限り、この僕は倒せない」

伝説によれば、怪物テュポーンは、その全長が地球の半周程もある大怪物。

巨大過ぎるその存在は、それに匹敵するだけの、純粋な火力なくしては倒せない。

 

バカげた話である。

そんな決定的とも言える力が、一体何処にあるというのか?


「遊びは終わりよ」

 

ここにある。

そう、最初から、決着はついていた。

気が点くと、少年の背後には、大鎌を携えたリリスがいた。

 

リリス。

“図書館”副館長。

“終末の女神”。

アダムの分身にして、彼の最初の妻。

彼から、長く放逐された過去を持ちながらも、未だ彼を支え続けている、美しき女神。

その手には、銀の柄の上下に三日月の刃を持ち、満月を模した、巨大なデスサイズ。

“終焉の幕”、ハルマゲドン。

ただ二つの“決定剣”、その一振りである。


「・・・まさか、この身で、終末を直に迎えようとは・・・」

呟きながら、ゆっくりと振り返った大蛇に、振り下ろされる、“終焉”。

たったの一撃で、彼は倒された。


「・・・はて? どうやら僕は、まだ生きているようですが?」

まだ、意識がある。

全身に満ちていた力も、

自分を苦しめていた負の衝動も、

綺麗に鳴りを潜めてはいるものの、体の方も、五体満足だ。

「・・・ふんっ!」

「やはり、こうなりましたか」

「ヤレヤレじゃな」

目の前には、不機嫌な様子でこちらと目を合わせようともしないリリスと、

呆れた様子の、イヴと雷蔵がいる。

訳が分からない。

確かに、終わったと思ったのだが。

「・・・どういうつもりです?」

とりあえず、訊いてみる。

と、リリスは、なんともバツが悪そうにしながら、

「・・・エキドナ、待ってるんでしょ?」

その理由の全てを、口にした。

「・・・は?」

思わず、気の抜けた声が出てしまう。

仕方がないだろう。

リリスはそれっきり、口を開こうともしない。

その態度が、自分にサッサと帰れと告げている。

その心中を察してしまった彼は、素直に、従う事にする。

が、この怪物、性格が悪いので、

「・・・それでは、失礼しますよ。お義母さん?」

と、言い残してから背を向けた。

エキドナは元々、リリスが娘のように可愛がっていた使い魔の一人なのだ。

「なっ!? 待ちなさいよ! アンタ!」

顔を真っ赤にして、今度こそはと大鎌を振り上げるリリスを、笑顔で羽交い絞めにするイヴ。

「離しなさい! イヴ!」

「面白いから、御免です」

照れ隠しである事ぐらい、妹の自分には見え透いている。

だから、親切心から、止めてあげているのだ。

ああ、なんて自分は姉思いなのだろうか?

単純に、この姉の邪魔をするのが快感だ、とかは一切ない自分は、妹の鏡だと思う。

騒がしい二人を他所に、雷蔵は、去って行く大蛇に声を掛ける。

「・・・今度、酒でも飲みに来い。この次は、二人でな?」

少年は振り返らずに、黙って手を上げる事で答えた。 

「・・・他の使い魔達が聞いたら、泣いて抗議しそうな一幕でしたね。もう少し、優しくしてあげたらどうですか? 姉さん?」

イヴの言うとおり、不遇の扱いを受けている憐れな連中は数多い。

それが、リリスの愛情の裏返しであるというのがまたタチが悪いのだ、ホントに。

これで“図書館”で待っている連中にいい土産話が出来たなぁとか、邪悪な笑みを浮かべているイヴに、気付いているのかいないのか、リリスは、

「・・・まぁ、考えなくはないわ」

とか、そっぽを向きながら答えた。

なんだかんだで激甘で、非情に徹しきれないこの姉は、実は、妹の誇りだったりもする。


“狂人”は、直ぐに見付かった。

光の当初の予想通り、あの約束の場所にいた。

驚いたのは、ソイツがあの時のように焚き火をしていた事。そして、

「・・・久しぶりだな、光」

人のように、言葉を発した事だ。

薪を燃やす炎はドス黒く、その背には呪いの霧が立ち込めてはいるものの、そこにいたのは間違いなく、かつての英雄、篝火 刃だった。

緋色のクセっ毛に、幼さが抜けきっていない顔。背もそれ程高くなく、体格も華奢だ。

異端の証明でもあるその緑の瞳に、昔のような意志の光は無く、暗く沈んではいるものの、見間違える筈もない。

あの日、ともに試練を勝ち抜き、照れ臭そうにしながらも、その理想をしっかりと語っていたあの少年が、今、光の目の前にいる。

「・・・刃、お前?」

大き過ぎる衝撃に、立ち尽くす光。

今のこの自分が、酷く場違いな様に感じられる。

自分は、“狂人”を倒し、かつての約束を守る為に、ここに来た筈。

だというのに、目の前にいる者の何処が狂っているというのか?

 

昔と変わらない。

 

あの日だってコイツは、その背中に負っていた筈だ。

自らの、エゴの対価を。

そう、それがどれだけのものであろうとも、結局はエゴでしかない。

そんな事は、自分も彼も承知の上だ。

その上で、背負った罪。

その重さに耐えながら、懸命に己の道を進み続けたあの少年と何が違う?

 

昔と変わっていない。

 

罪を背負う者として、自分が何処かで共感してしまっていた、あの頃の彼のままだ。

そうだ、少年は間違いなく、昔の延長線上にいる。

彼が覚悟していた、破滅の中に、いる。

「驚いてるな? 勘違いするなよ? いつからだったのかすら俺にはもうわからないが、俺はとっくに狂ってる。だから今日は、ここでこうして、待っていたんだ。

お前が来てくれるような、そんな気がして」

光を見上げる刃は、とても穏やかな顔をしていた。

そう、それはまるで、

「・・・」

声もなく、立ち尽くしたままの光。

「良かったよ。最後にこうして、またお前と逢えた。今の俺には、過ぎた贅沢さ」

刃は、ゆっくりと立ち上がる。

「・・・」

光は、動かない。いや、動けないと言ってもいい。

「だけど、遅かったな。お前らしくもないミスじゃないか? どうやら、連れもいるらしい」

「っ!?」

「俺からの、最後のお願いだ。これ以上、俺に殺させてくれるな。守り抜いて見せろ、光」   

完全に出遅れた。

もう、間に合わない!


「ハッハッー!! シャーハアッ!!」


狂い喜び、何処かへと消えた“狂人”。

追った先で、彼は見た。

置いて来た筈の彼女を庇い、崩れ落ちる親友の姿を!

堪らず、叫んだ。

「ミカエル!!」


駆けつけてきた大バカも、イカレたケダモノさえも、見向きもせずに、

大地は、悠輝のもとへと駆け寄った。

無防備な彼女の背中を、容赦なく襲うソレの爪。

今度こそ、光が防いだ。

その、光の障壁で。

初めての経験に驚いたのか、飛び退き、彼を窺うソレ。

そんな事は、本当にどうでもいい。

彼に告げたかった言葉とか、悠輝を傷付けたケダモノとか、油断した事の後悔とか、そんな事は、全部全部、本当にどうでもいい!

今は、ただ!

(まだ! 間に合わせてみせるっ!!)

悠輝の胸に、空いた大穴。

一目で判る、致命傷。

まさしく、死ぬ程痛かったのだろう。

けれど、それだっていい気味だ。

そうさ、胸がスッとして、不気味な程静かなくらいだ。

勝手に命を捨てて、

勝手に自分を守って、

勝手に満足して死のうだなんて、なんて勝手な!!

全く、そんな所まで似てるのか!?

 

そんな事は赦せない。 

 

聞こえているか?

 

そんな事は赦さない。

 

聴け! 世界よ!

 

こんな事は赦さないと、このアタシが、そう言ったのだ!


「ふざけてんじゃ、ねぇわよっ!!」

なんとも口汚い言葉とともに、振り下ろされた、大地の、爆発的なまでに光り輝くその手が、悠輝の胸を捉えた、その刹那、

「ぐわっ! はっ!」

斬り捨てられた雑魚キャラのような声を上げて、

勝手な天使が、飛び起きた!

「なっ! なんだっ!? 何が起きたっ!?」 

慌てた様子で、状況を把握しようとしている悠輝。 

光は、驚嘆するばかりだ。

(・・・蘇生、させやがった!)

 彼には解る。

大地は、死者の蘇生という、大き過ぎる矛盾を、強引に、世界に認めさせたのだ。

そのような荒業、彼すら、二の足を踏む!

本来、赦されてはならない行い。

立場上、光には、それをキャンセルする義務もある、あるのだが、


「ぐぁっ! 大地!? 何をする!? 止めろっ!? ごふっ!」

 

無言で、悠輝を攻撃し続ける大地は、とてつもなく恐ろしく、その、優しい顔をしていた。

本当に、不本意だが、今回だけは、見逃す事にしよう。なんだか、こうして地道に守るのもバカらしくなってきた光だが、彼は、彼の道を行くまでだ。

それを、改めて思い知らせてくれた愛しい彼女に、心の中だけで感謝をしつつ、ソレと、対峙する。

「来いよ、“狂人”。大人の義務だ。お前のその子供じみたやつあたり、ちゃあんと受けきってやるから、ドンと来い!」

挑発する光。

再び飛び掛かる、“狂人”。

「シャアアアアアアアアッ!!」

このケダモノをジョーカー足らしめているのは、その狂気にこそある。いかに英雄カガリビとはいえ、その能力はヒトのそれだ。

そんな彼の無敗を支えたのは、時に運命すら捻じ曲げる程の強い意志の力だ。

それほどの精神力が、膨大な負の情念によって狂い、黒い暴風となって、周囲の全てを、捻じ曲げる。

油断していたとはいえ、かの大天使ミカエルを一撃で沈めてしまうなど、とても正気の沙汰では起こりえない。そう、それは狂気の沙汰なのだ。

そんな、理屈を越えた不条理な攻撃を悉く防ぐ、彼の障壁もまた、“意志”の力を源泉としたモノだ。

「オラオラどうしたっ! そんなもんかよ? もっともっと、甘えてくれていいんだぜ?」

彼だけではない。

後ろに控える二人をも守りつつ、その障壁は弱まる気配がない。

いや、その輝きを増してすらいる。

「なんて、デタラメな」

「・・・相変わらずの、“独裁者”ぶりだ」

大地にだって解る。

あの黒の一撃が、どれほど不吉で恐ろしいモノなのか。

今となっては、悠輝に感謝せざるを得ないだろう。

アレを喰らっては、彼女とて殺される。

ソレを悠々防ぐ彼は、やはりバカげていた。

「“独裁者”ね、確かに」

「そうだろう? 俺が考えたんだ」

悠輝は何処か自慢げだ。

何を威張っているのだ、このバカ二号は。

そんな二人が見守る中、光の胸中は、実は一杯一杯だった。

(・・・なんて不条理だよ、オイ)

相手の事を言えないが、目の前のケダモノも相当メチャクチャだ。

防ぎきるのだって、強がってはいるが、後数分が限界だろう。

恐るべきは、目の前のソレの力の源。

理想を語った少年の、その意志の強さは、まぎれもなくホンモノだった。

「シャッハッ!! ハッハッハッハッ!!」

“狂人”は、ただ闇雲に、その黒い焔爪を振るい続ける。

その、黒炎に込められた呪いは、余りにも深く、暗く、重い。

一撃必殺の、呪いの爪。

光の身体能力、それ自体は驚く程に低い。

桁外れの行いも“意志”あればこそだ。

これ程の爪、掠っただけでも、バラバラにされかねない。

 

だから、そろそろ限界だ。

友人との約束を、今こそ果たす。

それが、彼の望み。

名残惜しいのは、我慢だ。


「何っ!? アレ!?」

「アレだ、アレに俺達はやられたんだ」

 

大地が、その存在に震えている。

悠輝が、その存在を恐れている。

光がその手に出現させたのは、一振りの剣。そう、剣だ。なんの特徴も、装飾もない、ただの剣。しかしそれは、ただ剣であるがゆえに美しい。

神代の終わり、“神々の黄昏”と呼ばれる出来事があった。この頃、神々の数限りないワガママによって、世界は崩壊の危機に瀕していた。

そこに、“彼”が現れた。図書館長アダムは、神々の“永劫回帰”を強引に決定。その剣の、ただの一振りで、神々の時代は終わった。

それが、“前進の意志”、ラグナロク。彼の“意志”。

リリスが持つハルマゲドンと並ぶ、“決定剣”の一振りである。


「俺達が、束になって掛かったっていうのに、皆纏めて、たった一振りにしてやられたんだ。だから、アイツは“独裁者”なんだ」

「・・・」

大地は言葉もない。

恐れた訳ではない。

その剣の美しさに、見惚れていただけだ。

なんとなく、持ち主のバカに似ているような気がする。

ようするに、その在り方がだろう。

単純な所が、本当にソックリだ。


「“記録”へと還れ、そしてどうか、安らかに眠れ」 

その剣が振り抜かれた時、“狂人”は、既にこの世を去っていた。

 

見送っているのか、空を見上げる彼の顔は、その空のように、何処までも晴れやかだった。


“狂人”討伐の明くる日の朝。

午前5時。大神 大地、起床。

普段よりも1時間遅いが、例のランニングが禁止された以上仕方がない。

今日も今日とてイビキの響く家を出て、いつもの土手へとやってきた。

一通りの柔軟だけこなして、寝転がる。

心地良い筈の朝の空気も、今日は50点だ。

いつだったか、隣で騒いでいたバカももういない。

昨日は、告白と被告白という、バカデカい二つのイベントがあったのだ。

流石に、タフな大地の心もヘトヘトである。

あれから、彼等の思い出の場所だという、山奥の開けた場所に、お墓を建て、何やら感傷に耽っていた大バカに、不謹慎だとは思ったけれども、言ってやった。

それが目的であの時追い掛けたのだし、思ったよりもすんなり声が出たので、叩きつけるように、言ってやった。

いや、その時の台詞は、恥ずかし過ぎるので、秘密だが。

だっていうのにあの大バカは、


「ん? ああ、そう、いいんじゃない?」

 

これだ!

バカだバカだと思ってはいたけれど、まさかあそこまでの大バカだったとは!

あげく、抜け殻になっている自分を放置して、さっさと歩いて行きやがったのだ!

 

殺してやりたい!

 

その上、その上だ!


その状況を好機と見たのか、あのバカ二号。

「俺は心の底から、君だけを愛しているぞ、大地。俺が必要になった時は、いつだって呼んでくれ」

とか、いっそ堂々と言い放ってくれちゃった後、あろうことかソイツまで、自分を放置してくれやがったのだ!

度重なる精神的ショックからなんとか立ち直り、慌てて帰った自宅には、門の前で待っていてくれたらしい、雷蔵しかいなかったのである。

あの老人、何かを懸命に訴えていたようだが、そんなものは全部左耳から右耳だ。

ヤケ喰いして、

フテ寝して、

今に至る。

「・・・なんだかなぁ」 

あんまりにもあんまりではないだろうか?

バカ一号は挨拶もなしに姿を消すし、その付き人達も同様だった。

バカ二号だって、必要な時は呼んでくれって、一体どう呼べというのだろうか?

連絡先の一つも渡さずに、サッサと何処かへと行ってしまったクセに。

まさか、自分に妖しげな召喚儀式でも求めているのだろうか?

そんなモノは知らないし、知りたくもない。 

そうだ、試しに空に向って叫んでみるか?

調度、なんか叫びたい気分だし。


「・・・はぁ」

始業前の教室で、溜め息一つ。

なんとあのバカ二号、ホントに来やがったのだ!

慌てて蹴り帰してやったのだが、もしかすると、どこぞに潜んでおるのやも知れぬ。

今更ながら後悔する。蹴り帰すまえに、バカ一号の事を訊いてみるべきだった。

同じバカ同士、連絡を取り合っているのかも知れないし。

とはいえ、もう人も大分集まっている朝のクラスで、突然奇声を上げる程、自分は愉快な人間ではない。

そうだ、昼休み、屋上でというのはどうだろう?

 

担任の新田 巴24歳独身が、HRの開始をつげている。

 

いや待て、そもそも自分は奇声を上げるような人間ではなかった筈だ。

 

皆が挨拶の為起立する中、ただ一人着席したままの大地。

 

いや、しかし、むむむ、

 

彼女は気付いていない。

光の席として用意されていた彼女の隣の席は未だ顕在で、

更に後ろには新に二つ、空席が用意されている事に。

ようするに、


「遅刻しました! あ、それからこの二人、新しい転校生だから、よろしくね! 新田先生?」

「リリスよ」

「イヴといいます」


またしてもやって来た不幸に半泣きになる新田教諭を他所に、


そう、この女教師は、不幸にはもう慣れている。


不覚にも数秒惚けてしまった後、彼女は立ち上がった!


「だ・か・ら、少しは隠そうとか思わないのか!? アンタ達は!?」


答える、例の服を着た三人組。


「「「当然!」」」



「で、何でお前までいるんだよ、悠輝?」

「呼ばれたからだ」

昼休みの屋上で、妖し過ぎる五人組が昼食を取っている。

予期せぬ事態から生じた食糧不足を乗り切る為、そして、購買という名の戦場から、パンという戦果を勝ち取る為だけに呼ばれたというのであれば、それは、

「体の良いパシリじゃねぇか。大天使ともあろうものが、嘆かわしいねぇ・・・」

「彼女の優先順位は貴様よりも上だからな」

なぜかスーパーハイテンションになっている大地は、大声で叫ぶ事を一切躊躇わなかった。

ああ、彼女のキャラクターが壊れていく。

「『アタシは! アンタが好きなんだ! だから、傍にいてくれなくちゃイヤだ!!』」 

例の台詞をリリスとイヴに熱演され、人目も憚らずにガイア化して、飛び掛かる大地。

元は、大地の分だったらしい弁当を頬張りながら、それを見詰める光に、悠輝が訊ねる。

「どういうつもりだ?」

「何が?」

惚ける光。

「学生に混じるなど、正気とは思えん。ましてやお前達は、一所に留まる事など出来んだろうに」

「ん~、何とかなるんじゃないか?」

まだ、惚ける気か。

「俺は、その理由を訊いているのだ」

惚けるのも、そろそろ限界か。

「・・・誓っちゃったんだよねぇ」

「何を?」

「安全が確保されるまでの間、護りきるってさ」

「何を言っている?」

悠輝には、理解しかねるらしい。

「どうにも、アイツの心の安全を確保するには、俺が必要みたいでね。それじゃあ、仕方がないかってね」

キザなヤツだ。

「・・・正気とは思えん」

苦笑している悠輝。

「ははっ! 俺も、そう思うよ」

笑う男二人を他所に、じゃれ合う女三人。

(愛しい彼女達を守る為ならば、そうさ、喜んで、愛に狂ってやる)


見上げた空には、ワガママで美しい太陽が、今日も眩しく輝いている。 

 

雲の流れに行き先尋ね、

風のきまぐれに身を泳がせる。

彼女達の声を聴き、

その温もりを幸せと知る。

原初の荒野でキミと出逢った。

あの楽園でキミを忘れた。

旅路の辛さがただ恐ろしくって、

泣いてたボクラをキミが叩いた。

いつか見つけた確かなヒカリ、

求め巡るよ、キミラと供に。


光と闇


静かに月が輝く夜。

遊技場『パラダイス』の裏で、事は起ころうとしていた。

この日、この場は、その名とはかけ離れた様になろうとしていた。

いや、楽園の裏側という意味では、正しかったのかもしれないが。

延々と続く、自分達を囲む男達の声にも、彼は最初から、聴く耳など持ってはいなかった。

薄暗い、汚い空気の中で、下品な男達に囲まれている、一組の男女がいた。

怯えて座り込んでいる女性と、その前に立ち、庇っているようにも見える男性。

実際は、もっと救いようのない話なのだが、それはともかく、

「大体さぁ、男に興味ないんだよね。オレ、ゴミの分別もしない主義だし、ぶっちゃけお前らの事なんかどうでもいい訳よ、解る?」

一方的に意味の通らない言葉で威嚇し続ける周囲の言葉を全て無視し、彼もまた、一方的に話している。

と、そんな彼の服の下で、震動が起きた。

震源は、胸に下げている水晶のペンダントである。

「おっと、コイツは驚いた。クズからゴキブリに格上げだってよ」

真夜中、路地裏で暴漢に囲まれている少女を庇っているようにも見える、黒スーツ白シャツ黒ネクタイの青年は、軽く胸を押さえ、ニヤリと笑った。

連中の不幸だった事は、青年の服装の意味に、最後まで気付けなかった事、この一点に尽きるだろう。

「そうだなぁ・・・面倒だけど、目障りでもあるし・・・殺してやんよ!」

青年を包む気の質が変わったと、感じるや否や、彼を囲んでいた6人の男達は一瞬にして、内側から弾け飛んでいた。飛び散る破片は、怯える少女にも張り付いた。

立ったまま、指一本動かさずに即席人間爆弾×6を破裂させた男は、今度は下品に、ニタリと哂って、彼好みの少女へと振り向いた。

「へへへっ、こっからがお楽しみぃ~って、アレ?」

危機を救われた、いや、これからこそが本当の危機である少女は、目の前で起きた出来事に、気を失ってしまっていた。

「なぁんだ、ま、こういうのも悪くない」

言いながら、彼がその手を彼女へと伸ばした、その時だった。


「そこまでだ」


彼の手が、ピタリと止まった。どうも、空気の読めない来客らしい。とうに癒えた筈の傷跡が、チリチリと、疼いた。

「ヒトの恋路を邪魔するヤツはぁって、知ってるか?」

「そんな上等なモノには見えんがな」

ウンザリした様子で振り向いた男と、現れた男は、全く同じ、顔立ちをしていた。

「これから始まるんだよ」

「一方的だな、俺は好かん」

真っ白でとんがった髪、真っ黒な肌をした長身痩躯のスーツ姿の男。その瞳は、妖しく輝く紫色。名を、闇影 罪人。

対する白の軍服を着た男、サラサラの金髪に真っ白な肌をした長身痩躯。その瞳は、澄みきった青色。名を、天司 悠輝。

ともに幼い顔立ちをしている為、年齢の判別がしがたいが、多く見積もっても、二十歳かそこらが精々といったところだろう。

「お前の好みなんざ知るかよ、オレは、このコが好みなの」

「俺とて、貴様の好みは理解出来ん。が、確かにそこの娘は美しい。よって、この剣にかけて、守らせて貰う」

腰に懸けた黄金の剣を、指で軽く示しながら、悠輝が言う。

「“守人”のリーダーさんよ、仕事熱心な“非人”のオレに、是非ともお目こぼしをってか」

罪人の戯言を、悠輝は完全に無視する。

「派手にやったな」

「ん? ああ、死に花咲かせてやったのさ」

彼の凶行を止めるでもなく看過した彼、結果、6人の人間が死んだ。

「人の餞別など、業が深いとは思わないか?」

気を失ったままの少女を優しく抱え上げながら、悠輝が問うた。

「さてな、エンマの大将が何考えてんのかは知らねぇさ、つか、何も考えてねぇんじゃねぇの?」

答える彼がもつ水晶のペンダントは、彼等“非人”の共通の持ち物である。

“未来視”の力を持つこの水晶は対象の将来を覗き見、その善悪を判定する機能を持っているのだ。

(ま、大した震動じゃあ、なかったがな、時代が時代なんでね、お仕事お仕事)

20XX年、高齢化社会が深刻化したこの日本に生まれた非公式の人口調整部隊、“非人”。

その発足の原因から、力のない高齢者を殺して廻る卑劣な殺戮集団として、国民からは認知されている。

黒スーツ白シャツ黒ネクタイ、通称“喪服”と呼ばれる衣装を常に身に纏う死神達、その実態は、国民の認識とはいくらか異なるものだ。

確かに彼等は老人を、いや、老人も、殺す。しかしそれらは多くの場合、本人やその家族が望んだ安楽死を、違法に手助けするぐらいのものである。

彼等の本質は、国から与えられた権限にこそある。水晶で作られたペンダント形の殺人許可証、“免罪符”。

彼等は個人の判断で老若男女を問わず、全ての人々を裁く権限を持っているのである。当然、選抜には厳しい審査が行われる。

が、行き過ぎた殺戮を行う“非人”もゼロではない。そんな連中を粛清する役割を持つのが、天司 悠輝率いる“守人”である。

“非人”の完全討伐を掲げる戦闘集団というのが、国民の知りうる限界だが、その実、“非人”と“守人”は国が同時に発足した相互作用する特殊機関である。

また、これら二つには、もう一つの側面がある。自国の防衛、である。10年前に終わった世界大戦によって、地球上の多くの国々は滅亡した。

が、世界には未だ数多くの火種が残っている。それらが日本に降りかかろうとする時も、彼等は立ち上がるのだ。

国民の混乱を防ぐ為、この事実を知る者は極一部に限られている。が、彼等は世の影で、国の為、日夜、国の内外を問わず戦い続けているのである。

最愛の女性を犠牲にしながらも、第4次大戦をたったの独りで未然に防いだ、“非人”の“英雄”、篝火 刃のように。

「天使長様が連敗したらしいじゃねぇの? 随分とバカデケェヤマだったんだな?」

「あぁ、が、かつての姿を知るだけに、やりきれん・・・時折、思うのだ、“あるがまま”こそが真の幸福だとヤツは言ったがな。

今一度、“楽園”を招来すべきなのではないかと」

「ハレルヤ! 福音の時は来たれり! ってか? ハッ、なら俺達はさしずめイナゴの群れって訳だな? 大将の奴、案外その気なんじゃねぇのか?」

冗談めかして言う罪人、が二人には解っていた。あの“独裁者”が、そんな事をする筈がないということを。

「ヤツは、罪の重さを知っている。貴様と同じだな、ルシフェル」

「その名で呼ぶな弟よ。オレはルシファー、泣く子も凍りつく、大魔王様だぜぇ?」

悠輝のおかげか、安らかな顔をしている自分好みの少女を彼に預け、彼は、二人に背を向けた。

「グローリア! 人の世に幸あれだ、クソッタレ」

夜空の月は何も語らず、ただ静かに輝いていた。


ぶっちゃけた話。

秩序とか混沌とか、善とか悪とか、そんなのはオレにとってどうでもいいのである。

恒久平和? いいんじゃないソレも。

戦乱永続? おもしろそうじゃん。

全部他人事、知った事じゃないしね。

オレのしるべは、ただ己の欲望のみ。

めんどくさい理性も、かったるい本能も、オレに言わせれば同じモノ、ようは自分が何を望んでいるのかって事でしょ?

かといって好き勝手やってイジメられた経験がある以上、再生が済んでからというものの、静かに穏やかに細々とがモットーなオレ、エライ!

喰うに困るのは勘弁だし、ちゃあんと社会の一員として毎日頑張っているわけですよ。

世間の皆々様の目はそれはそれは冷たいけどねっ!

そんな頑張りが通じたのか関係ないのか、運命ってヤツに久しぶりに感謝して、幻滅したのもつい昨日の事。

仕事の最中に、見目麗しいオナゴを発見、一目で恋に落ちたボクラはめくるめく恋の逃避行へ!

の筈だったのに、空気を読めない邪魔者のせいで折角のエモノ、じゃなかった、オレの恋は唐突に終わってしまったのである、マル。

今のオレの最大の関心はズバリ、女、である。喰うのも好きだし寝るのも好きだが、やっぱり女がいない事には始まんないでしょ?

他所様に迷惑掛けると怒られちゃうから、そういう内的な趣味に走るしかないのである。

だってホラ、身内になっちゃえば他人じゃないじゃん?

なんてバカな事考えてると、胸のキズが痛む痛む。

昔オイタした時に実の弟からつけられた傷である。これが噂のDVかぁ、家庭崩壊、なんてステキな!

昔のカラダは“記録”に還っちゃったし、新品のこのカラダにはそもそもそんなキズなんて残っちゃいないんだが、とにかく痛むものは痛むんだからしょうがないじゃん。

お、ムカツク顔を発見。

さらにムカツク事に女連れですよ、あの怪物クン、ウフフ、殺しちゃおうかな? どうしようかな?

調度気分も絶好調な事ですし、あの蛇頭にケンカ売っちゃおうかしらん。

「真っ昼間から、見せ付けてくれてんじゃんかよ! 蛇坊主!」

「・・・」

途端、全身をくまなく貫かれた気がした。いや、実際貫かれたんだけどね。無口なくせしてやるじゃん蛇女。先制攻撃、ゴキゲンだね!

効きはしないけど、痛みはあるのよ? 刺激的ぃ!

「これは失礼しました。独りがお似合いの孤独な魔王様に見せつけてしまいましたね。まぁ、僕等には、これが自然な事ですから」

こっちの背筋が快感でゾクゾクするような事をバカ丁寧に言ってくれちゃってるのがこの夫婦の旦那の方、八河 大蛇。

そんで、さっきから無言でこっちにラヴラヴな熱視線を向けてくれちゃってるのが奥方の八河 美輪。

似た者夫婦の言葉のまんまの二人だ。

揺れる紫の頭髪に若干青ざめた肌、銀色の釣り目の瞳孔が縦に割れていて、二人揃って、オレからみれば中学生ぐらいにしか見えない所までおんなじだ。

う~ん、ヒトヅマ、危険な響き、しかもオサナヅマ、ゴスロリの衣装が不気味な程似合っている。ヤベェ、燃えてきた!

と、いけねぇ、キズが痛む痛む。

たった今、普通のヤツならあの世行きの攻撃を喰らったばかりだというのに、オレの鼓動は高鳴るばかりだった。

オレの愛は、海よりも深いのだよ。主に、直接的な意味で!

どうでもいい旦那のほうは、オレと同じ“喪服”を身に着けている。アレ? 本当に心底どうでもいいんだけど、コイツ確か、クビになったんじゃなかったっけか?

「なんだなんだ? なんだよオイ、お前大将にクビにされたんじゃなかったのか?」

「・・・」   

またも全身を貫かれるオレ、解りやすいね。 そんな羨まムカツク蛇男が口を開く。

「えぇまぁ、だからこそと言いますか。折角拾った命です。エキドナの為にも無職になるわけにはいかないと、こうしてやってきたんですよ」

「・・・」

「ハァ?」

頬を染めて頷くオサナヅマ、解りやす過ぎる。つうか、ホントに殺してやろうかしらん。

時間はかなり掛かりそうだけど。

このコが泣く様も見てみたい、なんてオレってばやっぱり鬼畜? ギャハハ! ま、めんどいからやらんけど。

思い出すのは昔の事。

これでも大魔王だし? オレも一夫多妻な訳なんだが、誰か一人ってのは確かにいない。けれど、大切なヒトが沢山いるってのはとても幸せな事だ。

責任もある、何が何でも守ってみせるという覚悟もいる。けれど、アイツラの笑顔で報われるんだ。いや、救われると言ってもいい。

目の前の女の、その泣き顔はさぞや芸術的だろう、見る者の胸を、締め付けて止まない程に魅力的だろう。けれど、どうせなら、笑顔の方が見てみたい。

オレみたいな日陰者でも、いやだからこそ、輝く太陽に憧れちまうんだよな。なんて、らしくもないか。

「あなたに、近衛の任が下りました。僕が無職にならない為にも、何がなんでも、従って頂きます」

「・・・」

「・・・」

珍しく、オレまで無言になっちまった。

そりゃさ、太陽に憧れるとは言ったよ?

えぇ、言いましたともさ!

だからってオイ!

そりゃ無いだろう!

国家の犬は、国からの命令に不満を漏らす事さえ出来ずに、その場で立ち尽くすのだった。


大神 照日は日の本の国を古来より見守ってきた帝である。その正体は、日本神話の最高神、アマテラスオオミカミ。

エジプトでは太陽神ラーとして、これまた最高位の神として崇められている。

他にも、彼女を至高の神として祀る地域は数多い、そんななんとも畏れ多い彼女だが、その外見は、悲しいかな、どう頑張っても小学生の域を出ない幼女である。

緋色の長髪に、これまた緋色の勝気そうな瞳、やや浅黒い肌をしている。

全体的には御嬢様然としたナリなのだが、本人の性格が隠しきれていない為か、小さな暴君、というのが適切な表現だろう。

身長、体重、スリーサイズといった細かなデータは割愛、ご想像にお任せする。

まぁ、あえていうのであれば、大人ならば、いや大人でなくても大抵の人間には、簡単に抱えられてしまう程のミニマムサイズである。

なぜこんな事になってしまっているのかといえば、彼女の持つ力があまりにも大き過ぎる事が最大の原因である。

今の幼女の状態でさえ、小さなクシャミ一つで地球を消し飛ばせる程なのだ。

もしも彼女が本来の姿で顕現しようものならば、この世界だけでなく、他の並行世界にまで飛び火しかねないのである。

そんな訳で、“創世の三人”による必死の説得の結果、今のような姿を取っているのである。

勿論の事、これは本人が大いに気にしている事であり、迂闊に触れればヤケドどころか、冗談ではなく蒸発してしまう事になるので、注意が必要である。

以前、某ちゃらんぽらん男が彼女の頭を撫でた事があった・・・あわや日本国が島ごと蒸発かと思われる程の大事になり、バカの体は塵一つ残さずに消滅。

“図書館”に強制送還された挙句に、館員には館長室に監禁され、仕事のヤマを押し付けられ、冗談じゃないと急いで肉体を再生して、

還ってくるハメになった事があったのだ。当然その後、妻の二人にこってりと絞られたのは言うまでもない。

そんな彼女、“歩く核兵器”の異名を欲しいままにする照日はしかし、自室のベッドの上で、足をバタバタとさせながらブゥたれていた。

「・・・ヒマじゃ・・・」

彼女のどんなつまらない独り言にも『そうですね』と応えてくれていた付き人達例の三人組は揃って無期限の有給を取り、学生生活をエンジョイしている。

彼女にとっては業腹モノだが仕方がないだろう。世界の安全の為、24時間年中無休で彼女の世話をさせられていた三人の疲労の程は、推して知るべしである。

「ヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマヒマヒマヒマ、ヒーーマーーじゃーーー!!」

「・・・はぁ、何か御用ですか、アネさん?」

部屋の入り口で、溜め息吐きつつ問うたのは勿論罪人である。

「ワラワを楽しませよ! 笑わせよ! 喜ばせよ!」

日本国天皇の護衛という大変栄誉ある仕事を任されながらも、彼から溜め息が消える日はただの一日たりとてなかった。

(大将達の苦労も解るぜ、全く)

根が暴力的で鬼畜な彼は、当然この状況に耐えられる筈もなく、憂さ晴らしにこの幼女を襲ってやろうかと半ば以上本気で考えたのだが、思いとどまって止めた。

“不滅”の二つ名を持つ彼ですら、或いは消滅させてしまう程の力が彼女にはあるからだ。大体この護衛の任自体が茶番なのである。

皇居は、いや周辺数十キロに渡るまで、この二人を除いて完全な無人地帯になっている。当然だ、いつ爆発するかも判らない核爆弾の傍で、眠れる筈もない。

ようするに、彼に与えられた任務は、ヒマを持て余した彼女がバカな真似をしでかさないように見張る事、つまりは子守である。

当然、誰にでも出来る任務ではない。もしもの時に、三人組が駆けつけるまでの時間を稼げるだけの実力が必要なのだ。

前任者の履歴にもそうそうたるメンバーが並んでいる。彼女の弟である、大神 雷蔵、彼の弟である悠輝、例の三人組は勿論の事、

“最大最強の怪物”、大蛇などなどのツワモノ揃いである。

「またなんとも、抽象的な・・・」

「早くしろ! さぁやれ! 今やれ! 早くやれ!」

(・・・ホントにヤッちゃおうかしらん?)

こんな自問自答も、既に何度数えたか覚えてもいない。まぁそれでも、目の前の彼女が魅力的なのは、彼としては大いに結構な事なのだ。

かつて一度だけ見た事があるが、彼女の本来の姿は、太陽神の名にふさわしい燦然たるものだった。

不覚にも焦がれていたのは事実だし、多分今も、ココロの何処かで焦がれている。やかましいばかりの、躍動する命の大輝は、決して消える事はない。

彼を傷付けた黄金の剣、その輝きすらも霞む程の原初の光。

ヒトは、己にないものをこそ求めるという、ならば闇そのものである彼にとって、彼女こそが、唯一の存在足りえるのかもしれない。

「・・・まぁそれなら、また力比べでもしましょうか? 言っておきますけど、ちゃんと加減して下さいよ?」

聞いた彼女は飛び起きると、彼の手を取り、道場へと引っぱって行く。皇居内のそれは群を抜いて頑強に作られている。

二人掛かりで防御陣を敷けば、まぁ、お遊びぐらいは出来るだろう。

「よし行くぞ! それ行くぞ! 今行くぞ!

ソナタの闇は深いからのぉ、照らしがいもあるというものよ! ふっふっふっ、ついに、ワラワの本気を見せる時が来たようじゃな!」

「いやだから、加減してくれないと死にますよ、オレ?」

「うむ! 任せておくが良い!」

「・・・聞いてないね・・・」

繋いだ手から伝わる、木漏れ日の温もりを感じる。心地よい体温は、彼女の優しさの表れだろう。大き過ぎる彼女は、その優しさもバカデカいのだ。

らしくもなく高鳴る、自分の胸に苦笑しつつ、彼は素直に、彼女の手にひかれて行った。


光と闇が、今日も、戯れる。



ココは、静かだ。

ココは、優しい。

カレを抱くのは深遠なるヤミ。

ココにはきっと全てがあって、

恐らくは何も無い。

ココは、“記録”と呼ばれる場所。

完全であるがゆえに観測出来ないモノ。

全ての存在、その原因が満ちる場所。

ゆっくりと廻る、ヤミの揺り籠に抱かれながら、カレはたゆたう。

ココにあって、なお己を保ち続ける事に、意味などない。

もとより、ココは本来、ヤミのみがある場所。

ココにヤミがあるのか、ヤミがココなのかも判らない場所。

そんなヤミの中に、輪郭を失いつつも、カレは確かに、ソコにいた。

何を求めて?

自分は、何かを忘れて、

何かを待っている。

そんな気がする。


「オッス! いや、違うな、オイッス! ん? これも違うか?」


全く唐突に、カレの前に、カノジョが顕れた。


「・・・ま、そうだよなぁ、ここは素直に、ただいま・・・かな?」


相変わらずの男っぽい口調、短く整えられた蒼い髪、カレと同じ、聖緑の瞳、豹のようなしなやかな体をした、ワイルドな女。

 

「・・・」

「ん? なんだよなんだよ、さっきからだんまりかぁ? 相っ変わらず女々しいヤツだぜ。それでも俺のオトコかよ?」


言葉なんて出よう筈もない。

カノジョを失った辛さから、それから逃れる為だけにあって、こんなところにまで来てしまった自分。

そのカノジョが、今目の前に、確かにいる。

互いの存在が、二人を、確かなカタチへと変えていく。

カノジョを彼女に、カレを彼へと、変えていく。

なぜ自分は、今の今まで、彼女を忘れてしまっていたのだろう。辛いだけの人生ではなかった。彼に、幸せを教えてくれた。

そうさ、思い出の中の彼女は、いつだって、こんなふうに、笑っていたじゃないか!


「・・・おかえり、那波。言って置くけどな、また逢えるって信じてたよ、俺は」

「嘘吐けよ? 捨てられた子犬みたいなツラしてたぜ、お前。まぁ、それでも、また逢ったな、刃」


止まっていたものが動き出す。

ああ、そうだ。

俺は、この胸の高鳴りを忘れていたんだ。


「いつまでもこんなとこに引き篭ってんじゃねぇよ。ホラ、さっさと行こうぜ!」

「・・・ああ!」

君がいたから、君がいるから、君がいるなら、俺は、何度だって立ち上がれる、何にだって打ち勝てる、このキモチは炎になって、二人の道を照らすだろう。


休息は再会によって終わり、二人は、また歩き出す。


「・・・朝、か」

定刻通りに目を覚ますと、そのまま部屋を出る。

と、彼女達4人の部屋の真ん前に、腕組み姿で立っている、老人がいた。

「おはよう」

「・・・驚いた、じゃなくてさぁ!」

鋭過ぎる瞳を持つ中性的な少女、大神 大地は、怒り狂って目の前の祖父、雷蔵に蹴りを爆裂させる、筈だった。

「くっ!」

「まだまだじゃのう」

彼女の音速を軽く超える蹴りを、いつのまにとりだしたのやら、大槌で受け止める雷蔵。

激しくスパークしたように見えたのは錯覚ではない、なぜなら、彼の持つソレは、文字通りのイカヅチだからだ。

そしてそして、そんな老人に蹴りを放った    

彼女の姿が変わったように見えるのもまた、錯覚ではない。

燃えるように赤い長髪と輝きを凝縮したような金色の瞳、無敵のプロポーションをした褐色の肌の女神は、間違いなく大地だ。

この二人、というか、この家に暮らす五人はその全員がヒトではない。

まず雷蔵は、ギリシアの最高神、“雷神”ゼウス。北欧ではトール、日本ではスサノオと呼ばれる、照日の弟である。

大地に勝るとも劣らない鋭い瞳、荒々しく逆立った白髪を持つ、逞しい体をした老人である。

そして大地は、同じくギリシアに名を残す“大地母神”ガイア。原初の混沌より生まれし最初のカタチ。全てのカタチあるものの王である。

他の追随をゆるさない身体能力を持った彼女は、一度は破壊されてしまった世界の存続の為、何も知らされずにヒトとして生きてきたのだが、

とある出来事をきっかけにして己の正体を知り、なお、前進する事を止めないタフな女である。現在、17年目にしてようやくやってきた春を爆進中。

「二階には上がって来るなって言ったでしょう!」

「そうじゃったかのう? 言われたような気が、はて? するような? いや、ないような?」

叩きのめした、今度こそ。

大地が自分を知ってからも、この二人が、祖父と孫である事は変わらない。

正体からすれば、むしろ雷蔵こそが、彼女の孫に当たるとはいえ、彼女は、彼に育てて貰った暖かな記憶を、ただの一度だって、忘れた事はないからだ。

「いやそれにしても、手早くまとまったもんじゃのぉ、我が孫ながら手が早い」

ムクリと起き上がった彼に言われ、ギクリとなる大地。

「・・・」

「よきかなよきかな、ワシも昔を思い出す」

したり顔で頷く祖父に、孫娘は、いっそ開き直る事にした。

「・・・別に、決めたなら、進むだけでしょ。保身なんて真っ平よ。ライバル達も手強いしね。止まってなんて、いられないし、いたくないもの」

ドンと胸を張る女神の姿に、かつて天上一の遊び人と言われた男は大笑した。

「嬉しくもあり、寂しくもあり、かの。なんにせよ、今日の酒は美味そうじゃな」

「珍しく早起きしたと思ったら、早速お酒? ま、いいか、用意するよ。ツマミは? 何がいい?」

雷蔵は、ニヤリと笑って即答する。

「赤飯じゃ」

勿論、大地に殴り倒されたのだが。


なんて暖かで、幸福な家族。


いつか散る命だとしても


「命ってのは、大事に取っておくもんだ」

それがじいさんの口癖だった。

俺がまだアイツに出会う前の話、病室から出る事が出来なくなっていた、じいさんのもとへと通っていた、時のこと。

「いい加減耳タコだぜ、じいさん。ようするに、使いどころを見極めろってんだろ?」

ベッドの隣に腰掛け、リンゴを剥いてやりながら答える。

「・・・相変わらず口汚ねぇオンナだな・・・誰に似たんだ? 全くよ」

「確実にアンタだよ、じいさん」

出来上がった、リンゴをホレとくれてやる。決して良い出来栄えではなかったが、じいさんよりはマシな筈だ。

「・・・マズイリンゴだぜ、しかもヒデェサマだ。俺の記憶違いじゃなけりゃあよ、確かリンゴってのは丸くなかったか?」

「新種だよ。それに味は、俺のせいじゃねぇ」

近所のスーパーで買ってきたものだ。当然、元の形は丸かった。

「・・・テメェを引き取って、10年になる、か・・・俺も、歳をとる筈だぜ・・・」  

8つの時に、俺の両親は事故で死んでしまって、それ以来、二人っきりの家族だった。そして、また、

「らしくもなく感傷的じゃねぇか。言うとおり、トシだな、じいさん」

医者からは長くないと言われている。カルテを見る限り、生きているのが不思議なくらいの状態らしい。

いつ時が来ても、おかしくないそうだ。それでも、このジジイは、しぶとく生きていた。いや、生きるしかなかった。

「よのなかに、ひとのくるこそ、うるさけれ、とはいふものの、おまえではなし」

「一人よりも二人、三人よりも二人きりってか。確かにな、支えあうなら、多人数は無理だよな。二人きりなら、全力で向き合えるしな」

「・・・解ってんじゃねぇか、ガキ」

「アンタに比べればな、じいさん」

命を燃やす、それが、このじいさんの業だった。だから、このジジイは簡単にはくたばれない。いつも憎たらしく笑っちゃいるが、体はもう死に体だ。

そうとう辛い筈、なのに、

「なぁ、那波。命は、輝くモノなんだよ。でっかくな、輝くんだ」

「・・・あぁ、それが、俺達の証明だ」

「テメェなら、きっと俺以上に輝けるだろう。けどな、命ってのは、大事にとっておくもんだからよ、溜めて溜めて溜めまくって、いざって時には」


「最高にカッコ良く、決めてやれ」


二人、なんとなくわかってた。これが別れの時なんだって、不思議と、涙は出なかった。

バカみたいに笑ってたんだ、最後まで。

「じゃあな、じいさん・・・嫌いじゃなかったぜ?」

「照れくせぇ、笑わせるぜ」

「愛してた」

「大サービスだな、けどなんで過去形なんだよ、バカ野郎」

「野郎じゃねぇ、これでもオンナだ、俺は」

「カッケェヤツだぜ、俺の孫」

「ア・イ・シ・テ・ル! 俺の、クソジジイ」

振り返らずに、病室を後にした。背中を押す、誰かさんの、視線があった。

この時、病院の門で、アイツとすれ違った筈なんだが、俺の景色は、何故だか歪んでしまっていて、何も見えてやしなかった。


その日の晩、じいさんは死んだ。


空も泣いていた、じいさんの葬式の日。じいさんを慕っていた人達の多さに、まず驚いた。沢山の人達が、涙を流してくれていた。

自分はじいさんの愛人だったのだ、なんて涙交じりの笑顔で言う人達も何人かいた。

ヤリ手のクソジジイのケツ持ちとして、ばあさんって呼んでやったら、思いっきり抱きしめられたんだっけ。

俺は、泣かなかった。誰かの前で、泣く訳にはいかなかったし、抱きしめられた時には正直決壊しそうだったんだが、耐えた。

「貴方は間違いなく、あの人達の孫よ」

じいさんの選んだ人は、誰もが認める強い女性だったらしい。俺が物心つく前に、俺を庇って、車に轢かれた。

両親の事故も、原因は俺だった。夜中、俺が高熱を出した。救急車が全て出払っていると知った両親は、直ぐに車で病院へと向ってくれたのだ。

励ます二人の、あの声は、とても力強かったっけ。負けるかって思った、その矢先だった。大型のトラックが、信号を無視して突っ込んできたらしい。

運転手はロクに睡眠もとっておらず、その上酒に酔っていた。両親の決断は速かった。二人掛かりで、俺を包んだ。二人は即死した。俺は、キズ一つ負わなかった。

俺は、生かされた。

ばあさんも、両親も、笑って死んだんだって、じいさんは言ってた。そのじいさんも、最後は笑ってた。

自分が泣くのは嘘だと思った。歯を食いしばって、背筋を伸ばして、胸を張って、カッコつけなきゃって、震えてた。

そんな時だ。アイツは、やってきた。

「ごめん」

この時ばかりは周囲に溶け込んでいたその服装。帳簿に名を書き、線香を上げて、何事か呟いた。

葬式が終わって、玄関の前に、アイツはまだ立っていた。

「ごめん」

何故だろう。全部、解った。きっと、涙を流しながら、それでも真っ直ぐに俺の目を見つめる、俺と同じ緑の瞳が、あまりに澄んでいたからだと思う。

その胸に縋って、ワンワン泣いた。止まらなかった、声も、涙も。

これが、アイツとの出会い。

俺が、自分の理由を見つけた日。

玄関の前で、涙でずぶ濡れになっていた、子犬のような男の子を拾った日。

まぁ、それが良い拾い物だったなと、思うまでにも、大して時間は要らなかった訳で。


ある英雄の話をしよう。

眩しいまでの輝きに導かれ、世界を救った男がいた。

刹那の栄光。

瞬間の転落。

彼には覚悟があった。

自らの信念に従い、その手を血で汚し、その背に罪を背負い続けていた。

いつかくる終わりにも、自らの手で、幕を引くとも決めていた。

友の手を煩わせるつもりもなかった。

彼は、優しすぎるから。

そう、その日、その時がくるまでは。


「・・・完全に、囲まれちまったな」

「・・・あぁ」

気付けたのは偶然だった。

タイミングは最悪だった。

そして今、戦場の只中に、二人はいた。

まだ配属されたばかりとはいえ、実力で上の連中を黙らせ、刃のパートナーとなった那波。お互いが、最高の相棒であるという確信が、二人にはあった。

彼の存在が、彼女の輝きを増し、彼女の存在が、彼の炎を熱くした。

けれど、この状況は拙かった。

タッグを組んでからは初めてとなる、海外での特別任務。以前から懸念されていたとある組織の偵察、それだけの筈だった。

“国”の連中の想定が甘過ぎた。

開戦は、既に秒読みだったのだ。

大きくなり過ぎていた組織を前に、この時、“イレギュラー”と呼ばれる者達の襲来により、“非人”も“守人”もその応戦の為、手が追いつかなかったのである。

このまま開戦を許せば、天秤が傾きかねない事態だった。

戦争を起こさんとする巨大組織、それを只の二人で倒さなければならない現実。

けれど、二人に迷いはなかった。

巧妙に分散された敵組織の中枢を的確に潰し続け、ついには盟主の位置にまで肉迫したのである。しかし、

「さすがに、今度ばかりはかなり拙いぜ?」

「・・・あぁ」

二人の疲労は、とうに限界を越えていた。

指揮系統こそなんとか破壊したものの、未だ敵の大軍勢は粒ほども減る気配がない。対して、敵中にて完全に孤立してしまっている二人。考えるまでもなく、絶望的である。

「・・・なぁ、刃」

「・・・ダメだ」

それまで返事をするばかりだった彼が、彼女の言葉を遮った。

「ったくさ、無駄に聡いよな、お前。けどさ、分かってるんだろ?」

「・・・それでも、ダメだ」

頑なに拒む彼に苦笑して、彼女は、ふと空を見上げた。こんな時でも、空は青い。血と煙の匂いしかしないここにあって、空だけが清浄だった。

「・・・使い時だよ。やっぱりさ」

「絶対にダメだ!!」

とうとう彼は、感情を剥き出しにしてしまう。それは、彼の理想からはあまりにも程遠い。今の彼は戦士ではなく、駄々を捏ねる子供だった。

彼を変えてしまった、誰かさんが、笑う。

「男の癖して可愛いヤツだよ、お前は。ホント、子犬みたいだ」

「那波! 俺の話を!」

彼の唇が、塞がれた。他ならぬ、彼女のそれで。

「お前は理想を捨てられないさ、だって、お前こそが、奇跡みたいに理想そのものなんだから」

「・・・」

声を殺し、彼は、涙を流していた。死者に変わって泣くだなんて、大言を吐いてはいたが、単に泣き虫なだけだろうとも思う。

(・・・思えば、俺が涙を見せたのは、一度きりだったよな・・・)

彼と出会った、あの日、あの時だけだ。

(・・・こんなに脆い癖して、だからこそ、コイツは強過ぎる・・・皮肉だよな)

「このまま持久戦を続ければ、本当に二人とも助からない。チャンスは、今しかない」

「・・・」

「手足はもう潰してあるんだ。後は、頭を潰すだけでいい。油断している今が絶好の機会なんだ」

「・・・」

二人、とうに解りきっていた事を淡々と続ける彼女。

「俺が、道を拓いてやる。後は、お前が決めるんだよ、刃」

「・・・那波、俺は・・・ボクは・・・」

スッと立ち上がった彼女、彼は、動けない。

「約束しろ刃。俺は、お前の炎が好きなんだよ。俺に見せてくれよ、お前の想いの、その熱さを」

「・・・」

ヨロヨロと立ち上がる彼。

ようやく上げた、その顔に、もう迷いは無かった。頬に残る濡れ跡が、いかにも彼らしいと苦笑する。

「さよならは言わないぜ、また逢えるって信じてるからな。そうだな、今度は、花にでもなるか」

「そうか、なら俺は光になって、お前を照らすよ」 

「・・・バッカヤロ、似合わねぇ、ぐらい言いやがれ、照れるじゃねぇか」

「・・・きっと、キレイな花になるさ」

もう、言葉は無かった。

彼の隣、生まれたのは巨大な光。

既に輪郭はなく、ただ輝くばかりの彼女が、ふと、頷いたような気がした。

彼の全身が、紅蓮の炎に包まれる。

後はただ、駆け抜けるのみ。

巨大な閃光が戦場を貫き、それを追うように駆け抜けた紅蓮の炎が、途上の全てを焼き尽くした。

余裕の笑みを浮かべていた盟主は、閃光によって全ての結界を失い、驚愕する間もなく、その魂すらも焼き尽くされた。


「・・・」

未だ、敵の包囲は続いている。が、全ての指揮を失った直後の軍団から抜け出す事など、彼には容易い。けれど、彼は動かない。

(・・・那波)

彼は、最後の刹那、彼女を想った。

 

話は、これで終わる。

その英雄は、誕生とともに死んだのだ。

二人は、最後の最後で間違えた。

彼女の喪失に、彼が絶えられる筈がなかったのだ。


「シャハハハッ!! シャーハァアア!!」

その日、その時、その場に在った全ての命は、狩りつくされた。黒の惨劇の、始まりである。


許せない者


「・・・世も末ね」

道行く人影は男性一人、女性が三人。

男性の左側、彼の腕を半ば強引に自らのものと組んでいる女性が、その男性に言った。

「・・・お前がそれを言うと、洒落で済まないんだぞ? そこんトコ、ちゃあんと解ってるのか? リリス? って、コレも何度めだよ・・・」

呆れ顔で答えた男性。

年齢の判別しにくい、甘い顔立ちをした長身痩躯。その肌はやや浅黒い。問題なのはその服装だ。誰にでも一目で職業の判るソレ、“喪服”。

もっとも、両隣の女性達も同じ服装なものだから、本人、全く気にした風はない。

「アダム! それって責任転嫁! 多分二度目ね、多分・・・」

リリスと呼ばれた女性は、とにかく美しい。いや、美し過ぎる。とてもではないが、ヒトには見えない程だ。

まぁ実際、ヒトではないのだが。

腰まで届く波打つ金髪。理想のスタイル。透けるような白い肌。いかにも気の強そうなその瞳は、しかしどこまでも青く澄んでいて、相手の言葉を奪うには十分だ。

いや、ホントにね、もう、出来過ぎだって。

「・・・姉さん、光さんが困っていますよ。それから、ここでは光さんは光さんなのですから、光様と呼んで下さい。勿論、私の事はイヴ様と。

繰り返しの美学です。スマートですよ」

冗談なのか本気なのか、自らをイヴ様と呼んだ女性、こちらもまた美しい。どれ程かといえば、リリスとタメをはれる程です、ハイ。

リリスを西洋的な美の化身とするならば、こちらは東洋のそれだ。

真っ直ぐな長い黒髪。リリスに匹敵するスタイル。暖かそうな肌。母性すら感じる優しげなその瞳は、吸い込まれそうな深い黒。

ちょっと、やり過ぎ。

何が、いや、誰がやり過ぎなのかと言えば、自分の好みを、妻の二人に徹底的に反映させたこの男。闇影 光と、この世界では、そう名乗っている。

付き従う二人は、彼がとある場所から呼び出した、簡単に言ってしまえば、召喚獣のような立場にある為、元の名をそのまま用いている。

この、妖しすぎる三人組。

彼等の正体は、面倒なので省略しておこう。

その前を、ズカズカと歩く、女性が一人。

誰もが認める地味な制服を身に着けた大地を指差し、リリスが言う。

妹の言葉は、ガン無視で。

「ガイアともあろうものがさ、このバカを気に入っちゃうなんてさ、そりゃ、世の行く末が不安にもなるわよ」

「物好きだなって言いたいの? ならさ、なんで二人して、腕組んじゃってるのかな?」

コメカミをヒクヒクとさせながら、大地が振り向く。

「妻の特権です」

「・・・妻、ねぇ・・・」

すっとぼけるリリスに変わって、答えたのはイヴだ。いつだって崩れない余裕の笑み。 

そういえば、このバカを最初に勝ち取ったのはこの女だった筈。リリスを相手に、大した者だと思わないでもない。

「でもさ、アタシだってタルタロスの妻だった訳でしょ? ハッキリ思い出した訳じゃないけどさ」

大地の言葉に、ギクリとなる三人組。

とても珍しく、明らかに慌てていた。

「・・・油断大敵ってやつだったわ」

「ようするに、光さんが全て悪かった訳です」

光、かつてはタルタロスを名乗った事『も』あるこのバカは脂汗を流しながら、おずおずと確認する。

「全部思い出した訳じゃ、ないんだよな?」

「ん~、なんだかボンヤリと、なんだけどさ、記憶違いじゃなければさ、アンタ、アタシにデレデレだったよね、多分」

再びギクリとなる三人組。

三人とも、目が泳いでいる。

今の大地のベクトルで、成長しきった女性を想像してみて欲しい。色々とあったのは事実だが、当時、妻二人を差し置いて、このバカはガイアに首ったけだったのである。

いつだって、男の弱点は女と相場が決まっているが、バカの堕落っぷりは凄まじく、リリスなどは、かつてのイヴとバカのソレが記憶とダブり、

イヴはイヴで、姉がどんな思いで自分達を見ていたのか、深く痛感するハメになる出来事であった。

女二人は、揃って不覚を取り、男は、他の女に溺れる始末。あまり、思い出したくない記憶である。

「・・・まぁ、その、なんだ、俺も若かったって、いうか、ですね?」

自らの両側から膨れ上がる、凄まじい負のオーラに、バカの背筋が震え上がる。ガッチリと拘束されたままの自分、ヤバイ!

「あ、あの~大地さん? 大神 大地さん?」

「愛の試練よ、頑張ってね、ダーリン」

らしくもなく、ふざけて言う大地の姿が、かつての彼女と重なる。ホントは全部思い出してんじゃねぇのか、この女、とか思いながらも、死を覚悟するバカ。

(・・・マズったなぁ、“記録”とまで、繋がっちゃったかな?)

薄れいく意識の中、何故か笑顔が零れる、“記録の化身”であった。


「篝火 刃です」 

「速瀬 那波です」


「やっぱりヤバイですって、“国”の連中が黙ってませんよ、コレ」

「心配などいらぬ。ワラワは何をしても許される。何故なら、ワラワは天皇だから! それもアマテラスオオミカミ本人であるぞ! 敬え! 平伏せ! そして、構え!」

「それを言うならエンマの大将なんて、イザナギを名乗ったアメノミナカヌシですぜ? 怒られちゃうんじゃないですか?」

「その心配もいらぬ。なぜなら、アヤツは女に弱いからじゃ」

「・・・」

ナイムネをドンと張って言いながら、教室のドアの前に立つ照日。そして、そのまま、動かない。

「・・・開けよ!」

「あ、届かないのね」

爆弾発言をしつつ罪人がガラリとドアを開ける。


最早恒例となってしまっていた、朝のHRの転校生紹介。

帰ってきた友人達の突然の登場に、光が驚きつつも喜びを表そうとしていた、まさにその瞬間の暴君の登場に、光と刃は、揃って、大きな溜め息を吐いたのであった。


昼休みの屋上にて、膨れっ面で話を聞こうともしない照日を、光、リリス、イヴ、刃、罪人、そしてなぜか悠輝まで、の六人掛かりで必死の説得を行う傍らで、

女二人は、仲良く昼食を取っていた。

「コレ美味しいじゃん、凄くさ。俺には真似出来ねぇや、ちょっとな」

「それはどうも」

驚く事が多過ぎて何に驚いたらいいのかさえ、分からない大地だったが、もう、気にするのは止めにした。

成長をし続ける彼女、二人の妻が再び顔を青くする日も近い、のかもしれない。

そんな彼女が、食事を取る姿一つとってもかなり男前な、“喪服”に身を包んだ那波に訊ねる。

「・・・アンタも、“非人”なんだ?」

「ん、おうよ。高卒で試験受けて、なんとか合格したんだ」

「・・・なんで、仮にも学校卒業してる、仮にも社会人の、仮にも犯罪者ばかりが、うちには転校生としてやってくるのよ・・・」

「だははっ! そりゃ、アンタがいるからだぜ? 言い過ぎでもなんでもなく、世界の中心なんだからよ」

「凄く複雑な気分。だってさ、なんだかんだで、世界は勝手に廻ってる。損ばかりしてる気がするのよね」

「そうか? 俺は、そうは思わないぜ?」

「?」

「今この瞬間、俺達は間違いなく幸福なんだって断言出来る。そうさ、世界は、勝手に廻ってる、それでいいんだ。ここは、全てのワガママが許される戦いの世界だ。

勝ち取った時間を誇れ、奪われた過去を恥じろ。強がりだって構わない、強く在れってね」

「・・・」

「澄んだ天空に太陽は輝き、穏やかな時間の中で、俺達は爆笑する。飯も旨いし、アイツもいるし、俺は今、最高に幸せだぜ? アンタは、どうだ?」

「当然!」

「だっはっはっ! アンタ、やっぱりいいよ、最高だ。腹も膨れた事だし、どうだい、ちょっと、俺と手合わせしないか?」

スッと立ち上がる那波。彼女の在り方は、大地にとっても、強く共感出来るモノだ。都合のいいことに、近頃の屋上に、他の学生達が近付く事はない。

「アタシは、強いよ?」

「知ってるし、判るぜ? 俺はな、人間の価値を、命の輝きを証明したいんだ。この身がアンタに届くなら、人間ってヤツも、そうそう捨てたモノじゃないだろう?」

広い屋上の中央、向い合う、二人。

真の姿をさらす大地の前で、那波の総身から放たれる、光の波動。

「やるからには本気だよ?」

「そうでなくっちゃな! そしてここで決め台詞だ! 人類を、侮るな!」  

真正面から、バカ正直に突っ込む那波の連撃を、大地は余裕で避わし続ける。

既に、彼女の視界に色はない。

光速すら超える彼女にとって、時間は止まっているに等しいのだから、が、攻撃には転じない、いや、出来ない。

この視界にあってなお輝く那波の波動に、言い知れぬ力を感じる。

彼女にとって、那波はまるで隙だらけだ、だというのに、

(・・・この、輝きは・・・)

対する那波も、自身の攻撃が掠る事すらないという現実に、驚愕し、興奮し、歓喜していた。悲壮感など、あろう筈もない。

彼女の頭の中にはいつだって、立ち向かう事しかないのだから。

まだ、届かない、けど、まだまだだ!

「ッ!?」

大地は驚愕した。今、確かに、那波の拳が、彼女の頬を掠めた、それだけで、肉は裂け、血が噴出す。無論、その程度の傷など、次の瞬間には癒えている。

が、その予期せぬダメージに、ついに彼女は、反撃に転じる事にした。

「げっ! ぐぁ!」

一瞬で叩きのめされ、地に伏す、那波。

悠輝直伝の格闘術をお見舞いした大地は、しかし、その両手両脚を完全に潰してしまっていた。これとて、瞬く間に癒える傷ではある。

けれど、彼女の強大な力をもってしても、那波の波動を、完全に押し切る事は出来なかったのだ。

(そうだ・・・この輝きは)

「かははっ! ハンパねぇ・・・けどま、まだまだこれからだろ?」

当然の如く、ムクリと起き上がる那波。

「・・・アンタ、その力?」

この、理不尽とすらとれる常軌を逸した力、いつかの刃の黒い炎や、バカの剣を思い出させるこの力は、

「命は、輝くモノなんだよ。言うなればコレは魂の成果。ヒトの、凝縮した意志の輝きが、奇跡だって起こすのさ」

圧倒的なステータスの差さえ覆す、奇跡の連続。奇跡は起こるモノではなく、起こすモノ。世界をカタチ作るのは神などではなく、人々の強い想いであると、彼女は言う。

「俺は古くからの武術の家系の生まれでね。ヒトの限界を越えようと挑戦し続ける内に、俺達は、自分の命を燃やす業を、手にしちまったのさ」

命の躍動。

それは、誰もが生まれながらに持つ原始の力を、戦う術へと変える業。燃え尽きるまで燃え続ける、強く尊い、命の輝きである。

両親を失った彼女に、元は“非人”だった祖父が、教えてくれたモノ。祖父の代で絶える筈だった業を、彼は、幼い彼女に授けたのだ。彼女が、強く生きる、その為に。

「・・・そっか、アンタは、いつでも全力なんだね」

「他人事みたいに言うんじゃねぇよ。俺には判るぜ? アンタだって全力じゃんかよ」

その波動の輝きを、増し続ける戦士。 

完全なる姿のまま、悠然と佇む女神。

向い合う両者は、そこで何故か、微笑み合う。

と、そこで、


「ハイ、ストップ」


二人の動きが、完全に止められた。

こんなバカバカしい真似ができるのは、やはりバカでしか在りえない。

「照日がお怒りだ。凄く、凄くな。二人とも恐縮して、天皇陛下のお言葉を、静聴するように」

光に羽交い絞めにされ、ジタバタと騒いでおられる天皇陛下は、顔を真っ赤になされながら、仰せになる。

「キ・サ・マ・ラ! 何を! このワラワを放っておいて! 何を楽しそうな事をやっておるのか!! ワラワを放置するでない、泣くぞ?」

日本神話における、天の岩戸の再現である。 六人の話をまるで聞こうともしなかった癖に、自分を放っておいて騒がれると、腹に据えかねるものがあるらしい。

「・・・なぁ、弟よ」

「何も言うな、何も」

「姉さん並に子供ですよね」

「・・・イヴ、死にたいの?」

そんな外野の様々な思惑を他所に、照日は宣言する。

「決めたぞ! ワラワは今決めた! 『第一回 平伏せ! アマテラス最強証明会』を執り行う! 全国に令を発するのだ! ツワモノどもを集めるのだ!

外部からも広く集めるのだぞ?」

「・・・第一回」

「光さん、という事は二回目以降もあると言う事でしょうか?」

「頼むから、俺に訊かないでくれ」

イヴによしよしと慰められている光を完全に無視して、照日は続ける。

「誰が最も輝く存在なのか、このワラワが、知らしめてくれようぞ!」


天から与えられた大舞台、雌雄を決する、時が来る?

それからこれからどこから3-1


「オロチの奴め! ワシのミョルニルが喰らいたりんようじゃな!」

「・・・雷じい、当日は手出し厳禁だ。俺と一緒に警護だよ」

夕飯時、猛る雷蔵を、光が嗜める。

全員揃った所で、大会の事を切り出した、途端にこれだ。

頭が痛い。

旧交を温めたいのは判るが、時と場所を選んでもらわなければ困る。

「何を言うか! ワシ、をっ!!」

大地の鉄拳が直撃、雷蔵を黙らせる。

「ダメったらダメ! もし言い付けを破ったりしたら・・・」

「むむむ」

せっかくの楽しみを奪われ、さすがの雷蔵も言葉を詰らせる。

光は、付き人二人に振り返る。

「リリス、イヴ、いけるか?」

「当然!」

「はい、ですが・・・」

即答するリリス、

が、イヴには、何か思う所があるらしい。

「私達も・・・参加してはならないのですか?」

ガクリと突っ伏す光。平穏を祈らずにはいられない。

「え!? どういう事よ!? アダム!」

「・・・」

リリスに至っては、夫の問いを誤解している始末だ。

「・・・当日は、敵性勢力からの襲撃の可能性が大、というか確実にある。遊んでる場合じゃないの!」

「襲撃?」

訊ねたのは大地だ。リリスは膨れっ面でそっぽを向いている。

「お前と照日、連中からすれば絶好の標的がいる場所に、堂々と集まれるんだぜ? 今回の大会に参加資格なんてものは無いし、だからといって中止する事も出来ない。

なにせ、天皇陛下のワガママだからな」

「そんなに危険な事なの?」

「戦争をしましょう! って招待状をバラまくようなもんなんだよ。相手の戦力集中をみすみす許すっていうんだ。戦術的にみればリスクがデカ過ぎる。

それにな、ノコノコ集まってくる連中はまだいい。問題は、その混乱に乗じてって、機会を窺っている厄介な連中まで出てくるかもしれないって事さ」

「アンタ達がてこずる程の?」

首を傾げる大地。

「俺達三人、特に俺とリリスには、色々と制限があるからな。刃の時みたいに、ホントにホントの世界の危機にでもならない限り、力は殆ど使えないんだ。

だから、どうしても後手に廻っちゃうんだよなぁ・・・」 

「・・・ん~、今回はそこまでの危機では無いって?」

「展開によってはそうなってしまうかもしれないけれど、そうならないかもしれない。こういう時は動けないんだ。

俺達、“外側”の連中は、基本的に各“世界”に干渉しちゃあ、いけないんだよ」

「色々と面倒なんだね?」 

「まぁな、けど、大切な事だから」

「“イレギュラー”、来るでしょうか?」

今度の問いはイヴからのものだ。

「微妙な所だけどな。まぁ来たとしても前回のような轍は踏まないさ。俺は、今度こそ、躊躇わずに剣を振るぜ?」

「当然」

何時の間にやら、光の隣で胸を張るリリス。

並び立つ、二人の“決定者”達。

これ以上に頼もしい二人もいまい。

「こやつはリスクばかりを言うが、揉め事の種を一掃するチャンスでもあるからの。姉上もまるで考えなしという訳ではない。

何にせよ、折角の機会なんじゃ、お前は大会で存分に暴れる事じゃな、大地」

孫の背中を、ポンと叩いたのは雷蔵である。

「当然!」

もとより、恒に前進あるのみの大地は、力強く頷いたのだった。


   

「どぉおおおりゃああああ!!」

「・・・」

渾身の突きを、ヒラリと避わされた。

「だぁああありゃああああ!!」

「・・・」

会心の蹴りも、ヒラリと避わされた。

「げはっ! ぐ! ぐ! ぐへっ!」

「・・・」

背中に裏拳をくらい、タタラを踏んでいるところに、容赦の無い炎弾の追い打ち。

「・・・なぁ、那波」

「ええぃダマレ!」

捨て身の一撃! ヒラリ、

手痛い反撃!

大の字になって倒れる那波。

呆れ顔で、介抱しようとする刃。

「隙あり!」

「っ!! んむ!」

ひっ捕まえて口付けしてやると、案の定、完全に硬直してしまう刃。

「おぉおおおらぁあああ!!」

回転とともに全身の力で繰り出した拳を顔面にモロに受け、吹き飛びしばらく転がって停止、完全にKOされてしまった刃。

舞い散る紅蓮の火の粉が、無念そうに揺れていた。

「ふっ! 勝利!!」

得意げにガッツポーズ!

この二人にとっては有り触れた日常がこれである。

余暇の殆どは敷地内の道場でじゃれあっている。たまには外に繰り出す事もある。二人で部屋に閉じこもって本を読む事もあれば、恋人同士特有のアレコレも勿論ある。

どの場合も主導権を握っているのが誰なのかは、言うまでもない。家事は従順な子犬の仕事。

主人はといえば、せっせと勤しむ子犬の邪魔をしたり、料理の味に文句をつけたり、たまには可愛がってあげたりと大忙しなのである。

このままでは、再び黒の惨劇が起こりかねない、と心配されるかもしれないが、そんなことはない。この二人は、とても幸せである。

それは例えば、卑怯な不意打ちでKOされた子犬が、不満そうにしながらも、やっぱり笑顔で起き上がっているあたりにも、良く現れている。

現在単身赴任中の、某大魔王様が見た日には、嫉妬で暴れだしかねない、無敵の空間である。

「・・・那波」

「愛してるぜ! 刃!」

相手が何か不満を漏らす前の、お決まりの先制攻撃である。これで丸め込まれてしまうあたり、刃の人となりが知れよう。

「ぐっ! むぅ・・・」

「最強を決める闘いかぁ、ワクワクするぜ!」

猛る彼女を、微笑んで見守る彼。

二人が望み、手にする時間。


「今日という今日は言わせて貰いますけどね!アネさんはもう少し気配りというものを覚えるべきです!」

「つーん」

「つーん、じゃありません! そういう細かい事が苦手なのはよーく分かってますけどね! それだって何回オレを殺しかければ気が済むんですか!」

「ぷーん」

「ぷーん、でもありません! アネさん、今夜は寝かしませんよ!」

「こんな幼子を相手に!? ソナタ、鬼畜じゃな! ワラワのお肌が荒れたらどうしてくれる!」

「なんなら今すぐツヤツヤにしてあげましょうか!? 大体そんなツルツルスベスベで何言ってんですか! ていうか真面目に聴きなさい!」

「ツルペタじゃと!? おのれ! 人が気にしている事を!」

「わっ! ちょっとアネさん! ここじゃマズイですってば!!」          

光と闇は、今夜も、戯れる。



時は来た。

第一回 平伏せ! アマテラス最強証明会! 当日である。

と、いうのにもかかわらず、御国高校のグラウンドに設けられたリンクの上では、未だ、照日が両手両脚をバタバタとさせて、駄々っ子のように暴れているのみである。

「ヒマじゃ! なんでじゃ! なぜなんじゃああ!」

「「「そうですね!」」」

応える、例の三人組。

確かに、どうも様子がおかしい。

気配が、まるで無いのである。

リンクの上には、準備運動をのんびりとしている大地と那波、それと今度はぐずり始めた、高貴なる天皇陛下の三人のみ。

周囲には、困惑顔の三人組と、我等関せずと知らんぷりの兄弟、ポツンと立っている子犬が一匹、のみである。

ちなみに雷蔵は、ギックリ腰の為お休み、怪物夫婦達はといえば、

「ふふふっ、これは絶好の機会ですね」

「・・・」 

とかなんとか言って、夫婦揃って彼の寝込んでいる屋敷へと、酒を手土産にお礼参りである。

平穏そのもの、と言ってもいいのだろう。

「・・・どう思う?」

「さあ?」

「判りませんね?」

「・・・なぁ、弟よ」

「なんだ? 兄よ」

既に、日は高く、のんびりと、時間だけが過ぎていく。

と、全く唐突に、リリスの肩の上に、ポンッと謎の生命体が現れた。

「・・・」

瞬時に全てを理解した光はガクリと肩を落とし、リリスは、ソレを思い切り抱きしめてやる。

「バクえもんじゃないの~♪」

完全にデレているリリス。意地っ張りな彼女にしては、珍しい。

「にゅう♪」

とか鳴いて、されるがままになっているのは、ウマとゾウを足して二で割ったような手の平サイズの不思議生命体、アダムの使い魔、“バク”である。

背中にある二つの小さな白い羽が、ピコピコと動いている。

「にゅう♪」

×?

ポポポンポンッと、次々と現れるバク達。

バクまみれになるリリス。

凄く嫌そうな顔をしているアダム。

微笑んで見守っているのはイヴ。

他の連中は、何が起きたのか判らずに、ポカンとしている。

「バクのしん! バクよ! バクのすけ! バクみ! バクわかまる! バクひめ! あぁ! もう、可愛いわね! まるで天使のようだわ!」

ちなみに、これらのバク達の見分けが利くのは、リリスのみである。

“狭間”を自由に行き来し、

各世界の障害物を掃除して廻る、“夢喰い”達、彼等は、時折こうして、リリスの元へと帰ってくるのである。

まぁ、つまりは、

「・・・皆、喰っちまったんだな」

「そのようですね」

“狭間”で様子を窺っていた“イレギュラー”達も、会場に集まる筈だった連中も、

全て余さず残さず例外なく容赦なく、皆、不思議生命体の栄養になってしまったのだろう、アーメン。

と、一匹のバクが光へと振り返ると、続けて他のバク達も、本来の飼い主へと注目した。

そして、

「あらあら」

「ふふふっ、可愛いですね」

一斉に、オシッコの雨を降り注いだのである! 誤解なきように、彼等の主はアダムである。

リリスではない。大体リリスは、自分の使い魔達には、とてもとても、優しくはないのだから。

「・・・ふふっ・・・ふふふっ、ははっ! はーはっはっはっ!! ・・・上等だぁあああ!! テメェ等ぁあああ!!」

ブチンとキレたバカは“前進”の剣を抜く、そして、    

「やめなさい」

「がはっ!!」

「ふふふっ」

すかさず、リリスの“終焉”に打ちのめされ、無様にも、地に伏す。

高笑いするペット達。

憤怒の形相でそれらを見上げ、リリスに睨まれ、ビクビクする本来のご主人様。

ああ! 憐れなるバカ、一匹。

「一体何事じゃ? ただならぬ気配を感じるが・・・」

照日をはじめ、他の面々も集まってきた。 

特に照日は、その目を輝かせている。彼女的にはストライクであったらしい。

「はよう質問に答えい! なんなんじゃ、この愛苦しい生き物は! つうかくれ! 寄越せ! 捧げよ! 貢ぐのだ!」

再び暴れ始めた太陽を、弟と二人がかりで取り押さえながら、罪人が尋ねる。

「普通じゃない気配を感じるぜ? 何なんだいコイツ等は、大将?」

「オ! レ! の! 下僕達だ!」

再び降り注ぐ雨、溢れる説得力、涙も溢れそうである。

大地はヤレヤレと言った様子で、バク達にヒラヒラと手を振ってやる。

途端にデレッとなるバク達。

バカの怒りのボルテージが上がっていく、そして疑惑も確信へと変わっていく。

(ふふふっ、ガイアさぁん? トボけてやがったなぁあああ!)

完全にやつあたりである。

そして再び振り下ろされる、“終焉”。

ツッコミにしては過激すぎ、お仕置きにしても容赦がなさすぎ、そして、いくらバカとはいえ、これでは不憫にすぎた。

「オイオイオイオイ! 可愛いなぁ、畜生!」

「落ち着け、那波」

こちらもストライクだったらしく、飛び出そうとする那波を、捕まえる刃、若干緊張した面持ちである。

「とてもよくない感じがする、迂闊に近付くな」

飼い犬の忠告を、まるで無視する飼い主。

「何言ってんだよ。バッカだなぁ刃は。こんなに可愛いんだぜ? それだけで、全部OKじゃんかよ!」

「・・・はぁ・・・」

「・・・なぁ、弟よ」

「なんだ? 兄よ」

この世界で最も位の高い存在をヨシヨシとしてやりながら振り向く悠輝に、兄が訊ねる。

「思うんだがな、どうしてオレの周りの野郎どもは、揃いも揃って、女に振り回されてばっかりなのかね?」

「・・・それには俺も含まれているのか? 大体、お前が他所の事を言えたものか? ルシフェル」

或いは現在一番振り回されているのかもしれない兄と、この穏やかな時間を、笑う天使。

「・・・ヤレヤレだな」

「同感だ」

天使(?)の登場により、戦いは、起こる前に終わってしまった。

この暖かな時間を祝福するかのように、バク達の、盛大なゲップが、会場に響いた。

 

ココは、静かだ。

ココは、優しい。

カレを抱くのは深遠なるヤミ。

ココにはきっと全てがあって、

恐らくは、何も無い。

ココは、“記録”と呼ばれる場所。

完全であるがゆえに観測出来ないモノ。

全ての存在、その原因が満ちる場所。

ゆっくりと廻る、ヤミの揺り籠に抱かれながら、カレはたゆたう。

ココにあって、なお己を保ち続ける事に、意味などない。

もとより、ココは本来、ヤミのみがある場所。

ココにヤミがあるのか、ヤミがココなのかも判らない場所。

そんなヤミの中に、輪郭を失いつつも、カレは確かに、ソコにいた。

何を求めて?

自分は、何かを忘れて、

何かを待っている。

そんな気がする。   


「ふふふっ、可愛いんだぁ♪」

休日の大神家。その広い中庭で、リリスがバク達と戯れている。

それを、静かに見守る、光。


「ん? どうかしたの、アダム?」

振り返り、優しく訊ねてくるリリス。

彼は、

「・・・いや、なんでもない」

バク達の、厳しい視線が、彼を貫く。

バク達の怒りは尤もなのだ。

光は、彼等に感謝こそすれ、憎悪などする筈もない。

いや、出来る筈もない。

かつて、彼女の孤独を埋めたのは、自分ではなく、彼等だったのだから。


リリスを遠ざけ、イヴを創り出した彼は、まだ確たる自我さえなく、人形のようだった彼女とともに、世界の創造を繰り返した。

そのあげく、近寄る事さえ許さなかったリリスにバク達を与え、その管理を強要さえしたのだ。

彼は、多くの罪を犯してきた。

その中でも、群を抜いて彼を苛むモノは、間違いなく、この時の記憶である。


「ふふっ、変なアダム。ねぇ? バクわかまる?」

「・・・」

リリスの姿が、かつての彼女と、重なる。

「ひとはいさ、こころもしらず、ふるさとは、はなぞむかしの、かににほいける」

「? どうしたの? ホントに変よ、アンタ」

バク達を慰め、彼の元へと駆けて来る彼女。 言葉が、出ない。

前が、見えない。

彼女が、視えない。

ただ黙って、立ち尽くす。

そんな彼に、再び伸ばされる、彼女の手。

何度だって、あたりまえのように、与えてくれる、彼女。

彼は、動かない。

いや、動けないと言ってもいい。

「・・・リリス」

「・・・ふぅ、ホントにもう、しょうがないなぁ、アダムは♪」

リリスは、ふわりと、自らの夫を包んだ。

情けない話だが、涙が、止まらない。

「リリス、俺は・・・俺、なんかに・・・」

「アタシはね、アダム。アンタを恨んだ事なんて一度もないわよ。

ただ悲しくて、寂しかっただけ・・・アンタのそばにいたい、それだけなんだからさ・・・って、もう何度も言ったでしょ?」

なぜ、彼女は、こんなにも優しい?

自分は、かつて、彼女に何をした?

思い出せ、自分の罪を、彼女のナミダを!

「バク達が帰って来ると毎回こうなんだから・・・全く、ホントにしょうがないなぁ、アダムは・・・おおよしよし、なんてね、ふふふっ♪」

「・・・ごめん、ごめん、リリス」

「はいはいはい、赦します、赦しますよ~♪ そもそも怒ってなんていないんだってば、甘えん坊だなぁ、アダムは♪」

ココこそが、彼の望んだ場所。

彼女こそ、彼の光。

彼女の光になりたいと、そうありたいと想うのに、これでは、いつまでたっても、敵わない。

「・・・全く、一体どこまで無敵なんだよ、お前は・・・」 

「ふふふっ、アンタがいるならどこまでも、よ♪」

 

そんな二人の様子を、二階のベランダから眺める、二人の女がいた。

「・・・今日のところは、退いて差し上げますよ、姉さん・・・」

「・・・強敵だわ、いや、ホントに・・・」

ヤレヤレと言った様子で溜め息を吐いたのは、イヴと大地である。

もっとも、彼女達とて、止まるつもりなどないのだが。

今は黙って、見守る事にする。


彼は、完全ではなくなった。

そして、不完全であるが故に、独りではなくなった。


ヤミの中、浮かぶ満月、その輝きは、いか程か。


なぜなのですか?

なぜ、私ではいけないのですか?

貴方を、こんなにも愛しているのに。

私は、貴方だけのモノなのに。

貴方は、私だけのモノに、なってはくれない・・・

愛しい貴方、私の主様。

どうか、教えてください。

なぜなのですか?

なぜ、私ではいけないのですか?


「ふふふっ、遂にこの時が来たようじゃな!」

バク達の来訪から、数日後の御国高校。

校庭に再び設けられた特別製のリンクの上に、三人の女傑が集っていた。

「面白い、実に面白いぞ。ワラワに挑もうなどというたわけが、二人もいようとは、の」

結局、この日に持ち越す事となった。最強証明会。舞台に立つのは、“天”、“王”、そして、“人”。

「奇跡を見せてやるぜ! そしてここで決め台詞だ! 人類を、侮るな!」

低く、低く、身構える那波。その様は、飛び掛る前の獣のようである。漏れ出す光も、輝きを増していく。


昨日の貴方達は、

まるで、あの時のようでした。

私は、なぜ、産み出されたのですか?

私は、貴方にとって、なんなのですか?

それは、もしかして、


戦いの場、悠然と立ち、大地は言う。

「アタシは決して止まらない。いつまでだって、どこまでだって進み続ける。そして再び、アイツを勝ち取ってみせる!」


今、あの女はなんと言った?

愛しい主様。

私は、貴方だけのモノ。

貴方は、私だけのモノ!


「イヴ!!」

叫んだのは、誰か。

瞬間、リンクの中央に現れたイヴ。

その手には、双剣。

吹き荒れる風が、彼女と、彼女の敵を残し、他のものを吹き飛ばした。

降りしきる雨が、リンクを包む結界となり、

この処刑場を隔離する。


それは、もしかして、

都合の良い、人形ではないのですか?

 

「・・・イヴ?」

呆然とする大地。

正面に立つ彼女から、明確な殺意を感じる。いつだって微笑んでいた彼女。

初めてみる彼女の内面に、驚愕する他ない。

(・・・いや、初めてじゃあ、ないか) 

あの時も、こうだった。

冷や汗が止まらない。

勝てない。

解る。

“母”なる彼女。

暴走する“母”に、世界までもが跪く。

「・・・」

双剣が重なり、形を変えていく。

それは、一反の白布となり、イヴの身を包み込む。

“天の羽衣”。

彼女の力の、真なる姿。

そして、

「・・・オーロラ」

頭上を埋め尽くす、虹色の輝きが現れる。

力を解放した彼女は、ゆっくりと目を開く。

その、虹色に変わった瞳が、大地を見据えた。それだけで、身が竦む。

「・・・身の程を、知るが良い」

虹色の津波が、ゆっくりと、彼女へと降り注ぐ。

「くっ! ・・・ふざ、けるな!」


途端、世界は、色を失った。

 

「ふふふっ」

「ぐっ! がぁあああああああ!!」

堪らず、叫んだのは大地だ。

彼女の右半身が、ドス黒く変色していた。

再生、出来ない! しかも、これは

「私は、主様の僕。私にとって、主様が全て。半身などと生温い、この身の全ては、主様のモノ」

「ぐっ! うぅ・・・」

わざと、生かされている。

彼女さえその気だったなら、自分は、今の一撃で死んでいた。

“母”なる彼女の行いは、世界と、そこに暮らす全てのモノにとって絶対である。

故に、彼女の“虹”を、避ける術などなく。 齎される破滅も、必定である。

避けられず、防ぐ事さえ出来ず、ただ受けるしかない、破滅。

これが、彼女の真なる力。

“天の羽衣”、オーロラ。

「貴方にとって、主様は、精々が半身程度のモノなのでしょうね? だから、奪って差し上げました」

「・・・へぇ、そう」

ここまでの損傷を受けてしまうと、もはや蘇生させるしか、回復の術はない。

しかし、それには時間がかかりすぎてしまうし、第一に、現在、世界が“母”の支配下にある以上、彼女の声も届かない。

後は、信じるしかない。

誰を?

「けれど、先程貴方は、何か不遜極まりない事を仰っていましたね? 貴方にとって幸いな事にも、私には良く、聴き取れなかったのですが?」

「へぇ、そう」  

あの時も、こうだった。

「もし宜しければ、もう一度仰ってはいただけませんか? 今度は、聞き漏らしませんから・・・」

誰を信じる?

決まっている。

“彼”をだ!

「アイツは、このアタシのモノだって、そう言ったのよ!!」

「・・・三度目はありません、私は、主様ではありませんから。さようなら。主様は、私だけのモノ」

再び降り注ぐ、虹色の輝き。

それでも、彼女は、


「決めるのは、俺だ!」


この光景を、信じて、疑う事などなかった。

彼女を守る、彼の背中を。

吹き荒れていた突風も、

身を包んでいた大雨も、

天に輝くオーロラさえも、

たったの一振りで、彼は消し去った。

「・・・カッコいいじゃん、ダーリン」


「申し訳ありません!」

正気に返ったイヴは、ただひたすらに、ペコペコと、頭を下げた。

「はい終わり、どう? 動ける?」

「うん、驚いたよ、ありがと、リリス」

妹の不始末は自分が取ると、スタスタとやってきたリリスは、さっさと大地の体を癒してしまった。

(・・・強敵だわ、ホント・・・)

もう、呆れるしかない。

「イヴ、いいよ、勝負だからね、ケガだってするわよ」

「・・・はぁ、いえ、しかし」

「大地がいいって言ってるんだ。この場は、これで納めようぜ?」

言いながら、イヴの肩を抱こうとしたバカを、リリスの“終焉”が打ち倒した。

「ぐはっ!」

「・・・ふふふっ」

「あははっ!」

「ゼ・ン・ブ、アンタのせいでしょうが!」

顔を真っ赤にして、追い討ちを続けるリリスを、その妹と大地が見守る。

一方で、またしても完全に除け者にされた照日は、既に、泣き疲れて眠ってしまっていた。これ幸いと、寝込みを襲おうとする罪人を、悠輝が叩く。

「・・・ヒトの恋路を」

「俺は好かん」

もう一方、こちらも完全に蚊帳の外だった那波が言う。

「う~ん、俺はやっぱり、二人っきりの方がいいかな?」

「安心してくれ、俺は、あのバカとは違う」

言って、彼女の肩に、優しく手を置く刃。

「知ってるし、判るぜ? お前は俺にベタ惚れじゃんかよ?」

「・・・ああ、そのとおりだ」


かくして、神々の演じる修羅場は幕を閉じた。拍手も、喝采もない、苦笑だけが、その場にはあった。


流石の彼も、目の前に広がる光景に、いい加減に、辟易してしまっていた。

「ん? どうしました、老人?」

「・・・」

「・・・いや、その、のう・・・」

ここは、都内某所にある、八河家のリビングルームである。

しかしこの日、ここへと招待された雷蔵には、ここを、というかこの家そのものを、別の言葉で言い表す事が出来た。

すなわち、愛の巣と。

「今日は、ワシなどを招待してくれて、心から礼を言う。食事も酒も、とても素晴らしい物じゃ、ありがとう」

「いえいえ、構いませんよ。たまには、こういうのも良いでしょう」

「・・・」

彼に振り返りながらも、この夫婦は、片時も離れる事がない。完全にベッタリである。

「やっぱり、良いもんじゃ、の」

しみじみと、そんな言葉を呟く、と、

「相手なら、それこそ星の数ほどいるでしょう? あなたも、決して独りではない」

「・・・」

自らの宿敵の言葉は、とても、自然なものだった。

「・・・そうじゃな、たまには、会いに行って、みようかの・・・」

遠く、オリュンポスの山へと思いを馳せる老人を、夫婦は、優しく見守っている。

「ふふふっ、コレこそが、究極の力です」

「・・・」

「全く、そのとおりじゃな」


「“楽園”、か・・・」

静かな夜。

とある街の路地裏で、ゆっくりと空を仰いだのは悠輝だ。と、そこへ、

「ミ、ミカエル様っ!」

トテトテとやってきたのは、彼の優秀な部下である、一人の大天使。

任務を離れ、彼と対峙する時は、いつもアタフタとしてしまう彼女だが、彼は、彼女の力を疑った事など、一度もない。

「どうした? ガブリエル?」

「あっ! っとですね、いえ、その・・・」

らしくもない、任務の時とはまるで違う、彼女の動揺しきった態度。

彼にだって判る。

彼女が、彼をどう想ってくれているのかは。

「・・・ガブリエル」

「へっ! その、わっ!」

ゆっくりと、あくまでも優しく、その面をあげさせ、瞳を繋げる。

多分、本気なのだろう。彼女は、こんな時だけは素早く、その眼を閉じた。

(・・・ふふっ、覚悟だけは、速い)

苦笑して、そっと、彼女の頭を抱いてやる。

「えっ! アレ? えっ!?」

「・・・ガブリエル」

神代の頃から、ずっと、彼に付き従ってくれる、可愛い彼女。

ハッキリと云われた事は、一度も、ない。

それでも、

「良い夜だ。少し、歩こうか?」

「えっ! はっ! はい! 喜んで!」

生真面目に敬礼し、そのまま硬直してしまっている彼女の背を、そっと押してやりながら、二人、並んで、歩き出す。

「・・・良い、夜だ」


「・・・」

「一体どうしたんです? アネさん、珍しく大人しいじゃないですか?」

罪人の質問にも、照日は答えない。

黙って、皇居の天蓋付きベットの上で、うつ伏せになり、何事かを考えている。

ハッキリ言って、不気味である。

この場、この時、彼の脳裏に浮かぶ言葉は一つ、

すなわち、嵐の前の静けさと。

と、そこで、

「・・・良しっ! 決めたぞ! ワラワは今決めた!」

「ハァ、今度は一体、なんですか?」

さて、今度は一体いかなる災厄かと彼が知らず身構えたのも束の間、

「デートをするぞ!」

「・・・ハ?」

硬直する彼。

「デートをするぞ!」

「・・・誰が? 誰とです?」

恐る恐る、訊ねる彼。

「ワラワが! ソナタとじゃ!」

「・・・へ?」

泣く子も凍りつかせる大魔王が、完全に、凍りついてしまっていた。

「ワラワは悟ったのじゃ、やはり、オナゴを最も輝かせるものは恋愛であると!」

「・・・はぁ、そうっすか」

もう、何がなんだか。

「故に! ワラワは! ソノタと! デートをするのじゃ! ソナタの闇は深いからのぉ、照らしがいもあるというものよ!

ふっふっふっ、ついに、ワラワの本気を見せる時が来たようじゃな!」

「・・・オレで、いいんすか?」

らしくもない、言葉。

「何を言っておる? ソナタ以外に、誰がおる? ・・・ところで」

「・・・はい?」

キョトンとした顔で見詰め合う、二人。

「・・・デートとは、なんじゃ?」

「・・・」

ガクリと肩を落とす闇影 罪人。

日本国天皇、大神 照日の護衛という、大変栄誉ある仕事を任されながらも、彼から、溜め息が消える日は、きっと、来ない。



一汗流して、道場に寝転がる、二人。

「・・・なぁ、刃」

「ん?」

顔だけ、彼へと向ける、と、彼も同じように、こちらを向いた。

ただ、それだけの事が、

「ふっ! ははっ! はははっ!」

「・・・ふっ」

こんなにも、嬉しい。

自分がいて、彼がいて、他に一体、何がいるというのだろう?

「今日の夕飯、何?」

「ん、何が良い?」

「お前が作るものなら、何だっていいさ」

「・・・それが一番、困るんだけどな・・・」

なぜなら、彼女、速瀬 那波のリクエストはいつだって、

彼、篝火 刃、その人自身、なのだから。

「刃」

「ん?」

「愛してるぜ?」

「・・・ああ、俺も、愛してる」


真夜中に、眼が覚めた。

彼女達を起こしてしまわないように、そっと、家を出た。

静かな夜。

川辺の土手へと、やってきた。

「・・・」

自分は、正しかったのか、間違っていたのか、それは、今でも、解らない。

けれど、信じていたい。

このキモチは、ホンモノだ。

夜に、想う。

と、そこへ、

「何、黄昏てんのよ?」

大地の躍動が、彼の腕を取った。

「良い、夜ですね」

天架ける虹が、彼の腕を取った。

そして、

「イツまで行こうか? ドコまで行こうか? ねぇ、アダム?」

月の輝きが、彼を抱きしめた。

もう、笑うしかない。

「・・・全く、オチオチ独りでもいられない」

答える、彼女達、

「「「当然!」」」


キミがいる。

ボクがいる。

それだけで、なにもいらない。

キミはココに、

ボクは確かに、

キミを、想ってる。

二人の、この詩が、

ボクらの世界を、

満たしていく。

鳴り止まない鼓動は、

今も確かに、

このソラに響いている。


力ある者


そこは、真っ白な空間だった。

かつてそこには何も無かった。

今では、無数の石像だけが並んでいる。

その中心で、“彼”はまた寂しそうに微笑んだ。


そんな、夢を視た。


許せない、感想はいつも同じ、そう、私は許せない。


何を? 私は、何が許せないのだっけ?

あぁ、覚醒の時は近い。

今度こそ、“彼”に!


光が、広がっていく、またこの世界にも朝が来た。


・・・ところで、私は何者で、ここは、どんな世界だったっけ?


名前はアカネ。職業は旅人。スキル、メインは万能、サブは未来予知、不老など。

世界名、名も無き、初心な、一本杉。テーマ、未定。レベル上限、無限大。属性、オール。


・・・そうだった。目的は?


表向きは“月”への到達、秘めたる願いは白馬の


ダメ! それ以上は! もう行くね、また明日!


“行ってらっしゃい”


そんな、“彼”からの送る言葉が、聞こえたような気がした。


剣士、魔法使い、僧侶、盗賊の四人パーティは今、絶体絶命の危機の中にいた。

ダンジョン攻略に特化した盗賊が、そのスキルで発見してしまった隠しエリアに踏み込んでしまったのがそもそもの間違いだった。

四人が今まで見たこともない、エリアのボスだと思われるモンスターは、名称もレベルもステータスもスキルも属性も、その全てが不明。

盾役の剣士を一撃で瀕死に追い込む程の火力を持ち、こちらの攻撃は全てがすりぬけてしまうという不条理極まりない、まさしく死神だった。

パーティの最大火力である、魔法使いの奥の手の一発も効かず、回復役の僧侶の魔力も尽きてしまった。

盗賊がそのスピードを活かしてなんとか引き付けてくれているものの全員の頭の中には死の一字が浮かんでしまっていた。

とうとう、体力よりも先に気力が尽きてしまった盗賊が転倒してしまう。彼女へとボスの一撃が振り下ろされようとした時だった。


「ハイ、ストップ」


全く唐突に、全員の動きが固まった。何が起こったのか判らず、ただ茫然としている四人。

声の主は、まるで最初からそこにいたかのように、ボスから四人を守る位置へと突然出現した。

「アナタ達は、動ける? ・・・無理っぽいわね。このギアス、やっぱりパパ達みたいには上手く使えないや。ごめんね。直ぐに終わらせるからそのまま待ってて」

ストレートの金髪をフワリとなびかせた、碧眼の学生服姿の女性は、一振りの日本刀を正眼に構えると、消えた。

そして数瞬の後、固まったままだったモンスターは一度ビクリと震え、細切れになり、四散した。

取り残された四人はモンスターが消えると同時に自由を取り戻した。

一目散にダンジョンから脱出していく四人を見送った後、再びエリアにその姿を現したのは先程の学生服姿の女性。その名を闇影 茜という。


宇宙の謎が解き明かされた世界。並行世界への旅行が現実となった世界。

視覚化されたそこは巨大な一本杉の聳え立つ、一つの、これまた巨大な惑星だった。

名も無き杉の木の根は惑星の中心へと繋がっていると言われ、

その枝の先端は他の世界、“星”へと繋がっていると言われる。

行き着いた未来の果てなのか、はたまたそれは始まりの姿なのか、惑星の中心、一本杉を囲むように造られたただ一つの巨大国家ユグドラシルに暮らす人々は、

あるものは惑星の中心を目指し、またあるものは“星”を目指した。

惑星の地図が既に完成してしまっている現在、冒険者達の希望は、太古よりありながら未だ不明の多い一本杉に集まったのだ。

王家の許可を得たものだけが挑めるラストダンジョン、一本杉に挑むものは、数々のクエストをクリアしてきた猛者達ばかりだが、そんな中でも私は群を抜いていた。

地球と言う“星”の日本という国のとある神社の娘だった私は、修行の旅の途中で神隠しにあい、このユグドラシルにやって来た“異邦人”だった。

途方に暮れていた私を拾い、育ててくれた王家の恩に報いる為、数多くのクエストをクリアし、遂には“地図を完成させたもの”の称号まで頂いた。

しかし、私は強過ぎた。当然の帰結として、一本杉に挑み、惑星の中心への到達という最難関クエストの一つをクリアしてしまったのだ。

そこで私はとある人物と出会い真実を聞かされる。この世界は神々が創った究極のゲームであるという事、

そして真実を知った私は人々の記憶から消え、ゲームマスターとしての役目を負う事。

そしてその役目からは次なるゲームマスターが現れるまで解放されない、一種の呪いのようなものである事。

先代ゲームマスターであるその女のせいで私の職業は剣士から旅人へと変わり、厄介なサブスキルの数々までついてくる始末。

私の目的はただ一つ、“月”に帰ると言っていたあの女をこの手で絞め殺してやる事に決まったのだが、ゲームマスターには厄介な制約が沢山あるのだ。

一つ、他のプレイヤーを殺してはならない。一つ、あらゆる“星”に渡ってはならない。

などなどだが、極めつけに厄介なのが、次代のゲームマスターの誕生を強制してはならない、だ。

つまりは、ゲームマスターになるのは本人の自由意志が必要なのだが、私の場合先代のあの女の見事な演技に騙されて承諾させられてしまったのだ。

同じ事をやろうとは思えないし、そもそも出来ないだろう。


うん。思い出したら何やら腹が立ってきた。今日はもう眠ろう。


夢を視た。やはり、夢の中の“彼”は今日も一人だった。


許せない。そう私はきっと、


ユグドラシル国王、ビルガ様から久しぶりに呼び出された私は王宮へとやって来た。

謁見の間で久しぶりに会うなり彼は私が王宮で暮らしていた頃は欠かさず行っていた日課をやはり実行に移した。

「今日も美しいなアカネ、どうだ、オレの妻にならないか?」

「お断りします」

これである。確かに彼の記憶から消されている筈の私なのに。最初の頃は困惑していた私だったが今はもう毎度の挨拶として辟易する事さえ無く、笑顔で受け流している。

国一番の権力者であり、非常な美青年でもあり、お忍びで難関クエストをいくつもクリアしている実力者でもあるビルガ様だが、とにかく軽いお人なのだ。

特に、女性に関しては羽よりも軽いのではないかと私は思っている。

「毎度の事ながら、非常に良い笑顔だ。きっとオレはその笑顔を愛でたくて、挑戦し続けているのかもしれん」

「・・・はぁ、今日も、挑まれるのですか?」

国中の男性達が参加する、私との結婚を懸けた決闘大会で優勝し続けているビルガ様は、優勝者の特権である、私自身への挑戦権をお持ちなのだ。

ここから先は別に自慢話ではなく、ただの厳然たる事実なのだが、とにかく私は男性から好かれる。まだユグドラシルに来る以前、物心つく以前からの話だ。

こちらでもあちらでも逸話は数えきれないので割愛する。けれど私は白馬の、ゲフンゲフン、私よりも弱い男性に興味が無いので今まで交際した経験は皆無である。

「いや、残念だが、今回オレにはその権利が無いのだ。今日お前を呼び出したのは、私を破った強者をお前に紹介する為なのだ」

「・・・ハイ?」

一度として優勝を譲った事の無いビルガ様が負けた?

それは困る。その、心の準備が、まだ、


「ようアリス、久しぶり!」


神でもなければ勝てぬ最強の国王と呼ばれたビルガ様を破った“彼”は人懐っこい笑顔を浮かべて、私の前にあらわれたのだ。

どうしよう!? どうしたらいいの!? えっ!? マジで!?


これは最新の物語。


神話には良くある。父と娘の、禁断の恋の物語である。


「何度も言うけれどアリス、オレはお前の気持ちには応えられない。何故ならお前はオレの愛すべき娘だからだ!」

「私をコテンパンにした」

「うっ!」

「決めてたの、どうせなら私は私にも予知できない程の強い人と一緒になりたいって、そしてパパは予知だけでなく、私の全てを破った」

「ううっ!」

「やっぱり私の運命の人、白馬の王子様はパパなのよ! 大きくなったらパパのお嫁さんになるって言った時、凄く喜んでくれてたじゃない、忘れたの?」

私がまだ親子三人でアマテラスで暮らしていた頃の話だ。旧姓黒神、現在闇影を名乗った憎き夜月母さんの娘が私だ。

憎き? そう憎き母さんだ。何故って、いつまでも娘に旦那を譲ろうとしないからである。

誤解はしないで貰いたいので追記しておくけれど母さんは私の事を凄く凄く愛してくれてはいるのだけれど。

それでも、だ! 娘の一番欲しい物(誤字にあらず)は与えてはくれないのだから。

「いや、それは全ての父親が娘に言って貰いたい言葉ダントツのナンバーワンではあるけれど」

「なら! ・・・それに、だったらなんで私に挑戦したのよ! この私があんなにあっさり負けちゃうなんて、自信なくなっちゃうじゃない」

「当然! 愛する娘に悪い虫がくっつかない為にも、“前進”を抜いたからな~」

ちなみに決闘はものの一瞬で私の完敗に終わった。現在は国王様の懇意の宿屋にて大絶賛父親を攻略、もとい説得? 中である。

闇影 光、大大大好きなお父さんは私とベッドの間に挟まれオロオロと困惑しているばかりである。アマテラスにいた頃はいつも母様達の目が光っていた。

ユグドラシルで再会出来た今、二人きりの今こそが最大のチャンスなのだ。私、闇影 茜は今日こそ女になる!


「ハイ、ストップ」


そこで驚くべき事に、ありえない筈の声が響いた。父さん以外で私の予知を覆せるのは母さんしかいない!

「リリスー! ごめん、ありがとう、助かったー!」

「まったくもう、ホントにアリスには甘いんだからアダムは」

「・・・月に帰ったんじゃなかったの?」

アマテラスにて私が神隠しに遭うと予知した母さんは一足先にユグドラシルへと渡り、ゲームマスターとして私を待ち構えていたのだ。

娘に万が一があってはならないという親心は有難いし、感謝もしているのだが、巧みな泣き落としから権限移譲されてしまった身としてはやはり許しがたい。

「アダムがどうしてもアンタの様子を見に行くって飛び出していったから、追い掛けてきたのよ、案の定だったわね」

「娘の恋路を邪魔するなんて! ママ達はいつもそう!」

「コレはダメ」

「コレ!? オレってばまたしても物扱い!?」

「可哀想なパパ、私が慰めてあげるからね」

「ダメって言ったでしょ?」

母さんと私の間で火花が散る。けれどダメだ。シャドウゲームすら起こらない、何度シュミュレートしても勝ち目が無いって解る。

やはり、いつの時代も母とは娘にとって越えられない壁なのだろうか!

「“夢”では今もパパは一人で泣いているじゃない! なんで一人にするのよ!」

「私達抜きでの人生を全うする事がアダムの永年の“夢”だからよ」

「私は決して! 一人になんてしない! 大好きな人が泣いていたら、我慢出来ないもの」

「生み出してしまった罪、“原罪”と向き合う為のパパのお仕事なんだから、アンタも娘なら応援してあげたら?」

「絶対にイヤだ!」

「・・・ホントにアンタは、アンタも、コイツが好きになっちゃったのね?」

「「?」」

何を今更、けれどやりとりがいつもと違う。母さんは、優しく微笑んだ。困惑する父さんと私。

「好きにしなさい、そして一つだけアドバイス、コイツを自分の物にしたかったら、私を越えて見せる事ね」

「「!?」」

え!? ホント!? マジで!?


親子がドタバタ騒ぎを続ける宿屋を出たリリスを、イヴとガイアが出迎えた。

「強敵出現かな?」

「相変わらずズルいですね、姉さんは。私達の立場はどうなるのです?」

微笑んでいる二人、リリスは

「アイツの“夢”はいつだって終える事ができるんだから、それに・・・」


少女は恋をした瞬間に女になる、突き進む女を止められる道理なんて、決してありはしないのだから


「恋せよ乙女ってね」


日本のS県S市に、樹齢千年をこえる杉のご神木がある神社があった。

20XX年、かつては寂れていたこの神社だけれど、今ではちょっとしたものになっている。

神社の管理を任されていたのは私と師匠の養父、かつては“非人”で“将軍”と呼ばれていた、闇影 将人さん。永遠の二十歳。

殆どの言語に精通。神職にして公務員(?)にして医者でもあり、また何よりも剣術家である。口が非常に達者。

人にものを教えるのが得意な癖に、人から教わろうとする人を嫌う傾向がある面倒な御人。私も師匠も彼には大変苦労させられたものだ。

それでも、師匠とともに私を育ててくれた大変恩義のある相手でもある。

御国高校を定年退職した師匠に神社の管理を任せると、何処かへと旅に出てしまったあの人の教えは、基本がいつも一貫していた。

すなわち、決して型にはまらず、自由であれ、というものだった。実際、彼の剣術には型というものが一切無い。

師匠が表舞台のナンバーワンだとするならば、彼は裏社会でのナンバーワンだった。

“将軍”の通り名に偽りなし、戦場では“英雄”と並びたつ程の実力者でもあったのに、余生を満喫すると言って去った今では一切音信不通となってしまったけれど。

きっと今でも、誰かを導いているに違いない。

先程から私が師匠と呼んでいる女性。元教師にして元人間、現在、仙人となってしまった凄い、これまた凄い御方である。

教員時代は何人もの教え子がいたそうだが、正式な弟子は私一人だ。夜月母さんとは良き恋敵。

父さんを取り合った事もあったらしいのだが、あの極端に気の弱い女性が恋愛に対してどこまで積極的になれたのかは、私にもその多くが謎である。

私が現在使っている刀は元は将人さんの物であった大業物を師匠から譲りうけたものだ。無銘の日本刀。刀鍛冶もこなしていた将人さんの作品である。

折れず曲がらず切れ味抜群のトンデモな逸品である。

真剣よりも木刀を愛用していた師匠にはあまり必要の無いものであったし、将人さんなら同じものを好きな時に何本でも作れる、ので、

私が剣道から外れて剣術を取った際に手にしたものだ。

道を外れ、術を取れば、鬼になる、とは師匠が良く言っていた事で、将人さんもあまり進めはしなかったのだけれど、

当時から、いつか母さん達を倒す事を目標にしていた私には必要な事だった。だって、全員、ヒトではないのだもの。

私は生まれつきなんでも出来た。

厄介な未来予知を含む沢山の異能まで持っていて、身体能力も大地母さんに認められる程だが、それでも、人間の枠からは出られた事が無い。


ネタバレ在り、注意されたし


アダムとリリスの娘だとは言っても、二人がこの世界で暮らす為の仮初の人間の身体から生まれた、正真正銘、この世界の住人なのだから仕方がない。


そんな私、アリスこと、闇影 茜は異世界ユグドラシルにおいて、今日も次代のゲームマスターを求めてダンジョンを隈なく徘徊していた。

目的は一つ、父さんを手に入れる、これだけだ。あれから、結局、父さんは再び逃げた。逃亡先は判っている、母さんの待つ月だ。

直ぐにでも追い掛けたくても、ゲームマスターであり続ける限り、“星”を渡るクエストは受けられないのだから、こうするより他にないのである。

ゲームマスターになる為には、最低限、“限界をこえたもの”の称号が必要になる。

この称号は、一度でも自分の限界を突破して、レベル上限を解放すれば獲得する事が出来るのだが、そもそもレベル上限まで自身を鍛えられる冒険者が非常に稀な上、

儀式に際しても、必要なアイテムが軒並み入手が非常に困難なものばかりなのだ。

多くの冒険者が目標とする称号ではあるのだが、これを獲得するのは極々一部、そして、それ程の逸材ともなれば、同じく“限界をこえたもの”の称号が必要になるクエスト、

“未知への挑戦”という名の、“星”を渡るクエストに挑戦してしまうので、直ぐにユグドラシルから去ってしまうのである。

私に出来る事は、条件を満たした冒険者が現れると同時に交渉し、ゲームマスターの権限を委譲する事、その為にこうして地道な活動を続けているのである。

理想的なターゲットはランクがC前後の中級の冒険者だ。

高ランクになればなるほどレベル上限があがってしまうし、低ランクの冒険者ではそもそもレベル上げもおぼつかない。

限界突破の儀式を実行しやすいCランクの冒険者を探しているのだが、これが中々見つからないのである。

最近の流行りなのかは知らないが、近頃のユグドラシルの冒険者といえば、ユニークな人材ばかりで、ランクも両極端である者がほとんど、

最高のランクSという恵まれた素質を持ちながら精進せず、のんびりスローライフを送るものや、最低のランクFでありながら仲間に恵まれ、

自身はいつまでたってもレベルアップしない者等々ばかりなのである。

ここ、ユグドラシルのシステムでは経験値に関して非常にシビアであり、自身で努力しないものはまずレベルを上げる事が適わないので、

状況は非常に苦しいものとなっていた。

私が探しているのは、能力は平凡でありながらも、困難に立ち向かう事を恐れないような、ステレオタイプな主人公気質を持つ人材のだが、

そんな宝石のような人材は見つけられた試しがないし、予知出来る範囲にも現れる予定はどうやらなさそうである。

のだが、諦めきれずにこうしてダンジョンを徘徊するのが日課なのだ。

酒場に行けよ! という方、当然いるとは思うが、残念な事にゲームマスターは冒険者達が集う酒場には立ち入りが禁止されている(涙) 

沢山の権限を持つゲームマスターであっても、だからこそ、禁止されている条項も多いのだ。“勧誘お断り”の張り紙が効力を発揮してしまうゲームマスターとは一体・・・

「・・・はぁ」

溜息一つは幸せ一つと言うけれど、私の場合、もう癖になってしまっている。けれど、このダンジョン徘徊も決して無駄にはなっていない筈なのだ。

実際、私が就任してからの死亡者数は激減している、目の届く範囲限定ではあるが陰ながら未来ある冒険者達を助けてみたりとかもしているのだから!

「・・・はぁ」


まるで魔法使いのような


ユグドラシルへ、ようこそ

確認しました

名前 アサヒ

性別 女

初期ランク判定 C

初期保有スキル なし

貴方のデータが登録されました

初期設定の変更は出来ません

職業を選択して下さい

受理されました

それでは、いってらっしゃい


私は、ずっと、魔法使いになりたかった。誰もが知っているシンデレラ。お姫様に変身した彼女よりも、華麗に変身させてしまった魔法使いの方に憧れた。

妖精のような衣装を身に纏い、キラキラと光り輝くステッキを振り、なんでも自在にしてしまう。私は平凡な人間だ。何の特技もない。

だからなのだろうか、私は、ずっと、魔法使いになりたかった。


それがどうしてこうなった!


あの真っ白な空間に戻りたい。

ユグドラシルのエントリールーム。

最後に職業を選択出来ると知った私は、他の職業には目もくれず、魔法使いを選択した、だというのに、これの一体どこが魔法使いだというのだろうか!


私は今、必死で逃げていた。身に纏うのはボロボロのローブ、手にはこれまたボロボロの杖、これで毒の入ったリンゴでもあれば、気分は白雪姫の世界である。

違う! 私が夢見ていたのはシンデレラの世界。鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのはだあれ、などと唱えたくもない! 違う! こんな筈ではなかった。

暮らしていた日本で、青信号の横断歩道を渡っていた時に突如、車が突っ込んできたのだ。

ああ、私の人生これで終わったと思った次の瞬間、私はユグドラシルのエントリールームにいたのだ。

まさかの異世界転生! そして齎された魔法使いになるチャンスに私は飛びついた。

のだが、事態は私が思い描いていたものとはまるで違ってしまっていた。

両親からゲームを禁止されていた事もあり、ロールプレイングゲームというものにこれまでの人生全く触れてこなかった私は、最初自らのボロボロの出で立ちに愕然とした。

イメージと違う。気を取り直して、まずはこの世界に慣れようと、メニュー画面にあるチュートリアルを読んでみた。

そして、報酬によってある程度の装備が整えられるらしい初心者用ミッションを達成する為、拠点のある街にある酒場で紹介された初心者用クエスト、

“スライムを倒せ”を達成する為、初心者用ダンジョンに挑戦してみたのだが・・・

「誰か助けてええええええ!」

目的のスライムは直ぐに現れた。ゆっくりと近づいてくるその不気味なモンスターに私はビクビクとしながらも、チュートリアルにあった通り杖を振ってみた。

しかし、何も起こらなかった。

「?」

もう一度振ってみる、しかし、何も起こらない。

「???」

モタモタとしている私に、スライムが攻撃してきた! 体力の三分の一を失った。

「!?」

まさかの事態で、動揺してしまった私は、ただ闇雲に杖を振るばかりだった。

再び、スライムからの攻撃、どうやら当たり所が悪かったらしく、体力が点滅してしまった。

「!?!?!?」

死の恐怖も重なり、完全にパニックになってしまった私。再び攻撃態勢をとるスライム。

私は悲鳴を上げながら、頭を抱え、目を瞑って、その場にしゃがみこんでしまった。


「・・・・・・・・・?」

来るはずだった攻撃が来ない。恐る恐る私が目を開けると、そこには

「怖かったね。でも、もう大丈夫、モンスターは私が倒しておいたから」

これが、アカネさんとの出会いだった。


「たた闇雲に杖を振ってもダメなのよ。あらかじめメニュー画面でスキルをセットしておかないと発動しないから。

スキルを獲得する為にはスキルツリーに振り分ける為のスキルポイントが必要になるし、まだレベルが1のままの貴方はスキルポイントを持っていないから、

最初にモンスターを倒そうと思うなら、物理的に叩くしか手はなかったのよ」

手持ちの回復アイテムを分けてくれたアカネさんは私にそう教えてくれた。魔法使いという職業でありながら、最初は何の魔法も使えないだなんて事は予想出来なかった私は、

迎えるべくしてピンチを迎え、そこをアカネさんに救われたという訳だ。アカネさんは他にも全くの初心者の私に様々な心得を教えてくれた。

私はただただ感謝しながらそのレクチャーを聴いていたのだが

「ところで、貴方の思い描いていた、理想通りの、なんでもできる魔法使いに、なってみたいとは思わない?」

雲行きが怪しくなってきた事に不覚にも気付けなかった私は、アカネさんからの提案についつい乗ってしまったのだった。そして、冒頭に戻る。


「誰か助けてええええええ!」


私は今、必死で逃げていた。何から? 当然モンスターからです、ハイ。

ゴブリン、オーク、コボルト、ゴーレム、果てはドラゴンに至るまで、多種多様な、かつ沢山のモンスター達が先程からずっと私を追い掛けまわしています。

ここはとある隠しダンジョンのモンスターハウスの真っ只中です。どうしてこんな事に! 誰のせいかは解っています! あえてアカネさんのせいだとは言うまい! 

彼女の提案に乗ってしまった愚かな私のせいなのです! しかし、やっぱり敢えて言おう!

「鬼いいいい! 悪魔ああああ!」

アカネさんは超がつくド・スパルタです。


「頑張れ! ファイト!」

私の目の前で、装備だけでなく、身も心もボロボロになりながら、アサヒちゃんがモンスター達から逃げ回っている。

逃げている、だけでも、今回は意味がある。通常、ただ逃げ回っているだけでは経験値は得られない。

だが、命の危機に置かれている状況の方に意味があるのだ。

可愛い可愛いレベル1のアサヒちゃんを私が放り込んだこのモンスターハウスはアサヒちゃんとはレベル差のあり過ぎる多種多様なモンスター達の巣だ。

言うまでもなくトラップの一種であり、熟練の上級者であっても入ってしまったが最後、無事生還出来ただけでも莫大な経験値が得られるのがここなのだ。

私が想定していたよりも体力だけはあったらしいアサヒちゃんはもう3時間もの間、命の危機に瀕している。これでまだ、文句が言えるのだから、大したものである。

実際、彼女は確認する余裕もないだろうが、私のゲームマスター専用メニュー画面では、彼女がグングンレベルアップしていく様を捉えている。

獲得しているスキルポイントも相当溜っているのだが、今の彼女は逃げるのに必死で、悠長に自分のメニュー画面を開いて、スキルを獲得したり、

ましてや使用する事など出来る筈がないのだ。杖でモンスターを殴っても良いのかもしれないけれど、ボロボロの杖の方が折れちゃうだろうね! マル。

「ホラホラ、ペース落ちてるよ~」


「鬼いいいい! 悪魔ああああ!」

私がバカだったのだ。ちょっと命の危機を救われて、優しく指導して貰ったからといっても、アカネさんにノコノコ、ついてくるべきではなかったのだ。

モンスター達が恐れて近づこうともしないあの規格外はニコニコ微笑みながら、私の事を、優しく温かく見守って下さっている。

視える! 私には視える! 鬼の角が! 悪魔の尻尾が! いやいや、ホントにこれ、もう死んじゃうって! 

アカネさんが言うには、私は、彼女が待ちに待った逸材なのだという。予知する事も出来なかったとかなんとか、全く何処まで規格外なんだか! 

彼女に憧れて、彼女のようになりたいと、一瞬でも思ってしまったかつての私を、今なら! そう、今なら私は確実に呪い殺せる気がシマスヨ!


結局、自称文科系のアサヒちゃん13歳は、連続5時間半走りぬいた末にぶっ倒れた。

最後まで、そう、ぶっ倒れる直前まで私に恨み言を言い続けたあたり彼女の将来が非常に楽しみである。

ヒトが懸命に頑張っている姿って視ていてとてもとても心地が良いよね! 将来、そう、彼女には約束された将来があるのだ。

私の身代わりでゲームマスターになって貰うっていうそれはそれは大切な将来がね! 

コンディション、ステータス、チェック、気を失ってはいるものの、呼吸あり、脈拍あり、現在、レベル27。

Cランクのレベル上限は70なのでまあまあ順調な滑り出しと言えるだろう。月まで父さんに会いに行けるのもそう遠くはないのかもしれない。

それにしても、予知出来ない相手と過ごす時間は私にとって大変貴重な時間でもあるので、心行くまで楽しみたいと思う。


努力を無駄にしない為に努力する。が、私のモットーである。

両親や友達は私の事をそのまま努力家であると評価してくれたけれど、私の私に対する評価は少し違う。

少し突飛な話になってしまうかもしれないけれど、私は一般的な人々よりも死というものに敏感で、例えば道で動物の死骸を見かけただけでも、

いつか来る自らの終焉を想起し恐怖しては、立ち竦んでしまうような子供なのだ。

人は皆、死を忘れて生きているというらしいけれど、私はその辺りの器用さがどうにも不足してしまっているらしい。

そんな私にとって、何より貴重なものが、なんなのか、おわかりいただけるだろうか? 

正解は、時間、である。死にたくない、生きていたい、と思うからこそ、叶うならば有意義に過ごしていたい。無為でいる事に耐えられない。

一度きりの大切な人生だからこそ、悔いを残す事を何より恐怖してしまうのが、私なのだ。

これまでの13年間の人生、一切の悔いがなかったといえば嘘になるし、私はいつも現実との戦いに負け続けてしまっているのかもしれないけれど、

いつまで続くか解らない自らの貴重な時間を無駄にするような事だけはしたくないのである。

そんな私だから、なのか、なんでも出来る魔法使いになる事は私にとっていっそ切実な、夢という言葉で終わらせたくない程の目標であり、

その為ならば、アカネさんのスパルタにも、きっと耐えてみせるのだ・・・多分


「なんでも出来るようになりたい? 良いじゃない! 私は応援するし、力にもなってあげるわよ。実はね・・・」


初めてアカネさんと会ったあの日、実は私は、彼女の企みを、ちゃんと本人から聴かされていた。その上で提案に乗ったのだ。

ユグドラシルの真実。彼女がゲームマスターという、この世界で最高の権限を持つ存在であること。

ファザコンの彼女にはどうしてもこの世界の外に行きたい理由があり、その役職が邪魔になってしまっている事。私には彼女にとって代われる資質がある事。

一切を包み隠さず開示してくれた彼女は、どうやら交渉というものがドヘタであるようだけれど、

そのスタンスは、私からしても清々とするものであった事もあって、その手を取ったのだ。

目の前の現実と戦うというスタンスの私にとって、外の世界への願望なんてものは無いし、この世界で最高の権限を得られるというのなら、願ったり叶ったりでもある。


「この世界で、一番、なんでも出来るようになる事だけは約束してあげられる。

ルールもペナルティも、決めるのも守るのも与えるのも奪うのも、アサヒちゃん自身。

確かに制限はあるけれど、なんなら破ってしまっても別に良いんだから、ただ・・・」

「・・・ただ?」

「自由には、孤独が付きまとうものだから、ことわりから解放されてしまえば、みずからしかよしとするものがなくなってしまう、これって結構精神的にくるものがあるのよ」

「・・・」

「なんでも出来るようになったとして、アサヒちゃんは、一体何がやりたいの?」

「人助け」

「即答だったわね」

「うん」


誰もが知っているシンデレラ。あの魔法使いのように、逆境の中で苦しむ人々を助けられるようになれるなら


「一度きりの人生だから、私は、幸せになりたい。幸せだけを感じていたい。

だから、私の周りにも、幸せでいて欲しい。誰かの不幸が、いつだって、私の幸福の障害になってしまうから、そんなものは許さない!」

「・・・あははっ! 凄いエゴイストなのね、まあ、私もなんだけど」

「自分を大切に出来ない人は誰も大切に出来ないって、そういう事なんだと思う。

他人事だと思えないから、放置出来ないから解決するのであって、結局全部、自分の為なの、私は」

「奇遇ね、私もよ。私の後継者になるのに、アサヒちゃんは適任だわ、だって、何の良心も痛まないもの」

「あははっ!」


出会ったばかりでこんなやりとりをしてしまうあたり、私もアカネさんの事を言えないなとは思う。それでも、一度でも共感してしまえば、もう手遅れだった。


「限界突破の儀式の為の素材は私の権限で生成できるけど、レベルを上げる事だけは自分で頑張らないといけないの。頑張れる?」

「うん」


具体的な内容も聴かずに即決してしまったせいで、その日はぶっ倒れるまで、しごかれてしまったけれど、確かに成果はあった。

まったくの初心者が急速にレベルを上げて、いくつかの初歩的なスキルを獲得して、ようやく戦闘らしい戦闘が出来るようになるまで、僅か一日。

この偉業は広いユグドラシルでも僅かしか前例が無いというから、アカネさんの指導者しての有能さが良く表れている。

だがしかし、レベルというものは上がれば上がってしまう程必要な経験値が莫大に増えてしまうものであるらしく、私の成長の速度は段々と遅くなり、

初日程目覚ましいものではなくなっていった、と、言えたなら良かったのに!


「鬼畜! 魔王!」

「魔王ならいるでしょ、そうアサヒちゃんの目の前に、何体も」


そうなのである。

七大魔王とかいう得体の知れない、一体だけでも規格外の存在が全員集結して、初級スキルを獲得したばかりのまだまだ駆け出しの魔法使いを虐めているのである!


「アサヒちゃんってば折角獲得したスキルポイントをバランス良く振っちゃって、初級スキルしか獲得出来なかったからね。

セオリー通りなら一つだけでも良いから上級スキルを獲得して、楽をするものなんだけど」

「そういう大切な事は先に言ってよ!」

「テヘペロ!」


上級スキルどころか、最上級スキルを乱発するような魔王様方は高笑いしながら、私を、私だけを攻撃してくる。

モンスターハウスでもそうだった事だが、七大魔王様からも恐れられているらしいアカネさんは可愛らしく舌を出した。可愛いじゃねぇか、畜生! 

確認しなくても解る。つまりアカネさんは私に楽をさせるつもりが一切無いのだ。私は今日もひたすら逃げの一手である。

数少ないチャンスを狙って反撃してみたけれど、ダメージの判定すらなかったのだから、勝負になりませ~ん(涙) というかこれ、明らかに虐待なんじゃ・・・


「アサヒちゃん! 今最高に輝いているわよ!」

「アカネさんこそ、最高に良い笑顔です!(怒)」


あの七大魔王を相手に反撃してみせた根性は流石は私が見込んだアサヒちゃんである。もうボロボロ泣きながら、死に物狂いになっちゃっているけどね! 

前回と同様かそれ以上の速度で成長していくアサヒちゃん。当然である。あれらの魔王は一体で、上級モンスター一個師団クラスなのだから(笑) 

前回も思ったけれど、アサヒちゃんは本当にタフだ。体力も認めるべきだが、その気力が凄まじい。決して折れない心、関心関心。

まぁ、例によってメニュー画面を開く余裕がないせいで、新しいスキルを獲得する事が出来ないあたりが試練かな? 

それでも、種明かしを一つするならば、ここユグドラシルでは、レベルアップによるスキルポイントの割り振りは手動で行う必要があるのだけれど、

ステータスアップだけは、冒険者によって個性がある為の措置なのだが、自動で行われているのである。

つまりそれがどういう事なのかと言えば、アサヒちゃんはこの逃げてばかりの戦闘(?)の中でも確実に実力をつけているのである。

お、今の身のこなしは良かったなぁ・・・


「モンスターには苦手な属性がある事もあるから、色々な属性のスキルを持っているアサヒちゃんはどんな相手とも渡り合える可能性を持ってはいるのよ」

「効かなかった! 効かなかったよ!」

「だって魔王だもの、初級スキルなんて当然効果なんてある訳がないよね?」

「やっぱり確信犯か!」

「いやいやお姉さん感動しちゃったよ、ホントホント」

「アカネさんは鬼でも悪魔でもなかった、いっそ邪悪な女神だわ!」


うん、実の母がまさしくソレ。


「なんの比喩でもなく、ホントに三日三晩逃げまわったのよ!」

「立派になったねぇ」


最初は半日もたなかったというのに、二回目でこの成長ぶり、驚異的である。

アサヒちゃんはどうやらその辺りの自覚が足りないようだけれど、気力だけは十分にSランク相当だと言えるだろう。予知が出来ないのも納得である。

どんな試練も乗り越えてしまう主人公気質は予知を軽く超えてしまうのだ。俗に言う奇跡を起こすというやつか、父さんの話では極々稀に存在するらしい。

人間って素晴らしいね!


「そんなアサヒちゃんにプレゼント、何でも好きな装備を揃えてあげよう! このリストから選んでね」

「え!? 正気!?」

「そこはせめて本気と聞こうよ」


パアアっと顔を輝かせながら、これまでの教訓からなのか、リストを慎重に吟味するアサヒちゃん13歳、チョロい。可愛いなぁ、ホント。

レベルも60を超え、いくつかの上級スキルまで獲得し、いまや一人前の冒険者である。

それでも、彼女の目指す理想の魔法使いにはまだまだ遠いのだけれど、ちょっとしたお祝いぐらいはよろしかろうと私も思ったのである。マル?


「それじゃあ始めましょう!」

「やっぱりかああああああああ!!」


憧れだったピカピカの衣装、光り輝くステッキ、どちらも紛れもなく最高ランクの装備。

しつこいくらいにアカネさんに色々と質問しながら揃えた最強の装備である。

スキルの獲得もちゃんと自分なりに納得のいくものを厳選出来たと思う。

だがしかし、

しかしである!

アカネさんに連れて来られただだっ広い空間には私とアカネさんの二人きり、これが何を意味するのかと言えば!


「大丈夫、ここなら、いくら泣いても叫んでも、誰も助けに来ないから!」

「もはや悪意しか感じない!」


ガタガタと震える身体とステッキ。私のここ何日かで無理矢理研ぎ澄まされた本能が告げている。今度こそ死ぬと!

最強? だからどうした。最強が無敵に立ち向かえるものか! 今なら解る、前回までの試練など、コレに比べればただのお遊びでしかなかったのだと!

夢にまで見ていた衣装が私の死装束になってしまうなんて!

うわ、刀抜いたよ、この女!


「いやいやいやいやいやいや、そもそも私、魔法使いなんだってば、接近戦とか無理でして」

「魔術戦でも良いけど?」

「墓穴!? ホントに一体何者なんだアンタは!」


私なりに精一杯時間を稼ぐつもりが、一言だけでタイムアウト、待ったなし!

ダレカタスケテ


私、進藤 朝姫13歳、魔法使いに憧れる、何処にでもいる私立中学一年生。

そこそこ裕福な家庭に生まれて、優しくも厳しい両親に育てられました。

乙女座のA型。食べ物の好き嫌いはありません。アレルギーもありません。友達は沢山いますが、恋人はまだいません。

将来の夢は幸せなお嫁さんです。

弟が一人います。

難関の中学受験を突破して御国中学に入学しました。吹奏楽部員です。担当楽器はトランペットです。

ある日の登校中の事でした、青信号の横断歩道を渡っている時に、突然車が突っ込んできて・・・


・・・走馬灯です(涙)


「あ、気が付いた、まだまだ、ガンガン行くよ~」

「いっそ殺して!」


私は今、あらゆる地獄を経験しています。アカネさんのプロデュースで。

今更気づきました。ここまで状況が整っていたのですから、今度こそ、一人でコツコツと地道にレベル上げをするべきだったと。

憧れの装備というプレゼントに絆されて、合計三度もアカネさんの後についていったのがそもそもの間違いだったのです。

三度目ってとてもとても大切なんですね。実感です。何故敬語なのでしょうか? そもそも私は一体誰に話し掛けて・・・


「ハイ、ストップ」

「「!?」」


それは全くの突然でした。私達二人以外誰もいなかった筈の空間に響いたその男性の声は、アカネさんの動きを完全に止めてしまったのです。

黒いスーツに白いシャツ、黒いネクタイを身に着けた、それはそれは優しそうな大人の男の人でした。神様?


「家の娘がとんだことを、本当に申し訳ございません」

「・・・はぁ、いえ、その、なんと言いますか」

「親の私達から厳しく叱っておきますので、何卒今回はご容赦下さい」


そう、今現在アカネさんはこの場にいないのだ。

この男性、ヒカルさんと名乗った、方が連れて来た三人の大変怖そうな女性たちに何処かへと連れて行かれてしまったのである。

遠くからずっとアカネさんの悲鳴が聴こえる気がするがきっと幻聴だろう。ザマミロ。

それにしても、私みたいな子供相手に随分と丁寧に接してくれる人だなぁと思う。

この人が、アカネさんのお父さん? 信じられない。お母さま方は納得の怖さであったけれど・・・


「もっと早く駆け付けるつもりだったのですが、何分細かな制限が付きまとっている身なものでして、いえ、あの娘を一時とはいえ放置してしまった私共の責任で御座います」

「あの、その、そんな言葉遣い辞めて下さい。私みたいな小娘が相手ですし、私もそれではかえって恐縮してしまいますから」

「・・・良いのかな?」

「はい」

「・・・ありがとう。優しいんだね。アサヒちゃんだったね。改めまして、アカネの父、ヒカルです」

「その、本当にお父さんなんですか? 失礼ですがまるで似ていませんけれど?」

「あの子は、見た目も性格も母親似でね、ここだけの話、正直かなり手を焼いているんだ、ボクも」

「解ります!」


反射で同調してしまった私、恥ずかしい。そう、いやでもこれは間違いなくシンパシー。

きっとあのお母さんなら遺伝子までも強いに違いないなどと誠に失礼な事を想像してこっそり胸の内で笑ってしまった。

それにしてもこの人達、ちょっと若過ぎる気がするのだけど、これが良く言う年齢不詳というやつだろうか?


「失礼かもしれませんけど、おいくつですか?」

「この身体は・・・もう40になる、かな?」

「身体?」

「はははっ、まぁちょっと特殊なんだよ、ボク達は。もっともこのままだと君までボク達のようになってしまうけれど、本当に良いのかい? 

ゲームマスターに寿命なんてものはないよ?」

「え? そうなんですか!?」

「うん。しかもほとんどの人は君の事を忘れてしまうし、かなり孤独で、退屈な仕事という事だけは間違いないよ? それでも?」

「なります!」

「即答なんだね」

「決めてましたから」

「解った。それじゃあアカネ達が戻って来たら継承の儀式を行うよ、君のレベルはもうとっくに70だからね」

「・・・・・・・・・・・・え? ホントですか?」

「アカネの作る“地獄”は時間に縛られないからね。君はもう、大体一週間近くもの間、文字通り地獄を視たんだよ」

「あの、アカネさんを叱るって話、本当に厳重にお願いします!」

「はははっ! 了解」


なんだかこの人の事は好きになれそうな気がする。何と言えばいいのか、邪悪な娘とは違って、凄く気持ちが良い笑い方をする人だ。

私がこれまで見て来たどんな大人達とも違うような気がする。少し、本当に少しだけだけど、彼に興味が湧いてきた。


「あの! ヒカルさんって!」


途端だった、私の全身の血の気が引いた。いつのまに戻って来たのか、アカネさんは鬼の形相で私に斬りかかろうとして、また、ヒカルさんに止められた。怖過ぎる!

え? なんで?


「・・・リリス?」

「ごめんごめん、ちょっと目を離した隙にさ」

「姉さんが悪いんですよ?」

「アタシは止めたんだよ?」


ヒカルさんに問いただされて、三人の奥様方、リリスさん、イヴさん、ガイアさんが答えた。

狂犬を解き放った事を悔んだ様子は、私には見受けられない。


「私のパパに手を出すなら、命懸けだよ?」


固まったまま私に告げるアカネさん。無言で肯定する奥様方。いや、私は、まだ、そんなつもりは欠片も・・・ナカッタンデスホントウデス


「それじゃあ、儀式を始めましょうか」

「よろしくお願いします」


なんとも恐れ多い事に、ユグドラシルの創造主達が立ち会っての継承の儀式である。執り行うのはリリスさん。


「まずは限界突破の儀式からね、アカネ、供物を並べて」

「うん」


私の四方に置かれた台座の上にアカネさんが、素材を並べていく。

通常ならば、一つ獲得するだけでも非常な困難を伴う素材らしいのだが、全てアカネさんの権限で即座に生成されたものだ。

明らかなチート行為というヤツらしいのだが、リリスさんの許可が出ているので、誰も咎めたりはしなかった。恐縮!


「この私が全てを許す、以上」


あまりにもあっけなく、私のレベル上限は解放された。自分の中で、視えない壁のような物が取り払われたような感覚があった。凄過ぎる!


「限界突破は、必要なレベルにさえ到達すればこれから何回でも出来るわ、素材集めはやりたければやっても構わないけれど、

せっかくゲームマスターになるんだから、自分の分くらいはこれからも生成して構わないわよ、私が許す」

「はい! ありがとうございます!」


直立不動!


「それじゃあ続いて権限移譲の儀式ね、アカネ」

「うん」


アカネさんはスタスタと私の目の前にやって来ると、そっと、私の額に口付けをした。

瞬間だった。


ソコは真っ暗なヤミの中だった。

とても静かで、とても温かい。

ココにはきっと全てがあって、おそらくは何も無い。


そんな、夢を視た。


私のランクがCからEXへと変わった。あらゆる制限、拘束から解放されていく。無限の可能性を身体全体に感じる。コレ、ちょっと凄過ぎないか?


「レベルだけはまだ70のままだけれど、これから、きっとアナタも、もっとずっと強くなれる筈だから、頑張ってね。

なんでも出来る魔法使い、素敵な目標じゃない。応援しているわ」


そう言って、身を翻すリリスさん。他の奥様方も笑顔だけを残して、続いて去って行った。

後には私とアカネさんとヒカルさんだけが残った。


「アカネさんは、これからどうするの?」

「私はこれから、パパにたっぷりと叱って貰うの、二人きりでね、ウフフ」

「「・・・」」


私とヒカルさんの顔から血の気が引いて行く。うん、ホントにドン引き。

それでも・・・


「「ありがとう、楽しかった」」


アカネさんとハモってしまった。不覚。


「「またね」」


以下、前文。

ヒカルさんに手を引かれながら去って行くアカネさんを、手を振りながら見送って、一人になって、私は考える。さあ、どうする?


これから始まる私の物語。

最近流行りの異世界ライフ。

私は、ゲームマスター専用のメニュー画面を開くと、現在ダンジョン内にいる冒険者達のリストを表示した。そのいくつかに、現在危機にあるという報せがあった。

私は・・・


「今、行くからね!」


見ず知らずの誰かの為に、誰かと出会う自分の為に、彼女の旅も、きっとまた続いていく。

誰もが知っているシンデレラの物語。お姫様よりも魔法使いに憧れた、そんな少女の物語。


父と娘


さてさて、例の親子はと言えば、


「さぁ始めましょう! 親子水入らず二人きりの時間を! 叱ってくれるんでしょう?」

「う! うぅ・・・」

相変わらず、娘が父親に一方的に迫っていた。しかし、しかしである。読者の皆様にはどうか安心して頂きたい。この二人が一線をこえる事はありません、念の為。

だって、出版できなくなっちゃうからね!

そんな二人、長きに渡る役目から解放されたばかりの娘のアカネと、役目も仕事も放りだして娘のもとへと駆け付けた父親のヒカル。

二人はせっかくだからと、ユグドラシルの王都にある酒場へとやって来ていた。

アカネにとっては念願の入店であるし、ヒカルにとっても人目のある所の方がいくらか安心なのである。

多種多様な異世界と繋がっているユグドラシル。

その中心でもあるここでは、通貨さえあれば、古今東西、あらゆる飲食が可能なのだが、

あいにくな事にアウトローな二人はその通貨をほとんど持っていなかったので、ユグドラシル国王、ビルガから直々に借金をしていた。

ビルガは、アカネがゲームマスターの役割を担う前後も、当然のようにアカネの事を忘れる事はなく、覚えていてくれている。

アカネにとっては有難い存在なのだが、毎度の求婚だけは決して欠かす事が無いので、どうにも対応に困る存在ではある。

そんな彼だから、これまた当然の如く、いくらでもアカネに貢ごうとはしてくれたのだが、流石に気が咎めたので、借金という形にしたのである。

そんな訳で、この日はアカネのオゴリである。

二人ともにハンバーガーセットをパクつきながら今後の計画を立てていた。サイドメニューのポテトをコーラで流し込んでから、アカネが言う。

「適当なクエストを受けてお金を稼ごうよ。勿論、カップル限定のデートクエストで! “ケーキ入刀”とか“困難の中で芽生える愛”とか、色々あるし」

ウーロン茶を吹き出しそうになるのを懸命に堪えつつ、ヒカルが言う。

「親子でカップル限定とかいけません! もっと普通のクエストで良いんじゃないか? “採取”とか“討伐”とか、ありふれたものも結構楽しいと思うぞ?」

「絶対デート!」

「うぅ・・・」

まぁ世の中には親子デートというものもあるようですが、アカネの言うそれは完全に恋人同士のそれなのでヒカルとしては当然アウトなのですが、

とにかくこの男は娘に甘いのです。なので、

「しばらくはちゃんとそばにいるつもりだから、二人きりで、“採取”と“討伐”の並行作業でどうだ? 共同作業だし、ピクニック感覚なら、

まぁ、デートのようでもあるし」

スレスレの提案ですね。いくつかアカネの琴線に触れるキーワードを混ぜてしまうあたり、このバカは本当に、以下略。

「ウフフ、仕方がないなぁ、パパは♪」

「うぅ・・・」

そんなこんなで、翌朝。

ここのところ、毎晩寝床を度々襲撃してくる娘を撃退する為、若干睡眠不足気味のヒカルと、元々ショートスリーパーで、元気一杯のアカネ。

アカネは幼い頃から非常に寝つきが良く、育てる分にはあまり苦労はしなかったのだけれど、成長した今となっては、自分だけ上手に、

短時間で効果的に睡眠が取れるのを良い事に、毎晩、父親に夜這いをかけているのである。

ヒカルの努力もあって、当然全て、未遂に終わってはいるのだけれど、睡眠不足はかなり本気で辛いものがあるので、この二人の生活はあまり長くは続けられないだろう。

それでも・・・

「ウフフ」

「はははっ」

やはりヒカルも父親である。愛する娘との時間は大切であり、許せるワガママはどうしても許してしまう。リリスも呆れ顔だろう。

それでも、この穏やかな時間を過ごしていたいと思うのだ。

晴れ渡る高原で、綺麗な花々や、貴重な薬草や鉱石などを採取しながら、時折あらわれるモンスターを討伐する。

獲得した素材もあわせて冒険者ギルドで売却すれば、すぐに借金も返せるだろう。

昼時、澄んだ湧き水が流れる河原で、二人でサンドイッチを食べながら、釣りをして過ごした。何も釣れなかったけれど、楽しい時間だった。

日が暮れるまでクエストを継続して夕方に換金、夜は酒場で食事、宿屋に帰ってドタバタした後、休息を取る。

そんな日々をしばらく続けて、借金を完済して、いくらか余裕も出来た頃、リリスが夫を迎えにやって来た。

「アンタも来る? もう帰って来たら?」

訊ねる母に娘は

「たまにはママにも親孝行するよ、パパの事よろしくね、私はもう少しだけここにいるから」

ニッコリと笑って答えた。帰っていく両親を見送った後、思い出したのは、年の離れた友人の事。きっと今も、誰かを助けているに違いない。

「アサヒちゃん、元気かな?」

言いながら、歩き出す。ひょっとしたら、何処かのダンジョンでまた会えるかもしれないなと、期待するアカネであった。


ここはユグドラシル、破天荒な王様が治め、不器用な魔法使いが見守る、沢山の冒険者達が集う世界だ。貴方もいつか訪れる事があるかもしれない。


銀河鉄道の夜


時空間旅行。

誰でも一度は願った事のある事柄ではないだろうか。

ここではない何処かへ行きたい。

過去や未来に行ってみたい。

行けます。

といいますか、貴方もとっくに経験済みなんですよ?

何故なら、睡眠を一切取らずに生きていく事なんて不可能なのですから。

そう、睡眠です。

もっと具体的に言えば無意識になることこそが、時空間旅行のもっとも身近な方法なのですよ。

肉体を伴わない、魂だけでの時空間旅行は誰もが毎日のように経験している事なのです。

原理はとても簡単。

魂を肉体に繋ぎ留めておくには意識を常に保つ事が必要なのです。

それは裏を返せば、意識さえ手放せば、魂は肉体から解放されるという事。

そして魂というものには、時空に限らず、殆どの制約というものが存在しないのです。

もちろんリスクもあります。

元の肉体に絶対に戻れる保証、これ、実は何処にも無いんですよ。

怖くなってきましたか?

ええそう、今度の物語はまさかのホラーなのです。

読んでしまったが最後、恐怖で夜も眠れなくなってしまうようなお話なのです。

そのものズバリですね。

それでは、貴方を、銀河鉄道へとご招待致します。


気が点いた。またしても、気が点いてしまった。

私は、どうやら今夜も、マズイ事になってしまったらしい。

ここは銀河鉄道の列車内、無数の魂達が、これまた無数の世界へと渡る為の列車の中。

何故解るのかって? 邪悪な女神に親切丁寧に説明されてしまったからだ。

初めて私がここで覚醒してしまった時、たまたま乗り合わせた邪悪な女神にね!

「久しぶりね、セイレーン、ところで貴方、自分が何者なのかちゃんと解ってる?」

開口一番、彼女はそう言った。本能的に危険を察知した私は、首を振る事も、頷く事さえも出来ずにただただ硬直してしまっていた。

そんな私に、全く優しくないご主人様は、一から十まで説明して下さったのだ。

私の正体が彼女の使い魔である事、酷使される日々に耐えきれず“図書館”から逃亡した私は、現在、一人の人間として、平凡な人生を送っている事。

私が覚醒してしまったのは、私の自意識過剰が原因である事。元の身体に戻る為には彼女の協力が不可欠である事。全てだ。

「意識高い系って実は結構不幸だったりするのよね。平凡な人生から外れてしまいやすいという点では特に。だって“夢”の中で覚醒しちゃったら、もう戻れないものね?」

「・・・」

恐怖! 他の使い魔達も誰一人の例外もなく同意してくれるとは思うのだが、本当にこの御方は恐ろしい!

彼女の言う通り、自力で元の身体に戻る為には、“夢”の中で意識を手放すしか方法がない。

それさえ出来れば、後は魂と肉体が再び自動的に繋がってくれるのだから、けれど、

「貴方、物凄く寝付きが悪いから、大変ね? どうやって帰るのかしら?」

「・・・お母さま」

私は、屈服した。

銀河鉄道の車掌でもある目の前の人物と交渉するしか、私には手段が無いのだ。全て見通した上でのこの態度なのだから!

「“図書館”に帰ります、いえ帰らせて下さい!」

列車の行き先を決める権限、“切符”が無い以上、“図書館”にある“本”からアクセスするしか残された道は無い。どの道、帰るしか無いのだ。

そうして、初めて覚醒してしまったあの時から、ただの使い魔でしかない私は、何度も脱走しては、何度も連れ戻されてしまっているのである。

間違いなく今度も、大量の仕事が待っているに違いない。

こうなってしまったが最後、私に残された唯一の楽しみは、他の使い魔達と仕事帰りに飲みに行く事ぐらいである。

話題は決まっている、言うまでも無い!

それにしても・・・

「毎回思うのですが、タイミングを外さないですね、お母さまは」

「・・・」

「・・・心配、して下さっているんですね」

「・・・」

私には解る。解ってしまう。他の使い魔達もそうだろう。

リリス様の顔が、本当に、本当に少しだけ赤くなった。

「ありがとうございます、迎えに来て下さって」

現実が、嫌になってしまう事は誰だって経験がある筈だ。特に、今度の失恋は痛かった。

泣いて泣いて、泣き疲れて、眠ってしまったのが最後の記憶だ。

皆、なんだかんだ言うけれど、私もやっぱり、この御方が大好きだ。

さあ、帰ろう!


誰もが乗った事のある銀河鉄道。その車掌は、それはそれは美しい女神であるという。


彼女が夢見た四畳一間


時間も空間も超えた旅は今も続いている。

決して楽ではない旅路だが、休暇が取り放題なのは何よりのメリットである。

長旅に疲れた時は、家に帰って休養する、これもまた旅を続ける上で大切な事。

これは、“彼女が望んだ四畳一間”の物語。


信じる者は救われるというけれど、オレはこう言いかえるのだ、信じられる者は救われていると。

一人では幸福になれないというけれど、これもまた一人でなければ幸福なのだと言いたい。

つまり、私が言いたい事は、共感しあえる誰かがいる限り、その者は永劫幸福だと言う事で、そんな日々の結晶がこのテーブルの上に並べられている料理達なのだと思うと、

箸を持つ手が震え、顔面から血の気が引いている事も、意識しないようにするべきなのだろう。贅沢を言うなと。


オレには現在三人の妻がいて、リリス、イヴ、ガイアとそれぞれが魅力的なのだが、今日は久しぶりにリリスとの二人きりの時間を過ごしている。


オレは本来“図書館”に住まう者なので、時間に制限されるような暮らしは送っていない。だがそれはあくまでも“本”の外での話であって、中では違う。

だから思う。あるいはいくらかの時が過ぎれば助かるのではないかと、無駄な考えだ、ここはいくつかの例外のうちの一つ、

“図書館”の一角に何故か建てられたオンボロアパートなのだから。彼女の望んだ慎ましくも幸福な時を過ごす為の別荘なのだ。

なんとかと時の部屋のような場所だと思ってくれて構わない。

だから、オレは向き合わなければならないのである、今現在と。


リリスの料理は命に関わるのだ。腕前はベラボウに高い癖に、時折、創作料理だと言って珍品を用意してしまうのである。

拠点にしている一つ前の世界で一応の落ち着きを向かえたオレの、彼女との夫婦生活での唯一の問題点、オレは家事が一切出来ない。


妻たちに甘えてしまっているからなのだが、こういう時に顕著である。


どうせ死んでも生き返る、そもそも飲まず食わずでも実は問題ないのだが、彼女は何故か貧乏な新婚生活の再現というやつを執拗に繰り返すのである。

仕事から帰ってきた旦那とその妻の一つのテーマ、“お風呂にする? 食事にする? それとも”なアレでる。なので、彼女の力作を拒絶するわけにもいかない。


「大丈夫よアダム、今回は二人にも相談しながら作ったんだから」

「イヴとガイアに? うん、それなら大丈夫そうだな、リリス」


なんだ助かった、今回は中毒死を免れる事が出来そうである。あの二人は刺激の強過ぎる劇薬を作ったりはしない。


「心配しなくても、もし倒れたら、また私が優しく介抱してあげるから、なんていうオチは無いよな?」

「・・・ええ」

「なんで間があるんだよ! あの二人から何を教わったんだ!」

「だって、私のエンディングレパートリーの一つなんだもの」

「なんだよソレ! 普通作らないだろ、夫を昏倒させるレパートリーとか」

「大丈夫、味は保証するから、味は・・・ね」


なんだか最近のオレの趣味志向をこの女は勘違いしてしまっている節がある。最近のオレの“読書”遍歴から、オレは虐められるのが好きなドMなのだとでも。

行き過ぎた間違いである。オレはいたってノーマルだ。


「どうせやるならベタでいこうよリリス、デフォルト最高、普通万歳」

「何よアダム、私の手料理が食べられないって言うの?」

「・・・うう」


その台詞を言われてしまってはもう逃げ道はない。愛する妻の手料理なのだ。男には、進まねばならない時があるのだ。


「ええい! ・・・美味しいな」

「でしょ」


勢いガッついてしまう程の旨さだ。食後にウーロン茶を一杯。至福。


「体も、なんとも無い」

「当たり前でしょ、私だって理由もなくアンタを虐めたりしないわよ」


なんと


「そうだったのか、いや誤解してたよ、・・・リ・・・リ・・・ス」


アレ? なんだか眠くなってきた、な。


歌が聴こえる。お世辞にも上手いとは言えない、けれど不思議と胸を打つ、そんなリリスの歌声が聴こえる。

最近の彼女のお気に入りはとある島国で一つの時代を築いたカリスマと呼ばれるある歌姫の歌だ。

最愛の人へと送る歌。アルカディアのカラオケボックスに行く度、良く二人で歌う。


うん? 


「ウーロン茶って薬を入れやすいから助かるわ~、アンタって食事の時は必ずウーロン茶だしね」

「・・・」


なんだ、眠らせたいなら魔法でも使えばいいのに、一服盛るとは手の込んだ事を。しかし、文句を言う気にはならない。なぜなら


「これが目的だったのか」

「そ」


彼女の膝枕はとても気持ちがいいのだ。


「愛してる、リリス」

「アタシもよアダム」


結局はこうなるのだが、これもいつもの事だ。結婚するまでに長い時間がかかってしまったリリスには、やりたい事が無限にあるらしいのだ。

それに付き合うのは夫として当然である。・・・なんだかんだ言っても、愛しているのだから。


「なんだか二人っきりって久しぶりだったから、ちょっとね」

「“それとも”になだれ込む為の伏線だったか」

「終わったらまた二人で近くの銭湯に行きましょうね」

「・・・了解」


ここから先は大人の話だ。読者を選びたくないオレは、ここで“記録”をとりやめる。

覆い被さってくるリリスと優しく口付けをし、起き上がってから、彼女を優しく抱き上げるのだった。


なんていう、幸福な一幕もある。オレ達の活力の源だ。


時が果てても、果てる事の無いものが、確かにあるのだ。


そうして、また、旅は続いていく。


貴方の旅にもどうか幸あらん事を!


あとがき


これが最後の物語。


貴方の為の物語。


舞台は地球。種族は人間。目標、誰にも負けないハッピーエンド!




これはホンの一例。とある大バカ者の物語。


極東の島国、S県S市に暮らすとある小説家の物語。




S市生まれのS市育ち、S市の外に滅多に出る事のない社会不適合者。


ここで、S市の事を簡単に説明、住みやすく、暮らしやすい、程よい田舎、S県の典型。


本当に簡単。


この小説家、名前は、面倒なので、ヒカルという事にしておこう。“喪服”なんて滅多に着ませんけれど。


現実社会であの装いは大切な時にしかしちゃいけませんと思います。


そこそこ裕福な家庭に生まれ、厳しさよりも優しさが先に立つ両親に育てられました。


若い頃限定で美人だった専業主婦の母と、今尚イケメンの開発者の父。結婚して独立したこれまた美人の妹が一人います。


忘れてはいけないのが愛犬ですね。可愛いパピヨンが一匹、今日も宅配業者さんに元気に吠えております。


現在38歳。フリーター。正規雇用された試しがない半人前が私です。趣味はゴルフの打ちっ放しと小説を書く事。


最近のささやかな喜びは、スマホゲームのガチャで虹色演出が出た事でしょうか。


当然の如く独身。恋人も無し。友人も、自慢できる程多くはありません。数少ない友人とも最近はコロナのせいでなかなか会えません。


タバコは辞めました。お酒も家では滅多に飲みません。けれど飲み会の空気は大好きなので、積極的に参加していたのですが、コロナのせいで、以下略。


現在、もう何度目になるのか数えたくも無い転職の為、有給を消化中。なんとか決まった今度の職場では今度こそ正規雇用を掴み取りたいと燃えています。


そんな私、とうとう書く事に詰まってしまった私は、パソコンから流れる音楽に浸りながら、キーボードを、それでもなんとか必死に叩いておりました。


世間の漫画の中には漫画家の話も散見されますし、小説の中に小説家の話があってもよろしかろうという苦肉の策であります。


これは私の偏見かもしれませんが、エンターテイメントに関わる人間というのはやはり自己を表現したいという願望が何処かにあるようで、


私も簡単な自己紹介くらいなら望む所なのです。それで原稿が完成してくれるなら、これ以上の悦びもありませんからね!


折角の幸福を自らの行いのせいで台無しにする人生というのが、私の人生の簡潔なまとめであります。


例えば、私には、物心ついた頃から綺麗な幼馴染がいました。信じられますか? 


現実にそんな存在がいる事が一体どれだけの幸福なのかまるで解っていなかった私は、最初の過ちを犯します。


小学校に上がったばかりの頃、幼馴染が学校に何か強烈な臭いを伴って登校した事がありました。


それが何の臭いだったのかは解りません、ひょっとしたら私の為に初めて着けてくれた香水であったのかもしれません。


私も幼かったと言えばそれまでの事なのですが、私は周囲と一緒になって、集団から外れてしまった彼女を迫害してしまいました。


結果、彼女は転校する事になってしまったのです。本当に、悪い事をしてしまったと反省しております。


私に初めてヴァレンタインのチョコレートを手渡してくれた時の君の顔を、私は一度も忘れた事がありません。


男の子の遊びに、君が女ながらに懸命に付き合ってくれた事も、私のかけがえのない思い出であります。ありがとう。ごめんなさい。


普通の一般的な男性よりも特に内面の成長が遅かった私は、小中高と典型的な子供っぽい男子生徒のままでありましたので、恋人らしい恋人も出来ず、


何人か出来たガールフレンドも私の未熟さが原因で失うという事を繰り返しておりました。


目標らしい目標を持つ事もせず、怠惰に暮らしていた私が大学に進学など出来る筈も無く、


恩師のおかげで高校を卒業するのがやっとであった私です。


フリーターになってからは元々のオタク気質が重症化し、バイトの合間に、高校時代の友人から進められたギャルゲーにハマります。これが面白かった。


新鮮な発見が沢山ありましたし、疑似的とはいえ、恋愛というものを沢山経験出来た私は、出会いに対して積極的になるようになりました。そして、ある少女と出会います。


とあるファーストフード店でのアルバイト中の事でした。そこでも私は例によって例の如くであったのですが、そこで初めて出来た恋人がその少女でした。


綺麗というよりは可愛いという言葉が似合う、それでいて眼鏡が理知的な、弟思いのお姉さんでした。とても魅力的な女性でした。


しかし当時の私は若過ぎた。彼女の魅力にすっかり夢中になり、両親の反対を押し切って半同棲を決行しました。


両親だけでなく彼女自身からの静止さえ聴けなくなっていた私は無理に無理を重ねて暴走し、気が付いた時には、内側からは決して開かない鍵付きの病室の中にいたのです。


彼女が、その後どうしているのかさえ、未だに私は知りません。本当にごめんなさい。


統合失調症という診断を、私は最初受け入れる事が出来ませんでした。


その結果、医師による投薬を拒絶しては暴走し、少なくない方々に迷惑をかけては、また入院するという日々を繰り返しておりました。


そんな人々の中に、彼女はいました。私が立ち直るきっかけをくれた女性でした。


私によって傷付けられながらも、入院している私に一通の手紙をくれた優しい年上の女性でした。


当時錯乱していた私は父から手渡されたその手紙を紛失してしまったのですが、薬が効いて正気を取り戻した時、何より後悔した事は言うまでもありません。


彼女からの手紙だけでは無い、私は一体どれだけのものを失くしてしまったのだろうと悔みました。その後悔が今の私を形作っています。


それから、私は自らの病気を受け入れ、医師による処方を受けた上で、再び社会に復帰しようという日々を送っております。


沢山の出会いがありました。同じ数だけ別れもありました。


それでも、残るのはただただ感謝だけです。元気ですか? 私は元気です。




・・・たったの2400文字で終わってしまう半生でした。


120000文字って、そんなの、私に言わせれば星の数と同じもの、小説の執筆って星を追い掛ける旅のようだったのですね。


これだけの分量を書けるだけでも十分小説家を名乗れると私のようなパチモンは思う訳ですよ、ええ。


大体これ、審査して下さる方々も相当な努力を必要とするのではないでしょうか? 


今は、浜崎あゆみさんの曲が流れているパソコンの前で硬直してしまう私。ネタが・・・無い!


参考になるかは解りませんが、小説家の事を書くと言った手前、私の執筆方法をご紹介しておきます。


それは、沢山寝る事! 以上! ごめんなさいごめんなさい。でも本当なんです。


この文章の中にある通りなんです。


私の小説のネタって全て自分の夢で視た事なんです。


私が最近一番良く視る夢ってなんだか解りますか?


凄い体験をして、これは良いネタになると、パソコンを立ち上げた所で目が覚めてしまうという末期的なものです。


当然、それらのほとんどの夢の内容は覚醒と同時に忘れてしまっております。数少ない例外を纏めたものが、私の作品の数々でして・・・


夢から着想を得た内容をもとに、話を広げていくという手法です。


なので私、かなり眠っております。なるべく早く寝て睡眠時間をたっぷり取り、幸運にもネタが得られた時のみ早起きして執筆するというサイクルです。


もちろん夢ですから、元ネタというものは存在します。それはオタクの私がこれまで触れて来た色々なコンテンツであったりもする訳ですが、例えば私、


夢の中で何度もモビルスーツに乗った事があります。でもそんなもの書けるわけがないじゃないですか! そんな訳で、視た夢、全てではなく、


私なりに厳選したものを書いている訳ですよ。参考になりませんよね、こんなの。


なので私の友人のようにきちんとプロットを作って、制作するなんて事をした事はありません。


ようするに、私が何が言いたいのかと言えば、短編ならいくらでも書けるんだけれど、長編はやっぱり無理! 


という弱音であります。もうホントにグダグダ。というかこの作品がこんな形で終わる事を読者が望んでいるとも思いませんし、ううん。


元々、執筆の動機が、迷惑をかけた方々への恩返しというものでした。その辺りの事はあとがきで書きなさいよという話ですし、実際これ、


なんだかあとがきそのものという感じもするのですが・・・




「アダム、いい加減にしなさい!」




もうどうせなら登場人物を出してしまえという事で、オレの嫁登場です。痛い!




「・・・姉さん、光さんが困っていますよ。それから、ここでは光さんは光さんなのですから、光様と呼んで下さい。勿論、私の事はイヴ様と」




イヴも登場です。ええもう、ヤケになりました。


「そもそもアンタの本業が小説家っていうのが無理があると思うのよ」




正論ガイアさん。手厳しい。私もそう思います、ええ。


けれど、これもお仕事でして。


“本”を作って納める事も私の大切なお仕事なのです、ハイ。




「私は好きだけどなぁ、パパの“本”」




可愛いアリスはそう言ってくれるけれど、自分の拙さは自分が一番良く解っている訳で。


まぁ巷で良くある“反省会”的なノリだと思って頂ければ幸いです。


ここで、リリスさんからの質問です。




「創世記の私達の話の下り、私を遠ざけた理由が二種類あるのはなんで?」




良い質問ですね。


答えは簡単、神話は一つじゃないから。時間も空間も関係ない神々には同じ時期のストーリーが複数あっても矛盾しないのです。


それは例えば、神話というものが地方や時代によって様々ある事の証明でもありますね。


続いてイヴさん。




「結局、誰が一番なのですか?」


「・・・」




沈黙。


続いてガイアさん。




「“決定剣”ってなんなの?」




良い質問ですね。


ここで“決定剣”について解説。二振りしかない“決定剣”、“前進の意志”と“終焉の幕”は“世界”の最後の選択肢が具現化したもの。


終わるのか、進むのかを決めてしまう大切な“剣”、剣というよりも“鍵”といった方が正しいのかもしれません。元々は一枚の“鏡”だったのですけどね。


続いてアリスさん。




「私たちの恋の行方は?」


「・・・」




沈黙。


私は、貝になりたい。




「そもそも謎だらけなのよね、質問しようにもキリが無いんだけど?」


「・・・」


「参考文献というか、参考資料は?」




ググって頂ければ、大抵の疑問は解けるかと思います。


所詮はオタクの付け焼刃ですから。


それでも、着想のきっかけとなった作品の制作者の方々には無限の感謝を。


・・・怒られてしまう気もしますが。


きっと心の広い方々であると信じています!


なんだか私って、他人様に迷惑をかけてばかりだなぁと痛感しております。


何卒、ご容赦下さい。


・・・今度こそがネタが尽きちゃったかも、どうしよう?




「例のアレは? 得意の短編」




リリスからの提案に飛びつく事にします。




これはかつての物語。


私の作品達のプロトタイプとなったパラレルな物語。


瞳を閉じ続けた少年と彼が愛する少女の物語。




思い出すのは炎の事。


それは、とても、優しくて




私が焔と名乗る少年と出会ったのは、まだ彼が五歳の幼子だった頃だ。


山の民と呼ばれる人々について研究していた私がようやく辿り着いた彼等の集落、その唯一の生存者が焔だった。


倒壊した数々の家屋には無数の夥しい血痕があり、何らかの惨劇が起きた事は明らかだったのだが、村中何処を探しても、死体がただの一つも無いという異常な状況だった。


村の中心にあった広場には木の枝を交差させただけの十字架が一つだけ、その前に、瞳を閉じたまま動かない焔が一人。


眠っている様子でもなく、血塗れのボロ布を纏っただけの少年が立っている様は不気味でしかなかったが、調査の為、事情を聴いた私に、彼は目を閉じたままで教えてくれた。


何かとてつもなく恐ろしいものがやってきて村人達を殺した。自分は偶然村の外の洞窟にいて助かったが、両親や妹、そして他の村人達も全員が死んでいた。


亡骸は全て自分が弔った。と。


焔と同い年のお前が私にもいる。私は焔をそっと抱きしめながら、私が彼を守り、育てると決めたのだ。


亡き妻との約束もある。お前も喜んで焔を迎えてくれた。一つだけ気がかりな事は、焔が自らの目を頑なに開こうとしない事だけだった。


理由を聴いても沈黙したまま、もう十三年もの月日が流れてしまった。


那波、この手紙をお前が読んでいるという事はお前もまたこの場所に辿り着いたという事だね? 


そう、ここが焔との出会いの場所でもある山の民の集落だ。


この手紙は私かお前にしか開けられない方法で念の為にと残したものだが、どうやら事態は最悪の展開を迎えてしまったらしい。


お前がほとんど一目惚れに近い形で焔に惹かれ、愛している事は父である私には明らかだったし、そんなお前が突然姿を暗ませた私を追い、


焔の真相に近づこうとする事は予想はしていた。その為のこの手紙だ。誰よりもお前の事を知っている私だから、止めるだけ無駄な事は知っている。頑張れ!


お前達なら必ずどんな困難も乗り越えられると信じている。




「いやいやいやいやいや! どうしようもないでしょコレ! あんなのをどうしろっていうのよ!」


私は絶叫した。握りしめた愛刀無敵丸も、今回ばかりは使い道が無さそうだ。


一にして群、群にして一。あらゆる障害を擦り抜け、またこちらのあらゆる攻撃までその身体を擦り抜けてしまう。


振るわれるその鎌は全てを切り裂き、距離を無にする速度で迫ってくる。


予知が無ければとっくに死んでいる。看破のスキルは絶望的な情報ばかりを開示する。


次々と消されていく分身を犠牲に、なんとかこの洞窟まで避難するのが精一杯だった。


理由はわからないが、あの恐ろしいモノはこの洞窟の中だけには入ってこようとしないのだ。


「ここはもう冥界だからね、やつらもその辺は弁えているんだよ」


「え?」


愛するダーリン登場! なんでこんなに好きなのかって? 予知出来ないから! 以上!


「本当にしょうがない女の子だよ君は、止めれば止める程加速するんだから」


「べ、別に焔の事なんて好きでもなんでも無いんだから、当然じゃない!」


未だに素直になれない私。それでも


「今回ばかりは君でも無理だよ、あれは番人のようなもの、現世の道理は通じない」


「大体どうやって部屋を出たのよ! 私、封印術は特に得意なのに!」


流石はダーリン! 私の予感だけは当たってた! この人はいつか私を救ってくれる人だって!


「天岩戸を砕いた犯人はオジサンにも掴めていないようだから未だに解らないけれど、オジサンの書斎には沢山の文献が眠っていたからね、


アレの事も、ココの事も書かれてた」


「・・・私の話、聞いてないでしょ?」


「大丈夫、生まれつき人の心の声を聴ける耳を持っているのは、那波だけじゃないからね」


え!? 全部バレてるの!? 初めての経験、ときめきが止まらない!


「ときめくところなの? 普通は嫌悪して遠ざけるものなんだけどね、僕の昔の家族や村人達みたいに」


「?」


「だから君が好きなんだ。ありのままを受け入れてくれる君だから」


「!?」


初めて告白された! ヤリィ、両想い!


「ココは僕等がいるべき場所じゃない、二人で出よう。大丈夫、もう迷わない、君の為なら、僕は今こそこの目を開くよ」


「うん!」




那波の手を引いて洞窟を出ると、ソレは直ぐに迫ってきた。躊躇する時間は無い。躊躇する事も無い。開いて、見据える。それだけで、瞬時にソレは燃え尽き、消えた。


これが、僕の持つイレギュラースキル、送り火だ。




思い出すのは炎の事。


それは、とても、優しくて




疎まれてはいたけれど、大好きだった人達の亡骸を全て弔ったあの日、夜の暗闇の中で煌々と燃える火葬の炎を、忘我の中で、じっと見続けていた。


そうして、瞳の奥にまで焼き付いてしまった炎は、きっともう、消える事は無い。


ずっと悩み、迷ってきた。けれど、もう、恐れない。




「これからどうしようか?」


帰り着いた家の玄関の前で、訊ねる那波。


「オジサンの行方を追ったり、岩戸を砕いた犯人を探したり、やりたいことは沢山あるけれど・・・」


「あるけれど?」


家に帰ったのだから


「お帰り、那波、無事でよかった」


「ただいま、焔、迎えに来てくれて、嬉しかったよ?」




二人で、今は休もう。




・・・いかがでしたでしょうか? 私の今の感想は一つ、やっぱり短過ぎる!


これでは文字数を稼ぐという当初の目的が果たせない。


原因も解っていますとも、登場人物達が強過ぎるのです。


更には、私の悪癖とも言える謎を謎のままにしてしまう説明不足も相まって、分量は更に短くなってしまっていますね。


この作品を書いたのは私が高校生だった頃。当時の私の友人、背の高いイケメン演劇部員、ピアノも達者で何より声がカッコイイ彼に、感想を聞いたところ、彼は言いました。


ズバリ、戦闘シーンが短過ぎると。


返す言葉を失くした事を良く覚えています。


というか私、学生時代からまるで成長出来ていない気がするのは気のせいでしょうか?


私が、書きたい事を、書きたいように、書く、事しか出来ていない事が丸わかりです。


この“本”のタイトルでもある“貴方の為の物語”。


その真の姿は“自分の為の物語”であると暴露しているようなものです。


まぁそもそものきっかけが自身の夢を保存する為の行為なのですから、当然といえば当然の帰結なのですが、自分の願望をカタチにしているだけの行いなのです。


これでは商業的にアウトなのではないでしょうか? 作者自身が楽しむ為のものに果たして需要はあるのでしょうか? などと、疑問を投げかけた所で気が着きました。


私には貴方がいると。そう貴方です。こんな拙い文章をこんな所まで読んで下さっている貴方。貴方の感想がどんなものであれ、私には感謝しかありません。


どんな読み方をして頂いても結構です。共感して頂ける部分があったのなら嬉しいです。好きなキャラクターは居ましたか? 


私自身、殆どの作品に触れる際がキャラ読みになってしまうので、貴方様に気に入って頂ける者が、この“本”の中に一人でも居たならば、こんなに嬉しい事はありません。


ご意見、ご質問、ご要望などありましたらいくらでもお寄せ下さい。“貴方の為の物語”が決して建前だけではない事を証明して見せます。


・・・多分。ええ、きっとおそらくは。


掟も破れるだけ破りました。それでも、文字数が埋まりません。無謀だったのでしょうか?


間違いだったのでしょうか? 


たとえ、なんであったとしても、ここまで読んで下さった貴方の為にもこの“本”をカタチにする為だけに、私はキーボードの前から逃げません。


私にしては珍しい事に、今日の私は大分粘っているのです。いつもならばとっくに眠ってしまっている時間、


パソコンからの音楽も周囲への影響を配慮して止めてしまいました。それでも、書き続けるのはなぜなのか? 答えは一つ。




締め切りが近いから!




おっと、不特定多数の方々の胃痛の種を刺激してしまいましたね。


特定の方々が特定の時期に決して考えたくなくなる禁断のキーワード。




締め切り。




二回目です。三度目が大切であるというセオリーは敢えて無視してしまいましょう。


誰だってこんな単語は忘れていたい筈ですからね。


なりふり構ってはいられないとは言っても、やっていいことといけない事はある筈なのです。人によっては死の宣告すら超える拷問でしょう? 


解ります。このカードだけは切ってはいけませんよね? なぜなら審査して下さっている方々はもとより、社会人の多くが忘れていたいNGワードなのですから! 


私も昔は数あるギャグの一つとして、他人事として笑っておりましたが、最近はそうも言っていられなくなりつつある今日この頃なのですから! 


ここまで引き延ばす事がむしろ邪悪なのではないのかという問いには耳を塞いでいます。何故ならば・・・




締め切りが近い!




なんだか私、この“本”をカタチにする為だけに、沢山の人々を敵に回してしまったような気がするのですが、気のせいですよね? 


そうまでして原稿を完成させたいのかという問いにはYESと答えましょう! 


だって、小説家の事を書く上で、締め切りに追い詰められる苦悩は切っても切り離せないものであり、むしろこの苦悩をこそ、


取り上げずして一体何を取り上げようというのか! これは一種のドキュメンタリーなのです! 世の中の作家先生方の多くの共感を獲得し! 


世界から締め切りという名の魔物を一掃する為に必要な行いなのです! 我々人類の究極の敵に打ち勝つ為に! 


・・・なんだろう、今までの人生で一番ハイになっている気がします。薬が切れたのでしょうか? それとも単なる睡眠不足でしょうか? 


補足しておきますと、私はどちらかと言えばハイになりやすい病気であります。念の為。人間って追い詰められると、面白可笑しい事になってしまうのです。


再び病院にぶち込まれてしまう前にケリを付けないといけませんね。もう外側からしか開かない扉はコリゴリです。ガクガクブルブル。


折角なので、私がいた頃の病院の現状を少しだけ。症状の重い患者は私のように、特別な個室に閉じ込められてしまいました。


症状の軽い患者であっても、施設の外には決して出られませんし、病院側が危険だと判断すれば、両手両足をベッドに拘束されてしまう事もしばしばでした。以上。


現在の在り方が少しでも改善されていると良いのですが・・・必要な措置であったのかもしれませんし、お医者さんも看護師さんも優しい方々ばかりでしたが、それでも、


人間性を剥奪されてしまったように感じてしまったのは、当時の私の病気のせいだけだったのかどうかと言えば、疑問が残るというのが正直な所であります。


思い出したら、冷静になって来ました。それ程に、私にとっては二度と戻りたくない場所でもあるのです。


時間を選ばず、突然聞こえる、悲鳴のような誰かの叫び声と壁を叩く音。


どれだけ乞うても内側からは開かない扉。


廊下を歩くのは、薬の影響なのか、朦朧としてしまっている人々ばかり。


外への扉は、決して開く事が無い。


見舞いに来てくれていた家族の支えがなければ、私もまた、発狂したまま、戻ってくる事はなかったでしょう。


狂っていなければ耐えられない、私にとってはそんな所でありました。


異論も沢山あるのでしょうが、一個人の正直な感想です。




・・・暗い話は忘れてしまいましょう! 本当に書ける事は全てを書いているのですが、これこそ私の実力不足。


もっとスマートに出来たらとは思うのですが、泥臭くなってしましましたね。こんな時に、良く思います。貴方と対話しながら書けたなら、と。


貴方が望む、貴方の為の物語、リクエストして頂けたなら、拙いながらも、努力出来るのに、と。


もちろん即座に書く事は厳しいでしょうが、それでも、時間をかける価値はあると思うのです。不特定多数の方々との小説を通しての対話。冥利に尽きるというものです。


最後だから書いてしまいますが、この“本”は、貴方のリクエストを引き出す為の企画書のつもりで書きました。


私という個人、私の経歴、私が作る世界とそこに住まうキャラクター達、全てを書いているつもりです。気分は、企業の採用面接か、一般的なお見合いといったところです。


私と既に出会った事がある方も、そうでない、これから出会うだろう方々も、何よりこの“本”を手に取って下さった全ての方々にも、無上の感謝を込めて、


私から送る貴方への手紙がこの“本”です。こんな事しか出来ません。こんな事でしか返せません。こんな事が、私の好きな事です。不器用ですし、未熟です。


それでも、貴方の幸福の一助になりたいと思っています。


笑って下さい。叶うならいつも。


泣いて下さい。辛いときは必ず。


怒って下さい。理不尽に負けず。


叱って下さい。正しいと思うなら。


知って下さい。貴方は、かけがえのない人間なのだと。


ここに、誰よりも鬱陶しい小説家が一人います。


そいつは誰よりも読者を愛し、放置せず、助けたいと願っています。


自分の書きたい事しか書けません。


貴方の読みたい物も、まだわかりません。


それでも力になりたくて、いつもウズウズしています。


そいつの名はヒカル、貴方とともにヒカルもの。


一人では光れません。貴方がいて、初めて光るものです。


気紛れでも構いません。貴方がそいつの“本”を読んでくれるなら・・・


楽しんで書きました。どうか貴方も楽しんで下さい!


そんな、大バカ者からのメッセージ。




闇影 光。38歳。職業フリーター。本業、小説家。




そんな“彼”の書いた“本”が、果たして“図書館”に納められる日が来るのかは、


貴方だけが知っている。そうこれは・・・

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