未来写真

此木晶(しょう)

草千里一里による本編のようなもの

 草千里一里には三分以内にやらなければならないことがあった。

 梱包である。手にした湯呑みをこう完膚なきまでに、どのような衝撃にあおうとも破損の可能性など1%も生じることのないよう気泡緩衝材エアキャップ所謂プチプチや、ハニカム紙を駆使して梱包しなくてはならない。

 決して締め切り前の修羅場に精神を病んだ訳ではない。何をおいても梱包せねばならぬ理由があるのだ。

「何を言いたいのかはさっぱり分からんが、訳があるのだけは辛うじて理解してやるよ」

 同業の黒崎柩が中々に冷たい事を言ってくれる。確かに開口一番に「遅い!」と罵倒混じりに応対したのは申し訳ないと思うが、そもそも出来るだけ早く来てくれと連絡をいれたのは2時間は前だった筈だ。移動の時間を考えたとしても1時間半は余分にかかりすぎてはいまいか?

「しかたねぇだろう。エッセイの締め切りが今日までで担当が出してくれなかったんだよ」

 なに、では逃げてきたのか?

 そうかそうか、お前もついに不良作家の仲間入りか。めでたいな、後で乾杯をしよう。

「祝うな。勝手に仲間にいれるな。誰が逃げるか、お前じゃねぇんだから。きっちり耳を揃えて原稿渡してきたに決まってんだろうが!」

 私とて逃げたことはないぞ、引き延ばしたことはあるが。締め切りとパンツのゴムは伸びきってからが本番とは良い格言だと思わんかね。

「思わねえ。つうか梱包はどうした」

 ぬっ。いかんいかん、ついつい現実逃避が過ぎた。えーガムテープガムテープ。

「ほれ、これでいいか? で、なんだってそんなもんの梱包を始めたんだ? たかだか湯呑み1個にする梱包にしちゃあ大袈裟すぎると思うんだがよ」

 おおすまんな、助かった。

 が、たかだかとか言うな、この湯呑みはアレだぞ。超限定品だぞ。

「お前が買いに行くのに付き合わされたから知ってるけどな。マジカル☆キムチンだかラディカル♪マーボーだか、とにかく真っ赤な奴のグッズだろ」

 そこじゃねぇんだよと、やや苛立ちを交える黒崎。高身長の人間が凄むと中々に迫力があるものである。特に黒崎は目付きもあまりよろしくないのでさらに上乗せだ。

 勿論こちらとしては詳しく説明したいのは山々であるし、そのつもりで時間に余裕は持たせていたつもりだったのだが、現実は無情である。私はこの梱包をさらに頑強なものにしなくてはならないのだ。なので、見てくれと写真を一枚投げ渡す。

「湯呑み? 割れた瞬間ってことか? 妙に暗いのも合わせるとハイスピードカメラでも使ったか」

 一枚の写真からそこまで情報が読み取れるのは流石としか言いようがない。羨ましい話だ。その辺の才能を分けて貰いたいものである。

「で、これがどうした」

 湯呑みの柄と日付に注目して欲しい。

 私はもう少し梱包を続けねばならぬ。

「いや、お前。梱包って、頭よりでかくなってんだろ。それ以上重ねてなんの意味があるんだ?」

 詳しい説明は後である。

 あと1分を切ったが、やれることは全力で後悔のないようにしなくてはならぬ。

「日付ねぇ」

 いつの間に取り出したのか個包装のキャンディを空いた手の上で転がしながら黒崎は眉を寄せた。奇妙なものを見た時の反応を観察したい所だが、生憎私はこの隙間をなんとしてでも閉じねばならぬ。

「未来の湯呑みか!」

 正解である。ほぼ同時にタイマーが三分の経過を主張し始めた。電子音が頭に響くので叩き落とす。改めて梱包した事でハロウィンで使うアトランティックジャイアント並の大きさになった湯呑みを確認する。エアクションが破れた気配もない、揺すってみても陶器の破片が立てる音も聞こえない。

 断言しよう。完全勝利である。

 私はカボチャ大に膨れ上がった湯呑みを放り出して万歳する。

「終ったんなら、説明してくれねぇかね?」

 いくらでも、喜んでしよう。

 さて、この写真から感じた違和感を説明して貰えるかな?

「それ付き合わないとダメなのか?」

 探偵とはもったいぶった者なのであるよ。

「お前が書くのは死者が見えたり念写が出来たりの超常探偵ばっかりだろうが」

 何を言うか黒崎貴様の書くミステリーも妖怪が探偵をやっているものがあるだろう。お互い様ではないか。

「お前みたいに書いた探偵を集めて異能バトルが出来るほど量産してねぇ」

 いいなそれ。異能探偵が多すぎる。企画出してみるかな。

「話が進まねえから、付き合うか。その写真に写っているのはお前が持っていた湯呑みと同じもんだ。で日付が今日のついさっきだ。加工や合成がないって前提でだが、おかしな話だわな」

 その通り!

 今朝差出人不明で届いたものなのだが、こちらの一枚は愛用の湯呑みが割れる瞬間を撮ったと思われる。これだけなら黒崎貴様に相談するまでもなかったと思うのだが、二枚目が問題でな。

 あまり直視はしたくないので裏返して黒崎へ手渡す。受け取って写真を見た黒崎の顔は控えめに言ってなかなかに笑えるものだったと言って良いだろう。

「………なんだこりゃあ」

 見たままであると思うぞ。全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに蹂躙される私だ。

「ヒデェ絵面だな」

 まったくもってその通り。巨大質量にぶつかられて首やら腕やら在らぬ方向にねじ曲がっていて無事ではすまんのが容易に想像つく。

「日付は大体三日後か」

 とりあえずバッファローが絶対に来そうにない所を探さんとな。出版社のビルの屋上とか客船の中なら大丈夫だろうか。黒崎どう思う?

「色々話が飛んでて憶測で話してるが、要するにお前はこれが未来から送られてきたって考えてんだよな?」

 五分五分位だがね。詳しく調べれば画素数の違いなんかで加工かどうかも判断つくらしいが、こちとらオカルト話には事欠かない職業だ。眉唾半分でも在りうるかもしれない可能性は考慮すべきだろう。

 特に今回は私の命がかかっている。質の悪い悪戯と捨て置いて、いざ未来予知でしたなど笑うに笑えない。

「なら、湯呑みが割れるかどうか確認した方が良かったんじゃねぇのか?」

 本当はその辺を相談したかったのだ。

 果たして未来予知は覆せるのかと。貴様が遅れたので無理だったが。

「それは悪かったって言ってるだろうが、何時までも引きずるな」

 そうだな、仮定の話をしても仕方在るまい。

 考えてみろ。何もせずに湯呑みが割れたら、この写真は未来を写したことになるが、阻止できるのかどうかの検証が出来んだろうが。

 だが今回私は湯呑みの破損の阻止に成功した。これは未来が不確定であるとの証明に等しい。

 ならばこの二枚目の写真、バッファローの轢き逃げも阻止できるという理屈だ。

 なんだ、難しい顔をしおって。貴様には難しかったか?

「怒るぞ、若しくは帰るぞ」

 帰るな、帰るな。貴様には祝杯を付き合って貰わねばならん。さあ行くぞ、すぐ行くぞ。シャトーブリアンが待っている!!


 『黒崎柩による蛇足のような追記』

 さて、意気揚々と草千里の奴は出ていって、今も玄関でうるさくこちらを手招いているのだが、俺は無視してエアクッションでぐるぐる巻きにされた湯呑みを手に取った。

 これでもかと言う位にガチガチに巻き付けられたエアクッションの固まりはそのまま球技に使えそうな位しっかりしている。いや、重すぎて危ないか。こんなもんが顔面に飛んできたらむち打ち位じゃ済まないだろう。

 それくらいに入念というより執念深く作られていては、仮に中で湯呑みが割れていても破片が動く隙間もないのではないか?

 何よりも、草千里の奴は写真が未来でハイスピードカメラで撮られたものが送られてきたと考えているようだが、果たしてそうだろうか?

 ハイスピードカメラで撮影すると被写体にピントを合わせる都合と、シャッター速度が上がる都合で画面が暗くなりやすく背景もぼやけることが多い。恐らくその辺りから草千里は判断したのだろう。

 あるいは、この頑丈すぎる梱包も湯呑みが写真に撮れない状況を作り出すという意味もあったのかもしれない。草千里自身にそのつもりがあったのかなかったのかは、知ったことではないが。

 実際、俺もほぼ黒の背景をバックに砕ける寸前の湯呑みの画を見てそう考えた。

 だが仮にこれが本物だと考えた時、未来の写った写真は未来から送られてくるだけだろうか?

 念写によって未来予知を写真に写し出すこともあり得るのではないか。

 それならばどれだけ厳重に梱包されていようとも全く関係なく湯呑みは撮影され、むしろ背景が全く写っていないことの説明すらたつ。

 今すぐ梱包を解いて湯呑みを確認すれば答えは簡単だった筈だが、あの馬鹿が放り出してしまったんで、仮に割れていたとしても何時割れたのかの証明が出来なくなってしまった。厄介な話だ。もっとも割れていなかったとしてもこう考えることすら出来る。

 写っていた湯呑みは草千里の物ではなく、どこか誰かの所有する同じデザインの湯呑みだったと。曰く超限定品だとしても、草千里の持つ一つだけではないのは付き合わされたのでよく知っている。

 この場合草千里の奴がどれだけ自分の湯呑みを死守しようと二枚目の写真の未来にはなんの関係ない。割れたのは別の奴が所有している湯呑みだ。

 では、草千里の未来は確定したのか? と問われれば「分からない」と言うしかない。どちらの場合にしても一枚目と二枚目の写真に関連はない。一枚目が未来を予知していたから二枚目もそうに違いない、とは誰にも断言は出来ない。そもそも差出人の意図が不明だ。警告のつもりならば何か一言でも添えておく筈だろう。それすらないって時点で全くの悪戯の可能性の方が高いと俺は思うのだが。それでも、何が起きるか分からないのがこの商売で世の中だ。一応本物であると仮定して幾つか手を打っておいても間違いじゃないだろう。さしあたって、草千里には当日ビルの高層階にでもいて貰う事にでもしよう。で、俺は後輩でもある編集担当に頼み事をする為に電話をかけた。

「黒崎だ。一つ頼みたいことがあるんだけどな。連載の件了承してやるから、マネキン都合してくれねぇか? 後で写真送るから………」


 4日後、幸いなのかどうなのか草千里はピンピンしていて、ついでにとある地方新聞にサファリパークのバッファローの群れが突如謎の興奮状態に陥り何故か放置されていたマネキン人形を完膚なきまでに破壊したという記事が掲載された。偶々撮影されたという写真は俺が草千里から見せられたものとそっくりな代物だった。

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