訂正

阿々 亜

訂正

 彼には三分以内にやらなければならないことがあった。

 今、アメリカ合衆国は致命的な間違いをおかそうとしていた。

 その間違いに気づいているのは、その場で彼だけだった。

 彼は合衆国の間違いを正さなければならないのだ。


 20XX年、アメリカ北西部で突如大量発生した野牛の群れによって、アメリカ合衆国は危機に瀕していた。

 当初は各州政府が対応にあたっていたが、野牛の群れは合衆国の全てを破壊する勢いであり、合衆国大統領はとうとうアメリカ合衆国国家安全保障会議 (United States National Security Council, 略称:NSC)を緊急招集した。


 ワシントンD.C.某所。

 そこは少し薄暗い広い会議室だった。

 壁には複数の巨大液晶モニターが設置されており、合衆国全土の様々な情報が表示されている。

 中央には細長いテーブルがあり、複数人の男たちが席についている。

 メンバーのほとんどは背広で、一部軍服が混じっている。


 彼らは、国務長官、国防長官、エネルギー長官、財務長官、統合参謀本部議長、国家情報長官、国家安全保障問題担当大統領補佐官、国家安全保障問題担当次席大統領補佐官、国土安全保障担当大統領補佐官、テロ対策担当大統領補佐官、司法長官、司法首席補佐官といった面々である。


 全員が緊張した面持ちで待つなか、会議室に一人の男が入ってくる。

 年は50歳前後、アメリカ人男性としては平均的な身長で、体格はすらりとしており精悍な顔立ちである。

 男の名は、トーマス・J・プルマン。

 現アメリカ合衆国大統領である。


「おはよう、諸君。早朝かつ急な招集にもかかわらず、一人も欠けることなく集まってくれたことに感謝する。きっと今朝の495号線(州間高速道路)は混雑していなかったんだな」


 大統領は軽いジョークを交えて挨拶したが、残念ながらその場の誰もクスリと笑う余裕を持ち合わせていなかった。

 当の大統領もおそらく誰も笑わないだろうとわかっていたのか、すぐに本題に移る。


「まずは、情報を整理しよう」


 そう言って大統領はテーブルの末席にいた人物に目配せする。

 男の名はジェフ・レヴィンソン。

 肩書は国土安全保障担当大統領補佐官で、今回の野牛大量発生事案の統括的人物であった。

 ジェフ補佐官は一番大きな液晶モニターの前に立ち、今回の事案を最初から説明する。


「1週間前、アメリカ北西部のイエローストーン国立公園でバッファローが大量発生しました。その数は国立公園内の生態系を崩すほどのものであり、計画的な間引きを行うこととなりました。ですが、駆除しても駆除してもバッファローの数は減らず、それどころかむしろ増えるありさまで、バファローの無数の群れが国立公園の領域を越え四方八方の都市部にまで及びました。バッファローの群れは都市を破壊し、食い荒らしながらさらに拡大を続けました。周辺の州兵が動員され大規模な駆除作戦が行われましたが、まるで焼け石に水をかけるようで全く効果がありませんでした」


 ジェフ補佐官の説明に合わせて、モニターには地図が映し出され、野牛の群れが拡大していった範囲が赤く染め上げられていった。


 議場から質問が飛んでくる。


「原因は?」


「不明です」


 ジェフ補佐官は短く答えるが、質問は次々に飛んでくる。


「明らかに常識外れの増殖スピードだ。バファローがこのような勢いで繁殖するなどありえることなのかね?」


「どの専門家もありえないと言っています」


 ジェフ報道官は飛んでくる質問に簡潔に答えていく。


「当該地域の被害は?」


「一言でえば壊滅です。都市機能は完全にダウンしています」


「住民の避難状況は?」


「それが……」


 機械のように淡々と答えていたジェフ補佐官はそこで初めて言いよどむ。


「バッファローの浸食が及んだ地域では、同時に住民が大量に行方不明になっており、他地域に避難してきた住民はほとんどいないのです」


 その内容にその場のほぼ全員に冷や汗が流れる。


「バッファローは草食だったと記憶しているが、まさか、バッファローが人間を食べているとでも?」


「その可能性も否定はできませんが、未確認です」


 質疑は続く。


「最新の拡大状況は?」


「イエローストーン国立公園を中心に、ワイオミング州、アイダホ州、モンタナ州の全域がバッファローの群れに吞まれました。各州政府及び当該地域の全ての行政機関とも通信が途絶えています」


 その内容に議場の全員がため息をつき頭を抱える。


 そこで一人の男が立ち上がった。

 男の名はスティーブン・スミス。

 国防長官であった。


「もはや一刻の猶予もない!! 国軍の総力を持って、群れを殲滅するしかない!!」


 スティーブン国防長官の言葉を皮切りに、議場から次々に意見が飛び交う。


「陸軍では群れに呑まれる可能性もある。航空戦力で広範囲攻撃をしかけるほうが望ましいのではないか?」


「すでに3つの州が吞まれている!! それでも追いつかない!! 範囲で言えば、核の使用も視野に入れるべきだ!!」


「合衆国本土に核を打つというのか!? 都市はどうなる!? いや、そもそも住民はどうするのだ!?」


「どの都市もすでに機能しくなっている上に、住民もことごとく行方不明というじゃないか!? 気にすることはない!!」


「核でバッファローの駆除に成功したとして、そのあとの放射能汚染はどうする!?」


「こうして手をこまねている間に合衆国全てが呑まれる!! もはや選択の余地はない!!」


 核兵器使用肯定派と反対派で、会議は真っ二つにわかれた。

 数分議場は紛糾したが、大統領が意を決してその場を鎮める。


「諸君らの意見は十分に分かった。議論が十二分に出尽くしたとは言い難いが、我々には時間がない。私の結論を言おう」


 大統領は数秒の間を置いて、その恐るべき言葉を発した。


「核を使用する」


 その言葉に、ある者は頭を抱え、ある者は指で十字架を切り、ある者を手を組んで神に祈った。


「現時刻より、本作戦を“バッファロー殲滅作戦”と呼称する。国民にはテレビ中継とインターネット配信で説明し、周辺住民の避難を促す。できるだけ速やかに国民に呼び掛けなければならない。報道官、中継と配信の準備にどのくらいかかる?」


「3分あれば」


 大統領の問いに、彼の脇に立っていた若い報道官が短く答える。


「よし、ただちに準備にかかれ」


 一連のやり取りを目の当たりにし、その場にいたある人物は絶望した。


 なんで……

 誰も気づかないんだ……

 こんな致命的な間違いに……


 この場でその間違いに気づいているのはおそらく彼だけだろう。

 この場で間違いを正せるのは彼だけだった。


 俺が……

 言うしかないのか……


 彼の立場で、この場で異を唱えるなどありえなかった。

 だが、彼が言わなければ、3分後には作戦が全米に流れてしまう。


 やるしかないのか……


 彼は勇気を振り絞って、手を挙げて声を発した。


「あのっ!!」


 議場の全員の視線が彼に集まった。

 彼は、長官でもなければ、補佐官でもなかった。

 彼は大統領の護衛官……つまり、ボディー・ガードだった。

 この場で発言する権限はない。

 だが、あまりの非常識さにその場の全員が頭が追い付かず、彼を咎める者は誰もいなかった。


「あれは、“バッファロー”ではありません!!」


 彼はそう言って、画面の一つに映し出されていた野牛の姿を指さした。


 画面に映っているのは、頭部や肩部、前肢が長く縮れた体毛で被われ、湾曲した角を生やした大型の牛だった。


「あれは……“アメリカバイソン”です!!」




 訂正 完




 アメリカバイソン(Bison bison):哺乳綱偶蹄目ウシ科バイソン属に分類される偶蹄類。別名アメリカヤギュウ。アメリカ合衆国やカナダの一部では“バッファロー”と呼ばれることもあるがあくまで通称、俗称であり、学術名はアメリカバイソンである。

(バッファローとは学術的には主にアフリカバッファローを指す名称である)

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