第3話 十分と八時間後


 殺し屋を肩に載せた男が、ゆっくりと間藤も巻き込んで倒れていく最中に、ホテル全体の電気が復旧した。暗闇に慣れた目が、突然真昼ほどの明るさに眩むが、それとは無関係に、殺し屋は「あ」と呟いた。脱出方法を考えていなかったのだ。

 頭頂部からちょんまげのようにナイフを生やしたまま動かない間藤に向かって、「間藤さん!」「社長!」と無事だった護衛が口々に叫ぶ。対して殺し屋は、ソファーの上、自身の股下で失神している護衛の手から、拳銃を抜き取る。そのまま、背後も確認せずに、残った護衛へと一発ずつ発砲した。


 弾がどこに当たったか分からないが、くぐもった悲鳴が二人分聞こえたので、恐らく即死ではないだろう。そう見切りをつけた殺し屋は、ソファーの背もたれから転がるように落ちる。彼の頭上を銃弾が飛んで行ったが、どちらも明後日の方向だった。

 間藤の座っていたソファーの後ろのドアへと、殺し屋は猫のような俊敏さで飛びつき、それを開いた。パンパンと、背後の銃声が間抜けに響く中、ドアを閉める。


 この部屋は寝室だった。殺し屋がここに入ったのは苦し紛れだったか、打算がゼロではない。彼の目論見通り、ベッドはまだ使われていない。

 布団の上の埃避けのシーツカバー、その端を掴み、両腕を回しながら巻き取る。足も素早く動かして、ドアから室内を横断した先の大きな窓へと走る。殺し屋がガラスを突き破った直後に、寝室のドアが開いた。


 四十階建てホテル、その最上階から上空に飛び出した殺し屋。身体は自由落下を始めるが、恐怖心が無ければ、地面に叩きつけられるまで、何でもできそうな時間だった。

 豪風に目が開けられないため、殺し屋は己の感覚だけで掴んでいるシーツの端を頭上でバッと広げる。即席のパラシュートとなったそれのお陰で、彼の落ちるスピードは徐々に緩やかになっていた。


 殺し屋の目下には、夜景の大パノラマが広がっている。星の如く、大小さまざまな明かりが集まり、天の川のようだ。ビル風に流されて、少しずつ右手側へと流されていくが、特に慌てることもなく、むしろゆったりとした気持ちで、近付いてくるビルの群れを眺めていた。

 その中の一つ、七階建てのビルの五階辺りに、殺し屋はぶつかりそうになった。シーツが上の階のベランダのどこかに引っ掛かったまま、彼は思いっ切り窓を割り、ゴロゴロと前転するようにその部屋へ侵入する。


 壁に激突してやっと止まり、殺し屋は逆さまの視界で、この部屋を眺めた。ここもまた、ホテルの寝室のようで、キングサイズのベッドの上では、丁度一組の裸の男女が、性行為に勤しんでいる真っ最中だった。

 女の方は、驚きすぎて声も出せずに殺し屋を凝視し、男の方はこちらに立ち向かわずとも、彼女を背中で庇うほどの漢気を見せた。殺し屋は、二人を脅かすつもりは毛頭ないので、無害なベルボーイの顔で微笑んで、この状況にぴったり合う台詞を口にする。


「お待たせしました。ルームサービスです」






   △






 朝になり、殺し屋は中越の店のバックヤードにいた。中越とテーブルを囲み、近所のファストフード店のハンバーガーを食している。

 向かいの中越は同じ店で買ったホットコーヒーを啜りつつ、しげしげと殺し屋を眺めていた。ちなみに、彼は朝食を食べない主義なので、今もホットコーヒーだけを飲んでいる。


「……四十階から飛び降りても、大した怪我も無いとは。何喰ったらそんな体になるんだ」


 中越の、感心しているのか呆れているのか分かりにくい声色通り、殺し屋はガラスを破った時の軽い切り傷だけを負っていた。それらも夜のうちに闇医者で治療してもらい、頭に包帯を巻いているものの、骨折はどこにもない。

 殺し屋は中越に訊かれたので、ここ一か月間に食べたものを逐一挙げようとしたが、三食目で当の本人から「もういいから」と止められた。そんな風に殺し屋の扱いに慣れている中越でも、今回のことは予想外だったらしい。


「しっかし、三分間で殺して逃げるまでをやってくれると思ったけどな。まさか、殺すまでがぴったりだったとは」

「……すまん」

「謝るなよ。どうせポーズだけだし。こっちの説明が不足が原因だからな」


 頭を下げる殺し屋に対して、中越は悠然と返す。故障した車に対して、運転していた自分が悪いと言っているような反応だ。

 殺し屋は、三分間で殺して逃げるまでするならば、どうやろうかと考える。こちらの位置のことなど考えずに、さっさと拳銃を使っていただろう。あの時と同じ状況だったなら、パターンを十個は思いついた。


「今回は、損害分差っ引いて、ギリギリ黒字だったからまだ良かったけどな。その朝飯も、治療費も、こっちが出しとくから」

「ありがとうございます」


 ただ、中越の寛大さは、懐具合によるものらしい。どこまでも吝嗇な彼に対しても、殺し屋は律義に頭を下げる。

 と、その時、テーブルの上にあった中越の携帯電話が震えた。何者からかのメッセージらしく、手にとってそれを黙読した中越は、突然にんまりする。


「子飼いからの報告だ。お前が偶然入っちまったホテルにいたのはな、不倫中の男女で、片方が著名人。互いに、このことは口外しないということで話がまとまった、とさ」

「ふむ」


 顎に手を当てて、中越は上下逆さまで見た、あのホテルの男女を思い返す。見知った顔ではないので、著名人といえども、映画に出るタイプではないのだろう。


「思いがけず、口止め料が浮いたな。今度、松葉ガニでも取り寄せようか?」

「いいっすね」


 嬉しそうに話す中越に合わせて、殺し屋もにっこりと微笑んだ。



















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小停電の夜に 夢月七海 @yumetuki-773

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