第2話 三分間


 ホテル全体が、暗闇に覆われた。正確に言うと、通路の非常灯は点いているのだが、スイートルームまでにその光は届かない。

 「なんだ!」と、廊下の奥の部屋から怒号が聞こえる。殺し屋が事前に聞いていた、年の割には張りのある、間藤の声だった。趣味である、海外チームのサッカー観戦を邪魔された怒りが含まれている。


 殺し屋と真正面から対峙する背の高い男は、この停電と謎のベルボーイの登場が、ただの偶然ではないとすぐに勘付いた。咄嗟に、懐から拳銃を抜いたが、残念ながら殺し屋の方が一歩速かった。

 ワゴンの上の料理を覆っていたクロッシュを手に取り、それで力任せに顎を殴った。「うぐぅ」と呻き声と共に彼は倒れたが、殴った時の音が向こう側に聞こえたかどうか気にかかる。


 しかし、停電時間は三分だけだ。殺し屋は、クロッシュとその内側に置いてあったステーキ用ナイフを手に、廊下を駆ける。

 ちなみに、背の高い男に止めを刺さなかったのは、慈悲などではない。「依頼料を貰っていない相手は、よっぽどのことがない限り殺すな」と、中越から言われているのを守っているだけだった。


 廊下の先のドアを開ける。事前に見たスイートルームの間取りだと、右手側に大型テレビがあり、それと向き合うように間藤が座っているはずだった。当然、この暗闇では、誰がどこにいるのか分からない。

 殺し屋がドアを開けた直後に、二発と銃声が鳴った。彼の頭辺りを狙ったものだったが、殺し屋はクロッシュでそれを防ぐ。それどころか、二人の護衛の位置を知らせる結果となっていた。


 左の斜め二十度先、右の斜め三十五度先に、護衛が一人ずついるのは確かだ。殺し屋は、その二人が安全装置を外しているのを聴きながら、クロッシュを背後に捨てつつ、大股に一歩踏み出す。

 ガン、と床に落ちたクロッシュに向かって、護衛たちが再び発砲する。もちろん、その場所に殺し屋はすでにいないうえに、発砲の瞬間の光が、ストロボの代わりとなって、室内全体を彼に教えてくれた。


 間藤がいると踏んだソファーの前には、一人の男が立っていた。間藤を守る壁のようだ。それならばと、殺し屋は二歩目の左足を方向転換し、右足で銃を持った左側の護衛の頭めがけて、蹴りを繰り出した。

 「ガッ」と倒される護衛の声が聞こえる。右側の護衛が、銃をこちらに構える気配がしたが、仲間や間藤に当たるのを恐れたが、逡巡の気配があった。殺し屋はその隙を逃さない。


 上げた右足の裏が、壁に当たったので、それに全体重をかけて蹴る。自身の身長よりも高く跳びあがった殺し屋は、間藤の前の壁代わりになった男の両肩に着地する。

 メリメリメリと、肩が壊れる音と激しい痛みで、壁代わりの男は言葉にならない悲鳴を上げた。殺し屋の真下から、「ひぃ」と短い声が上がる。そこへ向かって、刃が下に向いたナイフを手から離す。


 ザクリという小気味良い音と、天井のLEDのシャンデリアが、じりじりと点灯前の音を発したのは、同時のことであった。




















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