小停電の夜に

夢月七海

第1話 六分前


 殺し屋には三分以内にやらなければならないことがあった。裏社会の要人である間藤の殺害である。

 誰がこの依頼をしてきたのかを、殺し屋自身は知らない。いつもの様に、彼の雇い主である仲介業者の中越からこの話を受けた。


「こんな大物だから、警備も半端じゃないが、横溝だったら大丈夫だろ」


 気軽な調子で中越が言ってくるが、殺し屋――横溝はただ頷いた。

 中越は、この殺し屋のことを高く買っている。自分が見た映画の台詞しか喋らず、映画の登場人物たちの行動をトレースして動いているこの殺し屋だが、仕事を失敗したことは一度もなかった。そのため、中越が最も厄介だと判断した依頼を、この殺し屋に頼んでくる。


 そんなやりとりをしたのは、中越が経営する、表向きは普通の映画グッズショップであった。地下街の一番端、周りは空き店舗という位置に建っているため、一般人でもなかなか迷い込むことはない。

 狭い店舗の中には、フィギュアや映画の小道具のレプリカが並べられ、全ての壁には古今東西の映画ポスターが隙間なく張られている。この店が、実際は情報や武器や殺害依頼などを売買しているなんて、足を踏み入れても気付かないだろう。


 店のカウンター、その内側に座った中越は、垂れ目をニヤニヤ細めながら、カウンターを挟んだ向かいに立つ殺し屋に続ける。


「間藤はその日、あるホテルのスイートルームにいることは確かだ。だが、真正面から暗殺は、流石のお前も厳しいだろう。だから、時間にして二十五時だな、三分間、停電を起こす」

「へえ、その隙に、か」

「ああ、察しが良いな」


 殺し屋からの返答に満足した中越が、笑みを深くする。雌雄を決するのは三分間。殺し屋はしっかりと頭に刻んだ。


 そして現在、その高級ホテルに、殺し屋は潜入していた。場所は、従業員船用エレベーター付近のロッカーである。

 ここに至るまでにも色々あったのだが、割愛しよう。時刻は二十四時五十五分。一人のホテルボーイが、ワゴンを押しながら現れ、エレベーターの上ボタンを押した。


 彼は、間藤が止まっているスイートルームに呼ばれたが、実際に電話をしたのは電話線をジャックした中越である。つまり、このホテルボーイは、殺し屋の仕事をスムーズに進めるための仕掛けの一つだった。

 ロッカーの扉を蹴破り、殺し屋が飛び出す。背後の大きな音に驚いたホテルボーイが振り返るが、殺し屋は屈んだまま駆け抜け、彼の視界から上手く外れた。そして、ホテルボーイの首に腕を回すと、ぐっと力を入れる。


 数秒後、だらりとホテルボーイの両手が垂れた。気を失ったようだ。殺し屋は、ホテルボーイの名札だけを拝借し、彼を自分が元居たロッカーに詰め込む。服装は元々、ここの従業員と同じにしていた。

 丁度、エレベーターが着いた。チン、と軽やかな音に導かれるように、この薄暗いバックヤードから光り輝く箱体の中へと、殺し屋はワゴンを押して入った。


 二十四時五十七分。一直線にスイートルームのある最上階へ到着したエレベーターから、ホテルボーイのふりをした殺し屋が出てくる。もしも今の彼と擦れ違っても、殺し屋とは気付かれないような普通の表情で、ワゴンと共に長い廊下を進む。

 二十四時五十九分。予定通り、スイートルームのドアを二回ノックする。沈黙の後、一人の背の高い派手なスーツの男が、のっそりと顔を出した。


「お待たせしました。ルームサービスです」

「……頼んでねぇぞ」


 どこからどう見てもただのホテルボーイにしか見えない殺し屋だが、流石に事実無根のルームサービスの注文は疑われる。男はすぐに訝し気な顔で、殺し屋を追い返そうとした。

 殺し屋がきょとんとした顔で、「あれ?」と首を傾げた瞬間、ブツンと何か大きなものが切れる音を立てて、ホテル全体が停電した。



















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