クソカワ野良猫と人殺しモドキの女

木元宗

第1話


 腹ぺこの野良猫には三分以内にやらなければならないことがあった。空腹でぶっ倒れる前に、目の前の流木に腰掛け総菜パンを齧っている人間からおこぼれを入手することである。


 野良猫は己の外見の愛らしさを自覚していた。平均より小柄な真っ白い身体に、まん丸い目。長い尻尾を揺らせばそれだけで人間共は、「かわいいー!」だのアホ面下げて寄って来る。人間程度の生物の取る行動など、野良猫にはお見通しだった。いつも通り適当に媚売ってれば餓死なんてしない。今日の朝食係は縄張りである海辺にやって来るなり適当な流木に座り、水平線を眺めながら総菜パンをもぐもぐやっているこの見知らぬ若い女だ。若い女なんて特に引っかけやすい。近付くだけでイチコロだ。


 野良猫は意気揚々と歩き出す。背後から女に近付くなり、上目遣いでその視界に回り込むとにゃんと鳴いた。それはうに研究し尽くした、己の可愛さを最大限アピール出来る角度と鳴き方。これで心を奪えなかった人間などいない。


 当然女は野良猫に気付いて目が合った。その目は水平線へ引き返して、停止しない顎は総菜パンを齧る。それはつまり、一瞥寄越すだけの無視。


 野良猫に激震が走った。生まれて初めて人間風情にシカトをぶっこかれた瞬間である。


 磨き抜いた必殺の一撃が、一秒ももたず粉砕された。


 そんな筈が無い。野良猫は思わず、女の膝に前脚を乗せ前のめりになった。普段なら滅多にしない大サービス。常人なら「キャー!」だの奇声を上げてスマホを取り出し、無断連写撮影会が開催される。


 然し女は眉間に皴を寄せるなり野良猫を見下ろすと、総菜パンを奪われまいと両腕を頭上へ上げた。


 この人間、あたしを不快に思っていやがる!


 察した猫は目ん玉をひん剥いて女を見上げた。


 何て図々しい存在なんだ、このあたしを、顔の近くに飛んで来た蚊を睨むような不愉快な面で見下ろしている! こんな女の所為で餓死するなんて冗談じゃない! ここ暫く続いた雨の所為で人間と出会えず、何も食べていないのに!


 野良猫は怒り半分、おこぼれを得る為の媚半分でニャーニャー鳴いた。女の眉間の皴は鳴くたびに深くなり、然し総菜パンを食べるのは継続しながら「寄んなカス」と吐き捨てる。更にプライドを傷付けられた野良猫は負けじと鳴くわ近付くわ、終いには女の肩に乗ったりと暴れ回る。


 痺れを切らした女は勢いよく立ち上がり、「うちは猫嫌いやねん。この毛玉野郎」と声を荒げると、残りの総菜パンを勢いよく口に放り込み歩き去ってしまった。


 立ち上がった拍子に女から落っこちた野良猫は、不格好に流木にぶつかる。


 波音しか聞こえなくなった縄張りが急にいつもより広く見えて来て、慣れっこな筈の孤独感が肥大した。


 まだ夜明けを迎えたばかりで人気の無い町に繰り出す気力も体力も無い。だから縄張りで誰か来るのを待っていた。


 幾らでも見た事がある死んだ猫達の姿が、生々しく脳裏を駆ける。


 誰もいないと分かっているのに、にゃおんと鳴いた。


 荒々しい足音が遠くで鳴った。それは粒の一つ一つを潰してやろうとでも言うような激しさで砂を蹴り飛ばし、ずんずんこちらへ近付いて来る。


 離れるべき性質の人間だ。本能が告げているももう野良猫は、身を守る気分では無かった。


 足音は項垂れる野良猫の正面で停止する。生きる術の全てを否定され、一匹で海に投げ出された野良猫は、そんな最期も悪くないと頭を上げた。


 今までで最も不機嫌な面をしている、さっきの女が立っていた。右手には、目の前で完食された総菜パンの包みが放り込まれたコンビニ袋。左手には、缶切りの要らない猫缶。まぐろ味。


 女は、今から人でも殺すのかと思う程険しい顔でそいつを開けると、ぱっと手放した。真っ直ぐ野良猫の足元に落ちる。


 女の考えが全く分からない野良猫は、呆然と女を見上げた。相変わらずとんでも無く不機嫌な顔。


「猫は嫌い。せやから、お前如きが餓死した所為で気分が害されるんはもっと嫌い。猫風情がうちの機嫌損ねんな」


 以来女は、忘れた頃に縄張りに顔を出すようになった。女へ媚を売らなくなった野良猫がテトラポットの上で日向ぼっこしたりしていると、不機嫌なくせにどこか構って欲しそうな様子で、猫缶を置いて行く。食べずにいると睨んで帰らないので、野良猫は渋々食べる。すると女はどっかに行く。そのまま野良猫が忘れる頃まで、現れない。


 ……猫が嫌いって言うか、同族嫌悪なんじゃ。


 いつしか野良猫は気付いていたが、言葉は喋れないので放っておいた。



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