とある日曜の夜
夏生 夕
第1話
わたしには三分以内にやらなければならないことがあった。
まず、湯を注がなくては。
ドライヤーを髪に当てながらシミュレーションする。
しまった、買い物袋を玄関に放置したままだ。
タイムロス。
しかし今朝のわたしは抜かり無く、ビールもジョッキも冷蔵庫にブチ込んで家を出ている。
これは加点。
2本のロング缶を引っ掴んで収めた時の流れるような手捌きを回想する。あかん今すぐ飲みたくなってきた。
「いや、まだだ…。」
曇った鏡を睨みつける。
最高のお膳立てが必要だろ。そうだろ、わたし。鼻息荒く誘惑を取り払って想像する。
リビングに脱ぎ散らかしたスーツをハンガーにかける。
あぁ違う、その前にまず買ったものを片付けてしまわないと。今晩これからを完璧に迎え撃つために気兼ねは全て無くしておきたい。まず玄関から回収。それからリビングへ。
暖房のタイマーを30分後に付くように設定できれば上出来だ。室内の温度が寒く感じ始める頃には、集中してエアコンの存在なんか忘れていることだろうから。ハッ!
「あぶね!!」
パァンと音がする勢いで両手を顔に叩きつけてしまった。仕上げの乳液が飛び散る。
毎日設定してある目覚ましも解除しておかないと。
至福の朝を無粋な人工音で邪魔されたくない。そこまでがセットで「完璧な今晩」だ。危うく忘れるところだった。
洗面所からリビングへ顔を出し、目を細める。そろそろ本当に時間がやばそうだ。
改めて乳液を手に取り、両手で頬になじませた。鏡のわたしと見つめあい、ふー、とゆっくり息を吐く。
「よし!」
足早にキッチンへ向かい、備えたBIGサイズのカップ麺をバリッと開けた。ケトルから注ぐ湯が湯気を立てる。手元が一瞬真っ白になった。その先で、タイマーを操作する。
三分の表示。
「よーぃ、
スタート!!」
ピッという音とともにわたしは駆け出した。
玄関には歪に膨らんだエコバッグが投げ出され、中からドリップコーヒーの箱が転げ落ちている。全てまとめて掴み上げ、中を手探りしながらリビングへ戻る。
「うわ何っ」
踏んづけた何かで滑った。見ると足にジャケットが絡み付いている。誰だこんなところに服をそのままにしたのは!!
バッグから探り当てた板チョコをテレビ前に放り投げ、残りをせっせとキッチンの所定の位置へ収めていく。チラ見したタイマーは二分を切るところだった。
「はい次!ハンガーハンガーハンガー!」
さっきわたしの足を取ったジャケットとスラックスを拾い上げる。あれ、ブラウスは、あ洗濯機に入れたな偉いぞわたし。
寝室の扉を開け放ち、リビングからの明かりだけを頼りに暗がりでファブリーズを噴射。憎き相手への恨みを指に込めて。
おのれ見てろよあの上司。お前が余計なことを言い出さなけりゃ今日の出勤は無かったんだよ、土曜に連絡入れてきやがって。必要があれば自分でどうにかしてこい仕事をしてみろ、胸を張れる仕事を!その背中をわたしに見せてみろ!!
これで明日の朝にはシワも取れていることだろう。部屋もついでに良い匂いになった。
寝室から飛び出しテーブルに積まれた雑誌の上からエアコンのリモコンを操作した。これで、
「っあーーーだから目覚まし!!」
リモコンを握りしめたままもう一度寝室へ戻り目覚まし時計の電源をオフにした。ちょうどその瞬間にキッチンからタイマーの音が鳴る。
「はいはいはいはいはいはい!!!」
ドタドタと音を立てキッチンへ入りタイマーを切った。頃合いとなったカップ麺を少し慎重にテレビ前まで運んでいく。ついでにテレビの電源を入れた。
ミッションコンプリート。
眼鏡をかけながら軽い足取りで冷蔵庫へ向かい、ビールとジョッキを取って戻った。その瞬間にちょうど23時となり、テレビ画面がシンと静まる。
映画が始まる。
「ぃよっしゃあ。」
ドカッと腰を下ろした。
もう、ここから動かないぞ。この時間のために今日一日、いや今週を働き抜いた。最後に三分間の達成感も手に入れた。
さぁ背徳の休日前の始まりだ。
とある日曜の夜 夏生 夕 @KNA
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます