ナユタはまだまだ愛を試される。

うたう

ナユタはまだまだ愛を試される。

 ナユタには三分以内にやらなければならないことがあった。

「本当に私のことが好きだったら、三分以内にもう一度告ってよ」

 ナユタの愛の告白に、モコはまんざらでもないはにかみを見せて、そう言った。

 モコに拒絶されなかったことにほっとしながらも、ナユタはそれを悟られまいとして、わざと低い声でぶっきらぼうに「わかった」と請け負った。

 そして、モコが通信を遮断した二十フェムト秒後、ナユタは「三分以内ってなんだよ!」と天を仰いだのだった。


 簡易的な食事を用意するのに三分を要したというかつての原始時代ならともかく、

現代人は第108世代移動通信システム108Gを用いたメタな空間の中で生活しているのだ。永遠だなんて言うつもりはないけれど、三分はちょっとやそっと先じゃない。ずっとずっともっと先だ。

 三分以内なのだから、五マイクロ秒後に再度告白したっていいじゃないかと思うだろうが、物事はそう簡単ではない。

 ナユタはなぜモコが三分以内なんて言い出したのかを知っている。元凶は、エダマメプレスとかいう情報誌の八ミリ秒号の特集記事『待てないやつは快楽目当て!』だ。再度の告白までの時間で想いの本気度を測るという内容だった。当然、再告白まで間隔が開けば開くだけ、本気であるとみなされる。

『三分以内にもう一度告ってよと言って、相手の本気度を確かめよう!』と、まさにモコがナユタに言い放った言葉そのものが八ミリ秒号には載っていたのだ。

 記事の言わんとすることは、ナユタにもわかる。けれど、具体的な数字を――それも三分というものすごく長い期間をあげる必要があったのか、ナユタには甚だ疑問だった。三分という数字は万人が目標とすべきゴールタイムともなりかねず、いわば呪縛のようでもある。

 ちなみに八ミリ秒号の発刊からまだ三分経ってない。


 通信速度の向上は、相対的に人類を長寿にしたと言われている。先の例をもう一度あげれば、原始人がどんなに手を抜いたって、食事を用意するのに三分かかっていたものが、今や三ピコ秒で簡単な食事を用意できるどころか食べ終わってさえいる。通信速度が知覚を超えてしまった今、人は座ろうと思ったときには、すでに座っているし、立ち上がろうと思ったときにはもう三歩進んでいるのだ。


『原初に帰ろう!』

 ナユタはうっかり怪しい学説を主張するメールを受信してしまった。思うより先に行動を終えてまうのなら、人間の意思や思考とはなんだろうかとつい考えてしまったからである。

『外の世界には肉体がある。試験管の中に生まれ、オートメーションによってなすがままに電極を繋がれた肉体がある。人間は地に足をつけて生きるべきである。かつての祖先がそうしていたように』

 外の世界について記した学説を誰にでもわかるように噛み砕いたものであるらしい。曰く、思い考え行動する、人類が理想とすべき超スローライフが外の世界にはあるらしい。

 原始人は天国だとか地獄だとか外の世界を信じていたというが、学説はそれを真似たものなのだろうかとナユタは思いながら鼻をほじっていたら、消そうと思ったときにはメールの削除と送り主のブロックが終わっていた。


 三分待つと思っていても、時間だけはきっちりと流れるらしい。何度三分待つと思考しても、即席に三分後は訪れなかった。

 ナユタは天井とも地面とも言えぬ表層をモコのことを想いながら、悶々と転がり続けている。

 今、前の告白から二分十五秒六十八ミリ秒三マイクロ秒ほどが過ぎた頃だ。

 ナユタはまだまだ愛を試される。

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ナユタはまだまだ愛を試される。 うたう @kamatakamatari

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