忍者と牛車

志波 煌汰

マッド牛車 怒りのスザク・ロード

 超特級上忍である申酉さるとりHANSUKEには三分以内にやらなければならないことがあった。それは、この平安京に迫ってくる全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを止める

 いや、それもやるべきことには含まれていると言えば含まれている。だがあくまでそれは途中経過に過ぎず、主目的は別にあった。

 HANSUKEのやらなければならないこと、それは荒れ狂うバッファローの群れにことであった。



***


 事件は時の帝のふとした思いつきに端を発した。


「牛車、遅くね?」


 牛車。唐土より伝わりし、高貴なる方々の乗り物。その速度は貴人の乗り物に相応しくゆったりまったりと気品に溢れている。分かりやすく言うと、のろい。帝にはそれが我慢ならないようだった。

「のろのろだらだらやってるようだと、国際社会に置いてかれちゃうよ? 仕事も乗り物も、何より今求められるのは速度!!」


 そういうわけで、帝の鶴の一声によって従来より早い牛車の開発が求められた。

 車輪の摩擦軽減、牛車全体の軽量化、空気抵抗を減らした流線形のデザインの考案など様々な工夫が凝らされたが、その速度はなかなか上がらなかった。

 当然である。動力たる牛が遅いのだ。牛歩という言葉もあるほどである。

 では動力さえどうにかすれば良いということで、牛ではなく馬に引かせる、超強力な磁石で引っ張る、臭水ガソリンを燃やしてその爆発力で進む、核融合のエネルギーを推進力に転化するなどなど様々な案が出たが「牛が引いてないなら牛車じゃないじゃん」という帝の言葉でこれらの案は却下された。

 ではどうすれば良いのか。牛に引かせるという大前提を守ったうえで、今まで以上の速度を出すには。内匠寮の技術者たちは頭を悩ませた。そうして試行錯誤の上、たどり着いたのは実に単純明快な解決法であった。


「足が速い牛に引かせたらいいんじゃないですか?」


 というわけで遙か海の向こうの異国から連れてこられたのがバッファローだった。

 この巨大なる牛は現地では「黒い死神」と呼ばれるほどの猛烈な突進力を持つ。その突進力は捕獲に向かった者たちのうち約半数が跳ね飛ばされて死んだことからも伺える。

 これを使った牛車であれば帝にもご満足いただけるだろう。早速牛車を取り付けようとなったところで、バッファローは激しく暴れだし、一目散に駆け出した。その突進の凄まじさたるや、前方のありとあらゆるものを破壊して止まることはない。岩も、壁も、家も、人も、全てを破壊しながら突き進むバッファロー。その進行方向はなんたることか、朱雀大路をまっすぐ北へ、宮城への道へと完全に一致していた。



 事ここに至って呼び出されたのが、超特級上忍であるHANSUKEである。宮中の者が言うには、全てを破壊しながら突き進むバッファローなど妖怪に違いない、妖怪の相手をするなら忍者だろう、忍者なら大体なんとかなるとのことであった。無茶ぶりである。

 とはいえ実際HANSUKEにも妖怪退治の実績はたくさんあった。というのも、世の中の妖怪的な諸々は大抵忍者だったからである。

 天皇を誑かして国を傾けようとした女狐の正体は変化の術で美女となった忍者であったし、京を脅かす鬼火は忍者の火遁の術であった。殺戮を繰り返す大猩々など、ごく稀に本物の化け物としか思えぬようなものも出現したが、それも突然変異により忍法を身に着けてしまった忍獣と呼ばれる動物であり、大きな括りで言えば忍者であった。それら悉くを退治した実績こそが、HANSUKEを超特級上忍にまで上り詰めさせたのだ。


「事情は承知しました。つまり、そのバッファローなる牛を退治すれば良いのですね?」

 HANSUKEがそう確認すると、上司は「いやいや」と首を振った。

「退治してはならん、退治してはならんのだ」

「……? 全てを破壊しながら突き進むバッファローからこの京を守るために、私は呼び出されたのではないですか?」

「いいや、違う。そなたの使命は、あくまで『バッファローに牛車を取り付ける』ことだ。殺してしまってはバッファローが牛車を引けないだろう」

「……!?」

 HANSUKEは驚愕した。この緊急事態にこの官人は何を言っているのだろう。既に洛外ではバッファローに家々が破壊され、多数の死人が出ているという。この状況で優先すべきは、どう考えても京の町のはずだ。それが、牛車だと?

「帝が楽しみに待っておられるのだ」

 初老の官人は重々しく告げる。

「今日がお披露目の日でな。今か今かと内裏で心待ちにしておられる。その帝の前へ、牛車を引くバッファローを連れてくる。それがお前の使命だ。その過程でどれほどの被害が出ようと構わぬ」

「では、京の町は。人々は」

「捨てておけ。下人ごとき、放っておいてもまたすぐに生えてくる。帝の御意向こそが何よりも優先されるべきことだ」

 HANSUKEは歯噛みした。この国はどうかしている。

 だが、それを言葉にすることはない。忍者とは、耐え忍ぶ者。どんな無茶ぶりにも、どんな理不尽にも、HANSUKEは耐えてきた。そうするしか、生きる術を知らなかった。

「……拝命しました。必ずや、全てを破壊しながら突き進むバッファローに牛車を取り付け、帝の御前に連れてきましょう。ただし、使命の達成以外のことに関してはいつも通り好きにさせていただきます」

 最後に付け加えたのは、せめてもの抵抗の一言。上に従うしかないHANSUKEが常に要求している、ほんの少しの慰めである。

 その心を知ってか知らずか、官人は鷹揚に頷いてそれを許可する。

「うむ。では参れ。そうそう、バッファローはめっちゃ早いからもう洛中に到着するらしい。大体三分くらいしかなさそうだけど頑張れ」

「ふざけんなよマジで」

 だが仕事に向かう。無茶ぶりを耐え忍ぶのが忍びである。



***


 そういうわけで、話は冒頭に遡る。

 HANSUKEの眼前には、物凄い速さで突き進むバッファローの群れ。そして粉々になっていく洛外の街並み。この世の終わりかと見まごうばかりの光景であった。それがこの場に到達するまで、おおよそ三分と言ったところ。

 だが、HANSUKEは全く焦っていなかった。

 三分。常人にとってはあまりにも短き時間。カップラーメンにお湯を注いでも食べる時間すらない。だが超特級上忍であるHANSUKEにとっては、十分すぎるほどの猶予であった。

 忍法・高速機動。己の時間を加速させ、静止した時の中を動く忍法。全ての忍者の基本にして奥義。あまねく忍者はこの忍法を使いこなし、常人の目には留まらぬ世界で戦いを繰り広げている。現代において忍者が目撃されることがないのも、基本的にこの超高速の世界で行動しているからである。奥歯の横を押すことで忍法を使用しているというのが定説だ。ほんとほんと。ホントだって。

 そういうわけで、例え残り時間が一分に迫ろうとも高速機動を使えば何も問題はない。故にHANSUKEは努めて冷静にバッファローの観察を行う。


 HANSUKEがまず思ったのが、「群れじゃねーか」ということである。報告では、バッファローが群れであることなど触れられていなかった。話を聞いた限りでは、異国から仕入れてきたバッファローは一体だけのようにさえ聞こえた。だが目の前には視界を覆わんばかりのバッファロー、バッファロー、バッファロー。いくら何でも複数匹いることを伝え損ねるとは怠慢ではないか。

 次に考えたのが、「破壊力えげつないな」ということである。普通に考えて、牛が多少突進しているだけで全てが破壊されるということはない。いくら異国の牛とは言えだ。しかもその破壊の仕方がまた凄まじい。ただ突き壊されたというよりは、粉みじんにされたように見える。忍法・超高周波振動ブレードで切ったものがあんな感じになってたなぁとHANSUKEは思う。


 そして最後に思ったのが、「自由そうでいいなぁ」ということである。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの前に、遮るものは何もない。ただ自分の心の赴くままに走り続けるだけだ。それはなんて爽快なことだろうか。上の指示に従うことしか出来ないHANSUKEにとっては、あまりにも眩しく見えた。


「……」

 頭を振って、雑念を振り払う。残り二分。

 観察から得られた材料を元に、考察を始める。

 まず、このバッファローは尋常の動物ではない。いくら異国の牛とは言え、ここまで動物離れしたことは出来ないだろう。となるとこのバッファローの群れは忍法を発現させた動物……忍獣である、ということになる。

 次に考えるべきはいかなる忍法を使っているか、ということだ。突進の異様な破壊力を見るに、忍法によるものと見て間違いないだろう。恐らくは忍法・進撃戦車の術だと見当がつく。前方の障害物を薙ぎ倒し破壊しつくす、HANSUKE自身もたびたび使用する使い勝手の良い忍法だ。習得難易度は非常に高いが、その分威力も絶大。これならば全てを破壊しながら突き進むことも出来よう。

 と、本来ならばここで考察は終了するはずであった。忍獣が使える忍法というのは一つが関の山であるというのが通説である。だが、HANSUKEには違和感があった。


(……群れ全てが忍獣と化すことなどありえようか。しかも全く同じ忍法で)

 そうなのである。

 忍獣というのは本来非常に珍しいものだ。それがこの数で出現するというのはあり得ない。何か見落としがある。

 違和感の正体を探るため、改めて迫りくるバッファローの群れを観察するHANSUKEはあることに気付く。

 バッファローの右目の上に傷がある。

 しかも、群れのバッファロー全てに。寸分のずれさえもなく。

 ここから導き出される結論は一つ。


 あのバッファローは、ということ。

 即ち。

「……分身か!!!」

 分身の術。良く知られた忍法の一つだ。

 なるほど、分身であるならばバッファローが群れだという情報が入ってきてなかったのも道理である。何せ連れてこられたのは群れではなかったのだから。

 分身の術と進撃戦車の術の併用。世にも珍しい、二種の忍法を身に着けた恐るべきバッファロー。

 それが、HANSUKEのたどり着いた結論であった。


 残り一分。しかしここまで判明してしまえばあとは容易い。

 進撃戦車の術は前方には強いが後方はがら空きだ。そこを攻めれば良いのである。

 また分身の術についても対処は簡単だ。分身は一度傷つけられてしまえば消滅する。こちらには忍法・高速機動がある。静止した時の中で一つ一つ潰していけばよい。

「さらば全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。忍法に溺れたのが貴様の敗因よ。大人しく牛車を引くがよい!!」

 高らかに叫び、HANSUKEは忍法・高速機動を使用した。


 その瞬間、HANSUKEは己の過ちを悟った。


 高速機動で静止した時間に入った途端、バッファローの群れが数を大きく減らしたからである。

 無論HANSUKEはまだ何も攻撃をしていない。それなのに分身の数が減った。

 となると、高速機動によるHANSUKE自身の速度上昇が原因ということになる。

 そこから導き出される結論は一つ。

(こいつ……忍法に溺れてなどいなかった!!!)


(こいつの忍法は……

 このバッファローの分身は、高速機動によるものだと言うことだ。

 高速スライド移動による残像の発生。忍者の基本戦術でもあるそれこそが、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの真実であった。

 分身の数が減ったのは、HANSUKEが高速機動を使用したことで相対速度が減少したため。

 前方の全てを粉みじんにする破壊力も、この高速スライド移動が原因である。いわば物凄い速さでやすり掛けをするようなもの。現代的に言えばチェーンソーを思い浮かべてもらえれば理解がしやすいだろうか。忍法・超高周波振動ブレードと原理は一緒である。


 トリックは至極単純明快。故にHANSUKEは慄いていた。何故か。それは高速機動に入ってなお、バッファローが数を減らしつつも未だ群れに見えていたからだ。

 それの意味するところはひとつ。

(この超特級上忍である俺よりも……速い、だと!?)

 高速機動による分身は、相対速度が速くなければ発生しない。

 静止した時の中でさえ分身が見えるということは――バッファローの高速機動がHANSUKEのそれを上回っていることを意味する。

 忍者の基本にして奥義である高速機動をここまでの練度で極めているとは……。HANSUKEは感服する思いだった。忍法に溺れるどころか、このバッファローはただ一つの基本を至上の極みにまで鍛え上げていたのである。それこそ、全てを破壊するほどに。ノー高速機動、ノー忍者。この一点において、HANSUKEはバッファローに完全敗北していた。


 とはいえ、やすやすと引き下がるHANSUKEではない。

 力も、早さもバッファローに劣っている。だが人間たる自分には知恵がある。まだ負けたわけではない。

 ふぅ、と深呼吸を一つ。静止した時間でもバッファローの進軍速度は変わらない。残りは三十秒もない。一か八かの大博打に出るしかなかった。

「……そこまでの高速機動の熟練、見事という他ない」

 HANSUKEは印を結ぶ。

「お礼にこちらからも一つ……高速機動と分身の術に次ぐ忍者の基本をお見せしましょう」

 繰り出す忍法は一つ。

 かつて帝を誘惑し国を傾けんとした忍者も使用した、初歩の初歩でもある忍法。


 である。

 ぼふん! と音を立ててHANSUKEの姿が変わる。

 そこに立つのは、一匹の雌のバッファロー。

「!?」

 突然の同族、しかも雌に動揺するバッファロー。だがその動揺は一瞬。次の瞬間には偽物を見破り、また全てを破壊する突進を敢行することだろう。

 だが――その一瞬さえあれば、超特級上忍のHANSUKEには十分だった。

「この隙を――待っていた!!!」

 動揺によって動きが一瞬、ほんの一瞬止まり、分身が消えた刹那を狙って飛びつく。

 そしてバッファローに飛び乗ったまま、HANSUKEは再度変化の術を行った。

 変化するのは――。


「俺自身が、牛車となることだ」

 豪華絢爛たる貴人の乗り物。

 バッファローの引く牛車が、そこに爆誕した。


「ぶもおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 突如として謎の重しを付けられたバッファローは、今まで以上に怒りのあまり暴れ狂う。

「あばばばばばばばばっばばっばばばっばっば」

 自身を遙かに超える速度で左右に振り回されるHANSUKE。

 だが、それにも関わらず彼は不思議な爽快感を覚えていた。

 これが、バッファローの見る世界。

 風を感じる。今までに感じたことのない、涼やかな風を。それは草原を駆け抜ける風であった。故郷に居た時から変わらない、バッファローだけが感じることの出来る風。

 それを、バッファローと一体となったHANSUKEは浴びていた。

 生まれて初めて感じる。これが、「自由」。

 どこまでも行けそうな気がした。この強敵ともと一緒ならば。

 だがそれは出来ない。この暴れ牛を、どこまでも自由な暴れ牛を止めなくてはならない。今は難なく突き進んでいるバッファローだが、HANSUKEが術で超重くなるなりすれば、足を止めざるを得ないだろう。

 このままどこまでも走っていきたいのは本心だが、仕方がなかった。使命だからだ。生まれてからずっと忍者として厳しく育てられてきたHANSUKEには、使命に抗うことがどうしてもできなかった。これは体に染みついた呪いのようなものである。超特級上忍として何者も及ばない力を持ち、大抵のことはなんでも好きに出来るHANSUKEだったが、使命にだけは逆らえない。

 そう、使命にだけは――。


『帝の前へ、牛車を引くバッファローを連れてくる。それがお前の使命だ』

 あ、なんだ。

 じゃあ止まる必要ねーな。


「陛下ァァァァァァアアアアア!!!! ご所望のクッソ早い牛車、納品でございまあああああああす!!!!!」

 目前に近付いた内裏を見据えながら、牛車と化したHANSUKEは叫ぶ。

 その声を聞きつけてウキウキ顔で姿を現した帝の顔が、衝撃に凍りついた。

 どんな顔をしようが構わない。「帝の前へ、牛車を引くバッファローを連れてくる」。その使命は既に達成されている。

 使命を達成した後は、言った通り好きにやるだけだ。

 好きに、勝手に、自由に。


「そして誠に勝手ながらァァァァァァアアアアアアア!!! この申酉HANSUKE、本日これにて超特級上忍の職を辞させていただきまあああああああす!!!!」

「ぶおおおおおおおおおおお!!!!」

 叫ぶHANSUKE、叫ぶバッファロー。二つの叫びが一つとなって、それは牛車の叫びとなった。

 嘶きよりも早い突進は、宮城を、内裏を、帝を、そしてこの国そのものを。完膚なきまでに撥ね飛ばし、全てを破壊した。




***

 その後、平安京の再建にはそれはそれは長い時間がかかった。

 これを期に、「やっぱ急ぐのって良くないよね」という風潮が高まったことで、日本特有のゆったりとした遅さ、まったりさを重視する気風が醸成されたというのが歴史学者の見解だ。また、「外国ってやべーわ」ということで緩やかな鎖国が始まったのもこの事件が契機であった。

 これは余談だが、「牛歩戦術」の意味が「ものすごい力で全てを破壊する戦術」の意味となったのは、この故事が由来だという。


 HANSUKEとバッファローの行方は、杳として知れない。

 一説にはそのまま全てを破壊しながら突き進んで海を越え、やがてモンゴル平原へと辿り着いたHANSUKEと愛バッファローはそこでチンギス・ハンの先祖となった――チンギス・ハンのハンはHANSUKEのハンなのだ――という話もあるが、流石に眉唾であろうか。

 何にせよ、忍者と牛車が自由に生きたことだけは間違いなさそうである。


(了)

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