本編

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「断っちゃえば良かったのに。面倒なことになるかもよ」

 郁美と共に駐車場へ向かいながら、由美は今日何度目かになるかわからないため息をついた。麻子は玄関で待っている。

「仕方ないでしょ、あの様子じゃ本当に一人で行ったわよ。車で三十分かかるのに、歩きでどれくらいかかると思う?」

「下手したら夜道で遭難、か。怒られるのはわたしたちだしね」

 車は叔母の軽自動車を借りることができた。酔っ払った叔母がどれくらい由美の話を理解していたのかは考えないことにする。

「でも、よりによって裏見川ファンタジーパークなんて。大丈夫なの? 作りかけで放置されてる場所もあるんでしょ」

「少しのぞくくらいなら大丈夫じゃない」

「んもー、お姉ちゃんってば委員長みたいな見た目のくせに、変なところ雑なんだから」

「誰が委員長よ。でも、そうね、レポートのネタが欲しかったところなのよね」

「悪趣味~。どんなレポート書く気?」

「さ、早く行って早く帰りましょう」

 郁美の言葉を遮り、由美は水色の軽自動車のドアを開けた。


     *     *     *


「うわあ……」

 ファンタジーパークが想像以上に廃墟で、麻子はライトをつけたスマホ片手に声を上げた。塗装はあらかた剥げ落ち、コンクリートはひび割れて崩れ、鉄製と思しきところには例外なく錆が浮いて腐食している部分もあった。

 がたん、と近くで何かが倒れるような音がして、麻子は飛び上がった。

「ヒッ」

 慌てて周囲を見回すが、暗くて音の原因はわからなかった。由美が軽く腕を引く。

「もういいでしょ、帰りましょう」

「いやいや、中に入らないと! 肝試しみたいで楽しいじゃない」

「肝試しって」

「さあ、行こー!」

 二人の返事を待たず、麻子は柵の壊れている部分から中へ踏み込んだ。やはり廃墟と化している、元は売店だったのだろう建物が並ぶアーケード通りへ向かう。通りに面した部分はガラス張りだったようだが、今は殆どが割れてなくなっていた。石畳も、無事な部分を探すのが難しいくらいに荒れている。

 ―――ガタン!

「っ……」

 また大きな音が聞こえたが、今度は悲鳴を堪えることに成功した。店の中へ明かりを向けてみると、横倒しになった古い什器類や壊れた椅子などが無造作に放置されていた。きっと、危ういところでバランスを保っていたゴミが、何かの拍子で倒れたに違いない。

 奥へ目を凝らしても何も見えず、こごった闇が光を吸い込んでいるように見えて麻子はなんだか落ち着かない気分になった。

「あ……あれ? 壁崩れちゃってるのかな。普通壁あるよね」

「崩れたんでしょう。もういいわよね」

「よくない! 奥行くよ奥!」

 由美へ叫ぶように返し、麻子はずかずかと先へ進んだ。

 アーケードを抜けると、広場になっている。崩れかけたアトラクションのシルエットが夜よりも暗く、田舎で明かりがないがゆえの美しい星空を切り取って不気味に浮かび上がっている。

 三人以外に動くものはなく、音も聞こえない。夜気とは思えない生温なまぬるい風が首筋を撫でて、麻子はぶるりと身体を震わせた。

 道はアスファルトが割れて至る所から雑草が生え、手入れされない花壇は石が崩れて、やはり雑草が茂っている。枝が伸び放題になった木の陰から何かが飛び出してきそうな気がして、麻子は努めて見ないようにした。

 黙々と歩いていると、

『……て……』

「え?」

 聞き取れずに麻子は肩越しに振り返った。後ろを歩いている由美と郁美は不思議そうに首をかしげる。

「何?」

「どうしたの?」

「今、どっちかわかんないけど何か言ったでしょ? 何て?」

「わたしも郁美も、何も言ってないけど……」

 二人が戸惑った様子で首を左右に振り、麻子は思わず足を止めた。

『……して……』

「ほら! また……」

『出して……』

「きゃあああああ!」

 今度ははっきり聞こえ、麻子は悲鳴を上げてその場を逃げ出した。

「あーちゃん、待って!」

「どこ行くの!」

 由美と郁美の声は聞こえていたが、その場から離れたい一心で麻子は闇雲に走った。振り払っても振り払っても、さっきの声が追いかけてくる気がする。

 振り返ってはいけない。振り返ったらきっと追いつかれる。

「いや、来ないで、来ないで、来ないで!」

 恐怖に背を押されて方向もわからぬまま滅茶苦茶に走り、建物の中に逃げこんで壁に背を預けた。足が震えて立っていることもままならず、座り込む。

「はあ、はあ、はあ、はあ……」

 蹲ってどれくらい経ったか、耳が痛いほどの静寂に気味が悪くなり、麻子は首を巡らせた。いつの間にかスマホのライトが消えている。

 何も見えないのでライトをつけてみると、その光がそのまま目を射た。

「きゃっ!」

 反射的に目を閉じて、恐る恐る開いてみれば、正面に光の輪が浮かんでいた。

(鏡……?)

 上半分が無残に割れてなくなっていたが、下半分はひびが入りながらも残っている。明かりを左右に向けてみると、ちらちらと光が反射した。いつの間にかミラーハウスの中に入ってしまったらしい。反射するということは、他の場所の例に漏れず朽ちかけているようで、少しは鏡が残っているのだろう。

(だ、大丈夫、大丈夫。早く出よ)

 無理矢理己を鼓舞して麻子は立ち上がった。そうでもしないと恐怖で動けなくなる。

 置き去りにしてしまった由美と郁美の気配はない。捜してくれてもよさそうなのにと頬を膨らませ、麻子は歩き出した。粉々になった鏡の欠片が散乱しているので、注意して進む。出口がどちらかわからないが、壁伝いに行けばそのうち出口に着くだろう。


 ―――しかし。


 歩いても歩いても出口が見えない。

 聞こえるのは自分の呼吸音や衣擦れの音、足音だけ。床には細かい鏡の破片やコンクリート片などが散らばり、一足毎にざりざりと擦れる。

 遊園地のアトラクションが、ここまで広いはずはない。しかし出口は見つからない。スマホで由美に連絡しようとしたが、やはり電波は入らなかった。今時、いくら田舎でもそんなことがあるだろうかと思うが、入らないものは仕方がない。

 足が止まりそうになるのを必死でこらえ、更に先へ進むと、不意に何かにぶつかった。

「きゃっ!」

 麻子は驚いてスマホを取り落とす。慌てて拾い上げ、恐る恐る手を伸ばしてみると、ガラスのような感触があった。しかし、見る限り壁のようなものはなく、光も先の通路を照らしている。ガラスだとしたら、多少なりともライトは反射するはずだ。

「何……?」

 ライトを近付けて目を凝らしてみても、何も見えない。しかし壁はたしかにあって、進むことができない。見えない壁は、通路を塞ぐように広がっている。

 戻るしかないのだろうかと背後に明かりを向けたとき、

 ―――ざり。

「えっ……」

 何かが床を擦るような音が聞こえて、麻子は悲鳴を押し殺した。

 ―――ざり。ざりざり。

(何? 何、なんなの?)

 まるで足を引きずっているような音だ。不規則なそれは、人間の足音ではないように思えた。

 ―――ざりざり。ざり。ざりざり、ざり。

 近付いてくる、と思った瞬間、麻子は声を限りに叫んでいた。

「いや、いや、いやあああ!! 来ないで! 来ないでえええ!!」

 スマホを放り出して両手で頭を抱え、絶叫しながらしゃがみ込んだとき、ぱっと明かりが向けられた。眩しさに麻子は反射的に目を閉じる。

「いたいた」

「よかったわ、見つかって」

 聞き覚えのある声に細く目を開けると、光の先にいたのは由美と郁美だった。二人の姿を見て安堵のあまり力が抜け、麻子は床にぺたりと座り込む。

「由美姉……郁美ちゃん……」

「捜したわよ、あーちゃん。立てる?」

「う、うん……」

 由美の手を借りて麻子は立ち上がった。そして、息を飲んで声を上げる。

「待って、変な音がしたの、ゾンビが歩いてるみたいな!」

 由美と郁美は顔を見合わせると、同時に吹き出した。

「ゾンビ? ここに来るまで何も……」

「音がしたんだって! それにほら、これ見て! 変な壁があるの!」

 由美の言葉を遮り、麻子が見えない壁を叩いてみせると、困り顔だった二人の顔色が変わった。壁に驚いたせいだと思い、麻子はまくしたてる。

「触ってみてよ、壁があるのに光は通過するのよ? 向こう側は真っ暗だし、何もないし、おかしいでしょ!」

 由美が進み出て手を伸ばした。掌で見えない壁を二度叩き、ため息をつく。

「嘘でしょ……なんで、こんな……」

「ほらね、変な壁が……」

 麻子が更に言い募ろうとしたのを無視し、郁美が肩を竦めた。

「だから言ったじゃない、お姉ちゃん。作りかけで放置されてるって」

「そんなこと言ったって、まさか入り込んじゃうと思わないでしょ?」

「あーあ、今回も失敗だね」

「仕方ないわ。不測の事態だもの」

「不測かな? 最初から断っておけばよかったんだって」

 二人の話していることがわからず、麻子は床を踏み鳴らした。

「なんの話よ!」

 由美がちらりと麻子を見て、もう一度ため息をついた。

「話しても無駄だと思うけど……」

「そんなことない! 二人して、あたしのことバカだと思ってない!?」

 由美とは裏腹に、郁美は面白そうにしている。

「いいじゃない、教えてあげれば? お姉ちゃんが話さないなら、わたしが話すけど」

「郁美。まったく……遊びじゃないのよ」

 三度目のため息をついてから、由美は話し始めた。

「ここは箱庭なの。作った人によって出来にばらつきがあってね、ここみたいに突然なくなってる場所もあって……早く取り壊しておけばよかったのよ」

 麻子はわけがわからず二人を交互に見る。

「箱庭? 何言ってるの?」

 由美は当然だというように頷いた。

「ほら、わからないでしょう? 当たり前だから気にしなくていいわよ。帰りましょう」

「気にしないなんて無理! ちゃんとわかるように説明して! でないと言いふらすからね、ミラーハウスの奥は変な壁があって、何もない場所が広がってるって!」

 殆ど自棄で叫ぶと、由美は観念したようにかぶりを振った。

「わかったわ。―――繰り返しになるけど、ここは箱庭。地球そっくりに作ってあって、地球じゃできない実験をしたり、データを観測するための場所なの。箱庭の中の人間は二種類に分けられるわ。観測者と被験体。わたしたちは観測者、その被験体があなた」

「……被験体? あたしが?」

「そう。被験体には様々なシチュエーションが与えられて、その都度どんな反応をするか、そんなふうに判断するか、その結果どうなるかなどのデータを取るの」

「う、嘘! そんな話あるわけないでしょ、由美姉、本の読み過ぎなんじゃないの!?」

「そうね。これで納得してくれる?」

 由美が一切動じず、単に事実を述べているだけだというふうな態度を崩さないので、麻子は強くかぶりを振った。

「嘘、嘘よ、だって……そんなの、地球の中に地球と同じものを作れるはずないよ! 場所がないじゃない!」

「地球の中だなんて誰が言ったの?」

「それは……宇宙にそんなの作れる技術まだないもん!」

「根拠はある? 宇宙に作れないって」

「だっ……ほ、本当だったらあたしに言うはずない! 知られたら終わりじゃない!」

「これが実験だって、自分が被験体だって知ったときのデータも必要だもの。人によって本当にばらばら。人間の精神は面白いわ」

 反論のいとぐちが尽きて、麻子は黙り込んだ。自分がたのみにしている己の知識など、本当に限定されているものだと思い知る。

 それでも何かないか、何か否定できないかと考えていると、不意に由美が笑い出した。

「ふふふ、あはははは! 嘘よ、冗談。ごめんね、あーちゃん」

「……は?」

「この壁はミラーハウスの仕掛けの一つでしょうね。上手くできてるわねえ」

 麻子は束の間ぽかんとし、我に返って思わず由美の腕を叩いた。

「由美姉、酷い! 普通、こんなとこでそういうこと話す!? ちょっと信じかけたよ!」

 黙って聞いていた郁美も深く頷いて同意する。

「ほんとにね。お姉ちゃんったら性悪なんだから」

「よく言われるわ。―――さ、帰りましょ。日付が変わっちゃう」

 麻子は由美について歩き出した。一人では心細くても、三人いれば怖くはない。

(ほんっと性格悪い。そりゃ、あたしもちょっとは無茶言ったかもしれないけど)

 これからは我が儘を控えようと麻子は少しだけ反省した。



     *     *     *



 麻子と郁美を車に乗せ、運転席に乗り込む前に由美は携帯端末を取り出した。音声のみの通信回線を開く。

「わたしです。新しい被験体を用意して貰えますか。―――はい、明日にでもそちらへ送ります。処分はお任せします」



 了

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嘘つきの箱庭 楸 茉夕 @nell_nell

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