第28話 黒紫憧さんと四月の日々⑱

「…………」

「おにーちゃん。お米、たれてるよ?」

「え? あ、ああ。じゅるり」


 晩ごはんの時間だ。


 白日はくじつ家期待のホープ、先祖返りで身長が低い、羽麗はれい高校合格で一生分の運を使い切ったなドンマイ、と両親に言われるぼくこと白日はくじつゆうひは、隣に妹を控えながらテーブルに着いている。


 四人が並べる食卓には、粒だった白米に、ワカメのお味噌汁、サバの味噌煮、納豆、大根とニンジンの漬物とバランスの取れたお皿が置かれている。母さんが色彩も考えて配置していると思われるが、ぼくがおかずをメインに摂取しているため、皿のうえは白色系の残りが多い。


 一方で三角食べならぬ正五角系食べを繰り返しただろう、よるねは、完璧な配分でお皿を少なくしていっている。コップの水をぐびぐび飲み、ぷはあと言うと、先程のようにぼくの口元に付着する銀シャリを指摘した。


 ぼくはすぐに口から滑り落ちた粒を咀嚼そしゃくする。甘い。噛むほどやわらかな弾力とともに甘みが広がる。ああ、日本人に生まれてよかったなあ。


 先に食事を終えたよるねは、椅子のうえで綺麗に九十度転換をし、ぼくの方を向いた。ちなみにぼくの左隣だ。


「めずらしいね。食事中に考えごとなんて? いつもはテレビをみてわはは、うわはははと手を叩いているのに」


「お猿の人形じゃないんだから、そこまで愉快じゃないだろ。でもまあ、たしかに。家で学校のことを振り返るなんてぼくらしくもないかなあ?」


「なにか良いことあったの? ねえねえ、教えてごらんよ、へいブラじゃー?」


「それじゃ女物の下着だ。カッコいい言葉を使いたいのはわかるが、二度と混ぜるなよ。兄上と下着を。へい、シスター」


 中間に居るよるねにとって、どちらも親しいということでどうかひとつ、マイ・ブラボーとか言われる。さてはわざと間違えたか? 内側に白日はくじつ家のレコードを塗り替える知性を秘めてそうでどうにも怖いんだよな。このナイト・スター。


 妹に悩みを話すのもどうかと思ったが、あまり妹らしい妹でもないので、まあいっかと考える。ちなみにかあさんは台所でジャブジャブと洗い物をしており、とうさんはガレージでガラクタ弄りに熱中している。


 お行儀わるく箸の先を口に含みながら、頭のなかで一日を整理していく。


「今日な、おにーちゃんな、初めて会った同級生の女子に頭をぶつけられたんだ?」


「おにーちゃん、いじめられているの……!」


 よるねがキュルンと目をうるませる。たぶん演技だろう。


「それで、生徒指導室に運ばれたんだが。そこにいた導子ちゃ――学年主任、学年主任で担任の、責任感あるべき大人にな。ちょっとした弱みを撮られて脅迫されたんだ。『ワタシの言うことにシタガエ!』と」


「おにーちゃん、大人にもいじめられているの……!」


 よるねの瞳がワクワクで満ちている。本心だろう。


「そうして踏んだり蹴ったりしているなか、黒紫憧こくしどうさんに助けを求めたら、なんだか助けられて」


「お、でましたコクシドーさん」


 よるねがパチパチと拍手を贈る。ぼくもつられてパチパチと拍手した。テレビ画面の向こうで再放送の銀色巨人が、「ヘア!」と代わりに意気込んでいる。


「で、弱みは救われ、代わりに黒紫憧こくしどうさんと二人で挑む課題が与えられて。おにーちゃんは明日からそれに果敢に取り組まなきゃなんだが……」


 よるねにはちょっと難しい言葉を使ったかな、と反省したが、当の妹は腕を組んでうんうんと頷いている。知らない言葉でも文脈から推測できているのだろう。ええい、可愛くない小四だ。


 ぼくはため息をついてよるねの頭をぽんぽんと叩く。よるねは目を開け、ぼくをジーと見つめた。


「いいことだね!」

「良いことかなあ?」


 歯切れわるく返答する。お米はすっかり飲みこんだ後だ。


「なにがこわいの?」


「……。正直、おもしろくはあるよ? 色んな出来事があって、奔走ほんそうして、助けて、助けられて。去年と比べたらダイエットコークとコークぐらい味の広がりが違う」


「ごめん。よくわかんない」


 ふ。この違いがわからないとは。しょせん、おこちゃまか。


「でもなー。ぼくなんかには似合わない日常過ぎて、ちょっとどころかだいぶ怖いんだよ? 学年一、というか学校一の美少女。問題行動の目立つ先生。そして摩訶不思議なプロレス怪女。こんなバリエーションに挟まれて、おにーちゃん疲れ気味だよ」


 おーいおい、おーいおい、と両手を下まぶたに当てて、泣き真似をする。するとよるねはすかさずお尻の位置を自分の席からぼくの膝へと移した。そしてぼくの両手を取ると、シートベルトみたいにお腹の前でくっつける。ガチャ。


 よるね号、はっしーん! と叫ばれる。あ、電車の類なんだ、これ。


 よるねは頭を上向け、ぼくを見上げた。


「自転車で電車の線路にのりこんだら、それはこわいよね?」


「え?」


 よるねは無邪気に笑う。


「でも電車の線路にいるのが、じつは電車じゃなくて、ただはやいだけの同じ自転車だったら、そうでもなくない? マウンテンバイク、ロードバイク。シティサイクルとは乗りごこちはちがうけど、でも別物じゃないんだよ?」


「それはまあ。そうかな?」


「うん。そしてだいじなのは、電車か、自転車か、はおにーちゃんが決めていいってこと。自分とちがうなーって思ったら、電車でいいし。自分とそう違わないなーって思ったら、自転車でいいし。自分もなりたいなーって思ったら、電車になればいい。同じ線路にいるんだもん。そんな違いないって」


「…………」


 部活動紹介の時のひと幕を思い出す。


 場の空気を変えるため、総理顔負けの演説をしていた黒紫憧こくしどうさん。けれどその時、彼女の肩はわずかに震えていなかっただろうか?


 自己紹介やクラス発表をするとき、息を吐くように緊張するぼくと、同じみたいに。


「あー……」


「がんばれ、おにーちゃん。その線路に乗ったのはきっと偶然じゃなく、どこかでおにーちゃんが乗り込んだからだ。だったら慣れるよ。きっと。だっておにーちゃんの足は、もうそのレールを踏みしめているんだから」


 よるね号は加速を終え、終点のアナウンスを告げた。


 分岐、分岐した。自分の味気ない日常が変化した。それは確かだ。だって先週、新学年初日の朝、ぼくはこれからも平凡な日常が続くんだろうなとぼんやり考えていたから。今となっては外れ予報もいいところ。


 そしてどこが分岐路になったかとかえりみれば、それは黒紫憧こくしどうさんと初めて関わり合うことになった新学年初日の朝――ではなく。


 そのもう少し前。

 諸事情により、もう無いことになった、二月末からのあの日々が――――。


 ギギィィ、ギギィィ――と、ゆうひ号の加速と減速を繰り返す、わだちの軋む音が脳内に響いた。


「うん?」


 そして頭を下に向ければ。

 よるねが、ぼくの箸をもって、残りのご飯をもぐもぐと食べている。


「なにしてんだ、お前!?」


「よるね号は次の出発にむけて、燃料補給にはいります」


「ゆうひ号は現在進行形で走ってんだよ!?」


「まもなく、廃線―、はいせんー」


「どこで覚えたそんな言葉!?」


 よるねのほっぺをつまんで咀嚼そしゃくの邪魔をしていると、かあさんから「うるさいわよ、二人とも!!」とお𠮟りを受ける。二人そろって「「はーい」」と告げ、お漬物を半分こした。


 お米の甘さにお漬物のしょっぱさ。


 あんがい、人生の塩梅あんばいってこんなものかと、明日からの我が日々を憂う。ぼり、ぼり。

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ある日からのラブコメ~黒紫憧《こくしどう》さんとの通学路~ まっすぐこの道 @massugu-konomichi

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