百合ッファロー

海沈生物

第1話

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。それは私の町の全てを破壊しているバッファローの群れを止めること……ではなく、群れを引き連れている恋人の真知子を止めることである。


 事の経緯を簡単に説明すると、休日に爆睡を決め込んでいた。すると、知人からの鬼電で「もしもし、お前の彼女がバッファローで街を蹂躙し尽くしているんだけど!?」と連絡が来たのである。それ以上でもそれ以下でもない。知人の頭がおかしくなったのかと思っていた。だが、窓の外を見ると実際にバッファローが全てを蹂躙していたのである。信じるしかない。


 私は別にこの街に執着はない。五年程彼女とこの街に住んでいたが、この街の治安はとても悪い。「路地裏に 一歩入れば 死体山」という物騒な俳句が新聞に掲載されるような治安の悪さである。これが冗談ではなく事実だから恐ろしい。


 しかし、この街が滅んでも彼女に……真知子に死なれてしまったら困る。困るというか、不味い。人間関係が希薄かつ家事ができない私にとって、家事マスターの彼女がいなければ生活を営むことができなくなる。こんなバカなことをして警察に逮捕されてしまうことなど、許すことができない。


 今ならまだ「たまたまやってきたバッファローの群れが全てをめちゃくちゃにして終わった」というサプライズ忍者理論的な理屈でどうにか彼女の罪を誤魔化すことができる。私は早速パジャマからジャージに着替えて家を出ると、免許不携帯のまま、路上に乗り捨ててあった外車を借りて彼女の元へと向かった。



※ ※ ※



 アクセルを踏み込み時速200kmを出して一分でバッファローの群れの先頭に追い付くと、エプロンに三角巾を付けた「今の今まで家事をしてました!」姿の真知子が手を組んだワイルドスタイルでバッファローに跨っていた。


「真知子、こんなことやめて二人で家に帰ろー?」


 喉が張り裂けんばかりに叫んだが、声は虚空に消えるばかりだ。彼女の耳には届くことはない。あるいは聞こえているのに聞こえていないフリをしているのかもしれない。私はわざとらしく小首を傾げる。


「もしかして、私が何か気に障ることした? 毎日家事を一切手伝わずにソファーでゴロゴロして”ご飯まだー?”って言ったこと? それとも、この前スマブラでボコボコにした上に”雑魚すぎでしょwww”って煽りまくったこと? あるいは……」


 適当に思い当たることを陳列していると、真知子はやっと私の方を向いてくれた。嬉しくてぽわぁと笑みを浮かべたが、彼女はぶわぁと怒りの表情を浮かべた。


「は? は? は? それだけ自分のやらかしを自覚している癖に、一切改善しなかったことよ!」


「お、落ち着いて、真知子! ほらほら、息を吸って……吐いて……吸って……吐いて……どう、落ち着いた?」


「………………落ち着くわけないでしょ!」


「ひぇー! 真知子サマが怒ったー! どうしよー! 世界が滅びちゃうー!」


「バカにしてるの?」


「バカにしてないよ? 私はいつだって真剣だよー!」


「真剣なわけないでしょ。ここまで私を説得しに来たのも、どうせ”このまま私が逮捕されて家事をやってもらう相手がいなくなると困るから”なんでしょ!」


「ソ、ソンナコトナイヨー」


「図星みたいね……全く。初めて会った時はあんなにも”この世の全て”ぐらいに素晴らしく思えていたのに、今ではこんなカスのクズにしか見えないなんて。あの時のアンタは…………」


 ふと、車の助手席を見るとうすしお味のポテチチップスがあることに気付いた。封が開いているのが若干懸念点であったが、他人の食いかけであってもポテチはポテチである。私は彼女がガミガミと過去の話をするのに夢中になっている隙を見計らうと、そっとポテチの袋に手を伸ばした。


「…………私にとって、あの閉鎖的な村からヒグマの群れと共に救い出してくれたアンタは”光”そのもので…………」


 袋の中を覗くと、ポテチはもう数枚しか残っていなかった。少し残念だったが、全くないよりはマシである。彼女の言葉を右から左に受け流しながら、ポテチに手を伸ばし、口の中に入れる。


「…………でも今のアンタは違う。もうアンタは”救世主メシア”なんかではない。ただの、人の心が分からないクソボケ紐野郎なの!」


「こ、これは……!?」


「なに? 反論でもあるの?」


「ポテチがしけってる……」


 真知子は何か言いたげな顔をしていた。だが、私がしょんぼりと落ち込んでいる姿を見るともはや何も言わなかった。代わりにため息をつく。                            


「……やっぱりダメね。バッファローの群れの力でこのクソったれた街を破壊するついでに逮捕されることで、アンタの為に家事をする生活から逃れようとした。だけど、私はアンタのことを忘れることができない。アンタの呪いから逃れることができない」


「の、呪いって。人をまるで呪物みたいに言うのは良くないと、お、思うナー?」


「呪いよ、呪い。特級呪物そのものよ。アンタは私の魂を救ってくれた存在でありながら、同時に私の魂を縛り続ける呪いでもあるの。私を狂わせる存在な……おい、真剣な話をしているのにポテチ食べるな。しけっているんじゃないの?」


「例えば円柱のケースに入った大容量の味付けのりってしけっていたら美味しくないけど、だからと言って残りを全部捨てて食べないわけではないでしょー? つまり、そういうことだよっ!」


「分からないわよ! 全然」


 真知子からバチバチに睨まれたので、やむなく手に持っていたポテチの袋を自分の膝の上に置く。


「……話を戻すけど。味付けのり……じゃなくて、つまり私は”こんなこと”をしてもアンタから逃れることができないってことなの」


「じゃあバッファローの群れを置いて、家に帰ってきてくれるの!?」


「それは……まぁ……いいんだけど」


「どうかしたの?」


「時速200kmで走るバッファローの群れから飛び降りたら、さすがに死ぬくない?」


「……」


「……突然黙らないでよ」


「今までありがと、真知子。お墓は……適当に家の裏にでも作っておくね……っ!」


 私は緩やかに車のスピードを落としていくと、バッファローの群れから離れていく。遠ざかっていく彼女を見送りながら、スマホのマッチングアプリを開くと、次の恋人候補を探し始めた。遠くから真知子の「絶対帰ってアンタにご飯作ってやるからー!」と泣きそうな声で叫ぶ声が聞こえたような気がした。多分。

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