23.星の悲鳴
――短い旅の終わりから、数日後。
手にした杖をシュメルヴィが軽く振ると、からんからんと音がする。その音に、散歩に連れ出されていたピオニー達が集まって来る。ピオニー達の鱗は、夕日に照らされて、橙色に輝いていた。
もう『星憑き』ではなくなったシュメルヴィは、もとのように『街』のピオニー牧場で働いていた。今日は、夕方の散歩の担当だった。
と、ふと、シュメルヴィは空を見上げる。気付けば、空の半分が色濃くなっていた。夜が迫ってきている。
――星が降ってきた時も、こんな感じだったかな。
そう思い、夜に侵食されていく空を、改めて見上げた。空にまだ、星は見えない。けれどももうじき、見えてくるだろう――近くの星見塔を見れば、星の音に耳を澄ませようと、大人達が準備をしていた。どうしても、聞きたくなってしまう音。
思えば、何故、人々は星の落ちる音を、聞きたがるのだろうか。不意にシュメルヴィは思った。エンケは言っていた、星は人間がいらないと決めて捨てた心だと。その星が落ちる音に、何故人は惹かれてしまうのだろうか。
――考えてみれば、答えは簡単だった。
自分だって、星を空に返した際に、手を伸ばしてしまったのだから。
人々は、自らいらないと、心を失ってしまったけれども、その心を、まだ惜しく思っているのかもしれない――。
と。
「シュメルヴィ」
聞きなれた声で名前を呼ばれ、そちらを見れば、『街』からレクサルが歩いて来ていた。
「レクサル、どうして?」
「君の帰りが遅いから、また倒れてるのかなと思って。それなら、迎えに行かないといけないでしょ?」
尋ねればレクサルはそう答えた。
――心配、してくれたのだろうか。
「……ありがとう」
そうシュメルヴィが礼を言えば――レクサルは首を傾げた。
だが、もうそれ以上、そのことに関して何も言わなかった。
「夜になっちゃうよ……ピオニーを連れて帰るの、手伝うよ」
そうしてレクサルは、周りのピオニー達を数え始める。だからシュメルヴィは杖のベルを鳴らして、近くにピオニーを集めた。
その最中、ふと、シュメルヴィがレクサルを見れば。
――レクサルは、ピオニーを数えるのをやめて、沈みゆく太陽を見つめていた。
「……レクサル」
思わずシュメルヴィは名を呼んだ。
レクサルが振り返ったのは、しばらくしてだった。
――影になって、その顔はよく見えなかった。
しかしそれは最初だけだった。太陽の光が、地平線の彼方に消えていく。そうして見えたのは、あの笑み。
「そういえばシュメルヴィ、今日、十五歳の誕生日だったね」
不意に、レクサルは言う。
言われてシュメルヴィは思い出した――そう言えば今日、十五歳になるのだった。ここ数日、様々なことがあって、すっかり忘れていた。
けれども、レクサルは憶えていてくれたんだ、と、思う。
「おめでとうシュメルヴィ。これで明日から、夜、外に出られるね……でも、今日はまだだよ……夜になっちゃったね。決まり、破っちゃったね」
しかし親友だから憶えていた、というわけではなさそうだった。
シュメルヴィは苦笑いもできなかった。
「……ごめん」
「うん……じゃあ、早く帰ろうか」
そう、レクサルはまた、ピオニーを数え始める。シュメルヴィも顔を上げれば、もう一度ベルを鳴らした。世界を見れば、暗い色の空と、白い砂漠、二色になっていた。
その空の夜色の部分で、やがて星が輝き出す。
人々が捨てた、心。
「……」
ふと、シュメルヴィは足を止めてしまう。レクサルはピオニー達を連れて、先に行ってしまうというのに。
――妙な感覚があった。
砂漠に取り残されたシュメルヴィは一人、夜空を見上げる。真上の星を見上げる。
――その星は、妙に大きく見えた。
まるで――近づいてきているかのような。
流れ星の一番星が、こちらに近付いてきていた。
――シュメルヴィを、狙うように。
……星になった心は、持ち主が十五歳になるまでに、落ちてくる。
今日は、十五歳の誕生日。
「――まさかそんな……」
突然、懐かしい感覚に襲われた。震えて、杖を手放してしまうほどに。
いま、真上にある星。
――それは間違いなく、この前空に返したばかりの星だと、まだ星の名残があるこの身体、この器が、言っていた。
「……!」
とっさにシュメルヴィは走り出した。走りにくいものの、砂を蹴って進む。
逃げ出したわけではなかった。
――身体が勝手に、星を受け止めに走っていた。
こちらを狙って落ちてきているかのような星だが、その落ちる先は、勢いのせいか、ずれていた。このままでは離れた場所に落ちてしまう。落ちてしまえば――。
心は、砕ける。
「やめて……! やめて……!」
半ば転びそうになりつつも、星が目指す場所へシュメルヴィは走った。
心は捨てたはずだった。平和のために。
それでも――砕けてほしくはなかった。
あの空で、輝いていてもらいたかった。
何故なら、砕けてしまうなんて――そんなのは、耐えられなかった。
星は風を切り、輝きながら地上へと降って来る。もう、すぐそこだった。このままでは、墜落する――。
瞬間、シュメルヴィは砂を蹴って、飛び込んだ。星が落ちてくるその場所へ、受け止めようと、手を伸ばす。
何としても、受け止めなくてはいけなかった。
――心は、大切なものだから。
けれども。
きぃんと、音がした。どうしても、聞きたくなってしまう、その音。
――星が落ちた、その時の音。
星の悲鳴。心の悲鳴。
シュメルヴィの星は――シュメルヴィの手の先に落ちた。砂の上に、光が落ちる。
そして――砕けた。落下の衝撃に舞った砂に混ざるようにして光は散り散りになる。輝きを失う。
その瞬間を、シュメルヴィは見ていた。目を閉じることも、耳を塞ぐこともできず。
果てにシュメルヴィは砂の上に顔から倒れ込んだ。熱くも冷たくもない、柔らかいとも固いとも思えない砂に、身体が沈む。
……やがて、ゆっくりと顔を上げれば。
目の前に、星はもう、なかった。その光の残骸すらもなかった。
あるのは、砂だけ。この世界を覆う、砂だけ。
震える手で、シュメルヴィは目の前の砂をすくった。風が吹けば、さらさらと砂は流れ落ちた。そして指の間からも、こぼれ落ちる。
あの星は、この砂漠の砂になってしまった。悲鳴を上げて、砕けたあの星は。
愕然として、シュメルヴィは泣くことも、笑うこともできなかった。目を見開いたまま、目の前の砂を見つめていた。
心は完全に失われた。あの、様々なことを教えてくれた心は。夜空で輝いていた星は。
――辺りには、また別の星が落ちて砕ける音が響いていた。
色も模様も何もない『街』を、いくつもの星の悲鳴が、囲んでいた。
【終】
SCREAM ―星が砕ける時― ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya
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