22.夕日

 二人が『村』から旅立ったのは、次の日だった。もう、用事はないのだから。

「星は空に返したけれども、まだしばらくの間は『星憑き』の名残があると思うから、色々思ったり、感じたりするかもしれない。でも、少しの間だけだよ、子供みたいに、数年かけてなくなるわけじゃない……数日くらいかな」

 『村』の入り口の前で、シュメルヴィはエンケに言われた。

「それじゃあ二人とも。気をつけて……レクサル君、そのピオニーは、大切に育ててくれ」

「はい」

 言われてレクサルは、頷いた――二人で一匹のピオニーに乗って旅するのは、時間がかかる。エンケが『村』のピオニー一匹を、譲ってくれたのだ。

 ――昨日泣いたレクサルだが、一晩経てば、いつもの笑みを浮かべていた。まるで昨日の出来事が、幻だったかのように。

 それでも、シュメルヴィはしっかりと憶えていた。隣にいるレクサルを見れば、泣きじゃくっていた彼を思い出す。

 それはつらかったけれども――どこか満たされた。

 たとえそれが痛みであっても、同じ思いを共有できたような気がして。

 ――心があれば、絆が生まれる。

 エンケが言っていた意味が、わかったような気がした。

 しかし、心はもうなくなったのだ。いまあるのは、その余韻だけ。

「……ありがとうございました」

 シュメルヴィはエンケに頭を下げた。星を空に返せただけではない――様々なことを、感じられたのだから。顔を上げれば、エンケの笑顔に、寂しさを覚えた。

「ありがとうございました」

 レクサルも礼を言えば、譲ってもらったピオニーにまたがった。

 だからシュメルヴィもピオニーに乗れば、レクサルはそれを見て、先へと進んで行く。『街』へと向かって行く。

 シュメルヴィは、もう一度、ピオニーに乗ったままでも、エンケに頭を下げた。

 エンケは手を振る。遠くを見る様な顔で。

 ――そのエンケの背後で、子供二人がこちらを見ていた。

「あっ……」

 思わずシュメルヴィは、手綱を握る手を緩めてしまった。

 エンケの後ろにいたのは、昨晩、喧嘩をしていた子供達だった。

 二人はまるで、昨晩あんなひどい喧嘩をしたにもかかわらず、二人仲良く、こちらに向かって手を振っていた。

 ――あんなに怒鳴っていたのに。あんなに泣いていたのに。

 シュメルヴィはその子供達に手を振り返せば、エンケにも手を振り返して、そうして背を向けた。


 * * *


 復路は、何事もなく進めた。『村』を離れて、進んで、進んで。ダークムーの巣穴の上を通ることもなく。

 そうして気付けば、夕方になっていた。

 予定よりも早く一晩を過ごすオアシスにたどり着いて、シュメルヴィとレクサルは、そこで過ごす準備に取り掛かった。今日は、シュメルヴィがテントを張る。レクサルはピオニー達の世話をして、また自分達の夕食の準備をする。

「――レクサル?」

 けれども、ふとシュメルヴィが顔を上げると、レクサルの姿は近くになかった。

 ――レクサルは、オアシスの対岸にいた。棒のように立って――沈みゆく夕日を、見つめていた。

「レクサル」

 静かに、シュメルヴィはその隣に立った。だがレクサルは、シュメルヴィが見えていないかのように、夕日を見つめ続けていた。まるでそうしなければいけないというように。星の落ちる音に、耳を澄ませるのと、同じように。

 しばらく待っても返事はなかったために、シュメルヴィはその場に座った。すると、少しして、レクサルもその砂の上に座った。

「……あの時君が感じたものを、感じたいと思って」

 やがて、レクサルは答えてくれた。だから、シュメルヴィは、

「じゃあ……一緒に夕日、見ようよ。沈むまで。沈み切るまで……準備は、その後でも、いいからさ」

 この一瞬は、過ぎてしまえば、もう来ないのだから。

 そしてこの感覚は、そのうちなくなってしまうのだろうから。

 二人は並んで座って夕日に照らされていた。広い砂漠の、向こう側の太陽を見つめていた。影が長く伸び、二人は橙色に染められた。

「……きっと、忘れちゃうんだろうね」

 そう言ったのは、シュメルヴィではなく、レクサルだった。

「でも……こうやって並んで座って夕日を見て、何かを感じた……その事実だけは、記憶しておきたいね……」

 ――『街』に戻って、レクサルは自身が言った通りになった。

 ――レクサルは『街』についたその日のうちに、全てを忘れたように、元に戻ってしまった。もう夕日を見ることもなく、またこの日のことを、思い出し話すこともなかった。

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