バイト辞めたい

西澤杏奈

バイト辞めたい

 大学に入ったばかりの少女、木田きだ椿つばきには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは顔を洗い、はみがきを済ませ、髪をまとめ、鞄を持ち、靴を履き、家から出ることッ!! バイトに間に合う電車は3分以内に出なければ間に合わないッ!!


 ああああああああ、だらだらと朝食を作っていた自分が確実に悪いのだが、なんで一時間前の電車に乗らなければ、仕事に間に合わないのだ。そんなのおかしいだろうッ!!


 椿は心の中で叫びながら、髪をまとめる。こんなときに限って毛量の多い自分の髪を、うまく結ぶことはできない。今すぐバリカンを持って、自分の髪の毛を剃ってしまいたいくらいだ。


 椿は塾でバイトをしている。生徒を教えなければいけないその仕事の責任は重い。だが、それにも関わらず、払われるのは最低賃金に毛の生えた程度の給料。私は家庭をできるだけ支えなければならないのにいいいいいい!!!


 顔に水をかけ、洗顔料をつける。まだ小学生の弟が入ってきて、泡だらけの自分を笑ってくる。呑気だな、お前。宿題はやったのか。そう声をかけると、笑顔が消え、自分の部屋へ逃げていった。

 普段なら追いかけまわしてでも、席に座らせて宿題をやらせるのだが、今は時間がない。後々父親に任せるしかない。すまないが頑張ってくれ。


 ああああ、間に合わない!!! なんで今日シフト入れたんだあああああ!! 「この日足りないんですけど」とか言われて他の皆黙りやがってええええ!!! 私の他対応する人いなかったじゃないかああああ!!!

 どうせお前ら彼氏彼女とでかけているんだろ?! リア充じゃないからって私に全部仕事押し付けるんじゃねええええ!!! 生徒のこと考えているのかお前らああああ!!!


 そもそも生徒だってなんなんだよ! こっちが休日の時間使ってまで働いているのに、「今日はやる気ないので休みます」だの授業で寝るだの復習やれって言ったのにやらないだの、舐めてんのか! 私が学生の頃はちゃんと全部やっていたぞ! お前ら親の金もったいないと感じないのか?! かわいそうだろ、あんな金額払っているのに!!


 歯磨きを終え、鞄を持って慌てて靴を履く。

 弟がちらっと見送りにくる。かわいいやつだ。父親もやってきて、「いってらっしゃーい」とのんびりした声で言う。


「行ってきます!!!」


 怒鳴り声になってしまったが、とりあえず返して椿は家を出た。


 スーツ姿で走っていると、同級生にすれ違う。

 ……最悪だ。絶対滑稽に思われただろうな、今。


 駅に滑り込むと、ちょうど電車が来るアナウンスが来たところ。間に合いそうなので、思わず安堵のため息をついた。

 だが、ここで完全にリラックスしてしまうと、乗り換えする駅を乗り過ごしてしまう可能性が大になるので、意識は保つようにする。


 他の乗客とともに車両に乗り込み、駅メロが流れ電車は発車した。


 タタタン、タタタン。


 電車の単調なリズムが心地良い。荒れていた息がだんだん落ち着いてきて、思考も冷静となる。案外電車に乗りさえすれば、この仕事も苦ではない。


 さて、今日の仕事の予定はなんだったっけ。確かあの子との面談が入ってたんだっけな。あの子は他の生徒と違い真面目だし、私と同じ大学を目指して一生懸命頑張ってるから、教えがいがあるなー。まだ二年生だし、ちゃんと行く末を見届けたい。


 いろいろ考えていると、自分はこの仕事を続けるほうがいいのではないかと思えてきた。確かに言うことの聞かない生徒、くだらないアイドルのゴシップを追いかけている上司、社員でもないくせに偉そうなことを言う先輩など嫌なところもいっぱいあるけれど、自分の行きたい大学に向かって頑張っている生徒だってたくさんいるのだ。彼らの笑顔が見たい。そうだ、そのために私はこの仕事をしているのだ。


 そこでスマホがポケットの中で震えた。取り出してみると、メールが一件。給料明細だった。


 あー、そういや今日給料日だったか。家が遠いから普段はあまりシフト入れられないけれど、先月は半分夏休みに入ってたし、残業もしていたから結構稼げているだろう。最低賃金も月々昇給制とはいえ、今月県全体が上げたから上がっているはずだ。そう思い、メールを開く。

 結果は5万程度。そのうち1万は交通費分とはいえ、なかなかいいのではないだろうか。下記に時給が載ってあり、そこも確認する。だが……。


 時給 1020円


 先月より10円しか上がってねえじゃねえか!!! 結局最低賃金すれすれのままだよ!! 上げてくれると思ったのに結局なしなのかよ!!!


 前言撤回、私はこのクソバイトを辞めてやる!!!

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