第8話 帰郷

───────8/1。AM10:28。


 暑い。薄着だというのにただ道を歩いてるだけで額に汗が滲んでくる。景色を彩る陽炎、涼を謳う店のPOP広告。そんなものに靡けるほど今の俺に余裕はない。

 死ぬ前に会いたい人に会え。そんな烏丸の薄っぺらい温情を受け入れた俺は、独り立ちを宣言して以来顔を見ていなかったある人を探している。

 真の目的は延命だ。逃げられないことはわかってる。だからせめてささやかな憩う時を取り入れて、来る大博打に備えたい。


 あの人がいるのは、この季節じゃだいたい涼しく、尚且つ金のかからない場所だ。特定の住居を持たないが、おおよその行動範囲は以前に聞いていたから知っている。

 喫茶店、家電量販店。このあたりが浮かぶが、ここはなにかを買う場所だ。ただ涼むために居座っては人目につく。

 故にやってきたのは図書館だ。適当に手に取った本をパラパラと眺めているだけでいいし、日差しが退き始める夕方過ぎまで居られる。俺もあの空き家の蒸し暑さに耐えかねた時は使っていた手だ。

 暇潰しの本は手に取らない。縁もゆかりもない図鑑や参考書はとうに読み飽きてる。見つけてる、俺が会うべき人間を。


「おっちゃん。久しぶり。」


「おッ、おォ~!マモルじゃねェか!」

「久しぶりだなァ!メシ食ってんのか?」


「まあ、食えてるかな。」


 襟元の伸びきったTシャツ、着古した短パン。ボサボサに伸びた長髪と無精髭。いかにも世捨て人というような雰囲気を纏った痩せぎすの人物。これが俺の師匠だ。

 プータローとしてフラついていた俺に声をかけ、万引きやスリの技術を教えてくれた。世間一般から見れば、なんて色眼鏡はいらない。俺の恩人であり、尊敬している。その事実さえあればいい。


「最近さ、ある人のところで働いててさ。」

「働いてるっていうか、お手伝い?」

「自由に使える金はないけどメシ食えてるし、寝る場所もあるからさ。」


「おぅ...そうかい。」

「その"ある人"ってのは堅気なんだろうな。」


 やっぱりおっちゃんの洞察は衰えない。問いかけに対し口をつぐんでしまった俺を見て、からかうように笑っている。

 アレが堅気?冗談じゃない。違法行為、殺人だろうが上等って構えだ。そんなヤツが身の安全を担保に俺を小間使いにしてやがる。

 逆らえば最悪殺される。恐怖、条件反射に近い服従の事実など、この人に打ち明けられるはずもなかった。

 何のために会いに来た。助けを求める為なんかじゃない。死地へ赴く前に、恩人の顔を拝んでおくためだろ。


「まァ、お前がどんな道を進もうが勝手だ。」

「突き放そうってんじゃなくてな?俺にも、お前を拾っちまった罪悪感みたいなもんがあんだよ。」

「年頃のガキなんざ、俺ァまともに育てたことねェからよ。」


「...罪悪感って、おっちゃんは俺の父親代わりだぜ。」


「負い目はいらん、ってか。」

「相変わらず嬉しいこと言ってくれるな。」

「でもよ、あんまりジジイに肩入れしてると、いなくなった時寂しいもんだ。」


「んなことわかってる...俺はただ、あんたにたまには感謝の一言くらい...!」


 語気を強め、テーブルに乗り出そうとした俺におっちゃんはゴツゴツとした手を広げて見せ制止した。指の隙間から見えた暖かい眼差しに気づき、俺は我に返り椅子に座り直す。


「んな狼みてえな顔してよ、ありがとうだなんだ言われたってもったいねえ。」

「メシ食ったか?」


「いや、まだ...」


でいいだろ?」

「お前の舌が肥えてなけりゃな。」


 頷き、一ページすらめくることなく俺達は図書館を後にした。「何しに来たんだ」って視線を感じるが、そんなもんでいちいちヘコむか。

 炎天の下、言葉を交わさず向かった先はスーパー。おっちゃんは短パンのポケットから折り畳まれたエコバッグをするすると取り出し、立てた人差し指を見せ。店先に立つ俺を置いて中へ歩いていく。

 何をするかは知ってる。数分が経つと、やや膨らんだエコバッグを手に軽い足取りで出てきた。


「いや~、値上がりたァ世知辛いね。」


「高かった?」


「おう、な。ヘヘッ。」


 この手際だ。自分まで騙されている気分になるほど素知らぬ顔。盗品のカップラーメンを二つ、さらに立ち寄ったコンビニで開封し熱湯を注ぐ。

 三分。茹だる外気を掻き消す熱が立ち上るが、構わず割り箸で掬い上げ音高く啜る。おっちゃんは無心でがっつく俺を横目に、朗らかな笑みを浮かべながら新聞を読んでいた。

 ふと、その眉間の皺が一層深くなる。物憂げに唸る声を聞き、進んでいた箸が思わず止まる。


「へェ~...」


「なんかあった?」


「ホームレス連続殺人だとよ。」

「人の心ってのはわかんねェなァ。さっきもよォ、頭にくっついてた虫取ってくれた兄ちゃんが....」


「....え。」


 おっちゃんが髪を掻き視線を逸らしたその時。後頭部に張り付いた違和感の塊。俺の目はそこ一点に釘付けになった。

 丸の中心に、点。赤いペンキでべったりと塗ったように。それでいて垂れず、髪が揺れてもマークはブレないまま。イタズラ?違う。

 悪質だ。なにがヤバイかって、ただペンキの類を塗りたくるだけなら誰だってできることだ。この的のようなマークが節々から放つ異常さこそが、忌避感を生む。


「おっちゃん、その頭────」


 言葉を紡ごうと舌が回った数瞬。マークが消え去ると同時に、風を切りすっ飛んできたものが頭をカチ割った。

 斧だ。黒い刃の、ホムセンで売ってるやつ。そう、すぐに理解できてしまった。それが嫌だ。慣れてきてる。

 死に、傷つくことに、良心を失うことに。なら流れて止まらないこの涙は何を語ってる?

 ドロついた血を垂れ流しながら、下敷きにした新聞に染み込ませていく恩人。ぐるんと上を向いたまま動かない、瞳。新たな門出を祝ってくれた目が、今や虚ろに鈍く光を受ける肉の塊に変わった。


「おっちゃん....?」

「な、なあ...返事...しろよッ、なあ!!」


 必死に揺するが、無駄だってわかってる。死んでんだよこの人は、脳ミソに斧ブチ込まれて。誰だ?誰だこんなことをしやがったのは。

 殺してやる、ブッ殺してやる。悲しみを足早に追い越した怒りが、見開いた俺の目を四方八方へ動かす。

 スマホのレンズばかりだ、こっちを向いているのは。何やってる、警察でも何でも呼びゃあいいだろうが。

 どこだ。どこかにいるはずだ。この様を眺めながら、やってやったぞってツラでニヤけている野郎が、どこかに。


「ンのやらァああああ!!!」


 見つけるが早いか、建物の陰に隠れた黒ずくめの男目掛け突っ走る。はみ出て見えた手に同じ斧がいくつか握られていたからわかった。

 ブッ殺す。握り込んだこの拳しか武器を持たないが、ここでやらなきゃ逃げられる。しかし奴は、上擦った笑い、冷や汗を頬に溢しながら、斧を持った方ではなく空の右手を俺に緩く向け迎え撃つように向かってきた。

 上等だ。やってやる、腕や足の一本や二本、削ぎ落とされようがこっちが先にお前の首をネジ切ってやる。


「死ねッ────」


 勢い勇んで振りかぶった拳は空を切った。これだけが得意分野だったのに、情けねえ。だが男は斧を使う素振りを見せず、左手を俺の腹に滑らせるように当て、脇をすり抜け距離を空けてきた。

 鬼ごっこのつもりか。端から捕まえる側なのはこっちだ、それでも頭を働かせろ。わざわざ攻撃せず触っただけ。その意味は。

 ふと落とした目線に、赤いものが見えた。

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【第三部】ストレイ・ローグ ~特殊事象・異常犯罪対策庁・三係~ Imbécile アンベシル @Gloomy-Manther

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