最後は、緑やくもで締め

第8話 緑やくもは雨の中

 翌日の朝もしっかりと温泉に浸かって疲れを取り、しばらくの間ホテルの自室で仕事しました。

 出発は、10時50分頃の最後の送迎バスに。


 とはいえ、ある程度仕事がまとまったので少し早めにロビーに出てチェックアウトをしたところ、あとは私一人なのですぐに出てくれることに。

 時刻は、ちょうど10時40分頃。

 この2回ほど通って見慣れた温泉街と駅前の街並みをすり抜け、玉造温泉駅に。これなら、10時51分発のやくも14号に間に合います。予定としてはいったん松江駅まで普通列車で出て、そこで何か飲み食いして帰ろうと考えておりました。とはいえせっかくやくもに間に合うなら、そのまま乗って帰ってしまおうということになりました。もっと言えば、温泉街で昼食をとってからおもむろに歩いて玉造温泉駅まで出てから帰ろうとも思っていたのですが、今日は月曜日でお休みの店も存外あるようですから、それも断念。

 もっと悪いことに、雨が降るとの予報。昨日は、あれだけ快晴だったのにね。

 それならわざわざ土産物を持って歩くのも難なので、送迎バスとやくもをさっと乗り継げば昼過ぎにちょうど岡山に帰れることになったことですから、その手で早めに帰ることにしました。

 どうせまた、新車が落ち着いた頃にもう一度来るからさ。ってこともあってね。


 送迎バスで玉造温泉駅に着いたら、昨日来た地下道を潜り抜けて島式1面のホームで、ぼちぼち、やくもを待ちます。

 程なく待つと、やってきました。今回は、3月で引退の緑やくも。

 座席は、4号車の6番C席。大山が見える進行方向左側の普通車特等席です。

 まだ、雨はほとんど降っておりません。傘なしでもなんとかなりそうな状態。

 やくもに乗って、早速検札。列車は曇天の宍道湖を左に見ながら高架上の松江駅に入っていきます。ここで、幾分の客が乗車。ただし、一杯になるほどでもない。

 松江の次は、安来。ここでは、ほとんど乗降なし。しかし、近年では全列車が停車する駅になっています。安来を出ると程なく県境を越え、米子着。


 米子では、たくさんの乗客があります。もっとも、この自由席がいっぱいになるというほどでもありません。我が特等席の後ろも、人は来ません。

 程なくして、米子を出発。まだ雨は本降りではないようです。東山公園を過ぎ、伯耆大山駅を通過して山陰本線と別れ、単線のままの伯備線に。

 昨日の改正のときほどくっきり鮮やかではないものの、雨模様の大山もまた乙な光景を見せてくれます。まさに伯耆富士の名にふさわしき威容。雪をかぶった頭をしっかりと雲に隠しつつも、その威容はいささかたりとも揺るがず。

 しばらく大山を左手に見つつ、日野川水系に沿って南下。とは言っても標高はいささかならず高くなっていきます。日野町の中心地である根雨、そして日南町の中心地である生山と丁寧に停車。気動車時代はこの両駅に停車する上り列車は朝の1本だけでした。もっとも米子までの急行「伯耆」が両駅に細やかに停車していたので、それで対応していたわけです。現在は特急しかないため、やくも号は日中は基本的にこのどちらかの駅に停車するようになっています。


 生山を出ると、程なく上石見を通過。そして、谷田峠へ。トンネルに入って程なくすると上り勾配が下り勾配になったことが肌身でわかります。これで分水嶺を超えて、日野川水系から高梁川水系に。かくして列車は、岡山県に突入。

 4両の緑やくもは新郷を通過し、足立で運転停車。石灰石の工場が進行方向左側にあります。やくも号はどうやらこの駅で上下列車を待合わせするパターンダイヤになっているようですね。

 足立を出ると、次の備中神代で芸備線と合流。程なく行くと布原。今日は雨模様の月曜日ということもあって、撮影者はいない模様。ここは半世紀以上前の蒸気機関車時代からD51三重連の撮影地として名高い場所でしたから、全国的にも知れ渡っている撮影地なのです。

 布原をするりと交わした振子電車は、岡山県西北部の中心地・新見に到着。

 新見では、さらに乗客があります。私の特等席の後ろの窓側に、20台前後の若い男性客が着席。後に検札している状況を伺うに、大阪の大学に戻るべく乗車している模様。行先が、JR東西線の某駅でした。確かにあのあたりは、私立大学が多いですからね。


 新見を過ぎると、車外はいよいよ雨模様。

 物理的に天から水が落ちてきております。

 そんな雨の中、列車は井倉駅と井倉洞を左に交わし、さらに高梁川水系に沿って南下していきます。

 備中高梁に到着した頃には、もうすっかり雨。ここからは複線です。列車はさらに複線となった路線を世にも快調に走ります。進行方向右手の高梁川は中流からやがて下流に。狭く速い流れも、ここまでくればゆったりとした流れに。一方の列車はその流れの速さに反比例するかの如く、反対列車を気にすることもなく快調に走行しています。

 気動車時代よりはるかに早く快調に飛ばせるようになったこともあり、停車駅も増えております。この列車は根雨と生山の他、総社にも停車します。総社を出ると、次の清音を通過して山陽本線に合流し、倉敷へ。駅北の分譲地の工事は雨の影響もあってか本日はお休みの模様。

 倉敷到着でいくらか降車客があるものの、乗車客は本日はない模様。


 倉敷を出ると、あとはひたすら山陽本線を快走あるのみ。気動車時代の最速列車はこの15.9キロの区間を11分で走行していましたが、この電車はわずか10分で走り切ります。平均速度は95.4キロ。列車は珍しく雨の降る岡山平野を警戒に走り抜け、中庄、庭瀬、そして北長瀬を通過。鉄道唱歌のオルゴールも鳴り、最後の車内放送も行われています。接続案内を丁寧に終えた頃には、岡山操車場を走り抜け、間もなく、終点岡山。


 昨日からの天気予報のとおり、今日は、やっぱり雨です。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 このやくも号は新幹線岡山開業以来岡山発着ですが、瀬戸大橋開業の年にはここからさらに大阪まで臨時で走ったこともあります。また、瀬戸大橋の観光客需要に対応するため、マリンやくもと称してさらに宇野線、本四備讃線を通って瀬戸大橋を超えて高松まで臨時運転されたこともあります。

 もっと言えば、このやくもの前身で中央西線の「しなの」の電車化に伴って余った181系を転属させ、1971年4月に急行より格上新設された「おき」は新大阪-出雲市間を伯備線経由で運転されており、これが岡山開業後の「やくも」のための露払いともいうべき慣らし運転となっていた次第。

 しかし、新幹線岡山開業後は関西及び首都圏からのビジネス客のための列車として岡山から出雲市・益田までの鳥取県西部から島根県内への需要を満たすべく活躍して今日に至っております。受益者負担というわけでもないでしょうが、やくも号新設時より車両や乗務員は基本的に国鉄時代から米子の管轄となっています。

 そういうわけでこの列車、必ずしも岡山県、とりわけ岡山市や倉敷市の人のための列車というわけではないのですが、乗換のための接続点とは言えこの岡山とは縁のある列車なのであります。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 岡山到着後、いくらか緑やくもを撮影した後、駅前の家電量販店で折りたたみ傘を買い、駅前の餃子の王将でランチを食べながらビールを飲み、それから近くのコンビニで到着していた荷物(書籍)を手に入れ、途中いくらかバスに乗って、あとはひたすら歩いて自宅へと戻りました。

 戻ったのはたしか、15時30分過ぎだったかな。

 とにかくこれで、381系振子型電車の乗り収めができました。


 何とか書こう書こうと思っていたのに、振子電車のようには快速で飛ばす要にかけないまま5月の連休最終日に至ってしまいました。

 さしあたり、このルポはこれにて完結といたします。

 なお、このルポは6月から7月上旬に予定している新型273系やくもの乗車ルポも含め、本年7月中を目途に自己出版による書籍化を予定しています。


                          (完) 

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最期の国鉄へ~「やくも」に乗る 与方藤士朗 @tohshiroy

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