第7話 世にも快晴! 右手に伯耆富士! そして宍道湖!

 生山を出ると、次は米子。なお、多少の運転停車はあります。

 この日は快晴。締め切られた車内にも、山陰の空気の心地よさと春の陽の温かさが舞い込んできます。そんな中、国鉄型の振子電車は山陰の彼方へと歩みを進めて参ります。

 たった2週間と少々の前、この地を通った時はまだうっすらとながらも雪化粧が見られましたが、すでにその化粧は陽に溶かされてか言うなら「すっぴん」となってしまいました。無論、瀬戸内の温暖な気候とは違って冬は雪も降って寒い地域ではありますが、春が来れば話は別。

 日野町の中心駅である根雨を超え、武庫、江尾、そしてかつては急行「伯耆」も停車していた伯耆溝口と、一つ一つ小駅を通過。ポイント制限があるのは仕方ありません。複線にしてロングレールにしなければいけないほどの需要がない以上、そこまでは無理というものです。


 さて、そんな野暮な話はそのあたりで、車窓右手には、なんと日本一の山である富士山、ではありませんが、それでもその富士山に比肩するほどの絶景、伯耆富士とも称される大山が姿を見せました。

 天気は快晴。頭は雲の上とまではいかずとも、まさに天使の輪でもあるかの如き雲を頭上に抱き、立春前後に降り注いだであろう白き雪を頂上から七号目あたりまでに積もらせ、その絶景を走りゆく列車に乗る下々の者たちに示しております。

 元グリーン車の二重窓の向こうの伯耆富士に向け、スマホのシャッターを思わず何度も押さずにはいられません。これがかつてのフィルムの時代であればそうそう無駄なことができなかったわけですが、今時は、私のような写真をそうそうとるわけでもない素人であっても、こうして多量の写真がどんどん撮影できるような時代になっております。もうこれは、時代に感謝するより他、ないですね。


 伯耆富士を横目に見つつ、やがて列車は東方面からやって来た山陰本線に合流。天下の伯耆富士を今度は後ろに拝みつつ、北の幹線をさらに西へと進みます。

 日野川をまたぎ、米子市営球場を左手に交わし、列車は定刻で米子着。

 ここで、半数以上の客が降車。代わりに、何人かの短距離客が乗車。

 米子を出ると、次は安来。その間に、県境は越えて鳥取県から島根県へと入っていきます。

 安来駅には気動車時代は上り1本、下り2本が停車しておりました。やくも号は山陰から山陽方面に向かうビジネス客のための列車ですので、朝上り列車で出て夕方下り列車で帰って来れるように、それらの列車は山陰方面での停車駅を幾分増やされていたのです。

 なお現在、安来駅には全列車が停車するようになっています。これは加減速の早い電車、しかも振子電車になっており、多少の停車駅増加には対応できるため。

 かつての181系気動車は平地では電車並の走行が可能な車両であり、振子機能を持たない直流電車や交直流電車ではさほどのスピードアップは望めないと考えられたようです。

 しかしさすがに昭和40年代半ばに開発されたこの381系電車は振子機能を備えており、伯備線が電化された折には中央本線の「しなの」と紀勢本線の「くろしお」で実績があったこの車両が、この路線にも投入されました。こうなると話は別でして、その後幾度にもわたってスピードアップと路線改良もなされて今日に至っているという次第。さすがに車両のほうは40年を超えてしまって全体的にガタもきており、また、インターネット環境とそれに伴いコンセントのないようでは今日の需要に対応できないから、それはもう、新旧交代をするより他ないというもの。

 かくしてこの2024年春より、御存知の通り273系電車への置き換えが順次進んでいるという次第です。


 安来を出ると、荒島、揖屋、そして東松江の各駅を順調に通過し、島根県の県庁所在地である松江に到着。ここでまた、さらなる客の降車があります。また、島根県の各都市間の短距離輸送の一翼も担っているため、ここから何人か乗車してくる客も。そのたびに、車掌が自由席車の検札に回ってきます。


 車窓右側は、松江の街の中心部を超え、やがて道路と並走する宍道湖を右手に眺めるようになります。やくも号の景色を見たければ、下りは進行方向右側、上りは進行方向左側がおすすめ。

 何と申しても、宍道湖あり、大山あり、布原のお立ち台、そして井倉洞。それらの場所をしっかりと通路を挟まずして拝むことができます。

 さすがに高梁川や日の川の各水系の川については逆のほうがおすすめの区間もありますが、基本的にはこちら側がおすすめ。川については、途中で左右入れ替わることもありますから。


 しじみで有名な宍道湖を右手に見つつ、列車はかつて国鉄時代に女性駅長の誕生で有名になった乃木駅を通過し、程なくして、玉造温泉に到着です。

 時刻は14時少し前。11時過ぎに出た列車でちょうど3時間弱かけてここまでこれたということになりましょう。

 これが気動車時代であれば、9時24分に発車した31D「やくも1号」が約3時間30分かけて12時57分(発)でしたから、その時代から考えれば約1時間弱スピードアップがなされていることになります。それこそ当時の後続列車であった岡山11時10分発の33D「やくも3号」と同じくらいに岡山を出て、先発の列車とほぼ1時間遅れで到着するわけですから。

 玉造温泉では、上りの「やくも」とすれ違います。

 それを見届けて、地下道をくぐって駅に出ました。


 前回は玉造温泉街まで歩いて出ましたが、今回はホテルの送迎用のマイクロバスが来てくださっておりますので、御厚意に甘えまして、そちらで移動することに。

 マイクロバスから、前回行き来した温泉街を眺めて土地勘の復讐、もとい復習をしながら目的地へ。この時間になると飲食店も休憩に入って閉まりますので、しょうがないから夕方までホテルで過ごすことになりました。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


注:気動車時代の「やくも」の時刻は、電車化前の1980年10月改正時のダイヤを記載しております。

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