壊された女たち
鬼灯 アマネ
壊された女たち
わたしたちには三分以内にやらなければならないことがあった。
『――地区、まもなくバッファローの群れが到達します。付近の方は今すぐ避難を――』
ラジオの音声を右から左へと流しながら、わたしは腕を組み、ウシジマは頬を膨らませていた。ムカつく表情だ。
「アンタだったの? アタシからカレシ引っこ抜いて結婚しやがったヤツ!」
「知らないわよ! ウシジマがちゃんとキープしてれば良かっただけの話でしょ?」
バッファローの角がぶつかり合ってできる火花よりも激しく、わたしたちは睨み合っていた。
わたしたちは三分以内に、相手を言い負かしてやらなければならないのだ。
遡ること数分前。
「絶好のお出かけ日和じゃん。紅茶がウマいわあ」
わたしが水筒から紙コップに注いでやった紅茶を、ウシジマは満足そうに飲んでいる。
天気は快晴。寒さは随分落ち着いてきた。桜が咲いていたら花見でもしたい気分だ。
「……バッファローが出なかったらもっと良かったけどね」
アタシたちが座っているガレキ越しに、地面の振動が伝わってくる。バッファローの群れは近くまで迫っているようだ。お尻が痛いので、今からでも座布団でも持って来たい。
「逆にさ、バッファローの群れが出なかったら、立ち入り禁止区域でゆっくりお茶なんてできないよ。アタシたちラッキーじゃん」
「呆れた。バッファローのせいでお互い仕事失くしたのに、よく言えるね」
「スイは専業主婦だったじゃん。っていうか夫は何もしないしマザコンだしでドン引きだわあ、とか、あの
バッファロー日本初到達以降、人類史上類を見ない災害に疲弊していたが、ウシジマの頭空っぽなポジティブさに救われてきた面はある。
「それ……理不尽なお
「バッファロー見て肉食いたくなるくらいには元気だよ。それだけじゃなくてファンデ変えたのもあるけどね」
新作なんだよムフフ、と気持ち悪い笑みを浮かべながら、ウシジマはカバンから化粧ポーチを取り出した。ファンデーションを取り出そうとしたのだろうが、中から他の化粧品が零れた。その中から一本の口紅が、わたしの足元に転がってきた。
「あれ? この口紅、ウシジマも持ってたんだ」
「スイも持ってたの? 限定だったから全然売ってなかったっしょ?」
「結婚する前に、夫から貰った」
わたしがそう言った途端、ウシジマの気持ち悪い笑みが消えた。
「……アタシも実は、カレシから貰ったんだよね。スイの夫、渡すとき言ってなかった?」
――僕の愛情表現さ。
二人の台詞が重なった瞬間、戦いの火ぶたは切って落とされたのだった。
『繰り返します! ――地区、まもなくバッファローの群れが到達します。付近の方は今すぐ避難を――』
そして冒頭に戻る。
自分の元カレと結婚したわたしが許せないようで、その理不尽な怒りをねじ伏せてやらなければいけない。それは差し迫るバッファローよりも、大事なことだ。
「アタシのカレシを奪って夫にしたうえで、夫の愚痴言ってたの、性格悪すぎ!」
「気遣いでやったのよ!」
「はぁ? なんの気遣いよ? それなら結婚相手誰だかすぐ言うでしょ!」
「アンタを傷つけないためにタイミング計ってたの! 結婚してロクでもない部分が見えたことを共有しとかないと、いつまでも元カレの夢に引きずられることになるでしょ?」
「そこまで重症じゃない!」
「ならその証明に、口紅捨ててみなさいよ、今ここで! できるでしょ?」
「なんかのために取っておいてるの! 自分の肌色には合わないけど……」
ウシジマの語尾が、少し弱まった。
「わたしはその口紅、結婚してすぐ捨てたよ」
「どうして?」
「
長い、沈黙が訪れた。
バッファローの足音がドンドン大きくなり、その音で埋め尽くされていく。この後も議論を続けて、お互いの声が聞こえなくなるオチが見えてきた。
「ウシジマ! 元夫の話は終わりにして、さっさと仕事、済ませるよ!」
「……もう離婚してたのね、アンタ」
ワタシたちは武器を取り出して、バッファローの群れを見下ろす。
人類に散々こき使われてきた悲しき鉄のバッファロー。アイツらは、わたしたちが築き上げてきた常識、会社、家庭……それらをいとも簡単に壊してみせた。バッファローは無尽蔵に湧き、暴虐の限りを尽くして突き進む。
「ねえ、ウシジマ」
「何?」
「さっきツッコミそびれたんだけどさ、鉄のバッファロー見て、肉食べたくなるかな、フツー」
「鉄相手でもなんでも、仕事すりゃお腹減るでしょ」
「そっか、じゃあコイツら片づけたら……」
「焼肉、行こう!」
おう、と声を張り上げ、わたしたちはバッファローの群れへと砲弾を放った。容赦ない鉄の雨に紛れて、さっきの口紅が飛んでいくのが見えた。
バッファローの群れに沢山のものを壊されたが、わたしたちの友情までは壊せない。
そしてわたしたちの仕事にかかれば、バッファローの群れの殲滅に三分もかからないのだ。
壊された女たち 鬼灯 アマネ @Gerbera09
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