破壊を止めた男 貴川竜太郎
住礼ロー
大地に消えた男
電気ケトルから7分前にお湯を入れたカップうどんを食らう事である。
しかし、既に推奨される時間は過ぎているがまだ食えない。彼は10分待ったものが好きだからだ。アフリカの水が硬いせいもあるのか、こちらの方が美味かった。
都市部から離れている先住民の村落だった。しかし電気は通っているし、住人のほとんどは洋服で過ごしている。通販も届くので、比較的現代に染まった村だ。
貴川竜太郎がなけなしの金を払って、1ケースのカップうどんを日本から輸入したのは先週だった。貴川竜太郎が食べたいものを思い浮かべた時、これだったのである。
今、大地を鳴らして迫りくる全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを止めることである。
いや、正確ではない。貴川竜太郎は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを止められるとは思わなかった。
貴川竜太郎は40歳になる。アフリカの太陽に灼かれた身体は、川で漁師を20年続けたことにより、常人以上に隆々としていたが、それでもあれは止められないと理解していた。
何故ならばあのバッファローたちは神の怒りだからである。なので、少し向きが変えるのがせいぜいだろう。いや変わってくれと願っていた。
結論から先に書くと、貴川竜太郎は大地に染みを残して消える。
うどんもカップの破片を残して地面に踏みしめられ、食えずに終わる。
それでも貴川竜太郎はそれ以外にもう1つだけ、残すことが出来た。
しかし勉強が出来たという意味ではない。故に道を踏み違えた人間の1人であり、ファンシーな外装の粉末を夜の街で売り歩いた。犯罪歴が付かなかったのは幸運だったからとしか言いようが無い。
そうしたならば、その道に進むのは早かった。そして、貴川竜太郎にはあまりにもその道の才能があり、先に歩んでいた人間を追い抜き、「出る杭」として疎まれた。
「シャーマンに呪い殺させろ」
貴川竜太郎が3年目に仕事で最高責任者から申し付けられたのは、耳を疑う仕事だった。普段は間を置かずに了承する貴川竜太郎も、返事を忘れて怪訝な顔をしたほどだ。
呪殺の相手は、名の有る目の上のたんこぶだった。詳細はあえて聞かないようにしたが、ビジネスを潰し回られているらしかった。
貴川竜太郎が頭角を表していた時代には、既に鉄砲玉という考え方は使用者責任の名の下に古くなっていた。ならば間接的ならば良いだろうという考えだったのか、あるいは老耄していたのかもしれないが、貴川竜太郎が真意を知る機会は、ついに無かった。
さて、日本のそのような組織にはシャーマンにツテなどあるのか?否である。
故に貴川竜太郎は1から構築せねばならなかった。とはいっても苦労は薄かった。その手の研究者の買春現場を写真で抑えてから本当に呪い殺せるアフリカのシャーマンまで1ヶ月でたどり着いた。通訳は偽造パスポートで来日していた人間を逃がす代わりに使い、アフリカに飛んだ。途中1度だけ逃げたので、口と脚を残して半殺しにした。
貴川竜太郎は運も本当に良かった。この時と、その後までも。
洋服を着たその村の長が言うには、呪殺はシャーマンの命と引き換えだと言う。だから依頼者はシャーマンの家族を一生養わなければならないと言う。つまり、それだけの額の金を積む必要があった。
とはいえ、日本のように生涯の教育費が一千万、二千万という環境ではない。アタッシュケースもいらないほどの額であったし、貴川竜太郎をこの仕事に推薦した上の者も了承していた。そして呪い殺す相手の詳細を伝え、まだ若いシャーマンの1人が死んだ。
シャーマンが1人死んだ翌日、貴川竜太郎は日本に電話を掛けた。完了の報告である。そして、自分の運の良さを自覚した。
呪殺の対象が死んだという。駅のホームで線路に落ちて、通勤ラッシュを直撃したらしい。
「呪い殺されることを願われれば、神の怒りに轢き殺される」
洋服の村の長が何を言っているのか、貴川竜太郎には理解出来なかったが、今、出来てしまった。呪殺は存在したのだ。運が良いことに。
本当に出来てしまったので、全ての話が変わってしまった。貴川竜太郎は電話口で現地待機を命じられ、それが解除されることはなかった。その電話番号が繋がることは二度と無かったからである。
貴川竜太郎は運が良すぎた。普段はされない後払いが出来てしまっていた。
その村はその年、不作と不漁が重なっていた。村民は金で食糧を他の村から買わねばならなかった。なので大金で家族が助かるならばと、村の長の反対を押し切って死んだシャーマンが了承したのだ。
村の長は、頭を下げに来た貴川竜太郎にとても驚いた。
何せ通訳をしている男ですら、貴川竜太郎を馬鹿にした目で見ながら、彼の言うことを伝えてきたのだから。
「金が払えなくなった。俺も一文たりとも無い。どうすればシャーマンの家族を養える?」
通訳は先の通りだが、貴川竜太郎は腫らした赤い目であった。村の長はこう言った。
「船と網と竿は貸す。誰よりも早く起き、誰よりも遅く寝て、漁をしろ」
その日から貴川竜太郎と通訳の男は漁に出た。初めて魚が穫れるまで5日もかかり、自分たちが魚を口にするまでは15日かかり、栄養失調と腹下しの日々が続いた。それでも7年もすると、村で一番の漁師になった。
7年もあれば、貴川竜太郎と通訳の男は良い友となっていたが、10年目に虫に腹を破られて通訳の男は死んだ。通訳の男は素晴らしい漁師として立派な墓を建てられた。
貴川竜太郎は1人になった後も、村一番の漁師だった。それは死んだシャーマンの家族を養うだけでなく、村にそれなりの富をもたらした。
貴川竜太郎がすっかり言葉を覚えた頃、酒を交わしていた村の長に一度だけこんなことを言われた。
「シャーマンの元妻を娶ったらどうだ?」
丁重に断ると村の長は「そうか」とだけ言って、笑顔で自分の孫を頭を撫で回していた。孫は死んだシャーマンの娘と同い年だった。当然、この頃はまだそんな気は無かった。
時は流れて、貴川竜太郎がカップうどんを日本から取り寄せる少し前、村の長が険しい顔で家に来た。
孫が呪殺をして死んだ。神の怒りは止められない。
村の長の孫は、成人してすぐにシャーマンとなり、2年ほど経っていた。まだそのような儀式が完遂できるほどではないはずだった。だが出来てしまったらしい。
本来ならば、貴川竜太郎はこの情報を知ることはないはずだった。だが村の長は掟を破ってくれたらしかった。孫の横恋慕の不始末のために。
何が来るかはわからないが、村は一度捨て、村民は避難するという。
貴川竜太郎も逃げろと言われたが、やはり丁重に断った。9ヶ月を過ぎた妊婦を土地から離してはいけないという掟を知っていたし、唯一の医者が村長と対立しており、人質に取るようなことをするだろうと理解していたからだ。
「墓はいらない。掟なのだから」
貴川竜太郎はそれだけ村の長に伝えると、村の長は昔ほど飲めなくなっていたが、家の酒壺を持たせて帰らせた。別れ際に泣いてくれたのが、貴川竜太郎にはとても嬉しかった。
その酒壺は道中で割れてしまい、残ることはなかった。貴川竜太郎の唯一の不運だった。
死んだシャーマンの娘は、産声を上げ続ける我が子を抱きかかえながら、笑顔を向けた。しかし、涙が止まることはなかった。
自分の顔に落ちる雫をくすぐったがりながら、赤ん坊は眠るまで産声を上げ続けていた。
それは、誰かを呼び続けるようでもあった。
破壊を止めた男 貴川竜太郎 住礼ロー @notpurple
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます