ラッキーキャットは招かない

きみどり

ラッキーキャットは招かない

 お告げと同じだ!


 僕は目の前の建物を見上げ、息を呑んだ。

 招き猫ミュージアム。和洋折衷でどこかレトロな見た目のそこには、五千点もの招き猫が展示されているという。


 ここ愛知県瀬戸市は日本六古窯にほんろっこようのひとつで、やきものの総称セトモノの由来にもなっている場所だ。明治三十年代後半から続く招き猫の産地でもある。



 でも僕の目的は観光ではない。

 僕は、クロの魂を助けに来たのだ!



 クロは僕の家で飼っている猫だ。……いや、飼っていた、といった方が正しい。

 クロとサヨナラしたあの日から、僕の胸にはぽっかり穴があいてしまっている。


 何にも邪魔されずパソコンのキーボードを打てた時、缶詰を開けても猫缶と勘違いして走ってくる音がしない時、膝の上がなんだか軽くて寒いと気づいた時、伸ばした手の先に、丸く小さな額がなかった時。

 ふとした日常に僕は打ちのめされ、ぼろぼろ泣いていた。


 でも、僕はクロとまた会えるのだ。

 夢枕に立ったクロは、僕に訴えた。


『オレは本当は死んでなんかいないんだ……体から魂を抜き取られて、連れて行かれたんだ』


 どこに?

 訪ねた僕の頭の中に、直接イメージが流れ込んできた。その建物の場所と、どうやったらたどり着けるかを、僕は次の瞬間にはわかっていた。


『オレは招き猫にされて、閉じ込められている。五千ある招き猫の中から、オレを見つけ出してくれ。そうすれば魂が体に戻る。今までのようにまた暮らすことができる』


 どうしてそんなことになったの?

 クロの体はもうないのに、どうやって体に戻るの?


 いくつものおかしいという気持ちを、「イヤだ!」と僕はかき消した。


 クロに会いたい。

 クロと一緒にいたい。

 クロは死んでなんかいない!


 頭の中がそんな思いでいっぱいになって、そして今、僕は招き猫ミュージアムの前にいる。





 館内に入り、階段をのぼって展示エリアに向かう。

 その途中、ふと視線を感じて振り向けば、招き猫が僕を見ていた。

 再び正面を向いて階段の先を見上げれば、そこにも招き猫がいる。


 猫、猫、猫。


 見つめられて、見つめられて、見つめられて……

 何体かの招き猫に出会いつつ、やっと二階に顔を出したその途端、ザッと一斉に視線をそらされたような感覚があった。


 辺りはしんとしている。僕以外に人影はなく、あるのはずらりと並べられた招き猫だけだ。

 大きいもの、小さいもの。白いもの、カラフルなもの。右手をあげているもの、左手をあげているもの。その数と見た目の豊かさに、僕は圧倒された。


 その感動にも似た気持ちが、ギュッと強張る。


 この中からクロを見つけなきゃいけないんだ。


 ちゃんとわかるかな、と少しだけ不安に思いながら、僕は招き猫を一体ずつ見つめていった。


 すらりとして猫背の、どこか狐のような顔をした瀬戸焼の招き猫。

 丸っこい二頭身の体つきをした常滑とこなめ焼の招き猫。

 派手な模様に全身を埋め尽くされている九谷くたに焼の招き猫。


 館内を進むうちに、僕はだんだんと息が苦しくなっていった。

 背後から視線を感じるのだ。最初はうなじがゾワゾワする程度だったソレはどんどん数を増やして、今や四方八方を目玉で囲まれている感じすらした。


 僕が進めば、ソレもピタリとついてくる。


 ハ……ハ……


 肺から空気を押し出すようにしないと息ができない。静まり返った空間に、その音はやけに響いた。


 ダメだ。集中しないと。僕はこの中から、クロを見つけるんだ。


 そう思ってグッと眉間に力を入れても、招き猫たちが目だけをギョロリと動かし、僕の背中を追っているイメージが頭を埋め尽くしてしまう。


 気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ……!


 ガバッと。思い切って振り返ってみた。

 さっきまでの息苦しさが、ふっ……と消える。

 僕を見ている招き猫なんて、ひとつもいない。

 

「ほら。やっぱり気のせい――」


 自分に言い聞かせようとして、固まった。


 ゆら、ゆら、ゆら……


 突き当たりの棚から、何か影のようなものが伸びている。

 長細いソレは、何度もくねるようにして、僕に向かって揺れていた。


 手招きしているんだ。


 そう気づいた瞬間、全身に鳥肌が立った。

 でもその気持ちとは裏腹に、僕は影に向かって走り出す。


 あれはクロだ! そうに違いないんだ! クロの魂は、僕が助けるんだ!


 黒い影がぼんやりと猫のような形に変わる。

 両腕を広げた僕の胸に、ソレは飛び込んできた。


 良かった。これでまたクロと暮らせる。あの日からぽっかりあいてしまった胸の穴が、これで満たされる。


 影の猫を抱きとめようとした、その時。

 シャーッという猫の怒った声がして、僕の胸から光るものが飛び出した。


 弾き飛ばされた影に光が飛びかかり、激しくもつれあう。やがて、ギャアッと悲鳴があがると、影の猫は煙のように消え失せた。


 その場には光だけが残っている。一瞬の出来事に頭がついていかず、僕は呆然とソレを見つめた。

 不意に、その名が口をついて出る。


「……クロ?」


 光は何もこたえない。でも、僕は確信した。

 この光は、クロだ!

 思わず手を伸ばすと、バシンと振り払われる感覚があった。触られたくない時に、クロがする仕草だ!


 いつの間にか光は猫の形になり、僕を睨んでいた。長いしっぽをパタン、パタンと床に打ち付けている。不機嫌な時のしっぽの動きだ。


 でも、それを見てうろたえる僕を存分にねめつけた後、クロはゆっくりと瞬きをして、立ち上がった。そして、ピンとしっぽを立てて近づいてくると、ひょいっと僕の胸に戻っていった。


 僕は胸をおさえて、しばらく泣いた。





 絵付体験なのに、招き猫の素地そじを一色に塗りつぶしたら、怒られるだろうか。ペタペタと筆を動かしながら、僕はそんなことを思った。


 招き猫ミュージアムを後にした僕は、染付け体験に没頭していた。自分の手でクロの招き猫を作ろう。そう思ったのだ。


 絵付けした素地そじは体験スタジオで釉薬うわぐすりをかけられ、焼き上げられ、約一ヶ月後に引き取ることができる。

 それが自分の中での一区切りになる気がしていた。


 悲しみが消えてなくなることはない。クロに会うことも、一緒にいることも、もう出来ない。

 でも、ぽっかりあいていたはずの胸の穴は、いつの間にか思い出で満たされていた。クロは最初からここにいたのだ。

 僕はクロを失ったことで泣いていたけれど、それを癒してくれたのもまた、クロだった。




 ミュージアムには、招き猫を指差して「あの子にそっくり!」と微笑む人がいた。絵付体験には、まだまっさらな招き猫を見下ろして「うちの子と同じ模様にするんだ!」と意気込む人がいた。

 たくさんの人が、招き猫に自分の大切な存在を重ね合わせている。


 人々が思いを注いだ招き猫の中には、もしかしたら魂のようなものが宿るのかもしれない。

 ミュージアムには、僕のような飼い猫を亡くした人もたくさん訪れるだろう。もしかしたらあの不思議な影は、そんな人々の現実を受け入れられない気持ちから生み出されたのかもしれない。そして、僕のような人間の悲しみにつけ込んでは、良からぬ方へと手招きしているのかもしれない。



 黒い招き猫には魔除けの力があるのだという。

 クロとの思い出がこの胸の中に詰まっているのなら、こんなにも心強いことはない。きっと、どんな悪いものも跳ね返してくれる。


『世話の焼けるヤツだな』


 クロのぶすっとした表情が浮かんで、思わず笑いがこぼれた。

 僕は胸の中のクロと、これからも一緒に生きていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラッキーキャットは招かない きみどり @kimid0r1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ