Lost
真木清明
Lost in this memories
『次なる世界に望みを』
確か、そんな文言だったような。ふと、リンクを押してから。自殺オフ会に申し込んでから数日。青年は集合場所に向かっていた。道中の峠道は、運動不足の身体に 微笑まない。 人影が見えてくる。指示通りに来られたのであれば、おそらくここが。
「……意外といるもんなんだな」
小鳥の歌が木々を彩った。数の方は二十人ほど、男女比はおおむね半々といったところだろうか。SNSで募集をかけたからか、やはり若者が多い。今は平日の真っ昼間だ。何かが違っていれば、彼らは今頃通学なり通勤なりの最中だったのだろう。
けれど確かに、闇が見え隠れしている。後になって「まさかあの人が……」と評されるのはこういうタイプなの かもしれない。
「はいはいっ! それじゃみなさん注目~!」
向こうで男の声がした。高らかに掲げられた旗の下、そこで佇む彼が主催者なのだろう。やけに陽気な声色だったが、途中で逃げ出しそうな気配は微塵もない。
ふと駐車スペースに目をやると、一台のマイクロバスが停まっていた。ツアーという名目で貸し切ったそうだが、借り主共々返ってくることはない。言葉通り走る棺桶と言ったところだろうか。青年たちは皆、その奥へと納棺された。
会話はない。当然だ。ここに納められた二十数人全員が、お互い今日ではじめましての関係でしかないのだから。ただ、窓に映る景色が移ろい変わるだけ。死が迫るだけ。
青年は隣の参加者が気になっていた。見たところ中学生か高校生ぐらいだろうか。こじんまりとした少女だった。そんな彼女とは不釣り合いなほど大きな本が、彼女の膝に陣取っていた。
「はじめまして。こんにちは」
このまま過ごしていてもよかったが、それも退屈なのであえて話しかけてみる。少女は一瞬怯んで見せて、それからあいさつを返した。
「君は……どうしてここに?」
「……なんだか申し訳なくなったんです。自分だけ楽して、生きてるのが」
少女はフードを深く被り直した。本人が言うには、 彼女は「最小限の労力で何百万も何千万も稼げる仕事」に就いているらしい。
ほら話には思えなかった。どういうわけだか、彼女の紡ぐ言葉にはそう思わせるだけの説得力があった。
そんな職が実在するというのも、そもそも子供が働きに出ているというのも驚きだ。 しかしそれが「絶対にあり得ない」とは言い切れないのが、この現代社会の悲しき暗部であるのは間違いないだろう。
「そりゃいいなぁ……。それで、どういうのに?」
「呪術師です」
脳が理解を拒んだ。聞き直したが、やはり同じ返答が返ってくる。
「一回人呪い殺すだけで普通一生かかっても稼げないぐらい、それぐらいのお金入っちゃうんですよ……」
――だから世間一般の方々に申し訳なくなって、それで……。
普通なら冗談と思うところだが、彼女の説得力がそうはさせなかった。よく見れば彼女の本は、明らかに地球上のどれでもないであろう独自の文字で記されていた。 その文字自体も怪しげな光を纏っている。
「マジで言ってる? それともやっぱ、そういうお年頃だから?」
「やだなぁ。マジですよ、ほら。……ね?」
彼女が指差した先。 ガイド役だった主催者の男。彼は次の瞬間音もなく崩れ落ちた。けたたましいスキール音と共に景色がピタリと止まる。車内は困惑と動揺に包まれた。しかし、運転手含め彼を羨む者も決して少なくはない。
再び景色が流れ出す。そして当の少女は、血に染まる我が手をなんとも思っていない。人殺しの罪悪感から逃げたわけではない。「そもそもそんなものないのだ」と悟ることは容易だった。
「初めから全員やっちゃえばよかったんじゃ……。死にたい人しかいないよここ」
「嫌です。お金になりませんし」
今のはあくまで見本ですから。そう付け加えた。
「……これから死ぬんだけど?」
「それでもです」
ここに至っても、少女と金銭欲は切っても切れない間柄であるらしい。青年は苦笑するほかなかった。
「そういう、あなたは……?」
「正直特に理由はないかな。なんとなく、というか」
今度は少女の思考がフリーズしたようだった。このバスは山奥の、さらにまた奥へと舵を取っている。 逃げ出したところで生きて市街地まで戻ることさえ困難を極める。彼らはバスに納められた時点で死が確定したも同然だったのだ。それは青年も承知の上で、ここまで来たはずだ。
「えっ、じゃあなんで?」
「なんで、か」
一瞬何かがゆらめいて水底に沈む。また、別の何かが浮かんでどろどろに溶ける。灰暗い記憶の底に。
「……なんでだったっけなあ」
それを何度か反芻するうちに、青年は考えるのをやめていた。思い返してみれば、参加したことにやはり動機などなかったのだ。
「参加者の心理を知りたい、とか?」
「どうでもいいなあ」
死にたきゃとっとと死ねばいい。
「"向こう"が気になるとか?」
「それもないなあ」
全く興味が無いわけでもなかったが。
――ただ、僕が死にたいと思ったから死にに来た。それだけだよ。
強いて言うならば、と付け加えた。考えるのも面倒だったし、何よりそれ以上言葉を編むことも面倒だった。
「変わってますね」
「そうかな」
今思えば、がらんどうの自分がたまらなく嫌だったのかもしれない。見れば、景色はまた変わっていた。留まることなく、ずっと。地獄へ、地獄へ。
「……そういやさ、さっきのアレどうやるの?」
「ああ、やってみます? 意外と簡単ですよこれ」
主催者だったものは、毛布をかけられシートに固定されていた。
小さな血溜まりを作り、そこに呪い殺したい対象を思い浮かべるだけでいいと言う。なるほど、確かに少女の指先は傷ついているし、机にも血溜まりの跡が這っている。
しかし「意外と簡単」とは言うが、それは才能や素質を宿していること前提の話なのだろう。青年は察してい たし、少女もまたそれを知っている。だから戯れに教えたのだろう。「銃さえあれば誰でも凄腕のスナイパーになれるのか」と問われれば、当然答えは決まっている。
「……自分は呪えないの?」
「できるんなら私、今頃ここにいませんよ」
――心の奥底では必ず、自分だけがかわいいと思うエゴが巣食っている。人は呪えても自分を呪うことはできない。だから、わざわざロープやら銃やらに頼らざるを得ないんです。
それは彼女の得た教訓であり、真実だったのだろう。そこに至るまでの道のりは、もう誰も知ることはない。
「ま、いいや」
おもむろに青年はカッターナイフを取り出した。しくじった時の為、と持参してきたものだった。そして青年は、迷うことなく手首に刃を落とした。もう隣の少女など見えていない。
「やってみるか」
呪いたい相手はまだ考えていない。青年にとってこれはコイントスのようなものだった。このまま死んでもいいし、最後の最期に呪術とやらが使えるならそれはそれでまた一興。表が出るか裏が出るか。自分の命にしても、初めからその程度の重さにしか感じていなかった。
消えゆく命の灯火は、青年を導いていた。真に呪うべきは何者か。それを照らして、示してくれた。
ぼたり。血溜まりが広がる。青年の顔がゆらめく。
「……そうだな。 やっぱり僕には、何もない」
――その裡は、焼き物のように空虚なんだろう。生きていたくもないくせに、死にたくない理由も見出せなかった。あの日オフ会の募集を見た時、その現実を突きつけられた。そうだ、だから嫌になった。僕は死にたくなったんだ。
意識がふらつく。青年は机に突っ伏す格好に なった。今度は自分の目が映った。
「なんて目だ。なんて醜いんだ」
――瞳孔の向こうが見えそうだった。決して満たされない、がらんどうな本性が透けて見えそうだった。
ずきり。痛みが青年の本性を掘り当てていた。
「誰も僕に、何も与えてくれなかったじゃないか」
――誰も僕を満たしてくれなかった。こんなに飢えているのに、救いを求めていたというのにみんな僕を無視したんだ。
エゴが青年を食い破る。 呪うべき敵が血溜まりに浮かびはじめた。青年は全てを、血溜まりに見出した。 家族が浮かび、友人が浮かび、その次は。
「そうだ、もう。僕を助けてくれないなら」
車窓は、ただ一面の暗黒を映していた。膨張して、 世界を平らげる虚無そのもの。それが少しずつ、こちらに狙いを定め始めていて。
「……こんな世界なんて」
少女、いや、全人類にとって最大の誤算と不幸は、青年の裡に類い希なる呪術の才能が眠っていたことだろう。
そして今、王子様のキスがお姫様を呼び覚ましてしまった。もう制止も間に合わない。血溜まりに宇宙が映る。次の瞬間。溢れんばかりの虚無が、この世を呪い殺した。
目が覚める。思わず目をぱちくりさせた。上も下も、横も奥行きもない。今、青年は一人虚無の中に沈んでいる。
「……あははっ、すごい! すごいや! えーと、なんて言ったっけあの子」
――いいか。もう、どうでも。そこはもう、光も闇も、空も土も草木も花も建物も生物も人も全てが存在しない世界だった。叫んだって誰も答えやしない。ありったけの心地よさと虚しさに、胸が満たされていくのを感じた。
けれど手首からはとめどなく、血が流れ落ちていた。滴はみな、底なしの黒に沈んでいく。鼓動も弱まっていく。自分もまた、これから虚無の一部になるのが嫌でもわかった。
「ははっ。どうしよう」
憎かったものはもう何もない。欲しかったもの全てが、今この手の中にある。ざまあみろ。僕はこんなに満たされている。もうがらんどうじゃないんだ。
黒ずんだ世界に、高笑いだけが染み渡った。
「やばいなあ」
ここに至ってようやく青年は、
「死にたくなくなっちゃったじゃん」
生きる喜びを見出したのだった。
Lost 真木清明 @LifelineLight2005
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