第28話 その後
学校の門まで行けば、門の前に少女が壁にもたれているのが見えた。
「……何してんですか。こんなところで」
「あら、折角お出迎えしてあげたのに」
「さっきまで一緒にいたでしょ。……デリーは?」
壁から背を離したルチアーノは、「うふふ」と笑えば嫌そうな顔を浮かべるカロムへと近寄る。少しだけ後退りしてしまう。
「デリー君は自室へと戻ったわよ。彼には色々と迷惑をかけてしまったし、先生方に話をつけて少しだけ暇を与えようかしら」
「それは俺にも下さい」
「貴方は年がら年中暇していたようなものでしょう」
人差し指を顔前に突き付けられ、もっともなことを言われてしまい、カロムは「うっ」と黙る。
「んんっ、で? 俺に何か用でも? 俺も今日くらいは本当に休ませてくださいよ」
「……」
面倒臭そうに溜息を吐き、頭を掻いたカロムにそう言われれば、今度はルチアーノが口を閉ざしてしまう。それを不思議に思うカロムは、彼女をジッと見てしまう。
「……傷、痛まないの」
「えっ」
彼女の視線の先、カロムの腹部であった。致死量の血は出ていないが、未だに包帯も巻かれており、傷口も縫われている状態であったそこは、痛まないと言えば嘘になる。
突然の問いかけにカロムは驚く。
彼女にそんなことを聞かれるなどとは、思いもしていなかったのだ。
「あ、あぁ……。まぁ、普通に歩ける程度には回復はしています、ね。変に動かすと痛いですけど」
「……そう」
眉尻を垂れ下げ、弱々しい声で腹部を見つめたままポツリと呟いたルチアーノは、自身の小さな指をどうしようもないというように、小刻みに動かす。カロムの中で謎は深まるばかりだった。
「言って、なかったな、と思ってね」
「? 言ってない? 何かありましたか?」
唇を何かを食べているのかと思える程に動かすルチアーノに、カロムは尋ねる。
鈍いカロムに腹を立てたのか、睨むような目つきを彼に向ける。
(なんか、怒らせたか?)
ビクリとしながら、ここからまた説教は御免だと思いながら彼女と目を合わせる。
「っ、あ、ありが、とうっ、守って、くれて……」
「ぅえっ?」
開いた口は大きかったが、途中から何を言っているか聞き取りづらい程に声量は弱まる。そんな声で彼女はカロムに感謝を伝えた。
(守る? って……)
何のことかと記憶を呼び戻せば、一つ思い出した光景があった。
「あ、あぁ、ジェラルトが剣を振るった時のことですか? いや、俺とデリーは元々、あれが役目であって」
「……本当に、身体を張って助けてくれる、なんて、思ってなかったわ」
ルチアーノは、ふい、とカロムから視線を反らし、意味もなく地面を見つめる。その瞳はきょろきょろと彷徨っていた。
「きっと、俺じゃありません。王妃も言っていたでしょう。ヘリヴラムの血には、人が傷つくことを嫌うっていう……」
「いいのよ、そんなの。信じていないわ。少なくとも私が生きている中で、ヘリヴラムの人間が他人を守ったなんて話聞いたことないもの」
(そう言われても……)
カロムが素直に感謝を受け入れることが出来ない理由は、あの時、確かに自分の意識で彼女を守った訳ではなかった。身体が自然と、彼女を庇う動きをしたようなものであった。本能がまるで、『彼女を守れ』と命令を出したような感覚であった。
庇って、剣で腹を裂かれる覚悟など微塵もしていなかったのだ。
「素直に感謝くらい受け取ってもいいんじゃないの」
「そんな強気に言う言葉ではないと思うんですが」
腕を組んで、「ふん」と開き直るように威張ってそう言ったルチアーノ。カロムは後頭部を軽く掻いてから、困ったようにする。その顔を数秒眺めてから、ルチアーノはもう一度口を開いた。
「カロム君、貴方これからもそのままでいるつもりなの?」
冷静な口調に戻ったルチアーノはカロムに尋ねた。
「そのまま、とは?」
「ヘリヴラム家に居座る気はないと分かっていたけれど、授業に出ない問題児を演じ続けるつもり?」
「まぁ。何もしなくて良いなら、しない方が楽ですしね」
そう告げると「ふぅん」とルチアーノは何かもの言いたげな顔を見せた。
「何か言いたいことでも?」
「……いいえ、いいのよ。それなら」
「何ですか、それ」
聞き返したが、ルチアーノは何も答えないまま立ち止まったままのカロムよりも先に、学校の門を潜り、少し小走りしていく。
(何なんだ、この女……)
ジトッと彼女の背を目で追う。
すると、くるりと彼女は身体を半回転させカロムと向き合うようにした。また唇を少しもごもごと動かす。
「少しだけ……」
一言それだけ言うと、口を閉じる。
「え? なんか言いました?」
距離を取ったくせに、声量はまた聞き取りづらいあの声に戻ってしまい、カロムはしっかりと聞き取ることが出来なかった。
「……かっこ、よかったから」
彼女は頬を少し赤くしながらも、独り言を呟くようにする。
ルチアーノの頭の中には、暗闇で自分の身体を引き寄せたカロムの表情があった。その姿にほんの僅か、心が揺らいだ。
「あんまり、あんな顔他人に見せるべきではないわよ、カロム君」と、彼女本人以外には聞き取れない声で呟いて、地面を見つめるように俯いた。
「あの、なんも聞こえなかったんですけど」
何一つ聞き取れなかったカロムは、ルチアーノの方へと近寄ろうと足を進める。彼女は知らん振りをするように、また彼に背を向けて今度はゆっくり歩いた。
「何、言ったんですか。嫌味ですか?」
「褒めたのよ。無能者だなんて言っておきながら、それなりに事をこなすんだもの」
ルチアーノはその場で考えた嘘を堂々と披露した。
「いや、俺は別に何も……」
「あら、随分と謙遜するのね。貴方が今日の国を作ったと言っても過言ではないのに」
そう言われれば、カロムは渋い顔をした。
「それ、王妃にも似たようなこと言われましたけど、俺は国のために何かした訳ではないですよ。異国に戦いに向かう剣士や勇者にも、ましてや英雄だなんて言われるものになったわけでもあるまいし……」
カロムは自分は何もしていないと、何度も繰り返すことに疲弊し始めていた。
彼自身は本当にそうとしか思えていないのだ。
「異国を倒し、国に利益をもたらすことだけが『国のため』ではないわ。崩れかけていた国の中心核、王や国上層部のひねくれた考えを少しだけ変えた。小さな数字から数を増やすことだけがプラスではないわ。マイナスであったものをゼロに戻す。それもまたプラスよ」
「すごく面倒臭い話をしてますね」
「この国は元がゼロじゃない。マイナス始まりよ。国のお偉いが非常識な人間ばかりだったんだもの」
「実の父親に向かって酷いことを言いますね」
「それは貴方だってそうでしょう? 実の父親は国の最も上の存在よ」
ルチアーノは悪い笑みを浮かべて、カロムを不機嫌にさせることを言う。
「……他の国から何かを奪い取ることが『国のため』なら、貴方のしたあの人たちの行動や考えを変えたこともまた、『国のため』になるわ。剣なんて物騒に振るわずともそれをやってのけた。腹立たしいけれど、有能とも言えるわ」
そう言えば、顔を不機嫌にさせていたカロムは数回瞬きを繰り返し、驚きを示した。そして気まずそうな表情を浮かべて彼は述べるのであった。
「俺は有能ではありません。無能なんです。努力をすることもしない、そんな人間です」
彼の頭の中には、一人の友人が思い浮かぶ。『有能』は自分よりも、その友人、デリーに似合った言葉だと思えた。
彼に本当のことを話さなければ、などとも考えていた。
「そう。言葉を間違えたわね。国を変えた『無能者』さん」
悪戯っぽく笑ったルチアーノに、カロムは何か言い返すことも億劫になり、彼女に死んだ魚のような目を向ける。
両手を後頭部に持っていき、独特ないつも通りのだらしない歩き方で彼女の横を歩く。
また彼は『無能者なカロム=ヴィンセント』として生きていくのだと決断し、反吐が出そうなほど大嫌いな兵士育成学校での生活へと戻るのであった。
無能者は国のために何をする。 楠永遠 @Kusunoki821
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