第27話 母と子

 ヴァルゼル=ヘリヴラムが息子であるジェラルトを本当のところどう思っていたのかは、彼以外に分かる者はいない。

ジェラルトとカロムが二十歳となる日に、国王交代の儀は執り行われなかったことで、国民からは色々な声が上がった。


『噂通り、王子には問題があった』

『何か王や国が隠し事をしているのではないか』


 なんてものが叩いた埃のようにいくつも出てきたのだ。国もそれへの対処で手が回ったものではないだろう。


(自業自得、国で人殺しをしたようなものだからな)


 カロム、ルチアーノ、デリーはその日をもって、王宮を去ることになった。上辺ではジェラルトの付き人とその護衛、下っ端の仕事を解雇された、という話である。

 王宮の門を背にカロムは、未だに明かされない事実がいくつか浮かぶが、それを自分が知るべき事柄ではないと思うことにした。

問い詰めればヴァルゼルとセルラルドに吐かせることは出来ただろうが、それをしたとして、あの場にいる誰にも利がないことに違いなかった。


 エリザベスとシャロンの出産時、子を取り上げた医師と助産師は何処へ消えたのか。その当時仕えていた使用人達は何処へ行ったのか。


(……他国に無理矢理に送られ、貧しく生きているか、戦場に送られ命を落としたか……それとも――――)

 カロムの中にいくつかの予想はあったが、どれも酷いものである。国の上に立つべき人間達が、そうしたと思えばやはり、そんな人間たちが作り上げている国のために何かをすることは馬鹿馬鹿しいとまで感じられた。

 忘れようと数回頭を振る。


「もう出るのですね」


 背を向けた門の奥から、規則正しい靴音が聞こえる。振り向けば、高貴な衣類を身に纏った女が姿勢良く立っている。


「……見慣れない格好なので、一瞬誰か分かりませんでしたよ」

 カロムは微笑む。


 白い上質な布で出来たドレス。胸元には高そうな宝石。しかし派手とも言えない落ち着いた色のそれらをよく似合わせる女。昨日まではメイド服を着ていた女の顔に間違いはない。

 エリザベス=ヘリヴラムであった。


「元はこんな姿ばかりをして、民の前に出ていたのですがね。二十年も使用人用の衣類を身に着けていたので、質感が馴染まないものですね」

 ドレスの袖を数回優しく撫でながらそう言ってから、カロムに目を合わせる。

「……少し、お話をいいかしら」

 それはカロムにではなく、横にいたルチアーノとデリーに対して告げられた。察しの良い二人であった。深々と頭を下げる。

「……私達は先に学校に戻っているわ」

 ルチアーノがカロムに耳打ちすると、デリーもカロムに小さく手を振ると、二人はその場を去るようにした。


「察しの良いお友達を持てて良かったですね」

「片方は本当に良い友人です。……もう一人は好きませんが、察しは良いですね」

 カロムは渇いた笑いで、デリーを褒めてからルチアーノへの嫌味を言う。エリザベスはそれを聞いてから、口元に手を持っていき、上品に笑う。

「どちらも、良い子ですよ。昨日、彼の方は私とシャロンの部屋に尋ねてきた時に、詳しく話はしませんでした。とりあえず来て欲しい、と。……少し意地悪をして、理由を聞けば……、ふふ。分からないけど来て欲しいなんて真っ直ぐにこちらを見て言うんですから」

 カロムの少し気まずそうな顔をして、少量の唾を飲み込む。

「意味も理由も分からないまま、王妃の部屋を訪ねるなんて命知らずな行動、ということを彼は知っていたのか、知らないのか。……その時はどうでも良かったのかもしれませんね。友人にそう頼まれた、その友人が危ない場にいるから、自分も何かをしなければいけない、そんな使命感から無謀な行動に出れたのですかね」

「……本当に良い奴です。こんな隠し事ばかりをする俺に、何も聞かないのですから。俺もヘリヴラムの血縁、いや、あの男の子供だからでしょうか。秘密ばかり増やしていく」

 カロムは自分を罰するようにして、情けなく笑ってからそう言う。エリザベスはそれに肯定も否定もしなかった。

「秘密や隠し事が悪事であるかどうかは、した本人とされた相手の問題です。互いがそれを了承した上なら、それに非があると考えなくてよいと私は思います」

 エリザベスは綺麗ごとばかり言う女ではなかった。自身の信念と考えを持ち、それを折ることは中々ない。

「知らなくて良い事実もある。隠すことが良い場合もある。嘘の全てが悪だなんて、思いません」

「はは、慰められているみたいですね」

「いいえ。慰めではない、きっとこれは、私が自分の罪から逃げるための言い訳なのです」

 エリザベスはそう言えば、下唇を噛み締める。


「ヴァルゼルとセルラルド、国の上層部が悪事を働いたことは本当です。……しかし、彼らに言われるがままに、二十年もの間、使用人に化け、真実を閉ざしていたのは私です。まだ王妃として、民に顔を知られている時に声を大にして、彼らの悪事を叫べばまた国も何か変わっていたのかもしれません」


彼女は罪の意識を持ち続けて二十年、シャロン=ヴィンセントという使用人を演じ続けてきた。二十年前に彼女が王や国上層部が、彼女の子を一人殺したと広めたならば、現状は違っていたのかもしれない、と考えていたのだ。


「……もしも。だったなら。こうであれば。なんて、考えても意味はありません。過去の自分たちに今の自分たちを知ることは出来ないのですから」

「そうですね。貴方の言うことは正しい。結局、正しい道や最善策なんてその場しのぎの言葉です。後になってからそれ以外に良いものが見つかるのですから」

 一度晴天に見舞われた今日の空を見上げてから、エリザベスは息をすぅ、と吸い込む。そして、カロムを真っ直ぐに見てから、数歩近寄る。


「感謝します。貴方、貴方がたに。二十年の間、私が吐き出せなかったものを吐き出すことが出来たのは、貴方がたのおかげです」

 そう言えば、王妃となる彼女が一般国民へと戻った少年に深々と頭を下げる。カロムは目を見開く。そして彼女に頭を上げるように催促する。

「貴女のような御方に頭を下げられる身分ではありません。顔を上げてください。……それに俺は貴女のためでも、ましてや国のために何かをしたわけでありません。面倒な身内の問題を一つ解決しただけです」

 謙遜した内容を語るカロムであったが、それは事実である。

 彼は元々、王家に関わること自体に乗り気ですらなかった。小悪魔のような娘の脅しが引き金となり、結果的に国の裏を一つ見抜いてしまっただけである。

「ふふ、確かに。けれど、貴方のしたことによって、今の私はこんな高貴なものを召していることも事実。きっと貴方がいなければ、今日も違った日になっていた。国王交代の儀も執り行われ、ジェラルトは今頃問題を持ったまま、国の王となっていたでしょう」

「……ジェラルト王子には、国王交代の儀の予定日は決まっていないと聞きました。しかし、彼が国王になることは先延ばしになったとしても、その未来はいつかくる。彼の中に別の人格を持ったまま、その座に就かせるおつもりですか?」

「二重人格、彼の場合は少し異例なものかもしれませんが、こればっかりは、医者に任せるしかありませんね。……あぁ、あとシャロンに関してもその道の医者に診てもらうつもりです。彼女の両親にもこのことを伝えるつもりです。…………長話をしてしまいましたね。このことを告げに来ただけのはずだったのに」

 エリザベスは悲しそうに微笑んでから、「いけませんね」と自分を叱咤する言葉を吐いた。

「わざわざありがとうございます。まぁ、彼女は俺のことを自分の子供とは気付いていないでしょうけど」

 カロムは笑い話のように言ったが、少しだけ表情を陰らせる。すると、エリザベスはまた一歩カロムに寄る。


 そのまま、踵の高くなった靴を履いてようやく同じ目線の高さになるカロムの後頭部に両腕を回し、優しく引き寄せた。

 カロムは驚き、身動きを取れなくなる。王妃の身体を跳ね退けるわけにもいかない。何より彼の頭は、現状をよく理解出来ていなかった。


「ちょ、あの……」

 カロムの右耳にエリザベスの顔が近づき、彼の肩に額を置いた。動揺しながら、自分の手を何処に向かわせれば良いのか分からないカロムの手は宙を彷徨う。

 横で一つ鼻を啜る音が聞こえ、彼の手はピタリと止まる。


「……皮肉なものですね。貴方が生まれたせいで私の子は王になれないかもと、憎んだ存在なはずの子なのに。私が赤子を抱いたのは、何処かに隠そうと持ち逃げた貴方が最初で最後なんですから。自分の子供たちが生まれ、彼らの抱くよりも先に、同日に生まれた貴方を抱え、ヴィンセント家へと走った。結果、自分の子は抱けず、私の手に残った肌の感触は、体温は、カロム、貴方なのです」


 後頭部をするり、と一撫でされる。カロムはどうすれば良いか分からず、黙ることにした。カロムは自身の肩がじんわりと濡れているのを感じた。

 ゆっくりと両肩を手で押されると、エリザベスはカロムから身体を離した。彼女の目に涙はなかった。王妃と呼ばれるに相応しい強気な女性の瞳である。


「貴方にとっては、身内の問題を片付けたに過ぎないかもしれません。……ですが、貴方はこの国の未来を変えた人間です。ヴァルゼル達の自身ばかりを考えていた天秤を、他人のためとする方に傾けたのです。それは僅かかもしれませんが、これまで誰もし得なかったことを、カロム、貴方はしたのですよ」


 最後に王妃エリザベスとしての顔を見せれば、彼女はその言葉を残し、王宮の門の内へと踵を返した。


 カロムは自身の肩に片手を乗せる。まだほんのりと湿っている気がした。


(……抱き返す、べきだったのか? いやいや、王妃にそんなこと……)

 カロムは「ふぅ」と息を吐く。軽く首を横に振る。


 自分が王妃の息子の役目をするべきではないという答えに至り、ルチアーノとデリーの向かった方に身体を向ける。また、だらしない歩き方でブラブラと大嫌いな学校へと帰るのであった。

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