怪異の防疫問題

家葉 テイク

バッファロー=クダン

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。



 あれは、忘れもしない。


 三月一二日午後四時三四分の出来事。



 それは────





   1




 何年か前、一時期だけだけど取材でアフリカの自然保護区で数日過ごす機会があった。


 取材相手は動物管理官、いわゆるレンジャーってやつだ。


 アフリカの自然保護区での取り組みについて、ってお題目で何日間か一緒に仕事について行ってその仕事ぶりを見るって感じの仕事だった。

 まぁ大変だったんだが、それ自体はやりがいのある仕事だったよ。


 ただ大変だったのは……防疫、って言ったら分かるか?


 何せ自然が相手だからな、外来種を持ち込んでもいけないし、逆に持ち出してもいけない。

 これは病原菌にしても言えることで、たとえば日本固有の病原菌なんかを持ち込んで自然保護区内で大量発生したら大問題になるってことで、かなり神経質だった記憶がある。


 実際、日本ではポピュラーなワカメなんかも、船の排水に混じって海外に運ばれて問題になっているっていうしな。

 まかり間違って植物の種が付着してそれがアフリカで大繁殖……なんてことになったら大変だ。


 そういうわけで、防疫関係についてはかなり神経質に対応されていた訳だ。

 ……ただ、それはあくまでも常識的な範疇の話。



 たとえば。



 については、当たり前の防疫ではどうしようもなかった。



 つまりこれは、そういう話。


 もう既に終わってしまった、俺が実際に体験した話だ。





   2




 取材を始めてから数日が経った頃のことだ。


 俺は、取材で同行させてもらっている現地の動物管理官のAに呼びかけられた。

 かなり興奮した様子のAは俺を呼び寄せると、「顔面が人の顔をしたバッファローを見た」なんてことを話していた。


 思わず面食らった俺だったが、Aも「今までこんなことは体験したことがない」と凄く興奮した様子だった。

 それだけなら見間違えだったんじゃないか? とも言えたんだが……Aは、そのバッファローが実際に喋ったとまで言い始めた。


 人面バッファローが喋る。いくらなんでも荒唐無稽すぎる話で、当時の俺は流石に笑ったよ。

 いや、おかしな反応じゃないと思う。一緒にいた他の動物管理官も一緒になって笑っていたし。


 ただ、Aは真面目な顏でこんなことを言っていたんだ。



「そのバッファローは、未来に起きることについて語っていた。『三月九日午後一時一六分に大雨で土砂崩れが発生する。その結果道が塞がれる』ということらしい」



 まぁ、その時点では誰にも信じられていなかった。

 人の顔をしたバッファローを見たってだけなら、まぁ見間違いかなで済むが……未来を予言したとまで言われたら、普通に考えて嘘ついてるって思うだろ?


 だから俺達はみんなでAの言っていることをジョークだと笑い飛ばしたんだが……Aはずっと釈然としなさそうな顔をしていた。


 それに、三月九日の午後一時一六分って言ったら、その日のお昼だからな。

 確かに空模様は悪かったが、土砂崩れが起きるほどの大雨になりそうとも思えなかった、っていうのもある。



 ところが、その後すぐに状況は一変した。



 ただでさえ悪かった空は雲で真っ黒に染まり、そして車から出られないくらいの大雨が辺り一面に降り注いだわけだ。


 この時点で、俺達はどこか不気味なものを感じ取っていた。


 とりあえず大雨が降ったのでその場で車を止めて立ち往生していた俺達だったんだが──ふと助手席に座っていたAが大声を発した。



「崖の上にバッファローがいる!」



 Aが前方の崖を指差した直後だった。


 崖の上からぱらぱらと崩れ落ちるようにして、土砂が滑り落ちて俺達の前方にある道を一気に塞いでしまったのだ。


 ……もうちょっとでも車を先に進めていたら、危ない位置だった。

 バッファローの予言が完全に一致したっていうのも、気味が悪い話だった。





   3




 それから、同僚たちの間で次々と人面のバッファローを見たという報告が相次いだ。

 ……まるで、集団の中で病気の感染があっという間に拡大していくみたいに。


 『珍しい動物を目撃できる』だとか、『木に雷が落ちる』だとか。そしてそれらは全て予言の通りに実現することになった。


 あるとき、Aがまたしてもバッファローの予言を聞いたと言い出した。


 その予言によると、『三月一〇日午後八時に南西の地区で密猟者がサイを捕える』らしく、動物管理官の彼らはその予言に従って、俺達はその時間帯に南西の地区に向かった。



 するとそこには、実際にサイの密猟をしようとする密猟者の姿があった。



 ……密猟者との戦いは、控えめに言って戦場だった。



 お互いに銃撃で応戦するし、当然サイはとっとと逃げる。

 幸いにもこっち側の負傷者は出なかったが、密猟者は一人命を落とすような事態になった。


 本当に、自然保護の最前線っていうのは文字通りの『最前線』だった……とこの時思ったものだ。




 こんなことがあったからか、俺が取材していた動物管理官たちはすっかり予言を与える人面バッファローのことを信仰するようになっていた。

 しかし……正直、俺は複雑な気持ちを持っていた。



 …………何故なら、『そいつ』はおそらく俺が日本から連れて来たモノだからだ。



 俺が見たときは、人面のバッファローではなかった。


 日本でよくイメージされるような、牛。

 それに日本人の顏が乗っかった、そんな『人面牛体』の怪物を日本を出る直前に見たのだ。


 そしてそいつは俺にこう言った。

 『三月一二日午後四時三七分にバッファローの群れを見る』、と。



 俺は、『未来を予言する、人の顔をした牛』の妖怪というのを知っている。



 くだんだ。


 この妖怪は人面に牛体を持つ化け物で、牛から産まれるとされている。

 くだんは三日で死ぬが、それまでに人々に予言を与える。

 戦争が起きるとか、飢饉が起こるとか、そういうのだ。



 日本人の俺が見たくだんとアフリカ人の同僚が見たくだんで牛の種類が違うというのはおかしな話だが、まぁ結局妖怪の見た目というのは人間のイメージに依存するってことなのかもしれない。


 ともかく、アフリカにくだんのような特徴を持つ化け物がいるなんて話は聞いたことがない。

 同僚たちに予言を齎したのは、多分日本から俺に憑いてきた個体なんじゃないか……そう考えると、同僚たちは喜んでいるが、なんとも複雑な気持ちになった。

 いや、妖怪の防疫なんてなんのこっちゃって話だけどな。



 その後も、バッファローのくだんはたびたび同僚の前に現れては、様々な予言を齎してくれた。


 同僚たちはそのたびにくだんに感謝し、いつの間にかくだんを模した木の彫り物まで用意されていたほどだった。

 ……こうして、信仰の拡散は起きていくのかなぁなんて益体もないことを考えるばかりだったが。





   4




 三月一二日。


 しかしそんな同僚たちの予言も、いつしか報告が途絶えていくことになる。


 『三月一二日午後四時三七分にバッファローの群れを見る』。

 同僚たちはみな、そんなくだんの予言を最後に、パッタリとくだんの姿を見ることがなくなったそうだ。



 当然、同僚たちは不安がった。


 突然予言がなくなったということは、自分達は守り神から見放されたのでは? と思ったわけだ。

 信心深い彼らならではの懸念だが……そもそもくだんは妖怪であって守り神じゃないし。


 あまりにも不安がる彼らを見かねて、俺はなんとなく複雑な気持ちだったから黙っていたくだんの話をした。


 くだんが産まれてから三日で死ぬという説もあること。

 くだんは日本で信じられている妖怪であること。

 そうした情報を説明すると、ちょうど既に最初の目撃から三日以上経過していたこともあり、同僚たちはようやく混乱を落ち着けてくれた。

 なんでもっと早く教えてくれなかったんだとも言われたけどな。


 そして、俺が取材させてもらっていたチームの全員で、おそらく死んだであろうくだんに感謝を伝える祠を宿の近くに立てた。


 いや、なんとなく日本の妖怪がこうして遠いアフリカの地で信仰を得て祠を立てられたというのは、日本人の俺にとっては不思議な体験だった。

 たとえるなら……そうだな、神社の神主が大真面目に十字架を握って祈っているような感じ。



 なんとも不思議な感覚をおぼえながら、俺はそのまま宿に戻ろうとして──そこで、息を呑んだ。



 のだ。



 バッファローの体をした。


 人の顔を持った、化け物が。



 は、男とも女とも、大人とも子どもともつかないような──いや、そもそも個性を認識することもできないような不思議な顔つきをしていた。


 記憶にあるよりも浅黒い肌をしているような気もするが、目鼻立ちから人種を読み取ることすらもできない。

 俺が人を認識するときよりも大きな括りの、『人』としか形容できない顔立ちだった。



 ただ一つ分かるのは、そいつに人間らしい知性はないということ。


 牛の頭からシームレスに伸びた黒髪はボサボサに乱れているし、鼻と口からはまるで普通の牛みたいによだれと鼻水を垂れ流している。


 ただ、顔のつくりだけが

 まるでシミュラクラ現象のような不気味さに身を凍り付かせていると、くだんはまるで鳴き声のような平坦な調子で話し始めた。


 いや、言葉だったのかすらも分からない。


 ただの鳴き声を、俺がそういう風に認識していただけかもしれない。

 猫の鳴き声が喋っているように聞こえる、なんて言っている動画のように。



 ただその時の俺には、確かにこう聞こえたのだ。




『三月一二日午後四時三七分にバッファローの群れを見る』




 ……おかしくないか?


 だってそうだろう?

 件は、生まれてから三日で死ぬ。

 そういう妖怪のはずだ。

 最初にアフリカで目撃されたのが三月九日。

 それなら、三月一二日の今は死んでいなくちゃおかしい。


 なのになぜ、今もまたこうやって予言をしているんだ?



 そこまで考えて、俺はふと気付いた。



 日本では日本の牛だったくだんが、アフリカで動物管理官たちが目撃したときはバッファローの姿をしていた理由。


 そして、俺が現在こうしてアフリカで目撃したときには日本の牛ではなくバッファローの姿になっている理由。


 別に、お国柄によって認識が違うなんて認知学のお話ではなく。



 シンプルに、この国で繁殖していたんだ。



 件という怪異が、アフリカで繁殖した。


 だから、身体が日本の牛ではなくバッファローになったというわけか。



 ……怪異の防疫、という点では非常にまずい気はするんだが……でも、現に現地の人達からは好意的に受け入れられているし、予言も、戦争や飢饉とは無縁のばっかりだしなあ……。


 何せ、この後起きるのもが『バッファローの群れを見る』ってだけの予言だし。



 ──そこまで考えて、俺はふと、に気付いた。



 弾かれたように、スマートフォンを開く。




 現在時刻は、午後四時三四分。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪異の防疫問題 家葉 テイク @afp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ