『猛牛の行方』解説

月這山中

 

 猛牛には三分以内にやらなければならないことがあった。

 この言葉に私は何を想っただろう。

 長谷川猛牛はシュルレアリスム私小説のパイオニアである。

 いつまでも続く世界の変容に相対しながら猛牛は柔軟かつ辛辣に世界に対する批判性に溢れた言葉を投げかける。時にはその視点すらも自己批判し、彼の筆致は踊る。

 長谷川猛牛は岐阜県は飛騨市の広大な農牧地に生まれた。その頃よりきかん坊のあばれ牛と徒名され哲学的思考の頭角を表しはじめていた。都内の高校を卒業しハイデガーに強く傾倒していた猛牛はウィンチェスター・バッファロー大学の哲学科へと進み、かのバッファロー・タイフーンに被災し傷付いた人々を目の当たりにする。世界の不確実性にショックを受け、それと同時に生命の力強さを信じた彼は猛牛主義ともいえる哲学を確立した。黒猫の尾に微積分を見出すデビュー作『黒鉄の針』はこの時代に執筆され、哲学のみならず数学・科学等各分野へも影響を及ぼしている。その後も『フロンティア』『朝露の戯画』『新生・猛牛』などベストセラーを連発した猛牛は、講演会でつかみ合いの喧嘩を繰り返し、出入禁止の憂き目に遭う。憤懣やるかたない猛牛は謹慎中の約五年間に本書『猛牛の行方』をまとめたのである。

 かつての猛牛小説を知る者からは「筆致は粗暴を極め、下品この上ない」と評される本書であるが、私には洗練された彼の哲学が生き生きと突き進んでいるのを感じる。個人を「感性の群れ」と表現し感覚を与えて砕け散らせるのだという猛牛の講演会での言葉は、幻想に耽溺するためだけのエンターテイメントに留まるつもりはないという決意である。個人と個人の相対とは三分のうちに決まる、ひとえに感性の群れと群れとの対決に他ならないのである、と。

 『猛牛の行方』は我々に問いかける。実存とはなにか。世界とはなにか。魂とはなにか。

 全てを破壊し突き進む猛牛の姿は我々と重なる。


(令和六年三月二日 作家)

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