第18話 誕生日パーティー準備編

 エイヴァとアンティラスはときどきエイヴァの家で晩酌をしている。つまみはもっぱらチーズやチョコレート、塩漬けの肉や魚で、酒は上等なものをアンティラスが持ってきてくれている。


 この日もエイヴァは勢いをつけるために酒を適量入れて、言い出しにくい話をなんとか吐き出すのに成功した。


「あのぅ。つかぬことを聞くんだけど。イリーナ夫人の誕生日パーティって……私が行ってもいいやつ?」


「母の誕生日を祝ってくださるのですか!?」


 眩しい笑顔を向けられてエイヴァは心の中で唸った。


(そんなに嬉しそうな顔するんだ〜〜)


 顔合わせの時にも感じたが、グレンラグナ家は家族仲がかなり良い。伯爵夫妻はどちらも愛人をつくらず二十数年連れ添っている比目魚(※)夫婦と呼ばれている。アンティラスもイシュバルも大切に育てられていることがよく分かり、二人もまた両親のことを愛しているということが伝わってくる。もちろん兄弟仲も良い。


※1つ目の魚で、2匹並んではじめて泳ぐことができる魚。モンスターの一種。


 孤児として育ったエイヴァには家族愛、とりわけ家族の一体感のようなものが分からず、異様なものにさえ映るのだった。けれども愛情というものをこれほど感じる存在--つまりグレンラグナ家のような家族--に憧れがあることも事実。わざわざ彼らの幸せをぶち壊そうとは思えず、むしろ守ってやりたくなるくらいにはアンティラスを愛していた。


「ご……ご迷惑でなければなんだけど」


「いえ、ご迷惑だなんて! とても嬉しいです! 母も喜ぶと思います」


 食い気味に言われてまた心の中で唸った。


 アンティラスが少しでも苦い顔をすれば、いくらイシュバルと約束したとはいえなかったことにするつもりだったのだが。ここまで手放しで喜ばれてしまってはもう引き下がれない。


 イリーナ・グレンラグナ伯爵夫人の誕生日会の詳細については追って連絡するということで、この日は解散した。


 エイヴァは扉を閉めてため息をつき、数秒してから「よし」と寝室へ向かった。


 チェストの上に置かれていた魔法玉を手に取り、ある人物へ連絡する。


「こんな夜遅くに何かしら?」


 魔法玉にぱっと浮かび上がったのは、寝間着姿で娘をあやしているシャーロットであった。


「遅くにごめん。ちょっと、頼みたいことがあって」


「頼みたいこと?」


「貴族の礼儀作法、教えて」


 呼びかけても娘から顔を上げなかったシャーロットがようやくこちらを見た。


「覚悟を決めたの?」


 エイヴァはたっぷり数秒間を置いてから答えた。


「まぁ、ね」



***


 イリーナ夫人の誕生日会に出席することが本格的に決まった日から、エイヴァは忙しい毎日を送っていた。


 魔塔での仕事終わりにシャーロットの元へ通い、貴族の礼儀作法を学ぶ。シャーロットは礼儀作法だけでなく、貴族は流行に敏感でなければならないと言い、最近のトレンドアイテムや話題についても教えてくれた。


 イシュバルの家庭教師の日は自宅に帰ってシャーロットから教わったことを復習。慣れないことに頭を悩ませながら、エイヴァは毎日奮闘した。


 そして頭を悩ませるものはもう一つあった。


 誕生日プレゼントだ。シャーロット曰く、認められたいならアンティラスの手は極力借りないこと。他人と被るようなありきたりな物はダメ。無難に消費できる食品を送るのは好みを熟知してからの方が良いので安易に手を出すものではなく、化粧品も好みがあるのでダメとのこと。そこで貴族に最も喜ばれるのはアクセサリーだとアドバイスをもらったが、貴族の好むアクセサリーは高い。魔塔の十四指ともなれば買えないこともないのだが、センスの良いアクセサリーなんてエイヴァが選べるはずもない。


 そういうわけで、エイヴァは魔塔に併設されている魔導ギルドにやってきていた。


 魔導ギルドには様々な依頼が舞い込んでくる。依頼は難易度が高いものからS、A、B、C、D、Eに分けられており、ギルドに登録しておけば、ギルドランク(こちらも同様に高いものからS、A、B、C、D、E)に合った依頼を受けられるようになっている。


 この魔導ギルドで、エイヴァのランクはSG級。Sクラスは裏でさらにSB(Sブロンズ)級、SS(Sシルバー)級、SG(Sゴールド)級に分かれており、このクラスに合わせた、表に出されていない裏の依頼を受けることができる。


「海洋系の依頼ない?」


 受付にいた女性に問いかけると、受付嬢は足元から紙束を取り出して調べてくれた。


「エイヴァ様にご案内できるのはこのあたりですね」


 綴ってある紐を解いて何枚か依頼の書かれた紙を出してくれる。


 ざっと目を通し、エイヴァはそのうちの1枚を手に取った。


「これやりたい。今週末あたり行こうと思うんだけど、いいかな?」


「かしこまりました。こちらはSB級2名以上のご署名が必要ですが、あと1名どうされますか?」


 エイヴァは受付嬢に少し時間をもらい、携帯用の魔法玉を指でタップした。


 携帯用の小さな魔法玉は受信用と発信用に分かれており、受信用の魔法玉はピアスにして耳からぶら下げ、発信用はネックレスとして下げている。携帯用魔法玉には発信者や受信者の姿は映らないが、声はしっかり送受信できるようになっていた。


「おーいシャーロット。聞こえる?」


 発信用の魔法玉を指で挟んで呼び掛けると、程なくして受信用の魔法玉から声が聞こえてきた。


「はいはい。何の御用?」


 エイヴァは口の端に笑みを浮かべた。


「海水浴、行かない?」


 季節は秋の半ば。すでに朝夕だけでなく、昼間の風にも冷気を感じる。海水浴には場所を選ばなければならず、季節柄”理由”がなければなかなか行かない場所ではあるのだが。


「行くわ!」


 シャーロットは二つ返事で了承したのであった。


***


 首から心許ない紐で吊った白いビキニ。風になびく鮮やかなマリンブルーとオレンジのグラデーションのかかったパレオはマーメイドの美しい尾鰭のよう。風にさらわれた翠の髪を耳にかけると、耳から下がった丸い水晶のピアスが光った。首には同じく丸い水晶のネックレス。


 海を見つめるエイヴァの隣には、フリルのついた白い日傘を差すシャーロット。


 シャーロットの装いはワンピースタイプの淡いピンクの水着だ。フリルのついた肩紐からは白く細い腕が伸び、短めのドレープスカートからは細く白い足がすらりと伸びて浜辺の砂を踏んでいる。耳と首にはエイヴァとおそろいのアクセサリー。


 2人が見つめる先の海は鉛色だ。半月ほど前から大きな海洋モンスターが巣食い、海を荒らしているのだという。


「計画は?」


 問いかけてきたのは男の声だった。


 振り向くと淡いピンクのフリルがふんだんにあしらわれた水着を身につけた幼子ヘイリーを抱いたエリントンが立っていた。


 明らかにシャーロットの趣味だと分かる濃いピンクの海パンに淡いピンクのシャツを羽織っている。健康的な肌に映える筋肉質な身体に視線を奪われそうになりながら、エイヴァは問いに答えた。


「私が直接潜ってモンスターを倒してきます。シャーロットには陸上からサポートを」


「そのために携帯用魔法玉を水中仕様に改良したの。衝撃にも耐えられるように強化もしてね。それからこれ」


 シャーロットが胸の前で掌を出すと、どこからともなく大きな水晶玉が現れた。


「わたくしがしっかり状況を監視、いつでも意思疎通できるように水中用魔法玉。これに魔法をかけて遠隔操作できるようにして、エイヴァの近くを浮遊させるわ。あとはエイヴァ自身に防御魔法をかけて準備は完了ね」


「助けが必要な時はいつでも言ってくれ」


「あら、ダメよ。貴方にはヘイリーのお世話という重大な任務があるのだもの。それにわたくしとエイヴァならこのくらいどうってことないわ。ヘイリー。すぐにママとママの親友が海の悪いやつを倒してあげますからね~。そしたら一緒に遊びましょうね~」


 白い指が頬をつつくと、ヘイリーは楽しそうにキャッキャと笑った。


 シャーロットとエリントンの表情がまろやかになる。子を愛する親の表情というのは見ているこちらも優しい気持ちになるのだなぁとエイヴァは思った。


「さて。それじゃ、行きますか」


 エイヴァは切り替えるように気合を入れ、腕を伸ばし、屈伸運動などをした。その間にシャーロットが身体強化と防御の魔法を全身にかけてくれる。


 さすが。これだけ強化できていれば十分だ。


「ありがとう。行ってくる」


 エイヴァは「いってらっしゃい!」というシャーロットとエリントンの声援を聴きつつ、パレオを脱ぎ捨て入水した。強化魔法のおかげで冬に近づいた海水でも冷たくない。


 頭まで潜る。


 美しいマリンブルーの海! となれば良かったのだが、あいにくそうはならなかった。


 昼前なのに暗い水中。遅れて投入された魔法玉からちょうど良い光が発せられ、ようやく様子を見られるようになった。


 エイヴァは海の中を魔法を使ってぐんぐん進んでいった。


 10、15、20……30メートルに差し掛かろうかというところで、魚の影もちらつかなかった視界が明るくなり、次第に像を結び始めた。


 花びらが視界を横切る。


 瞬きの間に色とりどりの花が咲く花畑が広がった。明るい青空、黄金の太陽。風に揺れて花弁が舞うと、香りも届いてきそうな気がした。


 しかし香りなんてするわけがない。なぜなら海の中だからだ。もちろん海の中に花畑が広がっているわけもない。


 これはモンスターが魅せている幻想なのである。


 エイヴァが受けた依頼はレッドクラムクラブという海洋モンスターを討伐するものだった。レッドクラムクラブは対象が幸福を感じる映像を見せ、対象が幻想に入り込んでいる間に捕食するモンスターだ。基本的には魚や甲殻類、海獣など海に住む生き物が惑わされて食べられるわけだが、海に遊びに来た人間がその罠に嵌ってしまうことがある。特に今回のように人間でも到達できる比較的浅いところからレッドクラムクラブの幻惑が広がっていると、被害が拡大して討伐対象となってしまうのである。


 そろそろ自分に見せられている幻想を晴そうかと思っていると、花畑の中に人影が現れた。こちらに背を向けていて顔が分からない。そればかりか、髪色も何もかもが何故かぱっとしないのだ。なんだかぼんやりしている。


 だが、心がざわめく。後ろ姿だけで分かってしまう。自分の『幸福』に、彼がいることに。


 その人物がはっきりとした象を結ぶ前にエイヴァは強引に幻惑を払った。


「エイヴァ! 大丈夫?」


 途端に聞こえてきた声に反応する。


「大丈夫。結構ハマってた?」


「10秒くらいよ」


 第一線で活躍していた時は幻惑魔法になんてかからず払えただろうが。魔塔の魔法師団を退いてから鈍っている。しかしまぁ魔法師団から脱退して3年もすればこんなところかと納得して、エイヴァは海底に横たわるモンスターを見据えた。


 背に赤い珊瑚をびっしり自生させた岩のような身体。一見上下の殻を閉じた二枚貝のようだが、その実手足を引っ込めた蟹モンスターである。


 レッドクラムクラブがSB級に認定されているのは、このモンスターが強い幻惑魔法を使うことだけでなく、とてつもなく硬い装甲に守られているからでもある。岩より硬い殻を破り、身体の中にある魔核と呼ばれる、いわゆるモンスターにとっての心臓のような部分を壊さねばレッドクラムクラブは倒れない。


 というのが常識なのだが。エイヴァには策があった。


「シャーロット、この蟹の隙間を見つけてくれる?」


 エイヴァが言うと魔法玉から「分かったわ」と承諾の声が聞こえ、魔法玉は細かい泡を立てて海中を滑るように移動していった。


 そうしていくらもしないうちに連絡があり、魔法玉のあるところへ行ってみると、小刀さえ差し込むのが難しそうな極々狭い隙間を示されたのだった。


「狭っ」


「エイヴァなら余裕でしょう?」


「いやまぁそうだけど、SB級でもこんな小さな隙間は相手にしないよ」


「貴方はSG級を通り越しているんだから良いじゃない」


「そうだけどぉ」


 なんだか釈然としないが、出来るのか出来ないかと言われると出来るので、エイヴァはまぁいいかと作業に取り掛かった。


 手を前方に突き出して魔法で武器を呼び寄せる。ほどなくして現れたのは白亜の大剣であった。ヒルトは虹色の光を放つ黒い鱗で覆われており、ガードの中心には真っ赤な球が埋め込まれている。真っ赤な球は縦に黒い線が入っていて、まるで瞳のよう……否。正真正銘、眼球であった。


 黒竜剣ブラッドギアは、ドラゴンマスターであるエリントンが足と引き換えに仕留めたドラゴンの部位で出来ている。ブレイドの牙、ヒルトを覆う鱗、ガードの中央の瞳。有する魔力はドラゴンの部位を使っている分、最上級で、並のものでは持ち上げることすらできないのだが。エイヴァには関係のない話だった。


 エリントンから快く貸してもらった黒竜剣ブラッドギアを、エイヴァは魔力を使って人差し指くらい小さくした。そうして指先でくるくるとおもちゃのように扱って、レッドクラムクラブの隙間へ侵入させた。


「はっ!!!」


 そうして渾身の魔力を注ぎ込み、レッドクラムクラブの体内で剣を数千倍大きくさせた。


グシッ


 何かがつぶれるような音がして、レッドクラムクラブの身体の左右からとてつもなく大きな剣の両端がはみ出た。


「せーのっ!」


 それからエイヴァがオールを漕ぐような動きをするとはみ出た剣が少しずつ回転し……。


バキョッ


 やがてレッドクラムクラブは大きな音を立てて、真っ二つに割られてしまったのだった。


 レッドクラムクラブの目から光が消え、殻にこもっていた手足が突き出して垂れ下がるのを見てとったエイヴァは、海面へ向かって浮上していった。


「ぷはっ!」


 海面で体を覆っていた魔法を解いて、顔に張り付く髪をかきあげながら砂浜に上がる。すぐにシャーロットが走ってきて、任務の遂行具合を聞いた。


「ばっちり! サポートありがとシャー」


 エイヴァがピースして応えるのと同時、海面が大きく盛り上がって小島のようなものが上がってきた。


 真っ赤な珊瑚をびっしり茂らせた、レッドクラムクラブである。


「さぁて。モンスター討伐も終わったことだし。海水浴楽しみますか!」


「キャア! やったぁ! あなたー! ヘイリー! 遊ぶわよー!!」


 シャーロットが呼ぶと、パラソルの下で砂遊びをしていたエリントンがヘイリーを抱えてこちらにやって来た。シャーロットはエリントンからヘイリーを預かり、「さぁ! 遊びましょう!」と言ったは良いが、あっと何かを思い出したような顔をした。


 どうしたのかとエイヴァが首を傾げていると、ふいに魔法玉が飛んできて、シャーロットの顔の横で止まった。


カッ


「わぁ!? 何!?」


 突然魔法玉が発光したのでエイヴァは驚いて顔を庇った。シャーロットは「なんでもないわ」とにこりと笑い、エリントンの手を掴んで砂浜を走っていってしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最強様、観念なさい あまがみ @ug0204

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画