貴方は最近腹を抱えて息ができなくなるくらい笑っただろうか?
私はこの作品を読んで、息ができなくなるくらい大笑いした。あと一週間これを読むタイミングがずれて、実家ではなくアパートでこれを読んでいたら、アパートの隣人から怒鳴られていただろう。
「〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった」これがKAC20241のお題の書き出しである。
これを見て、本当に「〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった」と書き出す作者はいただろうか?いいやいない。
〇〇と見て私達は何を想像するだろうか?登場人物や物の名前を入れる欄だろう。しかし、この作品において〇〇とは〇〇である。〇〇は〇〇以外の何者でも無いのだ。
〇〇は三分以内に××にならなければならない。しかし、〇〇はアメリカのとある小学校で国語の小テストを受けているアーガイル少年(9歳)の力が無ければ××にはなれない。しかし、〇〇は三分以内に××にならなければならない。そうしなければ世界は滅んでしまうのだ。
途中の作者のエッセイらしき何か、伏線とは名ばかりの伏していない伏線、その伏線により突如現れる「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」
思わず「これは本当に小説なのか?」と感じる混沌とした文章は、それ自身がこの作品の魅力となり、私を惹きつけた。
これを読んでしまった時、私はこう感じたのである。
「私は三分以内にやらなければならないことがある。この小説のレビューを書くことである。」
3月29日 安藤栞
KAC20241のお題は、書き出しが『〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった』であることだ。
○○の中身は『僕』かもしれないし『田中太郎』かもしれない。もしかしたら○○の中身をめちゃくちゃに長くして書き出しと言いながら、それで作品を終わらせてくる飛び道具を使ってくる人もいるのかもなと思っていたし、正直なところを言えば○○をそのまま○○として使うこと自体は想定の一つとしてあった。
だが、この発想はない。
この物語の主人公は答案用紙に書かれた二つの○である。
そもそも彼らに人格を見出そうとしたことが無かったので、この時点で負けを認めないところだが、○○が主人公なのはこの作品におけるジャブのようなものに過ぎない。
伏線と明確に表記される全く伏していない伏線。
一切物語に関係ない作者のフリートーク、フリートーク後に行われる配慮という名のコピペ、KAC20241の自由挑戦お題である『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』を伏線は張っといたからな!と言わんばかりに登場させた時は、説明しないといけないのはそっちじゃないだろ!と叫びたくなった。
ありったけの混沌とネタを詰め込んで、読者に全てのツッコミを預けてこの作品は全てを破壊しながら突き進んでいく。
どういう小説かと言われれば本当に困ってしまうのだが、おそらく、KAC20241で一番大暴れしていたのはこの小説であったと思う。
(KAC第1回アンバサダー企画お題「書き出しが『〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった」/文=春海水亭)