Wife‘s end
夫がインフェクターになった
愛美は幸運に恵まれていると思った。夫である
優人との結婚は二十代のうちにウエディングドレスを着るためのものだった。希望する教会で、希望するドレスを着させてくれる相手を愛美は求めていた。次々に結婚していく友達のドレス姿を愛美は
愛美の容姿は悪くない。むしろ良くてモテていた。出会いを逃さないために美容に対する努力を惜しまなかったし、ドレスの似合う体型もいじしていた。しかし、同年代の彼氏は結婚の話をチラつかせると「まだ考えられない」と逃げてしまう。
そんな中で愛美が目を付けたのが、同じ木材加工会社で働く優人だ。清潔感があるものの、見た目が良いとはお世辞にも言えない、愛美より十三歳も年上のおじさんだ。しかし、独身で派手にお金を使わないタイプの優人はかなりの金額を貯めているに違いなく、愛美の希望する結婚式が挙げられるだろうと思った。
愛美が優人を惚れさせるのに、多くの時間はかからなかった。女慣れしていない優人は「優ちゃん」と呼んだだけでも照れて喜んだ。
愛美の思惑通りに事は進み、憧れの場所で憧れのドレスを着て、六月に最高の式を挙げることができた。隣に立つ男を除いては。それでも友達が羨む様子を見て愛美は優越感に浸った。
優人は子どもを欲しがったが、愛美は「まだ二人でいたいなあ」と甘えて避けていた。次は優人とどうやって別れるかが大きな問題だ。
離婚の理由は優人が原因でなければならない。愛美の勝手な理由で別れて慰謝料を請求されるのは避けたい。それに、夫のせいで離婚せずにはいられなかった可哀想な妻ということにしたかった。
別れる方法を考えているうちに、アンデッド症候群という謎の病が流行した。優人が建てた家は快適に暮らせる場所ではあったが、好きでもない人間と一か月も家に
優人がインフェクターになったと分かった瞬間に、早く始末しなければならないと思った。逃げるよりも家に戻るのが妥当だと判断した。きっと街に行ってもまだ危険であると推測できた。だから、安心して暮らすには優人をこのまま放置しておくべきではない。
血を浴びることがないように離れて攻撃する方法を咄嗟に考える。目に入ったのは愛美でも投げられそうな大きめの石だ。両手で持ち上げて思い切り投げると、奇跡的に頭部に命中し、優人はその衝撃で倒れた。
なぜか優人は上着のフードを頭にかぶり、うつ伏せになった。おかげで血が飛び散ることがなかった。愛美は優人が動かなくなるまで石を投げ続けた。
愛美は車に積み込んだ荷物を急いで玄関に運び入れる。二人で一週間分の食料は一人なら二週間分になる。その間は地下室に鍵をかけて隠れていればいい。外に出た時には事態は良くなっているかもしれない。
トランクの奥に残った最後の段ボールに手をかけると同時に、背中に重みを感じた。肩の上から二本の腕が愛美を包み込むように伸びる。血で染まったその袖には見覚えがあった。近づきたくなくて確認を怠り、優人にとどめを刺せていないことに気づいていなかった。
首になま温かい血が流れるのを感じる。愛美は赤黒く変わる手の色を見て、自分もインフェクターになったのだと悟った。
優人は愛美を抱きしめることが多かった。キスは滅多にしないのに、朝晩のハグは必ずする人だった。
「僕は年齢的に愛美ちゃんより早く死んじゃうから、たくさん触ってたいんだよ」
理由を尋ねるとそう優人は嬉しそうに笑って言った。
「愛美ちゃんはどうして僕みたいな冴えないおじさんを好きになってくれたの?」
「落ち着きがあって頼りになるところとか、好きだよ」
愛美が放つ嘘の言葉に優人は喜んだ。
「じゃあ、もっといい感じのおじさんになれるように頑張るね!」
その時も優人は嬉しそうに笑っていた。
なぜか愛美の頭の中には優人の笑顔が次々に浮かんでいた。好きでもなかったはずなのに、思い出すのは優人のことばかり。
「ねえ、それが、優ちゃんの、攻撃なの?」
インフェクターは攻撃的になるというが、優人はただ愛美にバックハグをしているだけである。
「愛してる」「大好き」
何度も優人が愛美にかけた言葉が繰り返し脳内に響く。それはまるで呪いのように感じた。
これはうざったいほどに愛してくれた優ちゃんからの攻撃だ。きっと愛している演技をし続けた私への罰なのだろう。
愛美にはそう思えた。好きでもなかった夫と過ごした日々を思い出しながら、愛美は意識を失った。
それぞれの終わり 紗久間 馨 @sakuma_kaoru
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