五話 一つ目の歯車

 遙か先まで広がる大草原を四足歩行で走り抜ける小竜達が、その発達した脚力を駆使して大量の荷物を乗せた車両を引いている。


「ふんふふ〜ふふん♪」


 四頭程の小竜が暴走しないようにしっかりと手綱を握りながら、遠方に見える街──『リムス』へと目掛けて竜車を走らせる若い商人の男。


「ふんふ……おーわーッ!」


 整備されているはずの道だが──車輪が小石を轢いてしまったのか、竜車全体が揺れた。衝撃で崩れそうになった体勢を立て直そうと踏ん張っている彼の表情は、鼻唄を歌っていた頃とは違ってとても必死だ。落下せずに済んだことで──ふぅ……という安堵のため息を漏らすと、地面へ落ちてしまった荷物が無いかを確認する為、背後へと顔を向ける。


「ん?」


 顔を向ける──その途中で、何かが視界の下端を上下する。


「……あばばばッ!」


 突如視界へと映り込み、そこに居るのが当たり前かのように竜車の前輪と並走するソレ・・に、やっとのことで退かせた彼の必死な形相も定位置へと戻る。

 

「鎧のお兄さん! 起きてくださぁ〜い! マズイですぅ、本当にマズイんですぅ!」


「……んぁ? そんなに慌てて……どうしたんだぁ? くせっ毛くんよぉ」


 先程の揺れは車輪が小石を轢いてしまったから・・・・・・・・・・・・・・などではなかった。


「ゲヘルプスの群れに囲まれちゃいましたぁッ!」


 あれは──魔獣と衝突した事によって生じた揺れであったのだ。


「うわぁぁあっ! 落ちる落ちるぅ!」


 群れに囲まれた竜車は急停止し、殺しきれなかった勢いのまま先頭車両のみを残して荷台を転倒させる。


「ああ……僕の商品こども達が」


 彼は目尻に涙を滲ませながら、ただその光景を眺めることしかできなかった。


 ゲヘルプス──リムス周辺の草原地域では、全身が緑色の毛に覆われている狼型の魔獣。優れた目を持つ代わりに、何故か嗅覚が機能していない。基本的に群れで確認される魔獣だが、群れ同士で意思疎通ができる程の知能は無く──本能で動いた結果、同じ目標を追いかけることで群れとなる……というのが実態である。


「……ったく、人が気持ち良く眠ってたってのによぉ」


「いや、護衛として雇ってんですから働いてくださいよ!?」


「まぁ、落ち着きなってぇナヨナヨくぅん」


「……何かさっきより悪い呼び方になってる気がするんですけど」


 白色の塗装が剥がれ、所々銀色の部分が見えるほどにボロボロな鎧で全身を覆い、気怠げに体を動かし始めるその男は……身の丈程もある大剣を片手で持つと──そのまま竜車の外へと飛び出ると同時に、こちらを取り囲んでいる魔獣の一体を斬った。


「……こいつらぁ犬みてぇな見た目のくせに姿が見えなきゃ分かんねぇ馬鹿共だから、まだザコザコくんには気付いてねぇと思うけどよぉ」


「いや、だからあだ名がひど……」


「気付かれたらぁ一瞬で死んじまうから──しっかりとそこに隠れてなぁ?」


 唸り声を上げ続ける魔獣達を睨み直す鎧の男。──瞬間、同時に飛び掛かってきた複数体の魔獣を一振りで両断する。


「あぁ……遅せぇよなぁ、そんなんじゃオレの肉を舐めることすらぁできねぇぜ?」


 小竜に食い掛かろうとする魔獣にも対応し、全てを守り続けている鎧の男。ゲヘルプスの群れによる攻撃は決して遅くはない──彼が速すぎた、ただそれだけ。


「気色わりぃなぁ……どんだけいんだよてめぇら。いくら何でも多過ぎんだろうが」


 すると──斬られても斬られても飛び掛かり続ける魔獣の一体、その牙が彼の腕へと届いた。


「やべっ!」


 一瞬、鎧の外側からでも分かるほどに焦りを滲ませる彼だが──。


「──あ……そういやオレぁ、鎧着てんだったわ」


 鎧を纏っていることを本気で忘れていたような発言と共に、腕を地面へと叩き付けることで噛み付いて離さないままの魔獣を押し潰す。重鎧に身を包み、大剣を片手で持ちながら、その見た目からは到底想像できない程の速度で魔獣を斬り回る男は、何事も無かったかのように狩りを続ける。


「……えぇ」


 竜車に身を隠しながら、周囲で奏でられる音のみを聞いて──あの鎧の中には一体どれだけムキムキマッチョなバケモンが住んでいるのだろう……などという想像を膨らませていたザコザコくんは──好奇心からか、一瞬だけ車外へと顔を覗かせてしまった。


「おお〜! 全然余裕そうじゃないですかぁ〜! 全部やっちゃって──」


「あ"ッ!? バカ、お前ッ!」


「──え?」


 本能のままに生きるこの魔獣は、視覚のみが異様に発達している。この激戦の中でさえ、外からはほんの少ししか視認できないであろう商人の肌が一瞬見えただけでも認識し、周囲のゲヘルプス達が反応する。


「……もう一度身を隠せッ! こいつらの視界から外れろ!」


「あ……あぁ……」


 魔獣の視線を一度に浴びてしまったことにより動転し身体を硬直させる商人。彼に鎧の男の指示は届いていない。


「……クソがッ!」


 瞬時に行動を開始した鎧の男は、まとわりつくゲヘルプス達を切り刻みながら竜車へと走るが……既に商人へと飛び掛かろうとしている魔獣の元まで辿り着けそうにない。

 ……このままでは、あの商人が魔獣達に食い殺されてしまう。


「……チッ! しっ──」


 その光景を脳裏に浮かべてしまった彼が、姿勢を屈ませ、何かを唱えようと……──すると、転倒している荷台の後方から……なにやら段々とこちらへ近付いてくる音が聞こえて来た。商人に夢中なゲヘルプス以外の注意が、その何かに向けられる。



「ア”ア”ァァァア〜〜〜ッ!!」


 非常に大きな奇声をあげながら横切って行った、まさしく正体不明のナニカによって……今にも食らいつきそうな勢いで飛び掛かっていた魔獣達は根こそぎ跳ね飛ばされた。


「「……は?」」


 空中に舞っていたゲヘルプス達が次々に地面へと打ち付けられながら、見た目の醜穢さとは正反対の”きゃうん!”という可愛らしい鳴き声を漏らす。


「……なんだったんだぁ? 今のはよぉ」


 些か呆気にとられていた彼だが、その好機を無駄にしない為にも直ぐさま竜車の前へと移動した。


「何だか知らねぇが、ラッキーだぜぇ! ……おらぁッ!」


 商人が視界から消えたことで、狙いを戻し再び彼へと襲い掛かる魔獣達。それをまるで作業のように斬り、瞬く間に残りのゲヘルプスを狩り尽くしたのだった。






 そうして、全てのゲヘルプスを討伐した重騎士は──憤りを含んだ足取りで、竜車の内部へと踏み込んで行く。


「……おい!」


「はいぃ! ちょっとした出来心だったんですぅ! 裸にして草原に置いてけぼりにするのだけはどうかご勘弁をッ!」


 既に足元で丸まっている彼を見て、溜飲を下げた様子の重騎士。


「んなことしねぇし、思いついてもねぇよ……オレにどんなイメージを持ってやがんだてめぇは」


 そう言ってため息を吐くと、丸まったままの商人を掴んで車外へと引き摺り出した。


「これぁ、オレらだけじゃあどうにもならねぇ。小竜共を連れてリムスに向かうぞぉナヨナヨくん」


 その口調に反して商人の両頬を優しく挟むと、見事に壊滅している後続車両へと顔を向けさせる男。


「あ〜これは、流石に追加で人を雇うしかないですねぇ……というか! 僕はくせっ毛くんでも、ナヨナヨくんでも、ザコザコくんでも無いんですけどッ!」


「じゃあ何つーんだぁ? てめぇの名前は知らんし、オレの名前も教えてねぇ」


 重騎士はしゃがみながら両頬を挟んだままの手で、されるがままに正座している商人をこねながら不満を表す。


「……僕、自己紹介してませんでしたっけ?」


「商会の名称だけならぁ聞いたが」


「えっと、カルメです。何か……色々、すみません」


 散々訂正を求めていたにも関わらず、原因は自分にあったことで少しだけ恥ずかしくなってしまった彼は、そんな気分を解消する為にも謝罪を口にした。


「おぉ……そうか。んじゃオレぁちょっとばかし眠っとくから、準備が終わったら起こしてくれやぁノロノロくん」


「自己紹介、関係ねぇじゃねーですかッ!!」


 勢い良く頭を叩かれる重騎士だが、その頭は堅い鎧で覆われているので勿論ノーダメージ。むしろ、叩いた側であるカルメが痛みでのたうち回っているのを見て、鎧の奥から鼻の鳴る音が聞こえる。表情は見えないが恐らく笑ったのであろう彼は──先程の言葉通りに仮眠をとるため、静かに車内へと入っていった。





*********






「ア"ア"ァァァア……あ?」


 辺りを見渡すと、そこは既に荒野などではなく──雑草が生い茂る草原に変わっていた。


「ここは──まさか、また魂が飛ばされたのかッ!?」


 掌で顔を抑えながら、そう大袈裟に驚くフォルテ。だが、視界を黒く覆い切るまでに認識できた腕も、驚いた拍子に発した声も、自分のモノではないが──覚えはある。


「いや、身体は同じだ。しかし、先程とは風景がまるで違う! ということは、『五歳でも覚えられる! 初代勇者が生きていた時代の魔物と魔法!』に記されていた”転移の魔法”が発動したのか!?」


『違うヨ……』


 その声に……温度感の差が著しいことを理解したフォルテは、ゆっくりと表情を真顔へと移行させる。


「いや、脳内に響くこの声も同じ。でも、おかしい……ここに来るまでの記憶が曖昧だ。何か恐ろしい者から逃げてきたような……まさか、災厄のお──」


 再び無駄に迫真的な表情を浮かべながら、無駄に顔を抑え、無駄なリアクションをしようとしているフォルテの言葉を──、


『──違うヨ……って、アレが突然こんな所に現れる訳がないだろう』


 呆れている様子のシエルが、そう否定して遮った。


『もしそんなことが起こったら、今の君では逃げる隙すら与えられずに死ぬのみだ。それになんだい? その胡散臭いタイトルは。転移の魔法なんてモノは存在しない。もし存在していたとしても、肉体を持つ生命体である人間が使用すれば、使用者の身体が分解されて……コレもまた死ぬのみ。……そういうのはあんまり信じない方がいいよ』


 ”胡散臭いタイトルの本”には──魔獣ニグニスに関しての特徴が記されており、少なくともその情報が合致していたことは事実。『五歳でも覚えられる! 初代勇者が生きていた時代の魔物と魔法!』の記述を信じたことによって、ここが二千年前の世界だと受け入れることができたフォルテからすれば、もはや──胡散臭いからという理由だけで投げ捨てられる知識ではない。


『君があの蜥蜴を見つけた時、”あの本で見た魔獣”と言っていたけど……そのような知識を得ることができた本のタイトルはきっと、説得力のあるしっかりとしたモノだったはずだ』


「……そうだな」


 ──違うヨ。


 喉まで出かかっていたその言葉を飲み込んだフォルテ。


『ふふん、そうだろうそうだろう!!』


「………」


 なにやら脳内へと響く誇らしげな声を聞いて半眼になるフォルテ。


 魔獣ニグニスと遭遇した当初、フォルテが”あの本”と口走ったことを彼は知っているが……”胡散臭いタイトルの本”が”あの本”と同一のモノであることまでは知らない。胸中で複雑な気持ちを浮かべながら、世のには知らない方が幸せな事があるのだ……と再認識したフォルテは思う──これが優しさか……と。


『そういえば君、丸一日走り続けてたけど大丈夫かい?』


「え? そんな訳……嘘だぁ〜」


 心霊体験というトラウマへの刺激から殆どの記憶が飛んでいる為、数分程度ならまだしも……丸一日という言葉を信じきれないでいるフォルテ。


『僕はね? ずっと話しかけていたし、ずっと起きていたんだよ。ずっと……ね』


「ゴホッゴホッ!」


 まるで怪談話をする時のような声調でそう言う彼によって、ぽつぽつと何があったのかを思い出し始めたのか、フォルテは大きく咳き込んだ。


「ふぅ……大丈夫過ぎて逆にコワい」


『あんまり大丈夫そうには見えないけど……大丈夫?」


「ああ。水と食事を抜いているとは思えないほどには調子がいい……あんた本当に人間なのか?」


 フォルテは軽く柔軟体操をしつつ……本心からそう、シエルに問いかける。


『失礼だな、人間だよ! そんなことより、途中で何か変なモノを轢いていた気がするんだけど……アレを普通に無視出来るなんて、君は一体どんな精神をしているんだい?』


「変な……モノ? それは一体何の話……お、何か街っぽいのが見えてきたぞ! あんたが言ってた街ってのは、あの街のことであってるよな?」


『……え? ああ、うん』


「よしキタッ!」


『────』


 シエルは、何が起きていたのかを伝えられた後でさえ気にも留めていない様子のフォルテを見て……”あんなにぶつかったのに気付いていなかったの?”やら”何かテンション高くない?”やらの言葉に思考を占領される。最終的には──僕もコワいよ……君が。と、フォルテに対して色々な意味での恐怖心を抱くこととなってしまうのであった。


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勇者に憑って、憑られて!? たゆな @makuamu

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