わずかだけの恋人
サトウ・レン
残りの命は、あとわずか。
三分後に死ぬ俺には三分以内にやらなければならないことがあった。
事のはじまりは、この決意から二分前のことだ。
「今から五分後に、きみは死ぬから」
と告げられたのだ。
若い女性が、アパートの俺の住む部屋を訪ねてきた。見た目は大学生の俺よりすこしおさなく見えるので、女子高生くらいだが、実際の年齢は分からないし、実際の年齢というものが存在するのかも分からない。彼女は人間ではないからだ。彼女がそう言っているだけで、人間の可能性もあるわけだが、俺には確かめるすべがないので、人間ではない、と判断するしかない。
じゃあ何者かというと、彼女は死神らしい。
「じゃーん、死神ちゃん、登場!」
とインターフォンが鳴って、玄関のドアを開けた俺に、まずそう言ってきた。
「セールスはお断りしております」
とドアを閉めると、「違う、違う~」と彼女が閉めたドアをすりぬけて、玄関に入ってきた。だったら最初からインターフォンなんて鳴らすなよ、と俺が思うと、俺の心を読んだのか、「それは、気分の問題」と彼女が言う。このふたつの彼女の特殊な能力を見て、とりあえず俺は、彼女が普通の人間ではないことを受け入れることにした。疑い深い人間ならば、まだ信じないのかもしれないが、俺は生来、この手のことは柔軟に受け入れるタイプだった。
「で、何の用なんですか」
「敬語は堅苦しい感じがして、キライ!」
「じゃあ、何の用だ」
「ちょっと偉そうなのは、嫌い!」
「無茶言うな」
「じゃあ、我慢する」
「お前のほうが、偉そうだぞ」
「私は死神……つまり神だから。人間相手には偉そうにしていい、って行きつけのラーメン屋の店主が言ってたよ」
「それは神ぶる人間の話だよ」
「しかしきみはめずらしいね。私が訪ねると、大体理解が追い付かなくて何も言わなくなるか、変なひとだと決め付けて私を強引に追い出すのに。きみは割と馴染んでる気がする」
「そうかな。で、何の用なんだよ」
「うん。本題に入るね。今から五分後に、きみは死ぬから」
「はっ?」
「あぁ本当は六分だったんだけど、今の会話の間に、一分経ってしまったから、あと五分」
「俺、死ぬの?」
「残念だけど、もうちょっとで死ぬよ」
「こんなにいま、元気なのに」
「私、いつも思うの。私はひとが死ぬすこし前に、事前告知をしに来ます。人間は一秒後の未来だって分からない生物なのに、何故か自分だけは、一秒後も、一分後も、一時間後も、一年後も、十年後も、きっと生きてて当たり前だ、と思うひとが多いなぁ、って」
「そうだな、そう思ってた。正直、五分後に死ぬ、って言われても、ぴんと来ない」
「しゃべっている際中に死ぬこともあれば、突然このアパートが崩壊することだって、もしかしたら、ね」
「それが俺の死の理由なのか?」
「えっと、それはお伝えできない決まり。あと五分……いえ、もう残り四分か。あと残りわずかの命、何かやり残したことはある?」
いきなり聞かれて、俺は困ってしまった。
「やり残したことなんていっぱいあるよ。だけどそれは五分……あぁいや、四分か。四分ではできないことばかりだよ。たったの四分じゃ」
そもそも大学は卒業できないし、就職活動をする前に終活をすることになってしまうし、だからと言ってエンディングノートを書く時間も考える時間も、さらに買いに行く時間もない。好きだったサークルの美咲ちゃんには結局告白できないままだったし、いまから電話して、会いに行って告白する時間もない。せめて想いだけでも伝えてしまうか、と思ったところで、
「あと、三分だよ~」
と死神の間延びした声が聞こえてきた。
あぁ、ゆっくりと考える時間さえもない。
三分後に死ぬ俺には三分以内にやらなければならないことがあった。
よし駄目でもともと、美咲ちゃんに電話して告白しよう。美咲ちゃん、俺の短い生涯、最初で最後の恋人になってくれ、と願って、スマホに触れようとしたところで、その指を止める。もしも振られたならそれでいいが、これ、もしも成就した場合、美咲ちゃんは恋人をすぐ亡くすことになる。大変悲しいことだ。俺を好きな可能性のほうが低いとは分かっているが、俺のことを好き、という可能性もゼロではない。俺にとってそれは嬉しい奇跡だが、その奇跡が起きると、美咲ちゃんにとってはできたばかりの恋人がすぐに死ぬ悲劇になってしまう。
やめよう。
「あーあ、恋人、人生で一度くらい欲しかったなぁ」
とつぶやく。投げやりに。あと、二分くらいだ。
まぁいいやこのまま、死んでしまおう。
ふと死神を見ると、死神がほおを赤く染めていた。
「あ、あの、あの。いきなりそう言うのは、良くない、と思います」
「うん?」
何を言ってるんだ、この死神は。そして焦っているせいか、敬語になってるな。無理してキャラをつくってたタイプなのかな。あるいは人間界には神を狂わせる瘴気でもあるのだろうか。
「あの、せめて最初はお友達から」
「お友達?」
「だって恋なんて、そっちの生き物だけの話だと思ってたから。そっちの物語を読んで得た知識しかなくて」
耳年増というやつだろうか。
「そうなんだ」
「あの、友達、お友達からです」
「いや、俺って、もうあと二分しか生きられないんだよな……、というか、もう一分半くらいか。その短時間で、友達の過程を経るのは、無理じゃないか?」
「えぇ、あぁ、うぅ」
表情をころころと変える彼女が、すこし愛おしくなってきた。彼女が嫌じゃないなら、これもひとつの幸せかもしれないな。
「付き合おうか。わずかだけの時間だけど」
「は、はい。じゃ、じゃあ、お友達の期間は、さっきの一分間です」
「その期間、そんな大事なのか」
「絶対です。絶対必要です!」
「わ、分かった、分かった」
残りはもう五十秒を切っただろうか。
俺は彼女にキスをする。お互いの口がぶつかるような拙いキスだ。すこし痛い。というかいまさらだが、死神に触れられる、というのも不思議な話だ。
残りは三十秒。
俺は彼女の膝の上に、頭を乗せている。あとわずかな時間でできる、数少ない恋人らしいことだ。
「なぁ、俺がどういうふうに死ぬか知ってるんだよな」
「はい」
「じゃあ、俺が告白するのも知ってたんじゃ」
「いやそれは知りませんでした。知ってるのは、どんな死に方をするか、だけです。だからこんな光景、想像もしていませんでした」
彼女が、にこりとほほ笑む。
「そっか」
「そうです」
残りはあと何秒だろう。細かくは分からないが、あとわずかだけだ。
「向こうでも一緒になれるかな」
「……なれるといいですね」
言葉にためらいがある。きっと嘘なのだろう。死神も嘘をつくのか。
あと一言が限界だろうか。
俺は彼女に伝える。
「愛していま
わずかだけの恋人 サトウ・レン @ryose
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