J海岸の幽霊鮫

ハル

第1話

 もともと、心霊スポットめぐりが趣味だった。


 どうせならそれで金を稼げないかと思い、YouTubeを始めた。


 だが三年経っても、再生回数の伸びも登録者数の伸びも芳しくない。


 怪奇現象に遭遇しないわけではないのだ。ただ、面白みのない映像しか撮れないのである。ガラスに映る白い顔のようなものとか、部屋の隅にたたずむ黒い人影のようなものとか、墓地を飛ぶ火の玉のようなものとか――。その程度では、現代人のすれた心はつかめなかった。


 そろそろ潮時か……。


 そう思っていたとき、


「先輩先輩、J海岸にサメの幽霊が出るらしいっすよ!」


 相棒で撮影担当の山田がそんな噂を聞きこんできた。


「はぁ!?」


 思わず非難がましい声を上げてしまう。


「おまえなぁ……猫とかキツネとかタヌキが化けるって話ならともかく、サメの幽霊なんて聞いたことないぞ」


 だいたい、サメは体こそ大きいがれっきとした魚だ。魚に憎しみや怨みや未練なんていう感情があるのか――?


「そんなことないっすよ! 水さえあればどこにでも現れる『ゴースト・シャーク』とか、ウィジャボードから現れる『ウィジャ・シャーク』だっているんですから」


「どうでもいいわ」


 ――山田はB級以下の映画が好きなのだ。


 だが結局、オレたちはJ海岸に行くことにした。もうYouTubeをやめてもいいと思っていたのだ、サメの幽霊なるものが出なくても――十中八九どころか千中九百九十九は出ないだろうが――ダメージは受けない。J海岸まではオレの家から車で三十分程度だから、かかる時間もガソリン代も大したことはないし、寒くも暑くもない季節だし。


「えーと今日はぁ、サメの幽霊が出るという噂の、S県のJ海岸に来てまーす」


 我ながらやる気のない声でリポートする。夜空には雲一つなく、銀貨のような満月とダイヤモンドのような星々が輝いていた。月光を反射する凪いだ海、夜目にも白い砂浜、規則正しい波の音。


 どうせなら山田なんかじゃなくて、可愛い女の子と一緒に来たかったな――。


 ぼんやりそんなことを考えていると、


「せ、先輩、あれあれあれ!」


 山田が海の一点を指差した。そこには確かにサメの背ビレが突き出している。


 もちろんはじめは、幽霊なんかじゃない生身のサメだと思った。だが、近づいてくるにつれて違うとわかった。背ビレが半透明でうっすら光っていたからだ。


「すごい! 『ゴースト・シャーク』と一緒だ!」


 山田が子どものように飛び跳ねた。


「おい、下らねぇことで感動してる場合か! 撮影しろ撮影!」


「あっ、そ、そうでした!」


 だが山田がカメラを向けたとたん、背ビレはすっと海の中に消えてしまった。幽霊ザメが出なくてもダメージは受けないと思っていたくらいなのに、いざ撮影に失敗すると猛烈な悔しさがこみ上げてくる。


「バカ野郎! おまえのせいで絶好のチャンスを逃しちまったじゃねぇか!」


 山田を小突くと、


「ほ、ホントごめんなさい! 夜食おごるから許してくださいよ~」


 山田は両手を合わせて拝むように頭を下げた。帰り道、「天下無双」のラーメン大盛り(チャーシューと味玉とネギとノリのトッピングつき)をおごらせることで手を打った。



 それから毎週、オレたちはJ海岸に通った。


 幽霊ザメは毎回のように現れ、ときには顔を出したりジャンプしたりもするのだが、カメラを向けると必ず姿を消してしまう――まるで超能力でもあるかのように。サメには微弱な電流を感知するロレンチーニ器官というものがあるらしいが、まさかそれを使っているのか。


 あんなにはっきり見えるのに、映像には残せないなんて……。


 オレは次第に苛立ちを募らせ、


「どんだけドンくさいんだよ!」


「マジで使えねぇヤツ!」


「おまえなんかと組んだのが間違いだった」


 山田に当たり散らすことが増えていた。だが山田は決して怒らず、おどけた謝罪をするばかりで、それがますますオレの苛立ちを煽るのだった。


     ***


 初めて幽霊ザメを目撃してから約四ヶ月後。山田が今度は、オレの家とJ海岸のあいだに別の心霊スポットがあるという噂を聞きこんできた。ある廃屋に血まみれの女の幽霊が現れ、脚にしがみついてくるというのだ。


 その週はJ海岸に行く途中で車を停め、山田にくだんの廃屋に案内してもらった。懐中電灯の光を頼りに、よどんだ空気の中をそろそろと進む。数々の心霊スポットをめぐって培ってきた勘が、ここは本物だと告げていた。


 と、誰かに脚を引っ張られた。


「うわあああっ!」


 悲鳴を上げて振り向くと、噂どおり血まみれの女が脚にしがみつき、這いのぼってこようとしていた。恨みがましい瞳、その周りの異様に青白い白目、血の気のない肌。


「やめろやめろやめろぉぉぉっっっ!!!」


 尻もちを突き、ぶんぶんと脚を振った。女が離れるやいなや地面を蹴り、全速力で車に戻る。


「待ってくださいよ~!」


 山田が情けない声を上げて追ってきた。ホント、ドンくさいヤツ。


 それでも家ではなくJ海岸に向かってしまったのは、YouTuberの業というものか。


「い、いまの撮れたか!?」


 山田にそう訊いてしまったのも。


「撮れましたけど……撮れましたから……今日はもう帰りましょうよぉ」


 山田は半泣きで言ったが、そう言われると意地でも帰るものかという気になる。


 J海岸に着き、いつもどおりしばらく海を睨んでいると、半透明の光る背ビレが現れた。


 今日は山田がカメラを向けても、背ビレは消えなかった。それどころかどんどん近づいてくる。


「よっしゃあ!」


 オレはガッツポーズをとった。できるかぎり近くで見たくて、膝が浸かるまで海に入る。さっき死ぬほど怖い思いをしたことさえ、きれいさっぱり忘れていた。


 そのとき、幽霊ザメが顔を出し、ギザギザの歯がずらりと並んだ口を開けて――オレの太ももに食らいついた。


 ……え?


 こいつ、幽霊なのに人を食えるのか……? いやそうだ、人間の幽霊にだって人を殺せるヤツはいる……。けどいままではずっとカメラから逃げてたのに、オレたちを襲おうとするそぶりさえ見せなかったのに……。


 そんな疑問はたちまち激痛と恐怖に掻き消された。


「ぎゃあああああっっっ!!! た、助けてくれぇぇぇっっっ!!!」


 海に引きずりこまれていくオレの耳に、


「あははははははは!!!」


 山田の狂ったような笑い声が飛びこんできた。オレを助けようとしてくれないばかりか、もがき苦しむオレを撮っている。


「いい気味だ! いままでさんざんオレをバカにしてこき使いやがって! サメの幽霊なら人間の幽霊の血に惹かれるんじゃないかと思って、あんたに血の臭いをつけるためにあの家に連れてったんだよ! あの女がオレじゃなくてあんたにしがみつくように、こっそりこいつを身に着けてさ! 評判どおり効果抜群だったぜ」


 山田はおふだと思しき細長い紙をひらひらさせた。


「や、山田! オレはおまえをバカにしてたわけじゃないんだ! キツいこと言っちまったのも信頼してたからこそで……。そりゃちょっと人使いが荒かったかもしれないが……」


 オレの必死な言い訳も、山田の耳には届いていないようだ。


 ――最期にオレの頭をよぎったのは、山田はこの動画をYouTubeに投稿するんだろうか、投稿したら何回再生されるんだろうかという思いだった。

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