壊れた彼氏とゴッドハンドの孫

尾八原ジュージ

Samba☆

 十年前に死んだおばあちゃんが、「こんなもん叩いたら直る」って言いながらよくテレビとか電子レンジとか洗濯機とか殴ってて、実際八割くらい直ってた覚えがあるんだけど、もしかしたらあれは世間一般的なやつじゃなくて、おばあちゃんがゴッドハンドだったのかもしれない。でもだったら、孫のあたしもゴッドハンドなのでは? 隔世遺伝とかあるのでは? と思いつつ実は自分でもパソコンとかの挙動がおかしいときによく殴ってて、実際四割は壊れるけど五割は普通に起動して、あとの一割はちょっと、なんか前と違う動きしてない……? って感じになるけどとにかく使えるようにはなってたから、やっぱりそこそこゴッドハンド的なやつは遺伝してたかもしれない。

 とにかく「結婚を前提にまずは同棲しよう」って新居に引っ越した最初の日の夜、彼氏が「ごめん、好きな子ができた。別れよう」って言ってきたとき、あたしは彼を殴った。さすがに家電と完璧に同レベルで壊れたとは思っていない――はず、でも人の心って複雑らしいから、無意識下では家電的な扱いで「壊れた!」と判断したのかもしれなくて(何年も付き合った彼氏って、もはや生活必需品的なとこないですか?)、とにかくパソコンをバチンとやるのと同じテンションで手が出ちゃった可能性は結構あった。ちなみに言っておくと普段から殴ってるわけではないです。ラブラブでした。週末に遊園地とか行ってたしセックスもしてました。なんならちょっとマニアックなプレイもしてました。うん、やっぱり彼ってば壊れたのかもしれない。同棲初日に別れ話なんて。

 とにかくあたしは彼氏を殴った。右手の拳が彼の左の頬骨に当たって痛かったけど、何だろう、なぜかすごく親密になった感じもした。彼氏はリビングの中央、まだ寒いからって出しておいた炬燵を巻き込みながら倒れ、直ったかなと思ったら残念ながら直ってなくて、「本当にごめん、引っ越したのにごめん、親にも挨拶したのにごめん、でも好きになっちゃったから自分の気持ちに嘘はつけないっていうか実は相手が妊娠してて」とかなんとか言いながらビービー泣き始めて、あたしは思わず「このクソ野郎!」と叫んだ。殴る前よりもっと酷くなってしまったみたい。殴り所が悪かったのかな――ええっと、こんなときどうすればいいの!? おばあちゃん! あたしは心の中で祈りを捧げた。するとどこからか、天の声みたいなのが答えた。

(もう一発殴るのです……)

 なるほどね! あたしは天の声に従って殴った。もう一発。なんかあんまり直った気がしなかったのでまた殴った。彼が両手をかき回すように伸ばしてあたしの拳を防ごうとするので「大丈夫だよ! 直してあげるだけだからね!」と励まし、もう一発殴った。顔ばっかり殴ってるからいけないのかもしれないと思って、今度はお腹を蹴った。彼氏は排水溝みたいな音を立てて、さっき食べたばかりの夕食のハムカツとか千切りのキャベツとかピンクの漬物とかを吐き出した。お前、別れ話の前に飯食ってんじゃないよ! あたしも一緒に食べたけども! うーむやっぱり壊れている。壊れてなかったら人間こんなバカみたいなことしないもの。ああ神様! おばあちゃん! あたしの彼氏を直してください! するとまた天の声が聞こえた。

(もうちょっと違うとこ蹴ってみたら?)

 なるほどね! あたしは四つん這いになってゲロでべとべとの口元を拭いながら泣きながらひいひい呼吸をしている彼氏のお尻の方に回って、股間を思いっきり蹴り上げた。すごい悲鳴が上がった。ギャーともウワーとも違って、何だろう、とにかく文字で書けないような、死にそうな獣みたいな声だと思った。もう一回同じところを蹴り上げたとき、なにかカチッとスイッチが入るような音が聞こえた。あれっ今の何? と思った次の瞬間、彼氏の全身が突然七色にビカビカ光り始めた。なんたること、この局面においてあたしのぶん殴り修理における勝率、すなわち「四割は壊れるけど五割は普通に起動して、あとの一割はちょっと前と違う動き」の一割が出てしまうとは。何これスゴーイとは思ったけどこういう方向での改善は望んでいないので、もう一回同じところを蹴り上げるとごっぽぉと音をたてて彼が胃液を吐き、その胃液もビカビカに光っていて最早リアクションに困る。カーテンの向こう、窓の外から「なにこの部屋超光ってない?」みたいな声が聞こえてきて、あっ恥ずかしいこれ外から見えてるんだということに気づき、引っ越した初日にこの醜態はほんとつらい、一刻も早くこのビカビカを止めなければ! で、あたしはもう一度彼の股間を蹴り上げ、それから同じことをしても進歩がないと気づいて今度は逆をやった。蹴り上げたのがまずかったなら、今度は下げてみる。足を高く振り上げ、頭上からの踵落とし! 見事に決まった。べちょんと音をたてて、彼氏が自分のゲロの上に倒れた。七色の光がスーッと消えていき、あたしはほっと胸をなでおろす。よかった~何で発光したのか一ミリもわかんないけどとにかく終わった〜と油断したところで、今度は彼氏の口と耳から大音量の『Samba De Janeiro』が流れ始めた。陽気なリズム、紛れもなく名曲、誰しも一度は聞いたことがあるだろうメロディーに合わせて、セクシーでキラキラな衣装を身に着けたダンサーたちが勝手に玄関や掃き出し窓を開けて続々と部屋に突入し、狭いリビングの中で炬燵を囲んで踊り始め、こんなオプションまで仕込まれていたことにあたしは驚きを隠せず、混乱のまま彼氏の股間をもう一度蹴り上げると音量はさらに上がり、なぜか七色の光も復活して彼氏の全身が痙攣し始め、これ本格的に壊れたやつかもしれない、あたしの拳はゴッドハンドではなく死神の鎌だったのかもしれない、もはや何もかも忘れてダンサーたちと一緒に踊りたくなったけどそれをやっちゃうともう朝までコースになってますます近所迷惑になることがわかっていたので、股間を蹴るのはもうおしまい、彼氏の頭を掴んで炬燵の天板に叩きつけると、ふいに音楽もゲーミング的ピカピカも止まった。ダンサー達はあたしにハグをしたりキスをしたりしながら賑やかに撤収し、まるで嵐が通り過ぎたあとのようなリビングには、あたしと、ぴくりとも動かなくなった彼氏が取り残された。

 試しにもう一度頭を殴ってみたけど、彼氏はもうゲロも吐かなければ悲鳴も上げない。あたしは急に心臓がすごくドキドキし始めて苦しくなって、とにかくもう別れ話はなくなったよね、もうその女に会ったりもしないよねって言いながらキッチンに向かい、デザートにしようと買っておいた彼氏の好物のタルトタタンを切り分けてお揃いのお皿に載せ、なぜか流れてきた涙を手の甲で拭った。これからどうしよう。

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