諏訪野 滋

 どうして飼育係になったのか、彼はその経緯についてはよく覚えていない。

 しかし、元来口数が少なく内気で友達が少なかった彼にとって、亀とただ一人向き合っていればよいその係は、案外好ましいものであるようにも思われた。


 仕事といっても、幼稚園児ができることなどたかが知れていて、先生と一緒に水を換えたり、一日一回餌をやったりといった程度のものである。

 教育の一環として飼育というものを利用する際に、犬などと違って散歩などに連れて行く必要もなく、手間がかからないという面において、亀というものは実際都合の良い動物であったに違いない。


 亀には、クラスの公募にて「太郎」というありふれた名前が付けられた。

 彼は毎日、水面に落とした餌がゆらゆらと沈んでいくのを眺めながら、すぐには動こうともしない亀を飽きることなく見つめているのだった。


 そうこうしているうちに、終業式となった。

 夏休み中の亀の世話は、必然的に飼育係が受け持つことになった。

 幼稚園の校舎は夏休みの間は閉鎖されてしまうので、亀は彼の自宅へ運ばれて、そこで世話を受けることになった。

 彼の家には水槽すいそうなどはなかったので、ありきたりな水色のバケツの中で亀を飼うことにした。

 しかし彼は彼なりに図書館で借りた本で亀の飼育法について調べ、河原でとった砂利じゃりを底に敷いたり、割れた植木鉢で日よけを兼ねた隠れ家を作ってやったりと、さまざまに心を砕いていた。

 それは亀に対する愛情からというよりも、飼育係という責任感がそうさせたものであったのかも知れない。




 その日の朝、彼は少し寝坊をした。

 すでに陽はぎらぎらと高く、ただ座っていても汗の粒が腕に浮かんでくるような蒸し暑さだった。

 彼はコップ一杯の水を飲み終えると、習慣になっている亀の餌やりのために、ベランダの日陰においてあるバケツを覗き込んだ。


 その途端、彼はみぞおちにずんとするような重苦しさを覚えた。

 そこに、亀はいなかった。

 彼は一縷いちるの望みを抱いて、隠れ家の屋根である植木鉢の破片をひっくり返してみたが、そこももぬけの殻であった。

 底の砂利も掘り返してみたが、無駄であった。

 どだい狭いバケツの中に、亀が完全に隠れられる場所など存在しないのである。


 彼は捜索そうさく範囲を広げた。

 庭の草むら、木陰。

 家周りの側溝。

 マンホールのふたまで開けようと試みたが、幼稚園児の力では無理であった。


 なぜ。

 手足の極端に短い亀が、つるつるした深いバケツをい登れるものであろうか。

 あるいは、猫か。

 彼は、以前飼っていたハムスターが猫にやられたことを思い出していた。


 なぜふたをつけておかなかったのか。

 玄関に入れておけばよかったのか。

 後悔してもあとの祭りであった。

 彼は、もはや事態が自分一人の手には負えなくなってしまったことを悟った。


 仕事から帰ってきた母に、彼は亀が失踪しっそうしたことを告げた。

 泣くつもりはなかったが、泣くよりほかになかった。

 彼の母も驚き、再度周囲を探してみたが、やはり手掛かりはなかった。

 母親は連絡簿れんらくぼを取り出し、先生に電話をかけた。

 自分の母が何やら先生と話している間、彼は恥ずかしさに真っ赤になっていた。


 もう、合わせる顔がないと思った。

 自分は先生とクラスの皆の信任を得て飼育係となったというのに。

 電話を終えた彼の母は、先生が何とかしてくださるから心配しなくてよい、とだけいった。

 亀も、信頼も、自尊心も、何とかなるはずはなかった。

 夏休みがこのまま終わらなければよい、と念じて過ごしながら、彼の残りの夏休みは終わった。




 始業式となった。

 あの後、先生からは何の連絡もなく、彼の母も亀については触れなかった。

 もとより彼は、自分から切り出すこともできなかった。


 彼はいつもより早く登園した。

 幼稚園は彼の狭い世界の中で大きな割合を占めており、そこから逃げ出すわけにはいかなかった。

 教室に入ると、後ろの隅においてある水槽を、彼はうらめしくも眺めた。


 そのとき、何かが水槽のガラスをたたく音を彼は聞いた。

 彼ははっとして水槽に駆け寄ると、慌てて中を覗き込んだ。

 そこには、はたして亀がいた。

 しかし飼育係であり毎日太郎を眺めていた彼には、その亀が太郎とは似ても似つかないことにすぐに気付いた。

 なにより一回り大きく、甲羅こうらには太郎にはなかった数条の黄色のしまが、目立ってはっきりと入っていた。


 彼は、先生が代わりの亀を、何かしらの方法で手に入れて水槽に入れておいたことを知った。

 しかしああ万事休す、これでは飼育係の彼でなくとも、この亀が太郎と入れ替わったことはだれの目にも一目瞭然いちもくりょうぜんであろう!


 やがてクラスの友達が三々五々、教室に入ってきた。

 彼は、教室の後ろを振り向くこともできず、じっと黒板をにらみつけていた。

 今にも誰かが水槽を覗き込み、大声を上げるのではないか。

 彼に、亀が入れ代わったことについての疑問をただしてくるのではないか。


 しかし皆は終業式の続きであるかのように、追いかけっこをしたり、テレビの話などにきょうじているのであった。

 そして先生が入ってきて氏名を一人一人読み上げ点呼を取った後、夏休みの課題を集めたり、新しい学期の予定などを話したりしているうちに、あっという間に下校となった。

 先生は、彼に特別話しかけることもなく退室していった。

 友達の一人が帰り際、太郎は夏休みの間に大きくなったねえ、と彼に話しかけ去っていった。


 そんなはずないじゃないか、とは言えなかった。

 羞恥しゅうちと疲労、それに奇妙な安堵あんどをごちゃまぜに抱えたまま、彼も帰路についた。

 太郎の名をそのまま継いだ亀を入れた水槽の水面が、午後の陽光に鈍く光っていた。




 その後のことについては、特段述べるようなこともない。

 彼は以前の通り飼育係として、やはり水替えと餌やりを毎日きちんとこなし、やがて幼稚園を卒園した。


 いまでも彼はふと思う。

 なぜ太郎が入れ替わったことについて、誰も彼を責めなかったのか。

 幼稚園児が前後の事情を察することができるはずはないにしても、薄々うすうす感づいた上で、彼に気を使っていたのだろうか。

 先生が事前に、彼のいないところで皆に事情を説明したとは考えにくかった。

 しかしもっと別の、彼にとって悲しくとも都合の良い可能性はあった。


 皆にとっては「亀」であればそれでよく、それは特段「太郎」でなくても良かったのではないか。

 もっといえば、覗き込めばいつでも愛玩あいがんできるような存在であれば、亀でなくとも何でも良かったのではないか。

 そしてそれは先生にとっても同様で、教育の一環として生徒の情動の発達をうながせるような教材であればそれで十分であり、今回たまたまそれが「亀」という記号であったに過ぎなかったというだけの事ではないのか。


 彼も今や大人となった。

 会社で働き、帰宅すれば妻と息子が待っている。

 夫、父親、会社員、町内会の役員、同窓生、友達。

 そこで周囲が必要としているのは、「記号」としての彼ではないのか。

 もちろん人間は関係性の動物であるといってしまうのは簡単である。

 周囲との相対性でしか自己を認識し得ないということも、また一面の真理であろう。


 しかしそうであるならば、「亀」ではなく「太郎」であることには、何の意味もないのか。

 太郎と同じように彼が誰かに置き換えられてしまったときに、ひょっとするとこの世界は何事もなかったように回っていってしまうのではないか。

 それは彼にとって、とても恐ろしい考えだった。


 そこまで考えた時、彼は、自分だけは太郎の存在を決して忘れないように、とちかいなおすのだった。

 あれから長い年月が過ぎ、いまや太郎の事を覚えているのは、恐らく彼しかいない。

 そして彼の記憶の中に存在している限り、太郎は亀ではなく太郎としてあり続けられるのだから。

 それが、太郎を失った彼の責任でもあった。

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諏訪野 滋 @suwano_s

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