第3話 無駄夢中
トン、トン、トン。
「はぁい、どうぞぉ」
脳まで蕩かせるような甘い声がドアの向こうから聞こえる。
ごくりと唾を飲み込み、何度目かのチャレンジが始まった。
狐野宮陽太郎退職チャレンジ、スタートです。
「ターニャ様」
「あらぁ、ヨータロー様。こんな夜更けにどうされましたかぁ?」
「ターニャ様にお届け物です」
入って正面の机の向こうで何かの書類を片付けていたターニャ様の前に退職届を置く。
今日は知らん顔で配達作戦でやってみる。ちなみに今までやってきたのは『平身低頭土下寝作戦』『号泣しながら訴える作戦』『ドSご主人様演じて受領させる作戦』など、様々な作戦をしてみた。
だがそのどれもが失敗に終わっている。
「あら、手紙ですかぁ。どうしてヨータローさんがぁ?」
「そこでたまたま受け取ったので」
「自分の仕事を全うしないなんて、良くないですね~。……誰ですか?」
スッと細くなる目が俺を射抜く。先ほどまでのほんわかとした雰囲気は一切なく、ただ人を咎め、罰する為だけの圧が部屋を埋め尽くした。
拙い。存在しない人間を用意してもターニャ様相手は絶対にバレる。
「だー……れだっけかなぁ……見ない顔でしたね……」
「そう。なら新人ですね。最近入ったのは」
「すみません、僕です。僕が自分で持ってきました」
「ヨータロー様。貴方はどうしていつも嘘をついて退職届を持ってくるのですか? 貴方の力は神に与えられた素晴らしい力なのに、どうして辞めたいのですか?」
「拷問したくないからですよ! もう何回も言ってるじゃないですか?」
「拷問なんてしてるんですか?」
「……」
あれが拷問じゃなかったら一体なんだっていうのか。
ていうか俺以外の古参の人間がやってることの方がよっぽど拷問だ。鞭打ったり爪剝がしたり皮剥がしたりとかもうめちゃくちゃやってるって事務所で自慢されたこともある。
それもあって辞めたい気持ちが加速していくのだが、魔聖女様は検討もしてくれない。
「私たちは新たな信者様に神の素晴らしさを説いているだけで、拷問なんてしてませんよぉ」
「ターニャ様はそう思ってるかもしれないですけど、これって世間的には拉致監禁+拷問なんですよ」
「そんな、犯罪じゃないですかぁ!」
「そうなんです! 犯罪なんですよ!」
「それはきっとうちとは無関係の人間のしていることなので、衛兵に突き出しましょう!」
尻尾切りだった。これ以上ないくらい、明確な尻尾切りを目の前で見たのは人生初めての経験です。
はぁぁ、とため息を吐いたターニャ様は広げていた書類をかき集めてトントン、と纏めた。
そして書類越しにこちらをジーっと見つめる。
「そんなに辞めたいんですか?」
「! 辞めたいです!」
「でしたらこちらのお薬を飲んでもらいますねぇ」
「え」
机の引き出しから出てきたのは黄色と黒の2錠の錠剤だった。
コップも水も用意されない。唾液で飲めというのか……。
いや、そんなことよりも気になるのはこの薬の効果である。
「こちらの黄色い錠剤を飲むと、仮死状態になりますぅ」
「初手からやばい」
「で、この黒い錠剤。こちらは今までの記憶が全部消えますねぇ」
「終わってる!」
「ここで見たことや聞いたことは絶対に他言無用なのですが、守ってもらえることが少ないのでぇ……保険ですぅ」
何が保険か。こんな薬、健康保険協会が黙ってないぞ。
「さぁ、飲めば楽になりますよぉ……?」
「飲め、ませんよ……こんなの!」
「でしたらぁ、明日からもまた、よろしくお願いいたしますねぇ♡」
失意の中、俺は自室へと戻った。手にしていた退職届を机の上に放り投げ、自分の体もベッドに放り投げる。
息苦しくなるまで枕に顔を埋め、寝返りを打って天井を見上げた。
「はぁぁぁぁぁ……薬で脅すとは思わんかった……」
これ以上の退職チャレンジは難しいかもしれない。だってあの薬は最終手段だもの。
仮死状態で、記憶まで失って……廃人となった俺を市井に放り出す。
右も左も分からない俺は相当運が良くない限り、野垂れ死ぬだろう。ターニャ様はそれも見越しているに違いない。
ふわふわとした声に男を魅了する顔と体。魔性の女とはまさにあの人のことだろう。
今日見たあの冷たい表情……あれがきっと本性に違いない。
「何が魔聖女だよ……聖の字取っちまえよ……」
一人、部屋で上司の文句を言うのは今も昔も変わらない。
そのままいつの間にか気を失っていた。と言うと大事のように聞こえるが、寝た。
すると不思議な夢を見た。俺がめちゃくちゃ楽しそうに拷問をしているのを、天井の辺りから見下ろす夢だ。
場所は俺の部屋。拷問している相手はターニャ様。椅子に座らせ、両手両足を椅子に縛り付けて色んな所を攣らせていた。
「ほらほらぁ、受領してくださいよぉ!」
「いたぁぁぁぁい!!」
「してくれないなら全身攣らせますよぉ?」
「いやぁぁあっ!」
ターニャ様は泣きながら痛みに悶え、俺はそれを見て悦に入っていた。自分のドス黒い感情を、退職届という言い訳で隠しながら拷問をしていたのだ。
興奮して豹変した自分を見ている冷静な自分という不思議な空間だった。その空間の熱も、匂いも、空気に混じる味のようなものすら感じる程に濃い夢。
そして最も不可思議だったのは、俺とターニャ様の視線がずっと合っていたことだ。
もちろん、それは拷問をしている俺ではない。中空で浮かんでいる俺とだ。痛みに目を潤わせ、紅潮した頬はまるで興奮しているかのようだったが、そんなターニャ様と目を合わせ続けるのは精神的に辛かった。
俺も男だ。こんな美人がそんな顔をしていたら、劣情があーだこーだしてしまうこともある……かもしれない。
そんな俺の感情に釣られたのか、夢の中の俺もどんどんプレイが激しくなっていく。プレイってなんだ?
結局俺は夢の中で意識が薄れていくまでずっとターニャ様と目を合わせながら浮かんでいた。
目が覚めるとそこは自室で。ターニャ様なんてどこにもいなくて。
「なんだったんだ……」
まったく理解が追い付かないが、もしかしたら、ターニャ様がなんか魔法でも掛けたのかもしれない。
俺にあんな夢を見せて、どういうつもりなのか……それが分かったら苦労はしない。
結局俺は何も分からないまま、今日も仕事に行く。机の上の退職届は昨日よりも皺が増したような気がした。
ユニークスキル『こむら返し』の腕を買われてカルト宗教で拷問官をしてる俺、辞めたいのだが今日も魔聖女様が辞めさせてくれない 紙風船 @kamifuuuuusen
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