第2話 一転八起

「こちらが今日の信者です」


 そう紹介されたのは猿ぐつわを嚙まされ、反抗的な目をした女だった。

 これが日本ならすぐに警察が突入してくる案件だなぁなんて場違いなことを考えるが、それはこちらの世界も一緒だった。

 つまりこれは、拉致監禁です。


「じゃあよろしくお願いします」

「……はい」

「あなたにかかれば彼女もすぐに神の素晴らしさに気付くことでしょう」


 目の部分だけくり抜いた直立するすごく長い二等辺三角形の頭巾を被った信者が退室する。

 残ったのは僕と拉致られてきた女性だけ。

 信者を見送った後、ため息交じりに振り返ると女はキッと僕を睨んだ。


「睨んだってどうしようもないですよ」

「うぐぅ! ふぅぅ!」

「はいはい、とりあえず外しますけどね」


 猿ぐつわを外すと溜まっていた唾液が女の胸に垂れ落ちる。

 口と猿ぐつわを繋ぐ唾液の糸は限界まで耐えて、ぷつりと切れる。

 僕は手についた唾液を服で拭うと、その様子を見て女は顔を赤くしながら背けた。


「あんた……一体何しようっていうの!?」

「あなたに神の素晴らしさを説きます」

「こんな誘拐するようなカルト宗教の神なんか、くたばっちまえ!」


 まったく威勢のいいことだ。いやまぁ、この状況ではこういう反応をするのが正しいだろう。

 僕も同じ立場だったし、そういう反応をした。

 だからこそ同情もできるのだが、こちらはこれが仕事なので手を抜けないのが辛かった。


「えーと、我らが神は痛みと共に」

「何言って……いったぁぁぁぁぁぁぁい!!」

「あなたは神を信じますか?」


 聖典という名のマニュアルを開き、じっと見た太ももに我がユニークスキル『こむら返し』が作用する。

 こむら返りのこむらとはふくらはぎのことを指すらしいが、実際に攣るのはふくらはぎだけじゃない。

 太ももだって攣るし、背中だって攣る。肩も攣るし脛も攣るし、聞こえは嫌だが首も攣る。

 僕は僧帽筋が攣った時が一番辛かったなぁ。


「いったぃ……いたあああああああ!!」

「痛いでしょう? 逃れたいのなら、神を信じなさい」

「やめ、うぅぅぅぅ……!」


 端から見なくても自分がやっていることは最低な行いだ。

 当然、自覚しているし、あの時『やります』なんて引き受けたことをちゃんと後悔している。

 1回のミスでまさかこんな、拷問官になるなんて思わないじゃない。


「あなたは神を……」

「信じるから! 信じるからやめてーーー!」

「よーし」


 パタンとマニュアルを閉じ、こむら返しを解除してやる。

 脂汗を浮かべて荒い息を吐く姿はちょっと煽情的だが、抵抗する元気もないだろう。

 座らされている椅子の後ろに向かい、縛られていた腕を解いてやる。


「あなたの中に神が見えます。痛みと共に舞い降りし神に祝福されたあなたは、えー……なんだっけ……あ、我らのともがらです」

「はい……」


 実際、こんな痛めつけるだけで神様を信じるようにはならない。

 大事なのはここで痛めつけて無理やりにでも神を信じると言わせることだ。

 疲弊しきった信者候補者は地下牢に繋がれ、毎日僕の拷問を受けることになる。そうやって選択肢をだんだん減らしていくのだ。


 本当に神を信じるようになるまで、毎日。


「すみませーん、終わりましたけどー」

「あ、はーい」


 ドアの向こうに声を掛けると見張り役が鍵を開け、運搬担当の信者が二人、中へ入ってくる。

 壁に立て掛けてあった担架に手際よく女を乗せると、さっさと退室していった。

 残った僕は三角頭巾を脱ぎ、備え付けの魔法製冷蔵庫から冷えた水を取り出し、一気に飲み干した。


「ふぅ……」


 これが最近の僕の日常だ。人を拷問して給料を得ている。週に何度かの休みはあるが、使う金額よりも貰う金額の方が大きくて貯金は増える一方だ。

 しかし心は擦り減る一方だ。僕が拷問するのは拉致られてきた最初の人がメインだ。

 だから一番肝心な拷問なのだが、反応が新鮮過ぎて心が痛い……。


 何度か拷問されていく内に、彼らの心には信心の気持ちが生まれてきて感謝の念すら生まれてくる。

 そういった人間をシバくのはプロの拷問官たちだ。僕みたいな甘っちょろいお試しコースではなく、もっと色々な器具とかを使うガチの人たちである。

 彼らもまた信者だから、神を信じ始めた者たちをこちら側へ引き込むのに必死なのだろう。僕からすれば拷問だが、彼らにとっては教育なのかもしれない。


「ヨータローさん、次が来ますよ」

「うぃーっす」


 扉の向こうにいるのは見張り役のジョニィ君だ。彼が見張るのは拷問から逃げようとする被害者と、手抜きをするかもしれない拷問官の両方。

 僕は幸いにも枢機卿自らの採用だったのである程度の信頼値からスタートしたので良好な関係を築けている。

 そう、あの頭突きのおっさん、枢機卿だったのだ。名前はロスボロス=グランツ。相当偉い人らしい。


「次の信者です。おらっ、大人しくしろ!」

「ぐぁっ! くそ、いってぇなぁ!」


 拉致担当が連れてきたのは、またもや反抗的な目をした人間だ。今度は男だ。20歳くらいだろうか。

 こっちは相当暴れたのか、もう殴るという選択肢が出ているようで痣だらけだ。

 それに猿ぐつわもしていない。手の付けられない暴れん坊……そういう印象だ。


 だが彼にも筋肉はある。筋肉がある限り、僕の拷問からは逃れられない。


「ではよろしくお願いします」

「はい」

「あなたにかかれば彼もすぐに神の素晴らしさに気付くことでしょう」


 マニュアル通りの締めの挨拶をして拉致担当が退室し、ジョニィ君が外から鍵を閉める。

 彼がいる限り、仕事が終わるまで退室できないのが辛い。でもトイレもあるし、冷蔵庫もある。不便はない。強いて言うなら電子レンジが欲しいくらいだ。

 さて、椅子に縛り付けられた男は鋭い三白眼で僕を睨みつけた。


「だせぇ頭巾」

「……」

「なんだその直立三角。脳天から棒でも生えてんのか?」


 僕だってこんなだせぇ頭巾かぶりたかないよ!


 息苦しいしだせぇし見づらいし暑いしだせぇし……いいことなんて一つもない。

 いや、一つはあるか……顔がバレないからこんな仕事をしていても普通に外を歩ける。

 身バレしてたら捕まるからね……これは歴とした犯罪です。真似しないでください。


「なんとか言えよ三角頭」

「我らが神は痛みと共に。あなたは神を信じますか?」

「はぁ? 信じねぇ……っってぇぇぇぇええ!!!」


 感情は抜きだ。腹が立とうが腹が減ろうがこれは仕事だ。給料貰ってやっているのだから手は抜けない。

 懐から聖典と取り出し、ジッとふくらはぎを見つめる。本来の名前通り、こむら返りをした男は座ったままもんどり打ってドッタンバッタンと暴れまわる。

 一度スキルを解除し、椅子ごと倒れた男を座りなおさせ、ぎゅっと肩を掴む。


「あなたは神を信じますか?」

「だから信じ……ぁぁっぁぁああああああ!!!」

「神は痛みに宿ります。あなたが神を信じれば、痛みは祝福となるでしょう」


 我ながら言ってる意味が分からない。しかし聖典にはこう書かれているのだ。書いた奴はイカレてる。

 この聖典を書いたのは魔聖女様だ。聖女なのに頭に魔がつくのは、このカルト達が崇めているのが魔神様だからだ。

 自分達でも邪神って理解しているから聖の前に魔をつけているのだろう。そういう理性はあるのにこんなことをしているのだから理解できない。


 男はかなりの時間を耐えたが、広背筋を攣らせたところでギブアップした。

 だいぶ粘ったからか、時間も時間ということで本日の拷問は終わりということで、頭巾を脱いだ僕は仕事部屋を後にした。

 ジョニィ君と談笑しながら廊下を歩き、突き当りで左右に分かれる。


「じゃあまた明日。……いや、明日は休みだっけ」

「うん、多分ライナーが担当になるんじゃないかな……じゃあお疲れー」

「お疲れー」


 ジョニィ君と別れ、与えられた自室に戻った僕は肺の中の息を全部吐きながらベッドに倒れこむ。

 顔だけ動かし、見た先にある机の上には皺の多い退職届が置かれている。

 何度も提出し、突き返された歴戦の退職届である。


「今日も行くか……」


 残った気力でベッドから抜け出し、退職届をひっつかむ。

 向かう先は職場の上司の元だ。枢機卿のロスボロスは当てにならない。何度こむら返しても頑なに受け取ろうとしなかった。

 それからはもっと上の上司の元へと向かうようになっていた。


 すなわち、我らが魔聖女様であらせられるターニャ様である。

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