第三話 あと一分

 高校二年生の夏の俺には一分以内にやらないといけないことがあった。


 それは、――そろそろ文字数稼ぎと取られても仕方がないので――第一話と第二話を参照してほしい。


 が、駅に向かう道すがらの切り株を文字通り木っ端みじんにし、ド根性大根よろしくアスファルトからよろしくしているタケノコをぶち折り、なんか知らんけど通学路に生えてる謎のキノコをついでに消し飛ばす。


 待ち合わせ場所『ハートとリンゴの生命の樹』は、そろそろ見えてくるところだ。俺はスマホの時計を確認する。ギリギリ遅刻は確定だ。と、そこで俺は気づいた。スマホがあるではないか。と。彼女さんに待ち合わせに遅れる連絡を入れなければ。うっかりしていた。これもバッファローのせいか……。


 俺は慌てて、スマホのメッセージアプリを起動する。彼女さんの連絡先は――付き合う以前に、部室のカギの都合で――交換済みだ。

 俺はお詫びのメッセージを打とうとして気づいた。彼女さんから数分前に、遅れる旨のメッセージと両手を合わせるウサギのキャラクターのスタンプが送られてきている。ああ、なんてことだ。俺は即座に自分も遅れる旨のメッセージとお詫びのスタンプを返した。すぐに既読がつく。


 とりあえず、これで大丈夫だ。あとは、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが、待ち合わせのオブジェまでに止まってくれればよいのだが。そう思ってスマホから顔を上げようとしたとき「え?俺くん?」と横合いから彼女さんの声がした。


 ここで問い。次の交通事故における甲と乙の過失割合を答えよ。


 場所:見通しの悪い信号機のない交差点(十字路) 道幅は同等で、一時停止標識などはなし。

 甲:全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れと俺。

 乙:全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れと彼女さん。

 状況:甲がスマホを見ながら時速二百キロで交差点に進入したところに、乙がスマホを見ながら時速二百キロで横から衝突した。


 彼女さんに怪我がないよう、抱き合うような形で吹っ飛んだ俺。横転する視界の中で、彼女さんとの待ち合わせの場所『ハートとリンゴの生命の樹』――アダムとイブがここで誕生したとか……。そんなもんが日本の片田舎にあってたまるか――がやけにはっきりと見えた。


――――


 二週間ほど前、俺は映画研究会の部室で、秋の映画コンテストに提出する三分間のショートムービーを編集していた。彼女さん――まだ付き合ってはいない――も、俺の後ろで自習していた。下校時間はすでに過ぎていて、部室には俺と彼女さんの二人だけ。彼女さんが参考書をめくる音と俺のヘッドホンから漏れる映像素材の音だけが、世界の中に響いているようだった。


 俺は、フリーのバッファローの群れの素材とビルの崩れる素材、逃げ惑う学生たち――演劇部の部員を拝み倒して撮らせてもらった――をカットでつないでいく。これでお題ののできあがり。CGの予算もないB級映画の常とう手段だ。


「これ、どういう話?」彼女さんの声が聞こえた。やれやれ、勉強していたのではなかったか。俺はヘッドホンを外して、振り返る。ディスプレイをのぞき込んでいる彼女さんの吐息が意外に近くて、俺は慌てる。映像を彼女さんに見えやすいようにした体で、俺は急いで椅子を引いた。


「あぁと、話の方は未完成。とりあえず、お題の全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを作ってる」俺はバッファローの群れの素材を再生する。

「で、これをどうにかして封じ込める話にしようかと思っている」

 なんかまだしっくり来ていないんだけどね。と、俺は大げさな困り顔で付け加えた。

「なんか本能を理性が抑え込む的な話? やらしいんだぁ」彼女さんはいたずら気に笑った。リップクリームでも塗っているのか、つややかな唇から、八重歯がのぞいた。


――ドッドドッドドッドッ――


 ヘッドホンから漏れ聞こえるバッファローの群れの足音がうるさい。

 俺は、恥ずかしくなって、目をそらした。

 彼女さんも黙ってしまった。


――ドッドドッドドッドッ――


 部室にはバッファローの足音だけが大音声で響いていた。


――ドッドドッドドッドッ――


「ところで……。俺くんって、好きな子いたりする?」

 彼女さんが沈黙に耐え兼ねて、唐突に問う。


――ドドドッドドドッ――


「この部屋にいる」俺は考えうる限りもっともアホな返しをしていた。


――ドドドドドドッ――


「え? 私?」彼女さんは半笑いで答える。


――ドドドドドッ――


「……じゃあ、付き合っちゃおうか?」彼女さんははにかんで言った。

 肩まで伸びた髪が揺れた。


――ドドドドッ――


 俺はに突き飛ばされた。

「付き合おう」俺は立ち上がって彼女さんを抱きしめていた。


――ドドドッ――――ドッドドッドドッドッ――


「……なんちゃっ……て……?」彼女さんの小さい声は、バッファローの足音に埋もれた。俺が立ち上がった拍子にヘッドホンのステレオプラグが抜けていた。


――ドドドッ――――ドッドドッドドッドッ――


彼女さんは困惑の混ざった笑い顔をしていたが、俺の目をみて、目をつむった。


――ドドドッ――――ドッドドッドドッドッ――


 俺はに突き動かされるように彼女さんに顔を寄せていき……。


――ゴンゴンゴンッ――


「まだ、誰かいるのか~」見回りの先生が部室をノックする音で現実に引き戻された。


――――


 と、まあ、そういうわけで、俺と彼女さんは付き合うことになった。


 そして、今現在。俺は彼女さんと遅刻と衝突事故についてお互い謝りあっていた。幸い衝突については大した速度ではなかったらしく、特に怪我もない。

 バツが悪そうな笑顔で謝る彼女さんは、ノースリーブのフリルのついたブラウスに、ロング丈のパンツで、かわいらしくもかっこよくもあった。


 落ち着いてきて、俺は空腹を覚えた。そういえば、朝を食べていない。彼女さんに聞くと、彼女さんもまだとのことだ。俺たちは駅前の喫茶店で軽く食べることを決めると歩き出した。


 彼女さんが俺の腕に腕を絡めてくる。

 柔らかい感触が二の腕に伝わって俺は……。


 ――ドッドドッドドッドッ――


 当面、このと付き合う必要がありそうだった。


 ああ、そういえば、交通事故の過失割合についての解答がまだだった。

 正解は0-0ラブオールである。




 ――――


「ところで、その大きい金具ついた上着、ちょっとダサくない?」

「あれ? かっこよくない? 黒き雷光ブラック・ライトニングみたいで」

「……お菓子?」

「今度、コミカライズ版、貸すから読んでもらっていい」

「考えとく……」

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道程~初デートに遅刻しそうなんだが、どういうわけか俺はバッファローに乗っていた~ 黒猫夜 @kuronekonight

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