第二話 あと二分
高校二年生の夏の俺には二分以内にやらないといけないことがあった。
それは、人生で初めてできた彼女さんとの、人生で初めてのデートの待ち合わせ場所に向かうことである。だが、俺は寝坊し、遅刻寸前であり、どういうわけか全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに巻き込まれていた。
そして今、全てを破壊しながら(以下略)は、遮断機が下りようとする踏切を、足の悪いおばあちゃんを乗せて、東南アジアの水牛耕田で見かけるイメージ映像のごとく、急いでゆっくり――文字通りの牛歩である――渡っていた。
唐突だが、俺は黒い服が好きである。なぜなら、悪いやつはたいてい黒い服を着ているからである。いや、高校生にもなって、悪いやつにあこがれる、よくある中二病を引きずっているわけではない。
高校二年の春、俺は映画研究会の部室で、彼女さん――当時はまだ彼女さんではなく、ちょっと気になるけど苦手な同級生――に講釈を垂れていた。
「普段から利己的で他人に迷惑をかける人間は、社会において最終的には守ってもらえない。つまり、利他的で理性ある人間であることは、社会において、意味のあるリスクマネジメントであり、究極的に利己的な行動だと思うんだ」
彼女さんがボランティアに参加した話への当てこすりである。どうしてわざわざ意地悪な言い方をしたのかは自分でもわからない。当時の彼女さんの反応はよく覚えていないが、気を悪くした様子ではなさそうだった。
彼女さんは高校二年になると受験に専念したいとかとのことで、陸上部を辞め、彼女の友人のつてで映画研究会の部室で自習をするようになっていた。その日はたまたま、部室には俺と彼女さんだけだった。
「なので、俺は黒い服が好きだ。黒い服は悪そうに見える。悪そうな恰好をしている奴に対して、周りの人は悪いことをするんじゃないかと目を向ける。監視カメラを向けられているのと同じだ。それにより、俺は自分を理性的であろうとより律することが……」
「そんなことより、なんかここ、エッチなの隠してたりしてそうじゃない?」
彼女さんは俺の話に飽きて、部室の棚を物色し始めた。まあ無駄である。これがマンガであれば、絶対見つからない隠し場所――知らずに開けると発火する机の引き出しの二重底とかそういうやつだ――に隠してあるから大丈夫だと、俺が独り言ちるところであるが、友人がそういうものを持ち込んで洒落にならないことになりかけたので、本気でそういうものは持ち込ませてない。
俺も喋りすぎたなと思って、部室据え付けのパソコンで、今年の秋に開催される三分間の映画コンテストの募集要項を確認する作業に戻った。お題は「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」 なんだこれ。絶対に「面白い」―― interesting ではなく funny ―― になるやつじゃないか……。俺は、脚本をどうしようかと頭を抱えた。
――ドッドドッドドッドッ――
いや……正直に言うと、半分は嘘である。
高いところの棚を開けようと伸びあがる彼女さんのスカートから伸びる健康的に日焼けした太ももや、ロッカーの隙間をのぞき込む首半ばまで伸びた髪から除くうなじや、机の下をのぞき込むときに服の裾から見える背中が気になって仕様がなくて、俺は旧式の分厚いディスプレイにかじりついているふりをした。
話を戻そう。
まあ、つまり、利他的で理性的であることは、俺が十七年という短い間生きてきて得た処世術であり、一つの信念であった。
よって、彼女さんとの初デートに遅刻しそうな今、現在においても、踏切を渡ろうとするおばあちゃんを助けないという選択肢は俺にはなく、全てを破壊しながら突き進む(以下略)も、どうやら従ってくれるようだ。
おばあちゃんと踏切を渡りきる。残り一分弱。どうやら、遅刻は確定したようだ。
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