最果ての夕凪

鍵崎佐吉

終点

「なあ、あんた。こんなところにいったい何の用だい」


「へえ、そりゃあご苦労なこった。でも生憎そんなやつらは見かけてないよ。しかし宇宙海賊なんてまだいたんだな。とっくに壊滅したもんだと思ってたよ」


「ん、俺か? ここの住人さ。ラルフとでも呼んでくれ」


「ああ、いい、いい。他人の肩書に興味はねえんだ。そんなものはここじゃ何の意味もないからな」


「え? そりゃあ、まあかまわねえが、言っとくがここは観光地なんかじゃないぜ。宇宙の最果てに忘れ去られた座礁船さ。見る価値があるものなんて何もないと思うがね」


「はあ、そうかい。あんたも物好きだね」


「まあ待ちなって。これも何かの縁だ。中を案内してやるよ」


「別に嫌ならいいけどよ。いたるところで漏電やら崩落やらが起こってるからな。あんたの幸運を祈るよ」


「……そうそう、人の好意は素直に受け取っとくもんだぜ」


「ちなみにここは左舷後方、昔は掘削用の重機なんかが積んであった場所だ」


「なんでって、そりゃあこの船は開拓船だからな。ここにある間は役立たずのデカ物だったが、地上につけばいずれ必要になる。まあその前に全部吹っ飛んじまったがな。あんたが入って来たあのでっかい穴はその時に開いたのさ」


「さあな。あの時何が起こってたのか正確に把握してたやつは誰もいねえよ。ただ、事件と事故、その両方が同時に起こってた。多分どっかの馬鹿が暴動を起こして、ここの何かに引火したんだろう。そのせいで当事者は皆塵になっちまった」


「まあ十年も前の話だ。真相なんてもう誰も知りたがらねえよ」


「ここが居住区だ。今でも大半の乗員はここに住んでいる。揉め事を起こした奴らといかれちまった奴らは他所に行ったがな」


「なに、そう珍しいことじゃない。ここは大した娯楽もねえし、今となっちゃあでかい棺桶みたいなもんだ。耐えかねた連中は暴力に縋るかノイローゼになるかのどっちかだ」


「もとからヤバい奴ってのも一定数はいたけどな。新天地を求めて、なんて言えば聞こえはいいが、賞金稼ぎや借金取りから逃れるために後先考えずにこの船に乗り込んだような奴もいる」


「それでも出発当初は活気があった。これから第二の人生を初めて、宇宙の一番端っこに俺たちの国を創ろうってな」


「だけど開拓ってのはロマンに満ちた冒険じゃない。結局は企業が主導する一つのビジネスに過ぎなかった。俺たちがそのことに気づいたのはあの星に着く一月前、誓約書にサインするよう求められた時だ」


「あの星の地表に存在するものは大気の一分子に至るまで全部奴らのものだった。奴隷同然の服従を誓わない限り俺たちは呼吸することすらできなかったのさ。それが嫌ならここから出ていけ、なんて言いやがる。こんな宇宙の果ての何もない場所で」


「つまりこの船に乗り込んだ時点で俺たちに自由なんてなかったんだ。最初から全部決められたことだった」


「あんたはどう思う? そんなの間違ってると思うか? それとも俺らの愚かさを嘲笑うか?」


「へえ、そうかい。まあひとまずは言葉通りに受け取っておこう」


「ところであんた、腹減ってないか。俺は減った」


「おいおい、違うって。単なる食事の誘いだよ。ここにだって飯が食える場所くらいある」


「そうさ、ここで自給自足してるんだよ。メインエンジンと管制システムはやられてるが水耕プラントはまだ生きてる。レーションよりはましなものが食えるはずだぜ」


「そう遠慮すんなって。こういうの、旅にはつきものだろ」


「そこが俺の馴染みの店だ。接客は悪いが味は保証するぜ」


「ああ、当然金は使えないぞ、物々交換だ。あんた何か持ってないか?」


「おいおい冗談だろ。善意のボランティアに飯までたかろうってのか? そりゃないぜ」


「そうそう、こういう時は支えあいだよ。あんたもわかって来たな」


「そうだな、腰についてるそれは? 携帯照明か、いいね。じゃあこいつで払っとくよ」


「そんじゃ、旅人さんに乾杯」


「な、結構食えるだろ?」


「あの食用藻をちゃんとした料理にできるってのはある種の才能だよ。ここ以外では誰にも評価してもらえないだろうがな」


「ああ、あれか。落日軒ってのはこの船のことさ。洒落た名をつけたつもりなんだろうが、自虐にもなっちゃいねえ」


「フロンティア・サンセット号、それが正式名称だ。まあ知らなくても無理はねえ。十年前からここはもう船ですらないからな。壊れかけのガラクタの城さ」


「あの地平線に沈みゆく夕陽を追って、ってな。いかにも企業が考えそうな夢のあるスローガンじゃないか」


「まあ俺は本物の夕陽なんか見たことはないがな。ステーション生まれだったんでね。あんたはどうだ? ……そうか、なるほどね」


「別に期待してたわけじゃないが、一度くらい本物の地面の上で生活してみたかったんだ。その方が人間として自然な生き方に近づけるような気がしてな」


「ああ、食器はそのままでいい。気づいたら勝手に回収するだろうさ。……はあ、そうかい。あんたも律儀だねえ」


「じゃあ次は艦橋にでも行ってみようか。何があるわけでもないが、まあそれはどこも似たようなもんだ」


「事故が起こる前は当然普通の乗員は立ち入り禁止だった。操縦自体は機械が勝手にやってくれるが、その機械のメンテナンスをする人間は必要だ。多分そいつらが一番悲惨だったろうな。企業側の人間でありながら俺たちと同じようにあっさり切り捨てられたんだ」


「大半のやつらは使い捨ての開拓民でしかない俺たちのことを見下してたが、中にはそうじゃない奴もいた。といってもとっくに死んじまったが」


「気が弱いくせに頑固な奴でね。最後までずっと企業から迎えの船がやってくると信じていた。妻と娘が帰りを待ってるんだ、ってな。そんなもん、とっくに事故死扱いにされて保険金で優雅な暮らしを送ってるだろうに」


「それでもあいつは幸せだったと思うよ。帰るべき場所があったんだから。たとえそれがただの思い込みだったとしても」


「で、ここがお待ちかねの艦橋だ。あの馬鹿でかいスクリーンでポルノの鑑賞会なんかやってたんだが、半年くらい前から何も映らなくなっちまってた。残念だったな」


「通信システムは一応生きてはいるが、中継基地がねえから結局どこにも届かない。今更届いたところで何の意味もないだろうが」


「救助? あんた、面白いこと言うねえ」


「こんなド辺境、やってくるだけでも相当なコストがかかる。それをいったい誰が負担する? コストに見合うだけのリターンは皆無だ。慈善事業にしたってそれだけの金があればもっと有益な使い方ができる」


「当然事故のことは企業側も把握してるだろうが、だからこそ自分たちの失態を公にはしたくないんだろうさ。わざわざ隠蔽なんかしなくても事実確認にくる奴なんていない」


「そして何より、ここ以外に俺たちの居場所なんてないのさ」


「これか? エレベーターだよ。最後にこの船の心臓にお連れしよう」


「もう長いこと使ってないが、まあ多分大丈夫だろ。……そんな顔すんなって、これでも当時の最先端技術を結集させたすげえ船だったんだぜ」


「ほら、ちゃんと動いた。ちょっと揺れはするが」


「企業の連中は機械の耐久性には手を抜かなかった。生産効率に直結する要素だからな。ただ、人間の耐久性は考慮しなかった。肉体と精神、両方の面でな」


「神聖なる資本主義の原理によれば、俺たちはコスパのいい労働力でしかない。その代わり機械とは比べ物にならないほどのエラーを吐く。そんなものに頼っちまったのがそもそもの間違いさ。まあ船の方に金をかけすぎたんだろうな」


「どうだ、旅人さんよ。この十年で宇宙の仕組みは少しは変わったか? 人の尊厳とか、社会の在り方とか」


「そうか。まあ、そんなもんだろうな」


「さあ、到着だ。ここがフロンティア・サンセット号の中枢部、第一制御室だ」


「最初に言ったろ、見る価値があるものなんて何もないって。まあそれはあんたがただの観光客だったらの話だが」


「どうせここに用があったんだろ? この船で未だに利用価値が残ってる部分と言ったらここしかないからな」


「そこの端末からメインコンピューターにアクセスできる。好きなだけ見て、必要なデータがあれば持っていけばいい。今となっちゃもう誰のものでもないんだ。咎める理由もないさ」


「最初からわかってたよ。こんな場所にやってくる奴は二種類しかいない。追うものか、追われる者かだ。でもあんたはそのどちらでもなかった」


「そうなりゃ残る可能性は一つしかない。企業の犬だ」


「安心しな、詮索はしねえよ。俺だってあんな奴らとはもう関わりたくないんだ。ただ、あんた個人には少し興味があった」


「そういうわけで案内料代わりに一つ頼みがあるんだが、聞いてくれるか」


「ああ、あんたならそう言ってくれると思ったよ」


「俺をあの星に連れて行って欲しいんだ。この船が行くはずだったあの星に」


「ああ、それだけでいい」


「送ってくれるだけでいいんだ」


「ありがとう」




「……大気が薄いな。風も強い」


「けど、なんだろうな。悪くない気分だ」


「感謝するよ。やっぱりあんたはいい奴だ。企業の犬にしてはな」


「これでようやく、一つだけ夢が叶う」


「達者でな。あんたは俺らみたいに切り捨てられるなよ」


「さて……」


「くだらない人生だった」


「でも」


「こういうのも悪くないか」




 宇宙の果ての無人星にあるはずのない骸が一つ。真実は闇に沈んだまま、今日も星々は廻っている。

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