3分後、この宇宙ステーションは全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れと衝突する

さめ72

宇宙バッファローの群れ


 宇宙飛行士エーラ・イーには三分以内にやらなければならないことがあった。

 全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れに対処しなければならないのだ。


 誰が名付けたか、大宇宙開拓時代。

 人類の技術は遂に閾値を超え、いくつもの宇宙ステーションを飛ばし、未だ厳しい選抜を経た超人たちに限ってではあるが、宇宙空間での現実的な日常生活を実現していた。

 

 その中でも彼女、エーラ・イーは宇宙空間での出産を経験した最初の人類である。

 もちろん身籠もった状態で宇宙へ飛んだわけではない、宇宙での生活の中で授かった子宝だ。

 夫であるスーゴ・イーも当然ながら宇宙飛行士であり、特に医療に長け、第一子であるカーワ・イーも医療AIやメカニクスによる補助はありながら彼自身が取り上げた。

 遠心力による擬似的な重力下での一幕であるとは言え、両者とも超人的な技術と体力であることに疑いはないが、それだけの偉業を成し遂げられたのはやはりこの夫婦の絆と精神力、そして愛による賜物である事は特筆せねばならないだろう。

 

 彼らはまさに人類の希望の象徴であった。


 ・・・


 思えばその日は最初から様子がおかしかった。


 ステーションは地球から遥か遠く、定時連絡や報告をするのにも通信に酷く時間がかかる。

 だが、ステーション間であれば意外とレスポンスは悪くなかったりする。

 それを利用して通信にメッセージを乗せ、ステーションからステーションへ回覧板の要領でグルグル回すことで簡易的なメッセンジャーアプリ――その内容が他愛ない雑談が殆どを占めている事を考えれば、いっそSNSと言ってしまっても良いかもしれない――が成立していた。

 研究内容の報告を含めたレギュラー通信にこの方式が採用されていないのは国家間の政治的な事情も絡んでいるのだろうが、少なくともこのささやかなやりとりは、どの国も黙認してくれていた。

 孤独の闇に包まれる彼ら宇宙飛行士にとって、このか細い日常こそ心を重力に繋ぎ止める唯一の安らぎだと分かっているからだ。

 だから、彼らはどんな些細なメッセージでも心を込めて返している。

 エーラの子煩悩トークにもうんざりしながら付き合ってくれる彼らの人となりはよく知っている。


 そんな彼らから――返信がない。


『早く家族や友達に我が子を紹介したい! ああそれと、母なる地球にも!』


 反応なし


『帰還までが本当に待ち遠しいわ、早く帰りたい! 第二子を授かる前にね!』


 反応なし

 

『カーワの青い目はまるで宇宙から見た地球みたい。大地から仰ぐ空の色を早く見せてあげたい』


 反応なし

 

 嫌な感じだ。

 いよいよ彼らがうんざりしたという可能性もないではないし、所詮はステーションのアンテナ越しの通信だ、どこぞの恒星のフレアによる電波障害で吹けば飛ぶような通信である。

 それにしたってここまでパッタリと途絶えるものだろうか? ノイズぐらいは混じっても良さそうなものだ。

 

 胸に去来する不安。

 

 なんだか途端に自分たち家族だけがこの宇宙に放り出されたような気がして、エーラは身を震わせた。

 念の為、夜間――このステーションでは生活リズムや体内時計の調整の為、時間ごとに細かくライティングを変えている。夫スーゴの拘りだ――ステーションの制御や施設の防衛をAIに任せず、交代でのシフトにしたのは失敗だったかもしれない。

 一人で摂氏マイナス270℃の暗闇を見つめていると、イヤな想像ばかりが働いてしまう。

 ――らしくもない。

 頭を振り、制御AIにコーヒーを頼もうと口を開いた瞬間……警戒アラートが響いた。

 慌ててコンソールに目を向ける。

 広範囲レーダーで探知され、光点の横には制御AIが予測される存在名称を補記してくれている。

 そこに書いてあったのは――


『宇宙イカ S.S.3Ab5』


 ふうっ、と気が抜けて背もたれに深く身を沈めた。

 

 ――よくあることだ。


  人類が宇宙に大きく進出した結果、我々が300年前に観測していた宇宙は極々狭い世界でしかなかった事が明らかになった。

 

 宇宙を駆ける、全身銀色のイカ――のような何か。


 あるいは銀色のクジラ――のような何か。


 こんな存在、宇宙船地球号の外ではあまり珍しくもなかったのだ。

 

 彼らにコチラに危害を加える意思はないし、不運にもバッティングしてしまっても少し威嚇すればすぐどこかに行ってしまう。

 とはいえ、それでもやはり黎明期にはそれなりの死傷者も出たようで、未知の宇宙生物にヒステリーじみた恐怖が蔓延した名残でステーションの対防衛措置はやや過剰な装備となっている。

 やれやれと改めてコーヒーを頼もうとしたが――違和感に、眉を顰めた。


 宇宙イカの軌道がおかしい。

 まっすぐこちらに向かってきている。 


 エーラの見慣れた彼らの動きはフラフラと捉え所がないのが常だ。

 それがこちらにまっすぐ向かってきている?

 この動きは――そうだ、この動きも見慣れている。


 ――何かから逃げている時の動きだ。


 AIに指示し、宇宙イカを光学的に目視できるまで拡大する。

 その後ろにいたのは――


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。


 デブリや小惑星を土埃のように踏み散らしながらこちらへ駆けてくる無数のバッファローだ。

 あまりにも現実離れした光景に意識が一瞬飛びかける。

 それをどうにか堪えて現実と向き合えたのは、彼女が優秀だからに他ならない。


 ――あの宇宙バッファローの群れは恐らく、レーダー探査用の波長を破壊する性質を持っているのだろう、そうだと仮定する。


 だから突如として現れたように見えたのだ、それだけの話だ。


 胡乱な絵面に目を瞑れば、状況はシンプルだ。


 全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れが、宇宙イカを追っている――狩っている。


 眼の前のそれだけが現実だ。

 思い切り自分の頬を張り喝を入れると、エーラは制御AIに指示を飛ばす。

 そして――周囲の暗黒を取り込んで擬装されていた宇宙ステーションが、その白銀の姿を現した。

 

 対宇宙生物用兵器の一つとして、そもそも無用な接触や刺激を避けるために多くのステーションにはその姿を光学的に擬装する装置が搭載されている。

 先程までこの宇宙ステーションは周囲の情景を出力し、あの宇宙イカからは全く見えていなかったのだ。

 だから偶然こちらに突っ込んできていたのだろう。


 即ち、こちらがあえて擬装を解けば、宇宙イカとてわざわざ衝突しながら逃げたくはなかろうし、別方向に逃げれば全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れもそれを追って進路を変えるだろう。


 エーラらしい的確な判断であった。

 実際、慌てて方向を変えた宇宙イカは軽やかに身を翻し彼方へと飛び去った。


 問題は、全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れは、依然としてこちらにまっすぐ向かってきている事だ。

 

 口汚く罵り、壁に拳を叩きつける彼女を誰が責められるだろうか。

 

 制御AIに宇宙ステーションの姿を隠すよう指示しても、進路は変わらない。


 全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れ。


宇宙ステーションまで到達するまでAIが算出した残り時間は――

 3分。


それまでに手を講じなければ、彼女は……愛する夫と我が子は、死ぬ。


 エーラはパニックを起こさない。

 それが彼女を人類の希望を背負う超人たらしめている最大の要因と言ってもよいだろう。

 絶望しながらも希望を失わず、その優秀な頭脳をフル回転することが出来る。

 それが彼女の最大の武器であった。


 ――他のステーションと連絡が途絶した理由がきっとこいつらだ、こいつらの標的にされたのだ。

 ――今からでも攻撃を行うか? 小惑星を踏み砕く怪物相手に? 時間の無駄だ、他のステーションの攻撃もきっと効かなかったのだろう。

 ――夫を起こす意味はない。状況把握させる時間も、議論する時間もない。

 ――いっそ全てを諦めて愛する家族と共に褥の中で死ぬか? 論外だ。


 エーラ・イーは決して諦めない。


 ――そもそもなぜ宇宙バッファローの群れは宇宙イカを追い、こちらにターゲットを変えたのだ?

 ……そうだ、そういえば。


『宇宙イカ S.S.3Ab5』


 あの宇宙イカには別のステーションの識別タグが付けられていた。

 S.S.3……3番星系。

 6番星系まで遠路はるばる、随分と遠くから来たものだ。

 ずっと追いかけてきたのか?

 違う気がする。

 ……いや――ああ、そうか、ワープか?

 宇宙イカの生態への仮説として、単独でワープ航法での移動が可能だという論文があった気がする。

 一笑に付されていたが、そうだと仮定する。

 宇宙バッファローは恐らく、かなり執念深いが、同時にかなり移り気な性質なのだろう。

 一度狙いをつけた獲物はたとえワープしたとしても次元を超えて追いかける。

 その癖、新しい獲物を見つければそちらにターゲットを切り替える。

 そうだと仮定する。

 では、宇宙イカと宇宙ステーションの共通点は?


 ……まさか。


 まさかとは思うが。


 ――『ピカピカしていてキレイ』?


 牛は赤い色に興奮するという俗説がある。

 実際の所、アレは闘牛士が持つムレータが観客に見えやすいように赤くしていることから生じた誤解であり、牛が怒っているのはヒラヒラした布……もっと言えば闘牛士本人だ。

 

 だから本当にバカバカしい、突拍子もない仮説だ。

 正しい保障は何一つない。


 ――だが、『もしそうだと仮定すると』。


 ――策はある。


 ――『あってしまう』


 エーラの優秀な頭脳がその一か八かの馬鹿馬鹿しい作戦を出力する。


 愛する家族の写真が視界の端に映る。



『早く家族や友達に我が子を紹介したい! ああそれと、母なる地球にも!』


『帰還までが本当に待ち遠しいわ、早く帰りたい! 第二子を授かる前にね!』


『カーワの青い目はまるで宇宙から見た地球みたい。大地から仰ぐ空の色を早く見せてあげたい』




 衝突まで残り1分です。

 無機質な声がエーラの背中を無情に押す。

 


 エーラ・イーは決断した。


 船外作業中、帰還しやすいように遊び心で作っていた、望郷のテクスチャー。


 擬装パターンの中にある、最も『美しい存在』に擬装するように、AIに指示を飛ばした。


 衝突まで残り30秒です。

 

 宇宙バッファローにその美しい青を見せつけた後、宇宙ステーションは暗黒のパターンを纏い、再度その姿を隠す。


 全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れは立ち止まる。


 キョロキョロと周囲を見渡して――


 遠い遠い――


 青い美しい星を探して――


 見つけて――


 走り出した。


 エーラの作戦とも言えない苦し紛れは、成功した。


  ふぅ、という安堵の息は、やがて後悔でひゅうひゅうと途切れ、嗚咽はやがて慟哭に変わる。


 エーラの作戦とも言えない苦し紛れは、成功してしまった。



「あ」


  

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ



 その慟哭も、後悔も、摂氏マイナス270度の孤独な暗闇に消える。

 意味などない。




 彼女が何度も何度も送った『SORRY』のメッセージの意味を、受け取った彼らは果たして理解できただろうか。


 考える意味などない。


 3分前に全ては終わった。



 

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3分後、この宇宙ステーションは全てを破壊しながら突き進む宇宙バッファローの群れと衝突する さめ72 @SAMEX_1u2y

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