お嬢様のお気に召すまま

平 遊

決断なんて、どうでもいいや

 夜明光留よあけみつるには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは、決断。

 なにしろ、その頭脳も美貌も学内一と評判の朝陽華恋あさひかれんから突然呼び出しを受けた挙げ句に、


「三分だけ待ってあげるわ。その間にお決めなさい。わたくしの恋人になるか、下僕しもべになるか」


 と命じられてしまったのだ。

 華恋は既にスマホのタイマーを起動させてしまったようで、刻一刻と決断の時間は迫っている。


「言い忘れたけれど、三分以内に決めない場合は、下僕とみなすからそのつもりでね」


 なぜ自分が?


 光留はまずそこから考えさせて欲しかったのだが、華恋はまるで容赦がない。


「一分経ったわよ」


 時折強い風が吹き抜ける校舎裏。

 片手で風に舞う長い髪を押さえ、片手にスマホを持ってクスクスと笑い、華恋はまるで光留の困惑と焦りを楽しんでいるかのようだ。


 光留は私立の高校に通っている。自分ではごく普通の目立たない、可もなく不可もない生徒だと思っている。一方の華恋はこの高校の理事長の姪で、理事長は姪である華恋を殊の外可愛がっているとの噂だ。

 光留は一年、華恋は二年で、学年も違えば部活動も違うため、接点はない。光留にとって華恋は雲の上の存在で、極稀に友達との会話の中で華恋の名前が登場することはあっても、憧れたことすらない存在。なぜなら、噂に過ぎないとはいえ、華恋はその容姿に見合う高飛車な性格で、華恋を少しでも傷つけた生徒はなんのかんのと理由を付けては退学させられているという。恐ろしくて憧れの対象になどとてもならなかった。その華恋に光留は今、突然呼び出されて重大な決断を迫られているのだ。


「あの俺、先輩に何かしましたか?」


 もしかして、自分の気づかぬうちに何か気に障ることでもしてしまったのだろうかと光留はおそるおそる口にしてみたのだが、


「一分半」


 微笑を浮かべて冷淡に残り時間を告げただけで、華恋は光留の問いに答える気は無いようだ。


 それにしても、恋人と下僕という、ある意味両極端でもあり、ある意味同意義でもある立場。なぜ華恋はこの二択を自分に迫っているのだろうかと、焦る頭で光留は必死に考える。もし決断を間違えてしまえば、もしかしたら噂通り退学させられてしまうのではないか、という恐れも、光留にはあった。


 華恋はいわばお嬢様、それも高飛車なお嬢様だ。

 光留が想像するに、高飛車なお嬢様の恋人、それも年下の恋人ともなれば、それはもはや下僕に近いものになるのではなかろうか。

 それでも、恋人と下僕を選択させる意図はどこにあるのだろうか。また、それ以外、例えば友達とか、先輩後輩の関係性をまるで排除した意図はどこにあるのだろうか。


 もしかしてこれは、適当な相手を見繕った、お嬢様のただのお遊びなのだろうか?

 どちらを選んでも、結局は退学させられるのではなかろうか?


 そう光留が思った瞬間、考えを見透かしたかのように華恋は首を小さく横に振った。


「二分」


 と、その時。

 一際強い風が華恋と光留の間を吹き抜けた。


「きゃっ」


 小さな悲鳴をあげた華恋の体が大きくよろめく。

 とっさに手を伸ばして華恋を支えた光留は、数週間前の出来事を思い出した。



 その日、光留は日直だったため、学校への道を急いでいた。風の強い朝だった。

 校門を抜けたところで、一際強い風が校舎側から吹き付けてきた。


「きゃっ」


 小さな声とともに、ちょうど前を歩いていた女生徒がフラリと後ろによろけたのを見て、光留はとっさに腕を伸ばして体を支えた。


「大丈夫?」


 後ろから支える格好のため顔は見えなかったが、頷いたのを確認すると、


「風強いから気をつけてね」


 そう言ってその場を離れ、光留は教室へと急いだのだ。


 あの時の女生徒はもしや、華恋だったのでは……!?



「二分半」


 光留に体を支えられ、目を伏せてうっすらと頬を染めながら、華恋は過ぎゆく時を告げる。そして、


「思い出した?」


 と、囁くような声で言った。


「わたくし、あんな風に突然男性に後ろから抱きしめられたのは初めてだったの」


 光留は驚いた。

 華恋の言葉にはだいぶ語弊がある。

 突然よろけたのは華恋の方で、光留は抱きしめたのではなく、ただ後ろから支えただけだ。


「先輩、あれはっ」

「三分」


 伏せていた目を大きく開き、華恋は光留を見てニッコリと笑った。


「今この瞬間から、あなたはわたくしの、わたくしだけの下僕よ、夜明光留」


 勝ち気そうな華恋の目。

 でも、目元には薄っすらと朱がさし、照れているようにも見えた。


 もしかして先輩、俺のこと……


 ふいにそう思った光留の目の前に、ほっそりとした手が差し出される。


「わたくしの手を取りなさい」

「えっ?」

「わたくしの命令が聞けないの?下僕のくせに」


 拒否したところで華恋はきっと何もしないのだろう、と光留は思った。けれども、高飛車な態度ながらどこか可愛らしさを纏っている華恋の命令に従ってみるのも悪くは無いと、なぜだか光留は思ってしまった。


「はい」


 おそるおそる、光留は華恋の手を取る。

 すると、華恋はすぐさま光留の手をキュッと握りしめ、そのまま光留を引き寄せた。

 何も構えていなかった光留は、為すすべもなく華恋に引き寄せられ、気づけば華恋の整った顔は直ぐ目の前。


「いいこと?わたくしの初めてを奪った責任は、きっちり取っていただくわよ?」


 相変わらず、華恋の言葉にはかなりの語弊があると、光留は思った。けれども、それほど悪い気はしない。それどころか、華恋の手のぬくもり、密やかな息遣いに、胸の鼓動が高鳴るのを感じる。


 先輩、可愛い……かも。


 そして、恋人になろうが下僕になろうがきっと、結果はそう変わらないのだろうと光留は思った。

 要は華恋は、光留と一緒にいたい、独り占めしたいと言っているのだろうと。

 この、長いようで短かった三分間は全てが、NOという答えの選択肢がない、華恋の告白タイムだったのだ。


「わたくし帰りにカフェに寄りたいの。もちろん、あなたも来るのよ、夜明光留」


 それも、単なる告白タイムではない。ガッツリと光留の心を掴んでしまった三分間だ。


「はい。あの……光留でいいですよ、先輩」

「分かったわ。……いえ、下僕のくせにわたくしに指図するなんて生意気ね、光留」


 確かに華恋の態度は高飛車と言えるだろう。けれども、光留にはその高飛車な態度が、照れ隠しのようにしか見えない。

 噂なんて、やはり噂でしかないのだろう。高飛車なのは確かだが、退学云々は恐らくはデタラメだろうと、光留は思った。


「申し訳ありません、先輩」

「先輩はやめて。華恋でいいわ」

「いや、それはさすがに……」

「わたくしの命令が聞けないの?」

「華恋さん、で許して貰えないでしょうか?」

「仕方ないわね、分かったわ」


 光留の手を握りしめたまま、華恋は歩き出す。


「カフェでしっかりわたくしの話を聞くのよ?あなたを見つけるのに、わたくしがどれだけ苦労をしたか、特別に教えてあげるわ」

「はい、しっかり聞かせていただきます」

「あなたもこの三分で何を考えたか、ちゃんとわたくしに報告しなさい。まったくあなたときたら、せっかく三分時間をあげたのに、結局決められなかったのだから」

「……はい」


 満足そうに微笑む華恋の髪が、強い風に舞い、光留の鼻先を擽る。


「でも、なんで三分……?」


 思わず呟いた光留に、華恋が答えた。


「それはタイマーの設定が三分になっていたからよ。昨日、お夜食にカップラーメンを食べたから」

「華恋さんもカップラーメンなんて食べるんですね」

「わたくしを何だと思っているの、あなたは。おかしな下僕。あぁ、そうだわ。わたくしの下僕になるには契約が必要ね」


 契約、と聞いてサインや印鑑などを思い浮かべた光留だったが、すぐにそれは不要なものだということに気づいた。


 光留の頬に軽く触れた柔らかな温もり。

 それが、華恋と光留の契約だった。


 この先自分は下僕として、華恋の言いなりになってしまうのだろうか。でも、それも楽しいかもしれない。

 お嬢様のお気に召すまま、だ。


 光留は想いを込めて華恋の手をギュッと握りしめた。


「ちょっと、痛いわよ、光留」

「あっ、ご、ごめんなさいっ」


【終】

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