彼に渡せ! 三分以内に!!

胡麻桜 薫

彼に渡せ! 三分以内に!!

 わたしには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは──隣のクラスの城ヶ崎じょうがさき君に、ある物を渡すことだ。



 わたしも城ヶ崎君も高校一年生。わたしはA組で、城ヶ崎君はB組。


 絶対に渡すんだと決意して家から持ってきたけど……ノロノロしている間にどんどん時間が経っちゃって、もう五時間目が終わっちゃった。


 次の六時間目が終わったら放課後。

 放課後になったら、城ヶ崎君はすぐ部活に行ってしまう。つまり、この休み時間が最後のチャンスなのだ。


 それなのに……わたしは自分の席でうじうじと座ったり立ったりを繰り返し、貴重な残り時間を無駄に消費してしまった。

 そして、気がついたら六時間目の開始まであと三分となってしまったのだ。


(もう〜っ!! わたしったら何やってるの!? 『絶対に』って決めたじゃない!!)


 わたしは勢いよく椅子から立ち上がり、廊下へと飛び出した。


「あ、谷中やなかさん! あのさ──」


「ごめん! あとで聞く!」


 クラスメイトに声をかけられたが、もう立ち止まっている暇はない。

 すぐ隣の教室へのわずかな距離さえも、今のわたしにはもどかしかった。


「きゃー! 水道の水がー!!」


「! はっ!!」


 廊下に設置された水道の、三つ並んだ蛇口の一つから、勢いよく水が噴き出している。まるで噴水ショーのように。

 だが、そんなことにも構っていられない。わたしは掛け声と共に水流をかわし、B組のドアに手をかけた。


 教室のドアを開けると、幸いにもすぐ城ヶ崎君の姿を見つけることができた。


「城ヶ崎君!」


「おう、谷中。どうしたんだ?」


 城ヶ崎君の瞳が、まっすぐにわたしを見ている。


「わたし、わたしね……!」


 わたしは城ヶ崎君のもとに駆け寄ると、勇気を振り絞り、城ヶ崎君に『それ』を差し出した。



「借りてた漫画!! 返しに来ました!!」



「おっ、やっと読み終わったのか? ずいぶん時間かかったなあ」


 城ヶ崎君はわたしから漫画を受け取ると、呆れたように笑った。


「うん……面白すぎて、実は何度も読み返しちゃったの。ごめんね、遅くなって」



 そう、城ヶ崎君から漫画を借りたわたしは、その漫画に大ハマりし、家で何度も何度も読み返していたのだ。


 面白すぎて城ヶ崎君に渡す──いや、返すのが嫌になりそうなくらいだったけど、借りたままにはしていられない。

 今日こそ絶対に返そうと決意して、漫画を学校に持ってきた、というわけだ。



「いやいや、いいんだよ、全然。むしろ、それくらい楽しんでもらえて嬉しいよ」


 城ヶ崎君は朗らかにそう言ってくれた。


「うん、面白かった。貸してくれてありがとう」


 わたしは名残惜しい気持ちを噛み締めながら、城ヶ崎君の手にある漫画をチラリと見た。


「……ほんと面白くて、城ヶ崎君にのを躊躇ちゅうちょしちゃうくらいだったよ……」


 わたしが思わず本音を漏らすと、城ヶ崎君は困ったように苦笑した。


「あはは……渡すっていうか、返す、だろ」


「あ! ご、ごめん! 間違えちゃった。えへへ……あのね、わたしもその漫画、買ってみようって決めたんだ」


「いいじゃん! そうしろよ! 来月には新刊も出る予定だしさ」


「え、そうなの!? やった、楽しみができちゃった!」



 わたしと城ヶ崎君は爽やかに笑い合った。

 その時、教室の前方から大きな咳払いが聞こえてきた。



「……谷中。授業始まるぞ。早く自分の教室に戻りなさい」


 教壇に立つ先生が、呆れ顔でそう言った。

 いつの間にやら、授業開始のチャイムが鳴ってしまっていたらしい。


「! す、すみませ〜ん!!」


 わたしは慌てて廊下に出て、A組の教室に戻った。


 先生に注意されてしまったけど、六時間目が始まるまでに漫画を返すという目標は達成できた。

 心の中のモヤモヤが晴れたようで、すっごく気持ちがいい。


 わたしは、すっきりした心の中で高らかに叫んだ。



(やっぱり、漫画って最高〜!!)



〜おしまい〜


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彼に渡せ! 三分以内に!! 胡麻桜 薫 @goma-zaku-12

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