異世界帰りのラーメン無双
稲荷竜
第1話
カップラーメンには三分以内にやらなければならないことがあった。
おいしくなることである。
このカップラーメン、出自をとある滅びた企業に持つ伝説のカップラーメンであった。
賞味期限は2023年。つまり去年である。
それがこのたびお湯を注がれ食べられそうになるに至った経緯にはとても短編の尺ではおさまりきらない大スペクタクルがあったのだが、まともに記そうと思えばおおむね百万文字は必要なその大冒険について端的に語るのならば、いわゆるところの『転生先から帰還したら賞味期限が切れていた』という、よくある転生里帰りものの主人公という、そういう話なのだ。
転生したものだから当然ながらチートもあり、世界を救ったさいにはさらに特典ももらって帰還したものの、帰還した世界においては賞味期限も切れており、このまま死(廃棄)を待つだけかと思われた。
ところがすでにロートル、引退(廃棄)されて当然というほどの年かさになった彼に思わぬ活躍の場が来たのだ。
賞味期限をチェックしないタイプの人がお湯を注いだのである。
彼は転生者でありチート持ちであるが、それだけにすでにあまたの活躍をしており、無双という無双は経験しつくした。
出会いも別れも経験済みであり、生きることの意味、死というのは本当に忌避すべきものなのか、仲間とは、友情とは、あるいは恋とは……解放した奴隷ちゃんをうっかり十分以上お湯にさらしてしまったために増えに増えて増殖ハーレムなど築き上げてしまったという経験もあって、今は生きる喜びや生きて活躍するよりも、『有終の美』というものに飢えている頃合いであった。
そんな彼がしかし現代に戻ってみれば人知れず廃棄されて当然の賞味期限切れ存在になり果てていたのだ。
だというのに今、自分にお湯を注ぎ、自分を味わおうとする者がいる。
この事実は彼をたいそう奮起させ、焼きそば湯切り口魔王との対決を終えて燃え尽きていた彼に、一つの使命を抱かせた。
『三分以内に、最強においしい存在にならねばならない』
彼はこれを己が生まれた意味だと考えたのである。
ならば、どうするか? 彼は賞味期限の切れたカップ麺である。だが、同時にチート転生者でもあり、世界を救い、神より特典を授かった存在でもあった。
この権能をもってすればおいしくなるなど造作もない。
しかし、時間は限られている。
自分が完成するにはお湯を入れられてから三分という時間しかなく、世間では五分でできるカップ麺をあえて十分湯にさらしてみるなどの試みもあるようなのだが、自分を食べようとする者がそういう流行りにのるかどうかはわからず、とにかく三分。これを己が力を尽くせる制限時間と設定した。
彼は、どうしたか?
世界を渡った。
残された時間は三分である。しかもそんじょそこらの三分ではない。カップ麺ができるまでの三分なのだ。
この三分は人によっては二分半だったり五分だったりする。食べる直前に宅配などが来れば対応に追われているうちに忘れて十分だのニ十分だのになったりすることもあろうが、逆に気の短い者が自分を食そうというならば、一分程度しかないかもしれない。そういう三分なのだ。
この三分で最上級のカップ麺になるべく彼は、己のことを見つめなおす必要にかられた。
彼はいわゆる『ちょっと高級なカップ麺』として生を受けた。
平べったいタイプの容器の中に、『薬味』『チャーシュー』『調味油』など五種の小袋を備えたものである。
麺は細いストレート麺であり、そのダシは牛骨、味付けは醤油であった。
芳醇な牛の香りと豪勢な牛タンチャーシューをフリーズドライにしたものを始めとし、香り高い薬味を乗せながらも決して各種の風味がケンカをしない見事なバランスからなる牛骨醤油ラーメンである彼は、どのようにすれば己をより高められるかを考え、ある結論に達した。
そこで彼は、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに挑むことにしたのだ。
バッファローという動物をご存じだろうか?
これは牛、その中でも水牛の一種であり、広い土地で群れを形成し、移動しながら暮らしている草食動物である。
その肉は赤身であり、特に普段からよく運動する野生のバッファローの肉はサシも少なく、さっぱりした、しかし肉の旨味のたっぷり詰まったものである。
さりとてバッファロー特有のコブにはしっかりと脂が蓄えられており、バッファローステーキを食べる時にはこの脂をかぶせたりして脂身をおぎなうことで、よりおいしく食べられる、そういうものであった。
そして彼が自分の牛骨によく合うと一目で感じたのは、かつて『おあげ・天カス戦争』に駆り出された時に目撃した、『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』、すなわちドラゴンであった。
多くの方がご存じと思われるが、ドラゴンというのは牛の一種であり、飛ぶための翼がなく群れで生活するこの種族は特にバッファローである。
かつて『うどんよりそばがいい』という価値観に支配されたディストピアにおいて、その政治機構をまるまる破壊するほど暴れ狂ったバッファローたちの肉こそ、三分という限られた時間で自分をより高いうまみのステージへ押し上げてくれる……彼はそのように決断したのである。
もう、二度と戦うことはないと思っていた。
だが、今一度。
すでに世界は救った。愛しい相手とはわかれた。笑い合った仲間は敵になった。世の腐っているのを見せつけられ、権力闘争に嫌気がさし、自分の武力を利用しようとする者たちの薄っぺらな笑顔に囲まれているうちに、生きていくことそのものが嫌になった。
二度とこの過ぎたる武力を使わないとそう決断し、静かに、世界に捨てられたように死ぬのを待つだけのつもりであったが──
今一度。
ただ、おいしく食べられる、そのためだけに。
すべてを救い終え、すべてから離れて隠遁した英雄は、
荒涼とした砂ばかりの土地。渇いてひび割れた大地の上に、彼は椀底を乗せる。
線まで注がれたお湯をこぼさないようにその立ち姿は静かであった。だが、同時に、強い風の吹き抜ける中で、ほんのカップ麺でしかない軽い存在が、まるで地面に芯でも突き刺しているような姿でそこにいる。
なんと──コシのある姿だろう。
細ストレート麺そのものとなった彼が見据える先には、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。
緑色の鱗をきらめかせ、飛べないながらも強靭な翼膜を備えた翼を振り、短い脚とは思えないほどの速度で、しっぽをこすらせて土煙をあげながら突進してくるバッファローの群れ。
いかに屈強な者でもたまらず逃げ出すような迫力と威容のあるこれに、彼はたった一杯で立ち向かった。
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れはその口から火炎を吐き出した!
彼はひらりとこれをかわす。お湯の一滴もこぼれない。三分。三分という制限時間が、彼の動きをかつてよりも正確で素早いものにしていた。
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが自らの吐いた炎でけぶった場所をなんのためらいもなく突進し通過する瞬間、彼は手にしたメンマを振り抜いた。
するとカチカチに乾かした麩よりもなお硬いドラゴン……ではなく全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの首が複数断たれる。
噴き出す血を浴びないよう(食品のパッケージに何かの血液が付着していれば、メーカーにリコール要求されてしまう)気を付けながら、首を狩ったバッファローを素早く解体する。
周囲はまだ全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが通過中であるからこの場からいったん離れて解体作業を始めるのが安全なのだが、彼には三分しか時間がないのだ。
メンマは鋭い切れ味でバッファローを解体し、その鱗を引き裂き、肉をあらわにしていく。
肉と骨をすぐさま魔法圧力鍋で煮込む。すごいアクだ。牛骨スープのラーメンは一時期流行の兆しを見せたが、牛という素材の値段の高さと、何よりも他の骨よりもすさまじくアクが出るので多くの店が断念した素材である。その素材が今、三分しか時間のない彼に牙を剥いた。
だが対策はある。アクを素早く正確にとるために彼は卵白を用意していた。
昨今は料理動画でも『この余ったのは他のところに使いますからね』という注意をいちいちするような時勢であるが、アクをとったあとの卵白は基本捨てるしかない。なので料理動画で卵白でアクをとる模様などは映されないか触れられないことが多いのだが、三分しか時間がないので許してほしい。
そうしてアクをとったスープを自分の中に注がれた水道水を沸かしたものと入れ替える傍ら、彼はすでにバッファローチャーシューを完成させていた。
チャーシューというのは『焼豚』と書くが、その構成で『焼き』が占める割合は多くない。
多くは糸で縛ったあと表面を軽く焼いて旨味を閉じ込めるだけであり、その後は醤油ベースのタレで煮込むという作業がだいたいだ。
だが、焼く。
脂身の少ないバッファローの肉に、コブの脂身を巻いて焼く。
するとフライパン(チートで出した)の中で肉がこんがりいい色合いになっていく。サシは少ないが筋も少ない、バッファローが緊張しない野生の環境でのびのび育ったからこそ実現した、『筋肉質なのに舌触りなめらかで柔らかく、噛めば噛むほどうまみが染み出す肉質』が、最高の『焼きチャーシュー』を実現させたのだ。
彼はフリーズドライのチャーシューを捨てて、そのチャーシューを自分の中に入れた。
先ほどから自分の中のものを捨てる行動が多いのだが、これには仕方のない事情があることを、きっと聡明なる者であれば覚えておいでだろう。
彼の賞味期限は去年切れている。
なので少しでも中身を入れ替えておこうという、食品安全性への配慮なのであった。
かくしてスープとメインの具材を入れ替えた彼だったが、そこでタイムアップである。
だが、計算通りのタイムアップでもあった。ギリギリ間に合った、というところだろうか。
彼は完成した状態で、元の場所に戻る。
すさまじい三分間であった。濃さを売りにするラーメンさえも『そこまでは……』と負けを認めてしまうような、濃厚な三分間であっただろう。
この活躍は誰も知らない。彼の努力は誰にも伝わらない。
だが、食べた者だけは、努力を知らずとも、味のよさだけはわかるはずだ。
彼はなんの変哲もないどこかの家の居間、ちゃぶ台の上に戻っていた。
フタが剥がされて食べられる。
「ん? なんかうまいな……」
食べる者のその声はしかし、彼にはすでに届かない。
彼はカップラーメンであった。そして、カップラーメンは生鮮食品ではない……カップラーメンとして完成したその瞬間こそ、彼にとっての『死』なのである。
だから彼が、この三分間に何を想い、どのようなことをしたのか知る者はいない。
ただ。
……ただ、剥がされ、ちゃぶ台の上に放置されたフタの中で。
彼を監修したラーメン屋の店主だけが、いかめしい顔で腕を組み、満足げにうなずく直前のような姿で、天井を……
彼が召されたであろう天の方向を、じっとにらみつけているのみだった。
異世界帰りのラーメン無双 稲荷竜 @Ryu_Inari
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