ドレミファソラシドの「ファ」って日本語だと「へ」って表記するらしいよ

ドレミファソラシドの「ファ」って日本語だと「へ」って表記するらしいよ

　俺には三分以内にやらなければならないことがあった。

　いや、正確には三分も持たないかもしれない。

　三分先は地獄か天国か、先を考えるのが恐ろしい。

　恐怖による冷や汗が滲み目に入る。

　出来ることなら昨夜に戻って全く別の選択肢を選びたかったものだ。

　昨夜は少し深酒をして気が大きくなってたのかも知れない。

　昔馴染みの友人と久しぶりに盃を交わして緊張感が薄れていたのかも知れない。

　学生時代の様な気持ちで短慮になっていたのかも知れない。

　上がりのラーメンを期待していた屋台が営業してなかったのもマズかった。

　ラーメンじゃなくて上がりのカレーはどうよ？

　旧友のイタズラっぽい視線に乗ったのもよろしくなかった。

　深夜営業のカレー店に入りメニューを眺めた時に目に止まったハヤシライスの文字を何気なく呟いたのも今となっては理解に苦しむ。

　ハヤシライス？どうせなら同じくらいの色の８辛とか挑戦しないか？

　悪友のそれは悪魔の囁やきだったと今なら分かる。

　そう、先程から赤い悪魔が出口をノックしているのだ。

　経験上絶対に燃え上がるような液状化したマグマタイプだ。

　いかん、定期的に下腹部に訴える疼痛が脂汗を滲ませ目に入る。

　落ち着いて呼吸を整えよう。

　ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。

　イヤマテ、これは出す方の呼吸だ、逆だよ、今は逆なのだよ。

　フッフッヒー、フッフッヒー。

　収まらない？何か間違えてるのか？

　フーヒッヒー、フーヒッヒー。

　少し収まった様な気がする。

　トイレのあるコンビニまで約300メートル、こぼさずに今できる可能な限りの早歩きで約3分。

　よし、冷静に計算できてるな。

　今の内に少々ガス抜きした方がいいのだろうか。

　メロディアスで無くていい、明るいアスにつながればそれでいい。

　単音ならファでいいだろうか、間違ってもミはよろしくない。

　いいか？今の俺は凄腕の爆弾処理班のエースだ。

　ほんの少しだけ圧力を抜いてやれば生き残れる時間が稼げる。

　細心の注意をはらってサイレントにガスを抜く。

　ほんの少しだけ緊張が緩む、あと約200メートルだ。

　軽く息を吐き視線を上げたのがまずかったのか、緊張とは別の何かが緩んだのか。

　突然血流のテンポが変わり腹部からドラムロールが鳴り響く。

　さながら全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの様だ。

　身体の不随意運動を意思の力でねじ伏せ、筋肉を絞り上げると不自然に背筋が伸びる。

　こうなるとストライドを稼ぐ事もままならない。

　人生とはままならないものだ（アイムソーリー・ユーアーソーリー）。

　いかん、ここでアイムソーリー（ごめんなさい）してはイケナイ、人間の尊厳を手放してはイケナイのだ。

　挫けそうな心を励まして残り100メートル。

　昔ベンジョンソンとかいたな、俺も10秒以内に便所にゴールしたいものだ。

　諦めるのか、諦めないのか、俺の心の政治家生命を賭した魂の牛歩が満身創痍の心と身体をコンビニまで運んでくれた。

　これからは辛いものは控える事を、俺のマニフェストとして掲げて生きてゆくよ。

　独特のメロディの入店音が鳴り響く。　

　店内にはヒマそうに突っ立ってる店員がいるだけだ。

　この時間帯ならいつも空いてるからな、勝利を確信して今度は俺がノックする。

　すると、ノックがかえってきた。

　人間とは、真に追い詰められると心も視界も真っ白になるんだな。

　俺には三分以内にやらなければならないことがあった。

　いや三分で無くてもいいのかも知れない。

　店員にバレない内に早急に女子トイレから脱出しなければならないのだ。