【KAC20241】間に合って!

雪の香り。

第1話 ダメっ、ピオニーさん!

私には三分以内にやらなければならないことがあった。


SNSで相互フォローしているピオニーさん、彼女が「今、駅にいます。線路に飛び込むつもり。みんな、バイバイ」とポストしたのが一分前。

添えられていた写真から、私の勤めている会社の最寄り駅だとわかった。


三分後に電車が来る。

止めなきゃ。


昼休みが終わったばかりで、さあこれから定時までお仕事頑張るぞと気合を入れた時だったけど、いつも真面目な彼女がたんなる「かまってちゃん」なポストをするはずがない。


私は上司や同僚に理由を告げる間もなく会社から飛び出し、走った。

改札に叩きつけるようにICカードを当てて通過し、階段を二段飛ばしで駆けあがり、ホームに着いたところで……ピオニーさんの顔を知らないことに気が付いた。


どうしよう。

どうしよう。


ピオニーさんは、私が落ち込んだポストをすると優しい言葉をかけてくれた。

花が好きみたいでよく写真を載せていた。


「ピオニー」というのも「芍薬」および「牡丹」の外国での名前らしい。

調べるとピオニーの西洋での花言葉は「恥じらい」と「思いやり」らしくて、彼女にぴったりなアカウント名だとますます好きになった。


直接顔を合わせたことはなくても、大切な人なのだ。

私はホームにいる人を一人一人観察し、気づいた。


立春を迎えても未だに風は冷たいというのに、若草色のワンピース一枚でカーディガンすら羽織っていない女性がいる。


手ぶらで外出するとき最低限持つだろうスマホや財布も所持していない。

あの人が、ピオニーさんだ。


直感した瞬間「間もなく通過電車がまいります」とアナウンスが流れた。

ピオニーさんの身体がふらっと前傾に……。


「だめっ!」


線路に倒れ込みそうだった彼女に駆け寄り、抱き寄せた。

勢いあまってそっくり返り、尻もちをついてしまう。


そんな私たちをよそに、風をまとってすごいスピードで電車は通過していった。

私はホッと安堵の息を吐いたが、依然腕の中にいたピオニーさんは震えながら。


「どうして……」


つぶやいて、顔を手で覆って泣き始めた。


「私一人この世から消えたところで、何も変化はないじゃない。なら、苦痛を感じながら生きる必要なんてないでしょう? 一思いに死なせてほしかったのに……」


聞いているこっちまで苦しくなる声音だった。

死にたくなるほどの何かが彼女にあったのだろう。

それでも。


「ピオニーさん、あなたの魂はたしかにあなたのものよ。でも、肉体は神様のものだから、勝手に処分してはきっと罰が当たるわ。私は、あなたが神様に怒られるのは嫌。だって、しあわせでいて欲しいといつも願っているから」


ピオニーさんは「あなたは、神様がいると思っているの?」と少し嘲るような口調で言ってきた。


「都合よく人間の願いをかなえてくれるような神様はいないと思う。でも、何をしても、たとえ心が醜く歪んでも、その歪みさえ見守って愛してくれる。そういう神様は存在していると信じているわ。だからこそ、神様が何も願いを叶えてくれなくても、神様が神様であるだけで私はありがたいと思ってる」


ピオニーさんはハッと息を呑み、振り返って私の顔を見た。


「あなた、蓮華さんね」


蓮華とは私のアカウント名だ。


「ご名答」


私の返答にピオニーさんは憑きモノが落ちたような、幼女のようにあどけない顔で「そっか」とこぼすとふふふっと笑った。


「知ってました? 蓮華の花言葉 は『あなたと一緒なら苦痛がやわらぐ』なの。名は体を表すって本当ね」


泣いた後でまぶたは赤く腫れているけれど、もうピオニーさんの表情に陰りはなかった。


私が力になれたなんて思い上がりもいいところだけど……花言葉の通り、少しでも苦痛を和らげてあげられたならよかった。


私は立ち上がってピオニーさんに手を差し伸べる。

ピオニーさんは私の手をぎゅっと握って立ち上がり「ありがとう。もう、大丈夫」としっかりした声で言った。


その微笑はまさに牡丹。

一度死んだ気になって立ち直った彼女は、王者の風格をまとっていた。


数秒後、誰かが連絡したらしく駅員さんと警察官がやってきて、ピオニーさんは連れられて行ってしまったが、過度な心配はもういらないだろう。


「さて、私も怒られに戻りますかね」


突然会社を飛び出した事情を聞かれるだろうが、真実は押し隠そう。

私は手を組んでう~んと上に伸ばし、深呼吸してから歩きだした。


今日もいい天気である。

全て世はこともなしってね。




おわり

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