【後編】第四話「フルトラマンΔ VS 二角獣ディアドラス

 ディアドラスは目の前に現れた天敵デルタを牽制するように、天に向かって邪悪に反り立つ双角をぶんぶん振り回す。デルタは物怖じせずそれらをいなし、脇腹に蹴りを叩き込んだ。重機どうしがぶつかり合うような激しい肉弾戦の音が、空から降ってくる。

 デルタが駆け出せばアスファルトが捲れ砂塵が舞い、ディアドラスがたたらを踏むとそばのビルが倒壊する。

 逃げ惑う観衆の一人となった俺はいま、臨場感溢れる戦いに興奮するより前に飛んでくる瓦礫を避けながら走る他ない。


 フルトラマンと言わず特撮モノでは大体の戦いの流れが決まっている。最初は普通に戦い、敵が特色を活かした攻撃を繰り出すと、フルトラマンがちょっと苦戦する。そして地球での活動期限を示すカラータイマーが鳴り、視聴者をやきもきさせたところで敵の弱点を発見したり技を攻略したりして優勢に。最後にフルトラマンが必殺技・バナジウム光線を放ちフィニッシュとなる。

 ほぼ勝ち確の戦いなんか見て楽しいのか、なんて意見が特撮好きじゃない人間から飛んできそうだが、そういう奴らは様式美というものをまったく分かっていない。だが時間がないから熱く語るのはまた今度だ。


 カラータイマーが鳴るまであと二分。そろそろディアドラスが必殺技を繰り出す頃――

 記憶を頼りに振り返ると、ディアドラスの双角の先が青い光を放っていた。出た。あれこそ親の顔より見たであろう二角獣の必殺技・ラジウム光線だ。

 煌めく粒子を押し固めたような光線を警戒したデルタは後ろに飛び退る。すると轟音と共に、先ほどまでデルタがいた場所に巨大なクレーターが生まれた。

 今しがた吹き飛んできたと思しき道路標識をギリギリ避けた俺は、ファイティングポーズを取ったデルタの腰元に目を凝らす。

「あった……あれだ!!」

 六等星くらいの清らかな光が一粒、流れ星のように地上に舞い落ちるのが見えた。良かった、憑依先のモブは目が良い奴のようだった。

 そう。デルタこと主人公のツヨシは、この最初のラジウム光線を避けた際に婚約指輪を落とすのだ。本編でその描写があったからよく覚えている。

 落とした場所も分かっている俺は、迷わずデルタの足元へと駆け出した。

 目指すは激戦の渦中、倒壊した銭湯の瓦礫の上だ。


 思えばつまらない人生だった。

 雑居ビルだったものを飛び越え、俺はふと遅すぎる走馬灯を振り返る。

 容姿に恵まれず頭も普通、友達も少なく恋人なんて以ての外。女の子と手を繋いだことすらないまま、俺は前世で四十三年の生涯を終えた。

 同級生の誰々くんが出世したらしい、近所の誰々ちゃんが結婚したそうだ、なのにお前はまだ怪獣のフィギュアなんて握ってんのか。

 そんな親兄弟・親類縁者からの揶揄は次第に諦めの溜息に変わり、最近では腫れ物に触れるように扱われる始末だった。

「俺はそもそも女になんて興味無いし」だなんて強がりも、歳を食うだけ痛々しくなっていった。心の底ではもう分かっていたんだ。どんなに願おうとも、ひっそりと夜中に枕を濡らそうとも、異性から見て何の魅力もない俺が誰かと付き合うとかそういうことを望むのはおこがましいということを。

 横たわった街路樹に躓き、俺は顔から派手に転んだ。鼻の奥から生温かい血の気配がする。しかし身体の痛みも厭わず、膝に手をつき立ち上がった。


 ツヨシ、お前は俺とは違うだろ。

 お前はたまたま宇宙の使者に選ばれたってだけで恐ろしい怪獣たちとの戦いに明け暮れることになり、人々に感謝こそされるも愛していた彼女からは振られ、生涯孤独で生きていくだなんて……そんなの間違ってる。

「ひとりぼっちは、寂しいもんな……」

 どこかで聞いたセリフを口にしてみる。でもお前の隣にいて寄り添うべきは俺じゃない。俺じゃないんだよ。

「ツヨシ! お前は絶対、ユリに想いを伝えないと駄目なんだ!! 他でもない、お前のために!!」

 俺は叫ぶと同時に再びがむしゃらに走り、完膚なきまでに破壊された銭湯跡地の瓦礫の山を駆け上がった。三十メートル先では、デルタの銀色の脚がラジウム光線を躱しながら細かくステップを踏んでいた。あれに踏まれたら一巻の終わりだ。

 舞う土埃に目を細め、四つん這いで必死に指輪を探す。

「確かこの辺に……あ、あったぞ……あれだ!」

 崩れた銭湯の壁の陰に、煌めく光の粒が、銀色の輪を伴って転がっていた。慌てて駆け寄り拾い上げる。

 ユリの細い指に合わせてしつらえたであろう華奢なダイヤの指輪は、しかし見た目よりずっと重かった。これがツヨシの覚悟の重さなのだろう。

 大切な指輪を二度と落とさないようにぎゅっと握り締め、怪獣たちの戦いの最中から急いで退避する。さあツヨシ、あとは目の前の二角獣を倒すだけだ。

 タイミング良く頭上から爆音でカラータイマーの音が降ってくる。そろそろ戦いの方も終盤に差し掛かるところだ。

 これまで防戦一方だったデルタは、ディアドラスの虚を突くように駆け出して距離を詰め、ビームの射出口であるその両角を握る。

 急所を掴まれてディアドラスが一瞬怯んだその隙に、デルタは左角へハイキックを見舞った。鉄骨でもへし折るような重い金属音が響き、直撃を食らった角は折れ飛んだ。

 前世で見た展開通りの逆転劇だが、俺は気づけば昂る心に自然と涙が滲んでいた。そんなはずはないのに、デルタが一撃を繰り出す毎に俺の人生が報われるような気がしたからだった。

 いいぞ、その調子だデルタ。乱発されるラジウム光線を躱せ。隙を突いて右角もそう、蹴り折って……よし、最後はバナジウム光線でフィニ――

「ん?」

 熱い戦いに気を取られ気づかなかったが、十メートルほど離れた公園跡地で寄り添う男女の姿があった。傾いた滑り台の陰で語らう二人の片方には見覚えがある。

「目の前でフルトラマンが戦っているというのに……ユリ、君って娘は」

「世界が滅亡するかもしれないの。今は……何も言わないで」

「ああユリ……可愛いよ」

 見知らぬ男が周囲を憚らずユリにディープなキスを浴びせている。俺はあまりの光景に衝撃が走り、絶句した。ユリはともかく誰だよお前。原作にいなかっただろ。

 ユリもユリで嫌がるどころか自分から知らない男に脚を絡め、愛撫に応えていた。やめろユリ、お前は俺の、俺たちフルトラマンファンの女神だったはずだ。

 すっかり雌の顔をしたユリに、悔しいが目を逸らすことはできない。悔しい。でも見てしまう。これが童貞の性か……。

「いいのマサト……このまま――」

 ユリの口から禁断のゴーサインが出ようとしたその時、轟音が鳴り響き爆風が周囲に吹き荒れた。デルタがバナジウム光線を放ち、ディアドラスにとどめを刺した瞬間のようだった。が、そちらは最早どうでも良かった。すまないデルタ。

 土煙が落ち着く頃、爆心地から男が駆け寄ってきた。それは今しがた死闘を終えたばかりの好青年の姿だった。

「……君! その指輪……拾ってくれたのかい!?」

 ツヨシは俺の掌の中身を見てぱっと表情を明るくした。俺はどんな顔をしていただろう。

「ありがとう。これがなくなったら俺、あの娘に想いを伝えられなかったからさ」

「え、あ、その……ツヨシ……」

 ツヨシは俺の手を握ってぶんぶん振り、精一杯の感謝を伝えていたが、俺はその眩しい笑顔を真っ直ぐ見ることができなかった。ツヨシ、お前は見てなかっただろうが、その女は――

 しかし止める間もなく、指輪を取り戻したヒーローは愛する彼女の元へと駆けていく。いつの間にかマサトとかいう間男はどこかへ消えていた。逃げ足の早い奴のようだった。

 何も知らないツヨシは、何事もなかったかのように彼を迎えるユリの足元に恭しく跪いた。

「ユリ……ずっと待たせてしまった。どうか僕と結婚して欲しい」

「ツヨシ……嬉しい! こちらこそ、喜んで」

 ユリは生娘のように清純な笑顔でプロポーズを快諾した。待てお前、さっきの醜態はどうした? つい先程まで愛を語らっていたマサトは? 俺の幻覚か?

 気づけば夕日が傾いていて、きっとテレビではエンドロールが流れている頃合いだろう。もう俺が何度もブラウン管で観てきた孤独なツヨシの後ろ姿が映るエンディングではなくなっていた。フルトラマンデルタは、第四話を機にまるっきりストーリーが変わってしまったようだった。

 それは他でもない俺の行動のせいだが、しかし何も知らないツヨシをこのままにしておけなかった。

 ツヨシ……悪いが、その女はダメだ。そいつはいつか別の男にも股を開くぞ。

 ふつふつと込み上げる怒りに、空っぽの掌を握る。

 たったいま決意した。俺がやるべきことはただ一つ――最終話までに、二人の仲を引き裂いてやらねばならない。

 夜の帳が降りようとする半壊の街へ、二人は仲睦まじく帰っていく。早く、早くあの女を何とかしなくては。


 すっかり二人の世界に浸る彼ら、そして陰でその背を睨む俺に、空に昇ったばかりの星たちは等しく輝いていた。

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