ヘイルの誤算

緋色ザキ

ヘイルの誤算

 ヘイルには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それはこの場から一目散に逃げ出すこと。

 目の前には恰幅のいい髭を存分に蓄えた男、アッガーが座っていた。

 そう、ヘイルはいま商談の真っ最中なのであった。そして、この商談は彼らの宇宙の旅路において非常に重要な意味を持っていた。おもにお金という面でである。


 ヘイルと相棒のレインが宇宙を旅し始めてから早半年あまり。借金はありえないまでに膨れ上がっていた。

 そして、分散していた借り手たちからの催促が次第に増えていく。

 そんな状況下にヘイルたちは置かれていた。

 そしてつい先日、いろいろあってこの宇宙を司っている帝国と彼らは派手に戦闘を繰り広げた。そして、燃料が枯渇。すでにヘイルの乗る宇宙船は動けない状態で宇宙港に停泊していた。

 あまりにも多くの人間から資金を借りており、すでに貸してくれるであろう候補は僅か。しかもいまヘイルたちがいる星はまったく見知らぬ場所であり、知り合いもいない。


 だからこそなんとしてもこの商談は成功させる必要があった。そして、商談は非常に順調に進んでいた。あと一時間もあれば、契約は完了し、前払い金が手元に入る予定だった。あとは燃料を買い、アッガーの依頼をこなす。そんな明るい未来が見えていた。


 それだというのに、ヘイルは非常に焦っていた。

 それは、アッガーがいましがた発した不穏な言葉が原因だった。

 このあとユニプロダクション所属のアイドルがここに訪れるという発言。

 それがヘイルの穏やかだった心に荒波を立たせる。


 ユニプロダクションとはこの宇宙において最も有名なアイドルグループだ。

 三人の少女によって結成されており、それぞれタイプは違えど、洗練された超一流のアイドルなのである。

 普通の人であれば間違いなく喜ぶ場面だ。人によっては拝むだけで感動のあまり涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになるらしい。

 そんな最強アイドルの一人、セラピーの荷物を運ぶことが今回、アッガーからの依頼だった。どうやら、アッガーは数ヶ月後に自身が主催するファッションショーにセラピーを呼ぶそうだ。そして、彼女の荷物を開催する星に先に届けておいて欲しいということだった。


 そのためセラピーが三分後にこの場所に訪れる。

 ヘイルはセラピーとは全く面識がないし、年上女性がひどく苦手ではあるもののとくに会話の必要性がないだろうから問題はないと考えていた。

 そう、セラピー一人ならば。


「なんとね、セラピー以外の二人もたまたまイベントのために一緒に移動しているみたいで、ここに来てくれるみたいなんだ」

 

 アッガーは嬉しそうに笑った。

 少しはしゃいだ顔のおじさん。それはちょっと思うところもあった。しかし、ヘイルはそんなこと気にする余裕がないくらい動揺していた。

 セラピー以外の二人、つまり、姉のハームが姿を現すという事実にである。


 ヘイルの幼少期の記憶には、いつも姉が登場していた。そして彼は蹂躙され続けた。

 両親は研究者をしていたこともあり、仕事が忙しかった。そのため、ヘイルの面倒を見るのはいつも姉だった。

 姉は人の数百倍好奇心が強かったため、様々な大自然のスポットに連れ回された。そして、極限状態のサバイバルに半ば強制的についていくことになった。危うく死にかけたことも幾度となくある。

 それ以外でも、料理の実験台をさせられて意識を飛ばしたり、喧嘩でフルぼっこにされたり、全く楽しい記憶がないのである。

 しかも、姉はヘイルと父母以外からは優等生に見えていたようで、姉の本性を知る人間は家族を除けば相棒のレインしかおらず、この話を打ち明けても誰からも信じてもらえず肩身の狭い思いをしたのだった。


 そんな生活を送る中で、レインは年上女性恐怖症を患った。

 出会った女性が年上かどうかが無意識のうちにわかり、動悸や冷や汗がとまらなくなるという病である。宇宙広しといえど、この病気にかかっているのは自分だけなのだろうとヘイルは感じていた。


 さて、そんな元凶、ハームがここを訪れるという。

 対面したら失神して泡を吹く自信がある。まだその存在を認知していないというのに、すでに身体が震え始めている。これはまずい。逃げろと強く訴えている。

 

 落ち着け、落ち着くんだ、ヘイル。

 ヘイルは自分に語りかけて落ち着かせる。これまでだって数多の苦難を乗り越えてきた。先日だって、出会ったら生きて帰れないと言われている帝国軍から命からがら逃げ延びたじゃないか。

 だがふと思う。姉と帝国どちらが怖いか。答えは即答できる。姉だ。


 いや待て。落ち着くんだ。

 ヘイルは再度自身に語りかける。逆境に陥ったときこそ冷静になれ。打開策はきっとあるはずだ。

 ヘイルはまずレインのことを思い浮かべた。彼はいま宇宙港で宇宙船の整備を行っている。ここからだと歩いて三十分はかかるが、商談を変わってもらえるだろうか。

 ただ、それは望み薄かもしれない。

 いま、ヘイルが商談の席についている。ここで席を外すのは不審がられるし、なにより商談が破綻してしまう可能性もある。

 

 星は噂の巡りが早い。もし、商談が反故になればこの星の他の人間からも不審な目で見られることになるだろう。それでは、商談によって燃料を買うという野望は頓挫し、資金難かつ不審者と思われているヘイルたちは最悪この星で働き口も見つからず野垂れ死んでしまう。そんなのはいやである。


 考えろ、考えるんだ。ヘイルは思考をマッハで動かした。様々なパターンを検証した。自身が取れる選択肢。そして起こりうる可能性。姉への恐怖が彼の限界を破壊した。


「なあ、ヘイル君。先ほどから物思いに耽っているが大丈夫かね」


 アッガーは不可解な目でヘイルを見つめた。


「失礼しました、アッガーさん。ユニプロダクションが来ると聞いて、驚いてしまって」


「そうだろう、そうだろう。私も彼女らと直接会うのは初めてで天にも昇る気持ちだよ」


 アッガーは上機嫌な様子で笑った。


「あの、それでですね。一つお願いしたいことが」


「なんだね?」


「ユニプロダクションがいらしている間、私は席を外してもよろしいでしょうか?」


 途端にアッガーの顔つきが険しくなる。


「彼女らは今回の依頼主だぞ。それは、失礼にあたるのではないか」


「おっしゃることはもちろんわかっております。やはり、依頼主と私が顔を合わせておくのが筋だと思います。信頼という面でも間違いなく。ただ、」


 ヘイルは僅かに視線を逸らし、言い淀む。


「なんだね」


「えーっと、ですね……」


「はっきりいいたまえ」


 強い口調で先を促すアッガー。


「はい。実は、私はユニプロダクションの大ファンなのです」


「けっこうなことじゃないか」


「それが、かなりのファンでして、お会いすると間違いなく涙と鼻水でぐちゃぐちゃになると思うのです」


 ヘイルは暗に失礼になってしまうであろうというむねを言葉にする。

 途端アッガーが顔をしかめる。


「むっ。たしかにそういうファンも一定数いると聞く。感動のあまり、というやつであろう。だ、だがきっと彼女らもそれは理解してくれるであろう」


「実はそれだけじゃないんです」


「まだなにかあるのかね」


「これはまことにお伝えしずらいことではあるのですが、おそらく失禁してしまいます」


 アッガーはぽかんと口を開けた。 


「以前、彼女たちのライブに参加したとき、後ろの方の席だったにもかかわらず嬉しさのあまりちびってしまいました。きっと、直接会おうものなら私の膀胱はその体験に耐えかねて……」


「もういい、わかった。君はここにいなくていい。来たときに使った控え室にいたまえ。彼女たちが席を外したら私の部下を遣わそう」


「お心遣い、感謝いたします」


 こうしてヘイルは姉との対面をなんとか切り抜けることができたのであった。






「それにしても立派な部屋ですね」


 控え室にて、ヘイルはひとりごちる。

 この控え室はふかふかのソファがあり、天井にはシャンデリアがついている。壁も汚れがなく真っ白である。

 片やヘイルの宇宙船はどうであろうか。外層はボロボロであり、その上に帝国からばれないようにペンキを塗りたくり、形を変えるべく意味の無い部品を装着している。

 中は中で空の冷蔵庫となにもない居住区間があるのみだ。別段汚くはないが、それは単にものがないだけである。


 将来、借金を返済し尽くし、こんな豪邸とは言わないまでも小さな一軒家で幸せに暮らすなんてことができるのだろうか。そんな生活へ至る道筋は全く見えない。このままずぶずぶと借金沼の深みにはまってしまうのだろうか。


 ヘイルはいやいやと首を横に振った。

 考えたってしょうがない。まずはこの依頼を完遂する。

 さいわい、姉と対面するという緊急事態は自身の機転によって回避できた。なにかとてつもなく大切なものを失った気もするが気のせいだろう。アッガーから向けられた視線がとてつもなく冷ややかだったのも勘違いなはずだ。


 ヘイルは前を向くことにした。ここでうじうじしていてもしょうがない。

 やってみないとなにもわからないのだから。 


 コンコン、と不意に戸を叩く音がした。

 アッガーの部下が来たのだろうか。この部屋に入ってからまだ大して時間も経っていない。少し早いなと思いつつ、彼女たちがすぐに挨拶を済ませたのかとも思った。ユニプロダクションは忙しく、アッガーの相手をそんなに長時間するとも思えない。


「はい、ただいま」

 

 ヘイルは立ち上がると扉に向かった。そして、ノブに手をかけたところで声が聞こえた。

 

「久しぶりだね、ヘイル」


 ぞわぞわぞわという感覚に包まれた。突然の動悸。そして冷や汗。

 足がふらつき、ドアにもたれかかる。間違いない。この扉の向こうには、地獄が広がっている。


「な、なんで」


「私をたばかろうなんて、百年早いわよ」


「そ、そんな」


 姉はこの扉を開け、ここに入ってくるはずだ。終わった。なにもかもが。

 だが、待てども待てども一向に扉は開かない。


「まあ今日はいいわ。あなたと話すだけにとどめておくことにする。宇宙広しといえど、またいつか会うだろうし。それじゃあね、ヘイル」


 朗らかな声を残し、足跡が遠ざかっていった。

 ヘイルはへなへなと崩れ落ち、そのまま意識を手放した。






「……ル、……ろ、……イル」


 声が聞こえた。何度も聞き覚えのある声。

 目を開くと、そこにはレインがいた。


「はあ、やっと目覚めたか」


「なんでレインが?」


 視線の先には天井から吊されたシャンデリアがあった。そして、この背中の感触はソファー。ここは先ほどまでいた控え室のようだ。


「なんでって、お前なあ。部屋で倒れてるって、アッガーさんとこの遣いの人が教えてくれたからかけつけて来たんだぞ」


 なるほど。つまりかなり長い時間ここで落ちていたわけだ。

 なにがあったんだっけ。顔に手を当てて考える。答えはすぐに分かった。

 だから、失神してしまっていたのだ。


 ヘイルはゆっくりと身体を起こすと、自身の下半身に目を向けた。見た感じシミなどは見当たらない。濡れた感触もない。


「ぎりぎり、耐えたみたいですね」


「いや、全然耐えてねーよ。まあ一応アッガーさんの好意で契約は結ぶことができたけどさ」

 

 レインは頭をがしがしとかきながら叫ぶ。

 契約が結ばれたのは喜ばしいことだ。だがそれ以上に、ヘイルは、自身の尊厳がギリギリのところで冒されなかったことがわかり、ほっと一安心して笑みを浮かべたのだった。

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ヘイルの誤算 緋色ザキ @tennensui241

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