三分以内に辿り着け

右中桂示

それは質の悪い夢のような

 彼には三分以内にやらなければならないことがあった。


「だから、私は置いてってよ! 間に合わなくなっちゃう!」

「んな事できるか!」


 足が骨折している彼女を抱えて、彼は走る。住人が避難を終えた無人の街中を全速力で。

 放置された車に、建物。不安をかき立てる無音の中、二人だけが騒がしかった。


「私重いでしょ!」

「うるせえ大人しくしてろ!」

「一人なら絶対助かるでしょ!」

「二人でも絶対助かってやるんだよ!」


 お互いに譲らず叫び合う。彼女がポカポカと叩いても暴れても、彼は絶対に離さない。滑稽なようで命のかかった意地の張り合いだった。


 実のところ、彼女の台詞は一理ある。

 彼も足を負傷しているのだ。一人だけでも間に合うかどうかは危うい。

 二人で助かるには絶望的な状況だった。


 だとしても、そんな選択はとれない。とれる訳がない。


 彼は思考から迷いを捨てた。ただ走る。

 全身が悲鳴をあげている。

 骨が軋む。肉が裂ける。内臓が弾けそうだ。

 それでも全力疾走は緩めない。


「私のせいで死なせたくないよ! ねえ、お願いだから!」


 彼女の声に否定する余裕もない。

 代わりに抱き締める腕に力を込めた。痛くなる程に強く。

 喚く声と叩く手が、少しずつ弱まっていく。やがて彼女は大人しくなった。何か小さな声で言ったようだが、必死な彼には届かなかった。

 

 世界は静かだ。

 荒い息と足音、心臓だけがうるさい。

 二人の意思が一致して、あとはもう、祈るだけだった。




「……ほ、らっ! 間に合ったぞ!」

「うん……うんっ!」


 二人の表情に喜色が満ちる。

 目的のヘリコプター。最後の一機がギリギリまで待機してくれている。

 なんとか離陸する前に到着した。

 ほっとして、しかし油断はせず走りきり、飛び込むように中へ彼女を下ろす。

 そして彼も乗り込もうとしたところ、


「うお!」


 震動。

 彼はバランスを崩し、地に手を付く。疲労もあって上手く立てない。動けない。

 絶望がよぎる。

 目の前が真っ暗に沈む。


「早く!」


 そこに伸ばされる手。彼女が必死に体を乗り出していた。

 力を振り絞ってガッシリと掴む。

 後ろから乗員も助けてくれる。

 彼は無事、機内に引き上げられた。


 ヘリコプターは上昇していく。

 どっと安心して力が抜けた彼は倒れ込んだ。隣には彼女がいる。




 地上から轟音が響いた。

 断続的に響き続けている。

 空に届くはずもないのに恐怖が身震いさせた。

 彼は息も絶え絶えな状態で、無理をして地上を見た。

 しかし立ち込める粉塵で何も見えなかった。

 霧や雲海のような幻想的とも思える光景だが、覆い隠されているのは破壊と蹂躙だ。


 そう。見えずとも、何が起きているかは分かっていた。



 バッファローだ。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。

 街を、木々を、人工物を自然を、文字通り全てを破壊していく。

 なんともふざけた世界の終わり。


 神様は洪水の代わりにバッファローの群れで人間を罰するつもりらしい。

 誰かが言った、冗談のような発言には妙な説得力があった。尋常ならざるバッファローの群れはまともな生物とは考えられず、確かに神の使いだとしても納得してしまう。

 既に地表の四割近くが破壊し尽くされており、いずれ地球全体が更地になるだろう。

 人類に出来たのは空に逃げる事だけだった。


 なにもかも失われた大地で、これから人類はどうやって生きていくのか。

 問題は山積み。

 それでも。

 ひとまず今は、助かったのだ。


「良かった……」

「うん、本当に……」


 涙。ぐしゃぐしゃな泣き笑いの顔。

 二人は無事を喜びあうのだった。

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三分以内に辿り着け 右中桂示 @miginaka

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